ラジオでお話しました ~西陣の伝統工芸と区域~② | 京都・上京人のひとりごと ~本当の京都を知りたい人へ~

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「ほんまもん京都」というブログを始めました。そちらでは、このブログの内容をさらにわかりやすくまとめていますので、是非ご覧ください。

こんばんは、kiritsuboです。

 

今日は京都マラソンで、

私の作ったメダル紐も

男子と車いすの3位までの方に

掛けていただきました♪

嬉しいおねがい

 

さてさて昨日の続き、

なんやったかな、

そうそう

西陣の伝統工芸についてやった(^^;

 

西陣織や漆(蒔絵)、

うちの京くみひもや京繍も

使い方次第では

新しい用途に

なんぼでも使えるということで

若い人が頑張ってくれたはります。

 

で、その「西陣」ですが

「西陣」てどこ?!

て話です。

 

「西陣」て地名とちゃいますよね。

住所にも出てきやへんし。

 

「西ノ京」とか「紫野」とかは

住所の町名に付いたりしますが

「西陣」は見たことないです。

 

そしたら「西陣」て、どこ??

 

「西陣」ていうのは

応仁の乱のとき

山名宗全が西の陣を敷いたところ。

 

そして乱後

織物を職とする人らが集まり

御所へ納める織物を作る

場所となっていったのです。

 

さて

では今は

どの辺を指すかというと…

 

まずは京都市歴史資料館の

HPに載ってた写真によると

 

北は 鞍馬口通

東は 堀川通

南は 中立売通

西は 七本松通

 

となっています。

(ちなみに

「通り」の「り」は書きません)

 

自分で作ってみた図で

この境界を引いてみると

赤線の部分です。

 

 

たしかにこの線の中は

西陣織をやってるお家が多い所。

 

そやけどね、

うちもやってたんですよ。

水色の線で囲んだ部分、

ここに今のうちのお店があります。

ここは私の実家やったところです。

ここは正親(せいしん)・出水・聚楽学区のあるところ。

(学区の説明はこちらで)

 

ここはほとんどが

聚楽第の建物やら

堀があったところ。

 

ほんま言うたら

西陣織とは

あんまり関係なかったし

自分とこで機(はた)を持ってて

呉服屋さんへ卸す織元も少なかったかもしれません。

 

そやけど

うちも両親が

機織ってました。

織元もしてたし。

 

50年前、

うちの実家のまわりは

そういうところがほとんどでした。

そやし

当然そこも西陣やと思てましたよ~!

 

一時期

ものすご西陣織が売れたとき

どこもかしこも機織ったはりました。

 

それで「西陣」もどんどん

広がっていったんですね~

 

これってちょうど

今宮(神社)さんの

氏子区域と重なってます。

 

 ↑

今宮さん、

北のほうにありますね♪

 

それは

今宮さんを経済的に支えてたのが

西陣の織元やったので

自然とそうなったんですね。

 

この位置関係がわかってると

西陣の意味合いの一面が

分かってくると思います。

 

地図とにらめっこしながら

覚えといてくださいね♪

 

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わぁまた日にち越してしもた。

 

ほなまた。

「京都・上京人のひとりごと」でした。