私は、この映画の主成分の80%は制作陣の「甘え」だと思ってます。

うち19.9999999%が犬神家の一族やfate/stay night等他作品のパクリで

残りが鬼太郎要素です。

 


〇反戦…?


私はこの映画が反戦映画と評価されているのを知って驚きました。
いったいどこに反戦要素があったんでしょうか。
水木青年の過去だけ?


もし本当にこれを反戦映画として作ったのであればお話になりません。
こんな映画を見るより水木先生が残した珠玉の数々の戦争漫画か
あるいは他の作家さんの戦争ものを読んだ方が絶対に良いです。


戦争というものは、おおよそにして、その時代背景などありとあらゆる事情が絡まって起こります。
「ゲゲゲの謎」はただ安易に子供だましの悪役をこしらえて
「昔の日本人はこんなやつらだった」

「昭和は悪い日本軍は悪い」

「それに従った奴らは全員悪いんだ」
と駄々をこねているだけにしか見えませんでした。




それにしても、まさか令和の今になっても

「戦争は悪の軍団が起こすんだ!」とマンガみたいな主張をするいい年した大人がいるとは思いませんでした。


まさかと思いますが「ゲゲゲの謎」製作陣の一部の方は、近代の戦争はすべて日本軍が起こしたと思っておられませんよね…

世界史・日本史の義務教育レベルですが授業中なにしてたんですか…?



実際に「ゲゲゲの謎」を見た人の感想で
「いったいどこに反戦要素があるのかわからない」
「必死で日本を守ってくれた先人を侮辱しているとしか思えない内容だった。水木しげるの原作もあんなひどいものなのか?」
というものを見ました。


関係ない人たちが勝手に作った関係ない話で
関係ない水木先生の魂まで誤解されるとは残念でなりません。


水木青年に命令した上官だってその上に上官がいました。

彼も故郷に残してきた家族がいたはずです。

彼も望まぬ戦争に参加させられな被害者の一人です。


水木先生は「戦争には被害者も加害者もない」とおっしゃっていました。

 

戦地で壮絶な体験をして左腕を失った水木先生ですが、特定の思想を主張することはせず生涯ノンポリを貫いていらっしゃいました。
そんな人の作品を利用して自分達の勝手な主張を代弁させるなど、故人の意思を尊重しているとは思えません。


私は戦争なんか大嫌いです。

戦争なんてない方がいいに決まっています。

だんぜん反対です。

しかし昭和の時代、戦地に送られ、家族のために必死で戦ってくれた先人達には感謝してもしきれません。

先人達の頑張りがあればこそ私達は今の世で平和を享受できるんです。


その先人達を安易な子供だましの悪役にあてはめて

「こいつらは悪だ!」と批判するのはひじょうにいかがなものかと思います。



ましてや水木先生という実在の戦争体験者が晩年まで悩まされた戦地での体験まで利用するのは本当にどうかと思います。
反戦を訴えるためなら何をしてもいいんでしょうか。
どうせそこまで利用するんだったら軍隊のトイレ関係の下ネタ話やラバウルのトライ族の方々との交流、美しいエトラリリ嬢に恋したエピソードなんかも織り込めばいいのに。


たいへん無礼を承知で書きますがこんな映画を作る子孫を守る為に先人たちが壮絶な戦いの中で散っていったと思うとやりきれません。


たしかに思想は自由です。

日本や昭和を批判するのも自由です。

しかしそのために他作品(犬神家)をパクるのはひじょうに感心しません。
借り物ではなく、自分の頭で生んだオリジナルストーリー、オリジナルキャラで物を語ってください。

 


「ゲゲゲの謎」制作陣のうち、ごくごく一部の方々には硫黄島の戦いで戦死された、

市丸利之介中将が身命を賭して書かれた手紙「ルーズベルトニ与フル書」をぜひ読んでほしいです。



〇ムラ社会…?

