昔から調べものがすきで
言葉についても興味があって
語源なんかが気になることも多かった
ただ昔は
気になることがあっても
手持ちの辞書なんかで調べられたぐらいで
すぐに解決するのは難しかった
しかし数年前ごろから
ネットを使えばかなり多くの情報を集められることが分かったので
言葉についての調べものをすることが
ずいぶん増えた
いかん
話はなるべく短くせねば
ということで
少し急ぎます
発端は何年か前に
中国語と日本語の料理名の対照表づくりの仕事をしていた時のことです
日本で「ピビン麺」とか「ビビン麺」とか言われる韓国料理
正確に言えば朝鮮半島北部の料理だそうですけど
とにかくその「ピビン麺」を中国語では「骨董麺」ということを知りました
え?
麺料理と「骨董品」にどういう関係があるの?
と思ったけど
その時はかなり大量の料理名を扱わねばならず
忙しくて調べられなかった
ただFBには「どーゆーこと?」と投稿しておいた
本日になり何年か前の同じ日の自分の投稿を表示してくれる機能で
「ピビン麺=骨董麺の謎」の投稿が出てきて
思い出したというワケです
さて
仕事が一段落したので調べたけど
一筋縄ではいかなかった
まず「骨董」という中国語が分からない
「骨」は「骨」あるいは「物事の支えになるもの」と理解できる
「董」は「ただす」という意味です
日本語ではそれほど使いませんけど
中国語で「董事」といえば
会社の「役員」あるいは
その他の組織では「理事」という役職を指します
だから「骨」と「董」を合わせても
「骨董」を表す言葉にはならないはず
で
ここでかなりの堂々巡りをしました
で
今の日本語では「骨董」を
フランス語の「Antique(アンティーク)」に相当する語として使いますけど
もともとはそうじゃなかったらしいことが分かってきました
「多種多様な物が同じ場所に存在すること」を「骨董」と言ったらしい
たとえば
江戸時代には「骨董飯」という料理があって
今で言えば「まぜご飯」とか「五目御飯」に相当する食べ物だったそうです
で
それなら
韓国料理の「骨董麺」と呼ぶことが理解できる
いわゆる「汁なし和え麺」で
いろいろな具材を混ぜて食するものですからね
で一件落着と言いたいところだけど
まだ大きな問題が残っています
「骨董」という言葉の成り立ち
中国のサイトを調べまくったら
明代の「目録学者」に張萱(1553年ごろ-1636年、異説あり)という人がいて
その人が残した「疑耀」という書物に「骨董」という言葉があって
それが恐らく「骨董」という言葉が残っている最初の事例らしいことが分かりました
この「目録学」というのは
さまざまな情報を整理して記録する学問分野です
でもって
張萱が編纂した「疑耀」という書物には「骨董」という項目があって
まず
「骨董の2文字は方言でって、最初は字が定まっていなかった」
と書かれていました
中国語の方言では、ときどきそういうことがあります
さらに「今の人は古董の字を使うが、その意味は分からない」
とも書いていました
今の中国語では「アンティーク」のことを「古玩」と書く場合が多いのですけど
やや古めかしい言葉として「古董」も使います
「骨董」と「古董」は発音が同じです
だから張萱が生きた16世紀は
「骨董」から「古董」へと書き方が変化しつつあった時期だったと
考えられます
それから張萱は
「東坡は骨董羹を作って味わった」
とも記録している
おおおお
「東坡」とは「蘇軾」(1039-1101年)のことだろう
まず間違いない
宋代の政治家、文筆家、書家、画家で
「東坡居士」と名乗っていました
食通であったとされて
「東坡肉」という料理名も残っている
「東坡肉」という料理を初めて作ったなどとも言われています
実際には肉料理の名が「東坡居士」が詠んだ詩に由来するだけ
てな説もありますけど
とにかく「蘇軾は食通」という考え方が定着しています
さてさて
ということでさらに調べたところ
「骨董羹」という料理は中国に残っていて
しかも蘇軾先生も関連する言葉を残している
料理名は「盤遊飯骨董羹」で
説明部分には
「江南人は盤遊飯を上手に作る。魚のなれ寿司と干し肉、焼肉を必ず使い、飯の中に埋めおく」てなことを書いています
古い中国語には句読点がなくて
よくよく解読せねばならないのですけど
見出し部分の「盤遊飯骨董羹」は一つづきの料理名ではないと思われる
同じ料理に「盤遊飯」と「骨董羹」の二つの料理名があることを示していると
理解すべきでしょうねえ
だから説明部分では「盤遊飯」の部分だけを使ったのではないか
とにかくこれも「混ぜご飯」みたいな問題
だから「骨董」の古いの意味と合致する
それから
日本でも江戸時代には「骨董羹」という料理があったようですが
中国の「骨董羹」が日本に伝わったものかどうかは分かりません
それから日本では料理名の例にあるように
江戸時代でも「いろいろな物が入っている」という意味で
「骨董」という言葉を使っていたのですけど
本家の中国で言葉の意味が変化しても
日本では古い使い方が残ることは珍しくない
ということで
【1】「骨董」は「いろいろな物」を指す言葉で使った漢字は当て字
【2】「骨董」はその後、種類に関係なく古いものを示す「アンティーク」の意味に変化した
【3】意味の変化はまず中国で発生して、後になってから日本にも伝わったと考えるのが自然
ということが分かったのでありました
まあ私は
「ごちゃごちゃといろんな情報を取り込む」という点でも「骨董」なのでありますし
「スマホを使いこなせていない」という点でも、今を生きる骨董型人物なのでありますよ