京都の学区って? その1 | 京都・上京人のひとりごと ~本当の京都を知りたい人へ~

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「ほんまもん京都」というブログを始めました。そちらでは、このブログの内容をさらにわかりやすくまとめていますので、是非ご覧ください。

こんにちは、kiritsuboです。

 

今日は久しぶりに

「カッ!」

と晴れてますね(^^)

これから本格的な夏がくるのかな、て

半分楽しみ

半分うんざりしています(^^;

 

さて今日は、

以前お話する~て言うて

まだできてへんかった

「学区」のお話。

 

今朝は

上京区役所で地域の人たちと

楽しくお話する機会があって

そこで

学区の話が出ました。

 

明治時代に

上京区・下京区やったところには

学区があります。

 

たしか

そのころの上京区には

学区は33個、

そして

今の上京区には

17個あります。

 

住んでいる人の間では

この学区の話は

相当、盛り上がります。

相当、です。

 

通り一つを越えると変わる雰囲気は

この学区のせいやったりします。

 

学区学区て書いてますが

そしたら

「学区」って何?

て思いますよね。

 

江戸の終わりから

明治時代のはじめにかけて

京都の人たちは、

このメチャメチャに壊された京都を

何とか復活させようと思いました。

 

「復活」させるにはどうしたらええのか。

それは

「教育」

や、て考えたんです。

 

まず

町を良くしてくれる

人材を作らなあかん、と。

 

それで、京都の人たちは

小学校を作ろうと思いました。

 

小学校建設は

行政の指導があり、

命令がなされたのですが

最終的にどんな学校にするかは

地域の人たちの意思が影響しました。

 

京都にはもともと

江戸時代以前から

「町組(ちょうぐみ)」という

地域の単位がありました。

 

それが明治になって再編されて

基本的には

その町組の人たちが

お上(かみ)から貸してもろたお金と

自分らで集めたお金「竃銭(かまどせん)」を使って

それぞれ一つずつ

小学校を作ったんです。

それが明治2年。

 

それから

この町組のことを

「学区」て言うようになったんです。

(多少はズレもありますが、大体で(^^;)

 

え~っと、はい、ご飯時分になりますので

ほんで

また長うなるので

これで終わり♪

 

ほなまた。

「京都・上京人のひとりごと」でした。

 

<京ことばクイズ>

前回の答えは「かしわ」。

「あ~」って思わはった人も

あるかもしれませんね。

大阪でもこれは通じるはずです。

 

さてクイズです。

「飴」には

京都人はどんな言葉をつけて言うでしょう?

 

答えはまた次回~