さて、因習村などと評価するむきもある今作ですが、そもそも因習、ありました?


まず水木青年が村に着いたシーンでモブ村人が誰もいないのが気になりました。
畑があるのに昼日中に農夫の一人もいないのはおかしい。

その村特有のおぞましい言い伝えとか、謎の祭りとか、不気味な童謡とか…

いっっっっっさい、ありませんでしたよね?

あんなことをしていれば家々に幽霊除けのお札があってもおかしくないはずなのに。

私は最後の狂骨暴走シーンで「この村ってこんなに人がいたの…?」と思いました。
今まで出てきもしなかった人たちが急に出てきてバタバタ呪われて死んで「ほら因果応報だ!」などと言われても観客はついていけません…。



中盤、水木青年とゲゲ郎が河原で酒盛りしていましたがお酒はどこで調達したんですか?

あのオーパーツなアイスケースがあったお店で買ったにしても、閉鎖的な村ならよそ者が酒など買い求めたらあっという間に噂になって警戒されてるはずです。
よそ者が堂々と村を歩き回り、果ては禁忌の島も行けて外で酒盛りまでできるなんてずいぶんとよそ者に優しい平和な村です。


どういういきさつで一族あるいは裏鬼道がM制作方法を発見し、どういういきさつで国家プロジェクトになったのかも語られていないのでわかりません。
だから「村人も共犯だ!」と言われても「はぁ?」です。

 


昭和のムラ社会で誰があんな物騒なDQNたちに逆らえたでしょうか。
村には女子供や病人、妊婦もいたはずです。


なお、私が見た感想には
「横溝チックな因習ミステリと評判なので、横溝ファンとして期待して劇場に足を運んだが、あまりに別物でびっくりした」
「横溝作品と水木作品を混ぜるな」
という反応もありました。
妥当な反応だと思います。


〇昭和…?


この映画、まちがいなく時代考証はしていないはずです。


「ゲゲゲの謎は矛盾だらけ」にも書きましたが、昭和30年代の山奥に電線やアイスケースがあるなんて不自然極まりありません。
当時ワンタッチアンプルがまだ無かったことなども調べればすぐわかるはずです。

昭和の描写が煙草しかないのもいただけません。
煙草の吸殻を道に捨てる事がいかにも昭和だという意見もありましたが

道に吸い殻を落とすマナーの悪い人なんて令和の世でも見かけます。


もっと村の小道具や民芸品、人々の風俗などで昭和らしさを見せてほしかったです。



〇「ゲゲゲの謎」=「甘え」

この映画、とにかく話がとっちらかりすぎて焦点がめちゃくちゃで、

ミステリがしたいのか妖怪バトルがしたいのかまったく話が見えてこないのですが

全体に通してにじみ出ているものがあります。
 

「女性蔑視、母親、子供、妊婦といったものへの悪意」「人間の男性至上主義」もそうですが、それより隠しきれないものがあります。


それは「甘え」です。


戦地から命からがら引き上げてきて隻腕で必死で極貧生活を支えてきた水木先生の功績に甘え

 

貸本時代から奇跡的に続き、半世紀もかけて多くのクリエイターの手で培われた国民的ブランド「ゲゲゲの鬼太郎」の信頼に甘え

 

褒められない点もありますが

それでも多くのスタッフさん達が水木先生亡きあと懸命に水木作品に向き合い

その結果社会派アニメと評価され

テレビアニメ初のギャラクシー賞を受賞するまでに至った6期の箔に甘え


水木先生が晩年まで悩み苦しまれた戦争経験にまで甘え

 

無関係な横溝先生に甘え

 

巨匠・市川崑監督の作った画に甘え


今の世を必死で作ってきた昭和に甘え

 

七光に甘え


先人たちにさえ甘え

甘えに甘えに甘えに甘え

 

スネをかじって駄々こねて


そうやってでできたのが「ゲゲゲの謎」です。

 

