わが里言葉の津軽弁が、沖縄よりも難解な日本で一番解らない方言にされた。まるで外国語みたいな、テレビに出ると字幕スーパーが出るくらい。それも翻訳不能となると、×〇△■?とぐちゃぐちゃにしている。何を話しているのかさっぱりと解らない。沖縄のほうが難解とは思うが、津軽弁が日本で一番といつも一位にするが、普段から不名誉な短命県とか、癌とか死亡率では一位の記録を持つ青森県も、今度は方言で一位というのは嬉しくもない。
 面白い方言でのエピソードがある。40年くらい前に、テレビのクイズ番組に、青森の人が出た。回答する人が四人くらい並び、クイズを出題する。その中で、「体の中で『へ』のつくものを上げなさい」と出た。すると、青森県人はボタンを押して、「へなが」と言った。出題者は「は?」津軽では背中のことを「へなが」と言う。違います。するとまたボタンを押して青森県人、「へじゃかぶ」と言った。「は?」津軽では膝かぶのことを「へじゃかぶ」と言う。これはわたしは見ていなかったが、当時の嫁さんから聴いた話だ。
 わたしは上京してきて7年になるが、いまだに津軽訛がとれないというより、とらないで自然体で会話しているから、いろんな人から東北ですか? 青森ですねと、よく言われた。すぐ解る。直そうとは思わない。それでも不便ではないから、自分の中でイントネーションとアクセントを変えて、こちらの言葉にするのがいまも恥ずかしい。無理があるので、年もあるからそのままでいいのだ。
 自分で標準語と思っていたのが、実は津軽弁であったのかと思うときがある。前にもこのブログで書いたが、仕事仲間に、「鍵を掛けたか」というのを「鍵をかったか」と言ったら、仲間は「鍵をなんで買うのだ」と、おかしなことを言うと言われた。蚊に刺されたと言えばいいのに、「蚊にかかれた」と言って笑われる。変な日本語になるのだ。ゴミを捨てるのも「ゴミを投げた」と言って笑われる。それでも相方と暮らしていたときは、彼女は大阪生まれなので、すっかりと関西弁だが、似たものがあって東京では使わないが、上方言葉が青森にも伝播したまま残されたという説は間違いではなかったのかと思うときがある。関西では堪忍してというのをカニしてという。津軽でもカニという。現代ではならぬ堪忍するが堪忍と言われても、何か昔の言葉のようだ。それと、子供のようなというのを関西では「おぼこい」と言った。津軽でも赤ん坊のことは「おぼこ」と言う。二人の会話で共通点を見つけては喜んでいた。
 体の部位についての津軽弁はアイヌ語も混じっているのか、とても日本語にはないものだ。腕のことは「カイナ」、後頭部は「ぼんのご」、カカトは「あぐど」、額は「なずぎ」、頬は「ほっぺた」、腿は「よろた」……。これをうちの息子たちに話してもなんのことか判らない。すでに親子で言葉の断絶がある。方言はどこかの世代で切れて来る。というのも、結婚が身近でなされなくなったこともある。わたしの最初の嫁さんは長崎の人だった。二番目は八戸で南部衆だった。青森県でも南部と津軽では言葉が違う。そういう子供たちは、二つの方言を聴いて育つ。
 同じ青森県人同士でも、よく言葉が違うと言い合う。わたしの文学仲間は弘前の人もいるし、大鰐の出の人、五所川原の人もいたが、津軽は津軽だ。あるとき、呑みの席で、わたしが「ぺったらこい」と言った。平べったいことをそう言ったのに、意義ありと、そんなことは津軽では言わないと、大半がそう言うので、青森市という青森県では都会で生まれ育ったわたしは、かちんと来た。そのときは1対7で多勢に無勢で負けたが、「それは、あなたの家の言葉でしょう」と、うちしか使わない個人的な方言にさせられてしまった。
 うちの死んだ祖母は、「うな、めじゃさいでなにふっぱずてらばして、ぐぐどどぶせ」と言って、子供のときに「は?」。翻訳すれば、「あなた、台所にいて何をしていたの。早く寝なさい」という純粋な津軽弁であった。
 いまではあまり聞かれないが、わたしの若いときは、蟹線と言われていた津軽線で今別のほうへ行く単線の鉄道に乗れば、上磯(かみそ)から来ている買い物客や行商のおばさんたちの会話の半分も解らなかった。すでにそのときから、純粋な津軽弁は親から子、子から孫へと伝播することなく、切れてきていたのだ。
 百歳になるうちのおふくろは、いま、施設にいて暇なので、思い出したように、ノートに津軽弁を書いていた。弘前の医師をしていた松木明さんも分厚い津軽語彙という辞典を世に出したが、それにも載っていない言葉も多数あるだろう。滅びゆく津軽弁を残そうと、おふくろも退屈しのぎで面白いことを考えた。それもまとまれば、本にしてあげよう。