今朝は神戸大学名誉教授の広木克行さんのお話をご紹介します。
不登校の件数がこの3年で2倍に増えている、という兵庫県尼崎市のデータがあるそうです。
引きこもりは今や100万件を超えようとしているそうです。
子どもの数が減ってる中で100万人の人たちが引きこもりっぱなしだったら、
この先どんな世の中になっちゃうんでしょう?
未来はどんな世の中になっちゃうんでしょう?
以前、若いお母さんからこんな相談を受けたことがあります。
「子どもが塾に行かなくて・・・・。どうしたらいいでしょうか?」
「お子さんはおいくつですか?」 とお聞きしたら、「1歳半です」と言われました。
「なんの塾ですか?」と尋ねたら、「英語の塾です」と答えられました。
お母さんが、我が子に対して、「こういう子どもに育ってほしい」
という強い想いもちゃんと伝わってきました。
そして私はお話しました。
「ただ、わたしがちょっと違うなと思ったことを話していいですか?
子どもの育ちには順番があります。
その順番を大人が勝手に入れ替えると、大きなマイナスになることがあります。
子どもの育つ順番を謙虚に受け止めて、よくお考え頂くことが大事だと思います」と。
実は、このようなご相談が決して少なくありません。
子育ては、子どもを取り巻く環境作りと、育ちの順番を重視して考えていくことが大事です。
芹沢俊介さんの『家族という意志』にはこんなことが書かれています。
「生まれ出た子どもは、まず命の受け止めて手を求める。
受けとめられる体験を持った子どもは、安心して命を存続できるという感覚を得る。
そのような受け止め手への信頼を基にして、子どもは他者を主体的に信頼することが可能になるのである」
安心感、基本的な信頼感の基盤を、「『ある』の感覚」 と言います。
「あるがままに受け止められている」という感覚です。
その感覚を心に根付かせることで、子どもは愛着を覚えます。
そして信頼感が形成されたとき、
他者を信頼する力を備えた子へと成熟していくのです。
それを子どもの時に経験できなかった人は大きくなって苦しみます。
「育ち直し」が必要で、『あるの感覚』が根付く状態まで戻るということです。
いつの間にか今、多くの親たちは、我が子を受けとめることよりも、
我が子にいつ何を教えるかを重視しています。
すなわち、子どもの「存在」を軽んじて、「能力」に心を奪われてしまっているのです。
親子間で基本的な信頼感を育み、子どもを受けとめることです。
そこで初めて、親離れができて社会に出て行けるのです。
「あるがままに受け止められている」
という感覚を心に根付かせることで、
子どもは愛着を覚えます。
そして信頼感が形成されたとき、
他者を信頼する力を備えた子へと
成熟していくのです。
by 広木克行さん
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます
今朝は元ジャイアンツ桑田真澄選手の著書よりご紹介します。
ぼくも清原君も同じ大阪の出身なんですが、ぼくは準硬式とボーイズリーグ。
清原君とは試合をしたこともなかったし、交流もなかったんです。
で、入学前に、先生から
「清原っていうすごいのがいる。清原と桑田、二人が中心になって、高校3年生になったら、甲子園に出て、全国制覇してもらいたいと思っている」
「入学前だけど顔合わせをしないか」と言われて、学校に行ったんですよ。
ぼくは自信満々だから、「清原ってそんなにすごいのかよ」と思っていました。
ところが、初めて会って、挨拶しようとしたとき、先に来ていた清原君がパッと立ち上がった。
びっくりしましたねえ。
ぼくの視線は、彼のベルトくらいの高さなんです。
あんなに大きい人を初めて見たんです。
それでもそのときは、「まあ、たいしたことはないだろう。ただ体がでかいだけだろう」と思っていました。
そして、「せっかく来たんだから練習したらどうだ」ということで、ふたり練習をすることになりました。
ウォーミングアップの後、まずはバッティング練習、10本交代で、先に清原君が打席に立ったんです。
衝撃でした。
初球、いきなりカパーンと打って、ホームラン。
2球目もカパーンと飛んでいく。
10球中、なんと8球がホームランです。
しかもそのホームランが、レフトのネットすら当たらない。
場外ホームランなんです。
高校入学前の中学3年生が、ですよ。おかしいですよね。おかしいでしょう?
