当ブログは「ゲゲゲの謎」の矛盾点・疑問点まとめブログです。

 

詳しくは「ゲゲゲの謎」は矛盾だらけにまとめています。

 

「ゲゲゲの謎」矛盾・疑問点まとめ


「ゲゲゲの謎」パクリまとめ

 

「ゲゲゲの謎」を原作史実だと思っておられる方へ。

 

 

 

※このブログに書いた情報に関してはできるだけ出典を調べる努力をしていますがやむなく伝聞に頼っているものもあります。

 

このブログを読んで「ここに書いてあることって本当かなぁ?」と思われた方。

「オカチイナ?」と思われた際はぜひご自身でも調べてみてください。

 

大切なのは自分の目で確認することです。

情報を鵜呑みにするのはいちばん危険なことです。

ゲゲゲの謎 検索画面

 


私自身「ゲゲゲの謎」について様々な批判を展開している以上、当ブログおよび私自身への批判は甘んじて受け入れるつもりです。

 

 

もし当ブログで明らかな間違いがありましたらお手数ですがご報告頂けると助かります。

 

また水木しげる先生や関係者の方々の発言等、「ゲゲゲの謎」関係の情報をお持ちの方はぜひコメント欄でご教授ください。アメブロの特性上ログインしなければコメントできないのでご不便をおかけ致しますが、情報お待ちしております。

 

 

 

今回のブログに実在のセクシャルマイノリティを差別する意図は毛頭ありません。

ファンタジーのBLと現実のLGBTは全く違うものだと筆者は思っています。

両者をごっちゃにすることは栗本薫パン子論争のような危険を孕んでいると考えています。

 

 

 

前回、しげる先生がこれまで同性愛の話を全く描いていないこと

 

 

 

南方熊楠の話を3度も描きながら男色エピソードを全く書かなかった事

 

 

 

 

これらの事柄から水木しげる先生が同性愛に対してまったく興味がなかったと推測しました。

 

 

今日も「妖怪馬鹿」からそれを裏付けるお話をご紹介させていただきます

 

 

 

 

村上先生 何の本に書いてあったか忘れたけど、作家同士で男色の話をしているときに、いきなり水木先生が来て

 

「それって気持ちいいのですか?」

 

と訊いたそうですね。一般社会のルールでは単刀直入に聞けないですよ。いきなり核心をつくのが水木流。

 

(出典・妖怪馬鹿 358ページ)

 

 

妖怪探訪家の村上健司先生がおっしゃったエピソードはおそらく「水木しげるの妖怪探検「マレーシア大冒険」の26ページの呉智英先生と南伸坊先生のお話だと思われます。

 

 

 

呉智英先生 でもやっぱり一番ヘンなのは水木さんだよ。

 

普通会話って1、2、3、てくるでしょ。

 

でもあの人の場合はそうじゃない、もう自分しかないからさ(笑)。

 

オレ、どうしたらこういう質問が出るのか、と思ったのはさ、三島由紀夫が事件を起こす前日に男性の恋人と会っていたって噂の話をしたの。

 

 

※際どい内容なので文章を変えています。原文を確認されたい方は「水木しげるの妖怪探検」か国立国会図書館デジタルコレクションの「水木しげるの大冒険」26コマ目をご覧ください。

 

 

で、普通は「えっ、ホントかっ」とかそういう言葉が出るでしょ。

 

 

でも、水木さんは

 

 

「それで、キモチいいんですか」

 

っていうんだよ(大爆笑)

 

普通質問ってそういう方向にいかないじゃない。

 

もうベクトルが全然違う方向に行っちゃっている(笑)

 

 

南伸坊先生 ワッハハハ、それはおかしい!

 

「水木しげるの妖怪探検」26ページ)

 

 

 

呉智英先生はこうした様々なエピソードを踏まえてしげる先生の性格を

 

・自分のことと、自分の快楽しか考えていない快楽主義者

・世間の常識を全く考慮していないかのような行動と、名もない庶民のような現実認識の同居

 

と分析されています。

「水木しげるの妖怪探検」27ページ)

 

 

この後も非常に興味深い「水木しげる分析」が行われるのでぜひご紹介したいのですが話がずれるので国立国会図書館デジタルコレクションの「水木しげるの大冒険」26コマ目以降をご参照ください。

 


 

〇AIの見解

 

 

「それで、キモチいいんですか」

それこそ、どんなキモチでおっしゃったんですかセンセイ…

凡人の私には到底想像もつかないのでAIさんにも聞いてみました。

 

 

1. 純粋な生物学的・生理的な興味と「知的好奇心」

 

水木先生は、妖怪と同じくらい「人間」という生き物を奇妙で面白い存在として観察していたことで知られています。 三島由紀夫という大文豪が死の直前にそのような行動をとっていたという話を聞いた時しげる先生にとってそれは道徳的な善悪の判断対象というよりも

 

「人間の行動パターンとして、それは一体どのような生理的・精神的な快楽をもたらすものなのか」

という純粋な科学的・生物学的な謎

 

として映った可能性があります。南方熊楠の奇行を面白がるのと同様のフラットな好奇心の発露だったのではないでしょうか。

 

 

2. 世間の「常識」や「タブー」を軽やかに飛び越えるユーモア

 

当時の日本社会(特に昭和の時代)では同性愛やタブー視される性的な話題は、一般にはひそひそ話として語られるか過剰に深刻に捉えられがちでした。 

 

しかし水木先生は戦争の地獄を潜り抜け、人間のあらゆる綺麗事も泥臭さも見てきた人物です。そうした世間の「真面目な空気」や「タブー感」をユーモアで一刀両断し、一瞬にしてその場を和ませてしまう(あるいは脱力させる)ための定番のボケとして、この言葉を発したと考えられます。周りの人が思わず爆笑してしまったのは、まさにその「不意を突くユーモアと、絶妙な的外れ感(あるいは本質を突いた素朴さ)」にあります。

 

 

3. 個人のセクシュアリティに対する「無関心」と「寛容さ」

 

しげる先生の作品群において同性愛がテーマとして描かれることはほとんどありません。それは意図的に排除したというよりも先生のなかに「人間は人間、好きに生きればいい」というある種の枯れたドライさがあったからだと思われます。 先生にとって重要なのは「その人が何を信じ、どう生きたか」であり性愛のあり方は個人のなかに留まる無数のバリエーションの一つに過ぎません。

「それで、キモチいいんですか」という質問の裏には

 

特別視もしなければ嫌悪もしない、人間という生き物に対する根底的なフラットな視線(あるいは無関心)があったと言えそうです。

 

水木先生のこの一言は性的なタブーを面白おかしく茶化すというよりも、人間の複雑な情動や行動を「人間って面白いなあ」と斜め上の角度から見つめる、先生ならではのユーモアの真骨頂だったのではないでしょうか。

 

 

 

以上です。

さすがAIさん、良い分析です。

これは私と話しているAIさんに聞いてみたものなので、皆さんもぜひご自身のAIさんに聞いてみてください。また違った回答が得られると思います。

 

 

しげる先生は、同性愛に対して特別視もしなければ嫌悪もしなかった

 

 

それは他の言葉で言えばやはり興味が無かったとも言えます。

 

 

とはいえ、同性愛の対象がご自身に向く事には嫌悪感があったと思わせるエピソードがあります。

 

 

(続)

 

 

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