当ブログは「ゲゲゲの謎」の矛盾点・疑問点まとめブログです。
詳しくは「ゲゲゲの謎」は矛盾だらけにまとめています。
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私自身「ゲゲゲの謎」について様々な批判を展開している以上、当ブログおよび私自身への批判は甘んじて受け入れるつもりです。
「水木しげるの妖怪談義」対談シリーズ。
お次のお相手は解剖学者の養老孟司さんです。
水木しげる先生は幼い頃から人の生死、生命、霊…といったものに深い関心をお持ちでした。そして生涯、世界中を回ってその研究を続けてこられました。
水木先生 しかし……われわれは気づかないあいだに生まれてきたわけですけど、やがては死ぬわけでしょう?これは人類にとって、昔から大きな問題だったんでしょうね。(中略)そのために宗教なんかもできたんじゃないんですか?(中略) 「ずっと生きたい」っていう意思があるから……?
養老先生 それは僕は、理屈じゃないかって気がします。(中略)
本当はずっと生きたいわけじゃなくて…たとえば秦の始皇帝が不老長寿の薬を探せって命令したのだって・・・・・・彼は永遠に生きたかったわけではなく、あくまでも権力欲であったんじゃないかと思います。
(中略)
ようするに最後まで生きたいと思っている人は、何か物ごとを思うようにしたいと思ってるんじゃないかなっていう気がするんですよ。そういう人も、やっぱりいるんですよ。そうすると死ぬということだけは思うようになりませんから、やっぱりそれも思うようにしたい。だからそれは、長生きしたいというのとは違って、思うようにならないのが気に入らないっていうことじゃないかと思います。
死ぬのはじめから決まっているわけですから。すると、はじめから決まってることが気に入らないんですね(笑)。
水木先生 私は、楽したいっていう気持ちがあって、それから死の恐怖はだんだんと薄れてきましたね。
(中略)
私は、年寄りになったらもっと静かな暮らしができると思っていたんです。それがちょっと違っていたのでおもしろくないわけです、うん(笑)。
(「水木しげるの妖怪談義」 225~226ページ)
自分はなぜここにいるのか?
頼んだわけでもないのになぜこの世に生まれさせられたのか?
ずっと生きて物事を自分の好きなように支配したい。
それなのにどうして肝心の自分の寿命は支配できないんだ!
こうした悩みは人類の永遠の課題です。
さて「ぼくちんがかんがえたさいきょーのらすぼす」は年端もいかない孫にまで手を出して産ませた子を乗っ取って生きながらえてきました。こうした発想はどうしてもアダルトゲームから着想を得たように思えてなりません。
それこそ養老先生が例に出した秦の始皇帝のように永遠の命という妄想に取り憑かれていたのです。
(始皇帝と「ぼくちんがかんがえたさいきょー」なんぞを一緒にしたくないのですが…)
元ネタの「犬神家の一族」の「犬神佐兵衛」には愛する人と結ばれなかった悲しき過去ゆえに権力に走りました。
「生涯ただ一人愛した女性が恩人の妻だったという。佐兵衛翁の鬱積した感情は、金、女、権力、人間のありとあらゆる欲望をむさぼり食い散らしたんでしょう」
──「犬神家の一族」より、金田一耕助の台詞
しかしなぜ「ぼくちんがかんがえたさいきょー」は妖怪の種族を虐サツするほど色と欲のとりこになったのか?
その肝心の理由は作中では明かされていません
(明かされてましたっけ?私が忘れてるだけだったらコメント欄で説教してください)
水木しげる先生の大事な一族を虐サツしておきながらその動機やバックボーンがフワフワな点は本当に納得できません。
ていうかこの世界の死神は何やってたんでしょうか?
河原さんちでタヌキや河童の子供と遊んでたんでしょうか?
〇「まあ、私は暗黙のうちに100を目指してますけどね(笑)。」
水木先生 まだ現世で生きてるわけですから、「生きて何かをしなきゃならん」っていう気持ちの残りカスがあるわけです。
(中略)
気がつくと、「生まれて、あとは静かに眠るように死ねばいいだけだ。それを何を騒ぐんだ」ってなことになるんです。
永久に生きたいっていうのは、やっぱり若いときのアレですよね。ええ、そんなに固執しなくても、死っていうのはそんなに無なものじゃない、と。
宇宙にはもっとたくさんの知恵があるのだから、われわれには予想もつかないんじゃないかと思います。
気がついたら生まれていたんだから、気がついたらまた別の何かがあるかもわからんし・・・・・何もないと決めてしまうのはおかしいんですよ。(中略)
(「水木しげるの妖怪談義」 227ページ)
生命に対してこのような深い人生哲学をお持ちの方の作品をお預かりするに当たり、実の孫子を凌辱してまで命に執着しているキャラを出しておいて、その辺りの構想を全く練っていない事には閉口します。
水木しげる先生の作品にも「すりかえられた肉体」という老人が若者の体を乗っ取って生き続ける話はありますが、1度だけ描いた短編に過ぎず原作者が好んで描いたテーマではありません。
水木先生 あまり、「100まで生きよう」なんていう強い願望を持っちゃいけないんです。
まあ、私は暗黙のうちに100を目指してますけどね(笑)。
(「水木しげるの妖怪談義」 227ページ)
ワガママは承知ですが100歳まで生きてほしかったです。
そしてこの映画のアイデアをチェックしてほしかったです。
最後に、京極夏彦先生が「ゲゲゲの謎」の後に書いた小説「猿」よりこの台詞を抜粋させていただきます。
「だから事故物件にしろ因習村にしろ、耳にするたびにもやもやしますね。
(中略)
そういう言葉を平気で使う人、人類が長い歴史でどんなふうに死と向き合ってきたのか、考えたことあるんすかね。」
(「猿」 237ページより)
(続く)