中学3年間、自信満々だったのが、「全国には、こんなに大きくて、すごい実力を持った野球選手がいるんだ。おれは小さい。無理だ」と思ってしまった。
これがものすごいコンプレックスになりました。
マイナス思考になると、もうなにをやってもダメなんです。
彼は入学してすぐに4番を打つようになりましたが、ぼくは全く通用しなかった。
「高校では無理だな。野手転向だな」と言われました。
ぼくも「野手に転向しよう」と、毎日送っていたんです。
で、「もうやめようかな」と母親に言ったら、「何が起こるかわからないから、絶対にあきらめたらダメよ」と言われたのもそのころです。
でも最後に監督からチャンスをいただいたときに、シャットアウトゲームができた。
運やツキって重要なんです。
いま考えても、なんであんなことができたのか不思議です。
完璧に抑えたかというと、全然違うんです。
次々といい当たりを打たれたんです。
ところが、ことごとく野手の正面に行ってアウトになった。
そしてぼくが打席に立った時には、不思議と真ん中周辺にボールが来るんです。
アウトローに投げられたら打てないのに、なぜか真ん中に来る。
で、不思議なもので、結果が出ると自信をもつようになるんですよね。
自信を持つとうまくなる。
好循環です。結果を残すには運やツキも必要なんですよ。
清原君と出会って大きく変わったと思います。
なぜなら、彼と同じようなことをしても、絶対に勝てないから。
3回りくらい体が違うんだから、そもそも無理なんです。
だからぼくは、自分らしく、自分のペースで行こう、自分の長所を生かそうと考えた。
そして陰の努力を惜しまず、運とツキを貯金していこうと。
当時15歳で考えたのは、トイレ掃除、ゴミ拾い、挨拶と返事、あと靴をそろえることですね。
そんなことしたって、野球は上手にはなりません。
わかっているんです。
でも自分で、これは陰の努力だと位置づけて、毎日やりました。
陰の努力もぼくの場合は短期集中です。
毎日5分間だけ、ノルマとしてやりました。
PL学園時代は寮生活ですから、起床時間は6時半です。
だから、5分間だけ、便器をひとつピカピカに磨く。
翌日は隣の便器、その翌日はさらに隣の便器というように。
寮の前がグランドなので、晴れた日には、外野の芝生の草取りを5分間くらいします。
それを誰にも見られないように続けました。
「野球を学問する」
桑田真澄さん
新潮社より。
今日も運とツキを貯金です♪
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます
今朝は「命!」
このお決まりのギャグポーズで知られる、お笑い芸人・ゴルゴ松本さんのお話です。
彼は芸人の仕事のかたわら、およそ3年前から少年院での講演活動を行っている。
キッカケは「興味本位」だった。
今回、ゴルゴが講演依頼を受けたのは、群馬県赤城少年院。
赤城少年院は、全国52ヶ所ある少年院の中で唯一、小中学生が収容される特別な初等少年院で、現在、13~15歳の少年40数名が収容されているという。
収容されている少年たちについて赤城少年院長・中島学氏は
「簡単に言えば、子供の時から親に育てられた経験がないような子がいます。
そういう子がどういう行動に出るかと言うと、例えば暴力でしか自己表現が出来ない、感情表現が出来ない」
中には、どうやって笑っていいのかさえもわからない子や、
帰るところがない子も1割くらいいて、親が受刑中の子もいるという。
そんな少年院でゴルゴ松本の「命の授業」が始まった。
教室を訪れたゴルゴは驚いていた。
少年たちはみな、笑顔でゴルゴを迎え、授業の最後までずっと話に耳を傾け、笑顔だったのだ。
ゴルゴ松本先生はまず、彼らに「夢」を尋ねていった。
その授業に参加した少年たちのほぼすべてが主体的に手を挙げる。
ゴルゴ先生も驚きながらも、一人ひとり丁寧に耳を傾け、
彼ら一人ひとりの夢をホワイトボードへ記していった。
全てを聞き終って言った。
「これからその夢を叶える方法を教えるぞ!
成功する人としない人。成功は失敗のもとだ!」
そう語りながらと、「夢」をいう字を記していく。
「夢」
辛いことがあったとき、どんな言葉が出てくる?
一人の少年が答える。
「うっぜぇなぁ!」
ゴルゴ先生は続けて言う。
そうだよな!
「なんで俺ばっかり・・・」
「あいつは良いよなぁ・・・」
そういう愚痴をこぼすようになるんだ。
マイナスなことを言うんだ、弱音を吐くんだよ。
「吐く」という字は、+-って書く。
これは、良いことも悪いことも言葉に出せ!ということ。
嫌なことなんて、吐き出しちゃっていい。
でも、成功する人、夢を実現させる人は、少しずつ変化していく。
弱音は吐かなくなっていく。
プラスのこと、自分の夢だけを言うようになっていく。
良いことも悪いことも、言葉にして吐いてもいいけど、
少しずつ、マイナスなことは取っていくんだ。
「吐」から、マイナスを少しずつ取っていくと、
「叶」という字になる・・・。
そんなゴルゴ先生の言葉に、教室中が動きだした。
集まった少年たち一人ひとりがおもむろに、机の上にノートと筆記具を取出し、
言葉を丁寧に、ノートへ書き残し始めたのだ。
そして、ゴルゴ先生の授業が続いていった。
「自分が到達するまでに、ちょっとまだ足りないと思ったら、
軌道修正しながら、最終的な目標は変えない。
紆余曲折しながらも、最終的に辿り着けばいい。
そして、途中で、これは危険だ!と思ったら、そこから逃げるんだ!
危険だと思ったら逃げていい。」
そういって書き始めたのが、「逃」という漢字だった。
「危険だと思ったら逃げていい。
逃げるは、「兆」に「シンニョウ」
そして、また時間を置いて、
「逃」のシンニョウを、「手へん」に変えて、
「兆」に「手へん」で、「挑」
挑戦、挑むの「挑」になる。
辛かったら、逃げてもいい。
また挑戦すればいいんだ。」
こうして、次々と夢を叶えるための「漢字の授業」の進み、講演の最後を飾ったのは、
自身の持ちネタでもある、「命」という漢字だった・・・。
少年たちは、笑顔を見せたり、声をだし、答えながら、ノートもびっしりに埋め、ゴルゴ先生の話に聞き入っていた。
ゴルゴ先生はいう。
「感動させようなんてないですよ。そんなのおこがましい。
なんかね…芸人の後輩たちにしゃべってるような感じでしゃべってますからね。
芸人の後輩たちも、ちょっとテレビに出た後に出なくなると、落ち込むんすよ。
『最近出てないね』とか言われると、その言葉、傷つくんですよね。
でも、そんなの傷ついてるヒマがあるんだったら、ネタ作ったり、前に行くしかないんですけど。
いくらでもやり直せるよと僕は思わせたいですね。チャンスはあるよって」
初めて少年院で講演をしたとき、150人の前で90分のところを2時間、話し続けた。
集まった少年たちは今回と同じように、笑顔でうなずき、一生懸命に授業に参加していた。
それ以来、ボランティアでずっと、各地の少年院を廻り続ける。
ゴルゴ松本さん
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます