本稿は、ダイエー中内氏に関して表題の週刊SPA!の私の連載で掲載した文章である。単行本として「嗚呼香ばしき人々」が発売されたが、この本に収録されることが時期的にできなかった。その後、中内氏がダイエー関連の保有資産ともどもすべて手放すという報道がなされ、関連記事としていろんな経済団体に回覧されたそうで、評判が高かったのでここに転載する。
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時 代の寵児と言われた人は、その人を支えた時代の終了と共に真価が問われる。名経営者と言われた人物も、その遺した企業の業績如何で持ち上げたりけなされたりする。どう事業を成功させたかだけでなく、世間や時代の変化を先取りできる組織を構築できたかという一枚も二枚も上の才能を要求されるのが経営者なのだ。かつては小売業で日本を制覇するかに思われたダイエーの中内功氏もまた、時代の試練に晒されつつあるダイエーの創業者として世間の注目を集めてきた。銀行筋からは「例のボケ老人」と言われ、日本経済の高度成長という宴の残骸である不良債権問題の象徴となってしまった。しかも、不良債権問題は山を越えたとはいえ、いまなお進行中である。
おまけにダイエーは最大級の物件であるが故に産業再生機構入りで揉めた挙句、まな板の上の鯉状態であり、ついでに中内氏もまたご存命中であられる。企業再生とは、大企業ダイエーの分割解体にほかならず、生きているが故に己が手塩にかけて育て上げた組織がバラされる苦悩に立ち会わなければならないというのは皮肉なことである。
ダイエーの不幸は、高度成長という経済のトレンドに適応しすぎたことであった。どこまでも伸びていく日本経済が強い自信をつけ、アメリカ経済を追い越して世界の頂点となる夢に日本中が酔いしれていたころ、その風潮の最先端で金を借りまくっていたのがダイエーだった。それも、当時の経営のセオリーからしても決して間違いではなかったのが悲劇的な事態にまで状況を悪化させてしまった。とりたてて方法論は間違っていると認識されてないのに、時代が変わるといままでの長所が弱点へと化ける恐ろしさは、いかに名経営者と名高い、ついでに亀の飼育も誉高い中内氏といえど太刀打ちできない。
何故か日本社会には、経済的に成功した人は野球チームか角界のタニマチか歌舞伎などの伝統芸能に傾倒していく傾向があり、ダイエーは最盛期にホークスを買収してグループの象徴とした。アホみたいに高い金額を払って阪神から松永を連れてきたりミッチェルの如き使えない外人を呼んできたりしていたが、それもこれもダイエーの経営が万全だ、まだまだ成長余地があると判断していた中内氏と銀行筋を含めた周辺の見込み違いが原因であったにほかならない。この手の香ばしさの漂い始めが企業や経営者としてのピークだということなのだろう、きっと。
ダイエーが坂道を転がり落ちるころ、経済誌に中内氏の伝記を連載した佐野眞一氏と中内氏が喧嘩になるという話もあった。連載当時は私は小僧だったので普通に面白いなあと読んでただけであったが、世間に出てある程度知恵がついてくると佐野氏は実直にかつ正確に中内氏を論じていたことが分かる。逆に、貧すれば鈍す的な逆ギレをしていた中内氏の、時代を読む眼はすでに曇っていたのだなあという証左なのだろう。
ただし、奢れる者は久しからずと評するのは簡単でも、八万人もいる大組織をまだ見えてもいない次時代へと連れて行くのは生半可なことではできない。次はアメリカへと野望をたぎらせた中内氏に縮小の二文字はなかったのだ。
良くも悪くも「古き良き日本経済」の代表格として経済史に名を刻んだダイエーと中内氏。時代に対応できなかったのはセンスの限界だったとはいえ、ダイエーがもうだめだからといって中内氏が生きてきた証まで認めないという議論は、私にはなかなか同意できないのである。
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時 代の寵児と言われた人は、その人を支えた時代の終了と共に真価が問われる。名経営者と言われた人物も、その遺した企業の業績如何で持ち上げたりけなされたりする。どう事業を成功させたかだけでなく、世間や時代の変化を先取りできる組織を構築できたかという一枚も二枚も上の才能を要求されるのが経営者なのだ。かつては小売業で日本を制覇するかに思われたダイエーの中内功氏もまた、時代の試練に晒されつつあるダイエーの創業者として世間の注目を集めてきた。銀行筋からは「例のボケ老人」と言われ、日本経済の高度成長という宴の残骸である不良債権問題の象徴となってしまった。しかも、不良債権問題は山を越えたとはいえ、いまなお進行中である。
おまけにダイエーは最大級の物件であるが故に産業再生機構入りで揉めた挙句、まな板の上の鯉状態であり、ついでに中内氏もまたご存命中であられる。企業再生とは、大企業ダイエーの分割解体にほかならず、生きているが故に己が手塩にかけて育て上げた組織がバラされる苦悩に立ち会わなければならないというのは皮肉なことである。
ダイエーの不幸は、高度成長という経済のトレンドに適応しすぎたことであった。どこまでも伸びていく日本経済が強い自信をつけ、アメリカ経済を追い越して世界の頂点となる夢に日本中が酔いしれていたころ、その風潮の最先端で金を借りまくっていたのがダイエーだった。それも、当時の経営のセオリーからしても決して間違いではなかったのが悲劇的な事態にまで状況を悪化させてしまった。とりたてて方法論は間違っていると認識されてないのに、時代が変わるといままでの長所が弱点へと化ける恐ろしさは、いかに名経営者と名高い、ついでに亀の飼育も誉高い中内氏といえど太刀打ちできない。
何故か日本社会には、経済的に成功した人は野球チームか角界のタニマチか歌舞伎などの伝統芸能に傾倒していく傾向があり、ダイエーは最盛期にホークスを買収してグループの象徴とした。アホみたいに高い金額を払って阪神から松永を連れてきたりミッチェルの如き使えない外人を呼んできたりしていたが、それもこれもダイエーの経営が万全だ、まだまだ成長余地があると判断していた中内氏と銀行筋を含めた周辺の見込み違いが原因であったにほかならない。この手の香ばしさの漂い始めが企業や経営者としてのピークだということなのだろう、きっと。
ダイエーが坂道を転がり落ちるころ、経済誌に中内氏の伝記を連載した佐野眞一氏と中内氏が喧嘩になるという話もあった。連載当時は私は小僧だったので普通に面白いなあと読んでただけであったが、世間に出てある程度知恵がついてくると佐野氏は実直にかつ正確に中内氏を論じていたことが分かる。逆に、貧すれば鈍す的な逆ギレをしていた中内氏の、時代を読む眼はすでに曇っていたのだなあという証左なのだろう。
ただし、奢れる者は久しからずと評するのは簡単でも、八万人もいる大組織をまだ見えてもいない次時代へと連れて行くのは生半可なことではできない。次はアメリカへと野望をたぎらせた中内氏に縮小の二文字はなかったのだ。
良くも悪くも「古き良き日本経済」の代表格として経済史に名を刻んだダイエーと中内氏。時代に対応できなかったのはセンスの限界だったとはいえ、ダイエーがもうだめだからといって中内氏が生きてきた証まで認めないという議論は、私にはなかなか同意できないのである。