あんなに大きい人を初めて見たんです | 北風家のおやじのブログ

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今朝は元ジャイアンツ桑田真澄選手の著書よりご紹介します。




ぼくも清原君も同じ大阪の出身なんですが、ぼくは準硬式とボーイズリーグ。

清原君とは試合をしたこともなかったし、交流もなかったんです。

で、入学前に、先生から

「清原っていうすごいのがいる。清原と桑田、二人が中心になって、高校3年生になったら、甲子園に出て、全国制覇してもらいたいと思っている」

「入学前だけど顔合わせをしないか」と言われて、学校に行ったんですよ。

ぼくは自信満々だから、「清原ってそんなにすごいのかよ」と思っていました。

ところが、初めて会って、挨拶しようとしたとき、先に来ていた清原君がパッと立ち上がった。

びっくりしましたねえ。

ぼくの視線は、彼のベルトくらいの高さなんです。

あんなに大きい人を初めて見たんです。

それでもそのときは、「まあ、たいしたことはないだろう。ただ体がでかいだけだろう」と思っていました。

そして、「せっかく来たんだから練習したらどうだ」ということで、ふたり練習をすることになりました。

ウォーミングアップの後、まずはバッティング練習、10本交代で、先に清原君が打席に立ったんです。

衝撃でした。

初球、いきなりカパーンと打って、ホームラン。

2球目もカパーンと飛んでいく。

10球中、なんと8球がホームランです。

しかもそのホームランが、レフトのネットすら当たらない。

場外ホームランなんです。

高校入学前の中学3年生が、ですよ。おかしいですよね。おかしいでしょう?

中学3年間、自信満々だったのが、「全国には、こんなに大きくて、すごい実力を持った野球選手がいるんだ。おれは小さい。無理だ」と思ってしまった。

これがものすごいコンプレックスになりました。

マイナス思考になると、もうなにをやってもダメなんです。

彼は入学してすぐに4番を打つようになりましたが、ぼくは全く通用しなかった。

「高校では無理だな。野手転向だな」と言われました。

ぼくも「野手に転向しよう」と、毎日送っていたんです。

で、「もうやめようかな」と母親に言ったら、「何が起こるかわからないから、絶対にあきらめたらダメよ」と言われたのもそのころです。

でも最後に監督からチャンスをいただいたときに、シャットアウトゲームができた。

運やツキって重要なんです。

いま考えても、なんであんなことができたのか不思議です。

完璧に抑えたかというと、全然違うんです。

次々といい当たりを打たれたんです。

ところが、ことごとく野手の正面に行ってアウトになった。

そしてぼくが打席に立った時には、不思議と真ん中周辺にボールが来るんです。

アウトローに投げられたら打てないのに、なぜか真ん中に来る。

で、不思議なもので、結果が出ると自信をもつようになるんですよね。

自信を持つとうまくなる。

好循環です。結果を残すには運やツキも必要なんですよ。

清原君と出会って大きく変わったと思います。

なぜなら、彼と同じようなことをしても、絶対に勝てないから。

3回りくらい体が違うんだから、そもそも無理なんです。

だからぼくは、自分らしく、自分のペースで行こう、自分の長所を生かそうと考えた。

そして陰の努力を惜しまず、運とツキを貯金していこうと。

当時15歳で考えたのは、トイレ掃除、ゴミ拾い、挨拶と返事、あと靴をそろえることですね。

そんなことしたって、野球は上手にはなりません。

わかっているんです。

でも自分で、これは陰の努力だと位置づけて、毎日やりました。

陰の努力もぼくの場合は短期集中です。

毎日5分間だけ、ノルマとしてやりました。

PL学園時代は寮生活ですから、起床時間は6時半です。

だから、5分間だけ、便器をひとつピカピカに磨く。

翌日は隣の便器、その翌日はさらに隣の便器というように。

寮の前がグランドなので、晴れた日には、外野の芝生の草取りを5分間くらいします。

それを誰にも見られないように続けました。

「野球を学問する」
桑田真澄さん
新潮社より。


今日も運とツキを貯金です♪
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます