ということで
今の日本人は日本語能力が落ちているとしか
思えないのですよ
まず外国から新たな言葉が入ってくる
すでにある言葉でも今までとは違う使い方をする場合もある
そうするとほとんどの場合
英語なんかの音を模したカナ語にしてしまう
それから
日本国内でも新たな事物や状況が発生する場合もある
そういう場合には仕方ないから言葉を作るのだけど
妙な言葉を作ることがある
そうそう
私は日本語で使う場合には
漢字を「日本語の道具」と考えています
だから漢字の使い方も日本語能力の一部
「妙な言葉だなあ」と思えてならないのは
「無洗米」と言う言葉です
二重におかしい
まず「洗」の部分
日本語では「米を研ぐ」と言うはずだ
この表現には
「白米のぬかを落とすだけじゃなくて
白米の表面を水の中でこすり落とす」
という日本の食文化が込められている
それを無視して「洗」という文字を使っている
次に
「無」という文字もおかしいと思う
漢字をそのまま理解すれば
「洗っていない米」のようにも思えてしまう
なんかおかしいよなあ
それとも「洗米」が無いのか?
ますますおかしい
「無洗米」に対応する英語表現は
“ pre-washed rice ”だそうです
つまり
「事前に洗ってある米」
こういうことを踏まえて
「無洗米」ではなく「既洗米」の方が
適切な表現という意見もあるそうです
ごもっともごもっとも
ということで
先ほどふと思いついて
中国語では何と言うか調べた
<免洗米>というそうです
さっすがだよなあ
漢字の使い方が見事だ
中国語では<免>の文字を
「普通だったらそうなる状態にならない」
という意味でよく使います
例えば<免費>(ミェンフェイ)は
日本語の「無料」に相当する言葉です
それでもって
日本語の「無料」は「料金なし」しか表現していませんけど
中国語の<免費>は
「普通だったら費用が発生するでしょうけど
この場合にはタダ」
と言っているわけで
言葉の表現の焦点が
より絞り込まれていると思う
<免洗米>だったら
「普通だったら白米は洗いますけど
この米では不要です」
ということを明確に示している
昔の日本人はこの「免」の文字を使いこなしていたようですね
だから「免疫」という言葉なんかが出現した
まあ
中国人が作った訳語かもしれないけど
近代になって
西洋からやってきた物事とか概念の訳語の多くは
日本人が漢字を組み合わせて作ったから
日本人が作ったと考えて
まず間違いないだろう
「免疫」とは要するに
「普通だったら疫病を発症するはずだけど
発症せずに済む現象」ですから
まさにピッタリの訳語です
最近の日本人にとっては
「洗わずに済む白米」という概念を表現するのに
「免」の文字を思い浮かべることが
難しいのだろうなあ
追記
中国語では米を研ぐことを
「洗米」あるいは「淘米」と言います
ここでの「淘」は「不要物を洗い流す」ということです
日本人のように「米をしっかりとこすり合わせて研ぐ」
という考え方はないようですね
