わたしの周辺の友人や知り合いに自殺者は結構いる。あまり書けないのは、その家族がいるだろうから。

 毎日、青森の東奥日報の新聞のお悔み欄をネットで見ている。知り合いがいたら、香典も送らないといけない、住所はそのために書かれている。昨日は、そこにある女性の名前を見た。住所も年齢も名前も一緒だから、彼女には違いない。まさか、自殺ではないのかと脳裏を真っ先に過る。

 彼女の連れ合いはわたしの親友であった。中学。高校と同級生で、大学は彼は一浪して早稲田の文学部に入ったが、わたしは落ちて諦めたが、東京での生活でも、彼はわたしのマンションによく泊まりに来たし、わたしも彼の江古田のアパートに泊りに行った。互いに文学で結ばれていた。彼の書いた小説は見せてもらえなかったが、わたしが文学界の新人賞に投稿した百枚の中編は二十歳のときだが、彼に見てもらった。それは箸にも棒にもかからなかったが、彼は少し引け目を感じたようだ。

 それからわたしは大阪に就職し、彼は青森に帰って地元の会社に勤めた。わたしも帰省して親の仕事を手伝うようになり、彼とはたびたび会っていた。中学の同級生たちと仲がいいのが六人くらいいて、いつも家族合同で山に飯盒炊爨に行ったり、温泉宿に一泊したりした。みんな妻帯して子供ができると、その会は賑やかになる。それぞれがみんな家を建てた。新築祝いにも集まる。わたしが浅虫温泉に家を建てたときも、仲間が家族で押しかけて、わたしの手料理を味わう。そのとき、うちのおふくろと話が合って、よく喋っていたのが彼の奥さんで、おふくろと笑って話している写真もある。みんなの結婚式にもお祝いに集まる。

 彼はその前に腎臓から人工透析を始めた。酒ばから飲んでいるからとわたしにも言われた。血圧が異常に高くなり、救急搬送されたのが浅虫の国立病院で、そこは腎臓の専門ではなく、一か月してから、別の病院に移されて手遅れになる。検査で判らないこともないだろう。みんなは誤診ではないのかと後で話していた。

 透析をしていて、この先も大変な人と判っていて結婚した奥さんはそれからずっと子育てと共稼ぎもして、夫の世話もすることになる。

 わたしが札幌に転勤して、そこで支店を作り、全道セールスを掛けていたときに、彼は奥さんと娘二人を連れてわが札幌の社宅に泊りに来たことがある。車であちこち案内して、サッポロビールの工場でジンギスカンも家族で食べた。旅行もできるのは、旅先の病院に透析の予約をして、わたしも札幌市内の病院に彼を連れて行って、3時間後に迎えに行った。

 そんな家族のつきあいもあって、ずっとそれは続いていた。みんな仲間が還暦を迎えるときに、奥さんからわたしに電話が来て、何か赤いちゃんちゃんこでも着せようかと相談してきたので、赤いボクサーズパンツでいいのではないのかと、そのころはわたしは離婚して唯一のシングルであったが、奥さんから赤いパンツをいただいた。

 そうして、わたしは東京に出稼ぎに出た。それまでは古本も本好きな彼の家に持っていったりしていた。彼はもう仕事は辞めて、どこにも出られず、杖をついてようやく歩いていたが、かなり痩せて、介護が必要なほどだった。転んで骨折もした。よく長生きしていた。普通は透析をしていて40年以上も生きられない。

 わたしが相方と二人で長期の海外旅行に行っていたときだった。タイのクラビといいうリゾートに滞在していたときに、札幌の医者でわれわれの仲間からメールで連絡が来たのは、六年前の五月だった。彼が亡くなったというのだ。何か月か前に彼の家に古本を箱でどっさりと持って行ったのが最後だったか。葬式にも出られない。それで戻ってから香典だけ送った。

 それから何年か経って、昨年の10月に青森に帰ったとき、気がかりであった彼の奥さんに電話で連絡すると、まだ仏壇を拝んでいないのでと、伺うことにした。息子の車で彼の家に連れて行ってもらい、わたしは初めて彼の遺影の前に手を合わせた。いろいろと青森に帰れなかった事情と海外に行っていたことを奥さんに話したが、顔は別人のように暗かった。あれほど明るく快活な奥さんとは見違えて、精神的におかしくなっていまいかと心配したが、娘たちも寄り付かなくなり、われわれの仲間も彼が亡くなった後は誰も来なくなったという。一人で家で暮らしていた。うつ病になったかのように昔の彼女ではない。包んでいった御霊前もいいのにと言うが、名刺だけは置いていって、何かあったら、連絡をくれ、力になれるかもしれないと、話はしたが、なにもかも気力がないような様子だった。

 彼の娘たちの結婚式にもみんなが集まる。その二次会の懇親会の席で、彼女はわたしに寄りかかって泣いていた。娘が片付いてひとつ親の役目を終えたからだろうか。そのとき向かいに座っていた彼が睨むようにしてわたしを見ていた。何があったのだろうか。確かに旦那の介護疲れもあるだろう。それにしてもよく尽くしてきた。

 そんなことを思い出して、訃報に触れて、すべてを思い出していた。一人一人と周囲の知り合いが消えてゆく。それは早すぎる死だった。どうにかならなかったのか、死ななくてもいいのじゃなかったのか、いまは彼女の笑い顔だけが残っている。