 

 

しかも駄々をこねるのも人様の100周年記念作品で、そのうえ他作品(犬神家、fate等)のパクリ頼みという体たらく。

 

いい大人が、駄々をこねるための自分の言葉すら持ち合わせていないのでしょうか。

 

駄々ぐらい、子供だって自分の言葉でこねますよ。

 

 

私が「ゲゲゲの謎」の甘えでもっとも恐ろしいのは
「先祖を虐殺されても鬼太郎ならこれからも人間を愛し、助けてくれるだろう」
という甘えです。


冗談じゃありません。
こんな過去を後付けされて人助けする物好きなんかいるもんですか。



人間の繁栄で絶滅に追いやられた一族の末裔。
悲劇を繰り返さないために共存を目指し、時には人間のために戦う事も多い。

しかし時に人を見捨て、原作ではノイローゼにすらなってしまう。


その設定でもう、ギリギリだったのに。

 

自分の一族を民族浄化した上に母親を10年も踏みにじり続けたおぞましい敵種族を守るなんて誰がするでしょうか。
同胞から「裏切者」「人間の味方」とまで言われ、ときに妖怪裁判にまでかけられて、それでもポスト活動をしているだけでも相当人間に譲歩してくれているのに

 

ここまでの過去を捏造されたら、もう鬼太郎親子や仲間達が人助けをする理由はありません。




〇無いもんは無い


「だーかーら!水木青年が鬼太郎を慈しんで育てたからだって言ってるだろ!」

と言われそうですが
ではそれをちゃんとした話で見せてください。

たしかに水木青年のおかげで妖怪と人間を取り持つようになった可能性は否定しきれません。
しかしそれならそれで物語、アニメが難しいなら漫画や小冊子、小説でも見せるのがクリエイターの心意気ではないでしょうか。

誤解している人が多いようですが、6期本編でもこの映画でも、水木青年と鬼太郎の約束や家族として仲良く過ごしている話が描かれた事は現時点で一度たりともありません。

6期のラストで人間に射殺された鬼太郎があの世でさまよっている時ですら、水木青年は助けに来ていません。

 

「ゲゲゲの謎」が一番描かなければいけなかった重要な部分を、あの同人グッズのようなチープな特典で視聴者の空想に丸投げしてしまったのです。

今後それが描かれる可能性は否定できませんが、現時点(2024年7月)では存在しません。
無いもんは無いです。
 

 

一部の熱狂的ファンの間では「鬼太郎に人間愛を教えた博愛主義溢れる水木青年!」という扱いになっているようですが、映画で見る限り水木青年はそんなヒューマニズム溢れた博愛主義者にはとうてい見えませんでした。

仮に映画の後、水木青年が博愛主義者に変わったとしてもおかしいのです。

6期の鬼太郎は歴代一クールで初期は「人間が何万人行方不明になろうがどうでもいい」とすら言っていました。

水木青年に人間愛を教わったのなら1話からそんな状態なのはおかしいです。

 

しかし人間に民族浄化された異種族の生き残りに「人間を守りなさい」と教える人って、それは博愛主義者なんでしょうか?

それって銭ゲバ一家以上のサイコパスだと思うのですが。


「屁理屈を言うな!原作では水木青年は鬼太郎親子を育てている!これは原作設定だ!」

そうおっしゃる方もいるでしょう。
たしかに墓場鬼太郎および原作の水木青年は鬼太郎親子の境遇をあわれに思い、いちおう引き取る決意はします。

しかし育児は実母に丸投げしているのは一読すればわかります。

映画では死に設定になっているようですが、水木青年は実母と同居しているのです。

「墓場鬼太郎」が描かれた時代を考えれば男性が育児をしないのはむしろ自然です。

 

それにしても何度も言いますが、ほんとうにほんとうに失望です。

私はそれでも6期で言われた「水木青年との約束」がわかると思ってわざわざ平日朝イチで劇場に足を運んだのに、まさかお粗末な犬神家の猿真似ショーをお出しされるとは思いませんでした。

