京都の学区って? その2 | 京都・上京人のひとりごと ~本当の京都を知りたい人へ~

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「ほんまもん京都」というブログを始めました。そちらでは、このブログの内容をさらにわかりやすくまとめていますので、是非ご覧ください。

こんにちは、kiritsuboです。

 

この前のつづき、

学区についてです。

 

地元の名士が

土地を寄付して

できた小学校も結構あります。

 

地域の人たちが

ちょっとずつのお金を出し合って

出来上がった小学校。

 

そしてそれは

自分たちの子どもが

通う小学校です。

 

地域の行事も学校でする。

問題が起こったら

学校で話し合う。

 

小学校は

地域の中心にありました。

そやし

愛着もそれはすごいもんがあります。

 

こうやって学区は

一つの大きなまとまりとなっていきました。

 

学区ができたのが

明治2年。

それをまとめて

行政区ができたのが

明治12年。

 

区より学区のほうが古いです。

 

さらに

戦前の学区は

財源を持った自治団体やったそうです。

 

今は学区制度は廃止されてるので

正確に言うと

「元学区」ということになります。

 

うちの実家のあるところも

「出水学区」て言うてますが

正式には

「元出水学区」ていうことになります。

 

昔から

民衆の自治意識が高かったこともあって

長い間

京都の町は守られてきました。

 

それが

子どもの数が減少してきて

小学校の統合を

せんとあかんようになりました。

 

みんな愛する学校を廃校にしたくない。

でも子どものため

泣く泣く閉校したんです。

 

でも、

学区は残りました。

小学校が統合されても

学区催してた区民(学区の「区」です)体育祭は

元の学区単位で

廃校になった小学校の運動場でやります。

学区・小学校への愛情は変わってません。

 

この次は

学区内の自治のようすを

簡単に説明したいと思います。

 

ほなまた。

「京都・上京人のひとりごと」でした。

 

*学区が生まれた詳細については

京都市歴史資料館フィールドミュージアムを参照してくださいね♪

 

<京ことばクイズ>

前回の答えは

「あめさん」です。

 

大阪は

「あめちゃん」て言わはりますが

京都はもともと

「さん」をつける文化なので

飴にも「さん」をつけます。

でもこのごろは

大阪の言葉に押されて

「ちゃん」を付ける人が増えてきました。

ちょっと悲しいです。

 

今日のクイズ。

「お」も「さん」もついてる言葉

「お稚児さん」。

 

昔の人の発音はどうや(だ)ったでしょうか?

「おちごさん」に一文字多いです。

 

答えはまた次回~