以前から言われていた博物館や美術館にいると心休まるというは、いまは博物館浴とか芸術療法と言われるまでになる。それは医学的に実証実験されていると先日の新聞に書かれていた。博物館にいるだけで、血圧は下がり、疲労回復、活気が出てきてと、そういう数値が測定されていた。ただ、プラネタリウムだけはどうも活気は下がるようなのだ。眠くなる。落ち着きすぎる。そういう人々の居場所を日経新聞では、文化的処方というようだ。よく昔から聴くのがモーツアルト療法とか、その音楽を聴いて、心理的に人間だけでなく植物もいいとか。それはまた別の本では否定もされていた。どちらにしても、俗世界から離反した静かな時間と場所は精神的にはいいのは分かる。それが、いまは博物館であったり、美術館であったりする。いっそそこに住民票を移して引っ越したらいい。キュレーターの人から、誰か、フロアに布団を敷いて寝ていると警備員が駆けつける。

 

 わたしは、旅先では国内海外問わず、必ず、そこの街の美術館と博物館には土地の歴史も知るために入る。外の喧噪がうるさいときは、避けるようにして入る。暑いところでは冷房がきいて、静かで休まる。トイレも使えて水も飲める。

 わたしの落ち着く場所は、それに似たものに図書館がある。本に囲まれているだけで幸せホルモンのセロトニンがドバッと出る。郊外でなくても公園も落ち着く。緑を目にしているだけで高ぶった精神は安定する。わたしはストレスはあまりないが、会社で毎日晒されている人は、別世界に逃げたいだろう。オフィス街に行けば、社員食堂でなく、自分のデスクでもない公園で弁当を食べているサラリーマンたちでいっぱいだ。青空の下という外でピクニック気分で食べたほうが美味しい。昼時ぐらい会社という壁に閉じ込められないで解放されたい。

 

 田舎暮らしは別だが、青森からわたしも都会に出てきて、その騒音に慣れたが、どこにいても人と車が多い。人に酔い、人に疲れる。毎日がもまれて、満員電車にしても鮨詰めのラッシュも田舎ではないことだ。毎日が競争で毎日が戦争だ。それはストレスは住んでいるだけで溜まる。田舎暮らしが見直されてきたのは、その疲労がある。老後だけでなく、若い人たちも都会に出勤はするが、済むところはトカイナカで、二時間かけて通勤しても、海と山のある自然の中がいいと移住してくる。

 人間も動物ということを忘れている。生態にいいことと悪いことがある。空気もそうで、臭いや風景もだ。ビルに囲まれたところで暮らして、窓の外はビルの壁よりは、わたしのいまの生活のようにどこからでも富士山が見えて、丹沢の大山が見える。海は近いから、ボーと眺めるために散歩に行く。昔から湘南は別荘地で、文化人たちがこぞって暮らしていたのが分かる。療養所もあって、病気で転地療養もする施設が昔からあった。作家の終焉の地がここ湘南には多い。どうせ死ぬなら、ごみごみとした都会の中ではなく、空気と窓からの景色のいい自然の中がいい。

 

 それが叶わない人には、近くの美術館や博物館が隔離病棟のようでいい。たまにはがらんと誰も入っていないそういう文化施設の中に一日いてもいい。名画や恐竜のレプリカの前のベンチに腰かけて、異質な非日常の世界に入っているのは何もかも忘れる。そこは小さな世界ではない。何億年の古代や宇宙の果ての星雲や、戦国時代の道具とか、抽象画や宗教画、彫塑などが無言で迎えてくれる。

 わたしが好きな場所は、東京駅丸の内にあるKITTEという郵便局の建物の三階にある東大コレクションの博物館だ。まだ見ていない人は入場無料なので、ぜひ行かれたらいい。都会のど真ん中にあって、そこはまさに澁澤龍彦の博物学の世界で異界、見ていて楽しい。嫌なことは吹っ飛ぶ。何度か通勤していたときは行きの途中に寄ってみた。誰も入っていないのが惜しい。都会の逃げ場所としては、最高の空間だ。

 

 森林浴もいいし温泉もいい。が、いまはそういう文化施設が見直されているほどわれわれは疲れているのだ。