 

「ゲゲゲの謎」は、仮面ライダーオーズファンを悲劇のどん底に叩き落した映画「復活のコアメダル」に匹敵すると私は考えています。

 

「復活のコアメダル」を見た人の「久しぶりに親友に会えると思って映画館に行ったらその親友の葬式だった」という評価は、「ゲゲゲの謎」を見て他人事と思えません。

 



〇水木老人は別人


「そんなことはない、ネトフリ版悪魔くんで水木老人が出てきて鬼太郎を心配していたじゃないか」

とおっしゃる人もいるでしょうが、ネトフリ悪魔くんのスタッフさんがはっきりと「彼は別人」と証言なさっています。

あれはせいぜいファンサービス程度でしょう。(※1)

 

同一人物だとすれば100歳近い老人が新規オープンカフェのオーナーやってることになってしまうのでやはり別人と考えた方が自然です。

なお6期水木青年は2010年に他界していることが6期小説で明かされています。


それにもし「ゲゲゲの謎」の水木青年と水木老人が同一人物ならば
「令和悪魔くん」と6期の世界がつながっている事になってしまい
「ゲゲゲの謎」は「平成悪魔くん」の前日譚であることになってしまいます。
いくらなんでもそれは通らない。

墓場鬼太郎、6期のみならず、平成悪魔くんまで乗っ取ろうとするのは通らない。(※2)



それにしても思うのですが、もし「ゲゲゲの謎」製作陣がネトフリ悪魔くんを作っていたら、田舎DQNにボロ負けして封印されて血を吸われていたのは歴代救世主たちや2世を身籠っている魔女サマリン、あるいは12使徒たちだったかもしれません。

やめてくれ最悪すぎる。


(※1)勝手な邪推ですが、もしかしたらネトフリ悪魔くんの水木老人はネトフリ悪魔くんスタッフが「本当は水木青年はこうするつもりだったのに」という意図で出したのかな…と思っています。

 

ネトフリ悪魔くんのプロデューサーは6期のプロデューサーの永富さんです。

このかたは最初は「ゲゲゲの謎」に関わっていらっしゃいましたが降板しています。

 

業界の事はわかりませんが、プロデューサーが途中で変わると言うのはめったにない事だそうです。

よっぽど何かがあったんだろうな…と邪推してしまいます。

(※2)「ゲゲゲの謎」と「悪魔くん」は世界観が違うとスタッフさんが名言しているそうです。よかったよかった。



〇半世紀も活躍した人へのプレゼントが、これ?



それにしても「ゲゲゲの謎」ってものすごい贈り物だと思います。

 

半世紀もの間国民的ヒーローとして活躍した鬼太郎親子に
原作者生誕100周年と言う記念すべき年にプレゼントされた設定が

先祖は聞いた事も無い知らない田舎DQNに一方的に虐殺された事になってて
母親はその知らない田舎者に10年も嬲られた事になってて

自分自身も10年間いつ悪党に奪われるとも知れない危険な状況にさらされ続けていた事になってて
肝心の父親は10年も母がいないのに呑気に過ごしていて
名前だけは原作者と同じの知らん男と呑気に酒盛りしてたという後付け。
 

いやあ…すごい贈り物ですね…

 

これが戦後、妖怪漫画の金字塔となり、

今や世に溢れている数々の名作妖怪漫画、妖怪コンテンツの祖となり

時代を越えて半世紀も活躍し、

民俗学や妖怪といった文化をわかりやすく世に知らしめ、

大きな聖地を二つも作って多大な益をもたらした功労者へのプレゼントですか…

 

もう、言葉もありません。


水木先生は今際の際に「もう、ええ」とおっしゃったそうです。
鬼太郎さん、こんなことされるぐらいだったら「もう、ええ」ですよ。