東京に積もる雪の物語

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 そういえば、東京に雪が積もらなくなった。私が子どものころと言えば、十二月から二月にかけて、すぐに融けてしまうけれど雪が積もったものだ。わずか数日とはいえ、近所の友達と雪だるまを作って、イメージと全然違う、排ガス色した雪玉ができてがっかりしたものである。

 たまに年明けに積雪のため電車が止まって学校が休みになったりしたが、どうも最近はそういうこともないらしい。私が通っていたころの日吉駅は、まだ歩道橋直結の安っぽい駅舎があって、これがまた凍結するので階段を下りるのに難渋した。

 高校を卒業するころ、河内くんというストレートロンゲの国語教師が担任で、あれこれ進学する学部について相談したのは、えらく雪の降った一月中旬だった記憶がある。いま思うと恥ずかしいことだが、実は高校卒業時分、私は経済新聞の記者になりたいと思っていた。ところが、慶應義塾大学の経済学部へ内部進学するための成績が不足していた。テストの成績は良かった。一方で、そのころ私は中国語の課外授業と称して日吉裏の雀荘に日がな足を運んで大学生や同級生相手に麻雀を打ち、点五や点ピンで賭けて遊んでいたため、出席不足で成績を一定割合棒引きされていたのである。

 これほど悔やまれたことはなかったが、ルールである以上は仕方がない。

 ちょうど新設された藤沢キャンパスが二年目にあたり、不人気だったためそちらに回され、後日経済学部へ転部すればよろしい、と河内くんに言われ、そういう手もあるか、としばらく何も考えずに雀荘やバイトに明け暮れていた。

 大学に進学するにあたって、中学や高校で一緒になった級友が随分学校を去っていった。高校に比べて大学など手ごろな授業で単位を取ってさえいれば誰でも卒業できる、と先輩からかねがね聞いていたし、当時絢爛というか狂乱のバブル経済が終わり気味ではあったが慶應義塾は就職に強かった。それは後日自分で二年に渡って就職活動する際に、なるほど慶應は就職が楽だというのは改めて思ったが、私からすればしたい勉強ができて、嫌な授業は出なくてもノートがどこかから回ってきて、出席も誰かに頼めば問題なくて、全然楽勝なのに、何故こいつらは大学に行かないのだろう、という奴が何人も出た。

 そのうちのほとんどは親が開業医で、慶應の医学部に進学できるほどの成績に満たなかった奴らが他校の医学部を受けるために慶應を去るというケースだったが、柊は違った。柊は私と一緒に麻雀をやり、自宅も近かったのでよく一緒に帰ったものだ。柊は婆やと呼ばれる小間使いの女性か何かと二人だけで、私の住んでいた家の何倍も広い敷地の豪邸に住んでいたが、何度か彼の家に行っても彼の両親や兄弟を目にしたことは一度としてなかった。深くは詮索するまいと思っていたわけではないが、興味がなかったと言うのが一番大きいだろうか。そんな柊が十一月になって、学校というより雀荘から帰る東横線のなかで、俺、大学に行かないから、と言い出した。

 何を馬鹿な、と思った。大学なんて、適当に行って、おもしろおかしくやっていれば楽に卒業できるじゃないか、別に医者になりたいってわけでもないんだろ、と言ったら、柊は笑っているだけだった。

 とにかく、終始ヘラヘラしている奴だったので、クラスのなかではのけ者だったが、彼は私にとっての師匠だった。全自動卓麻雀台でイカサマをやる技術に関しての。事実、柊と私が囲んだ卓については、必ずどちらかが一位、どちらかが三位で帳尻プラスになるような策を取って負けなしだった。そういうことができるなら一位二位でいいじゃないかと思うものだが、柊は一位二位を繰り返したら客は怒る、もう卓を囲んでくれなくなる。二人ネタ元がいたら、片方は二位にしてやれ、というのが先達である柊の弁だった。

 柊は麻雀と、麻雀をする人の心理については超人級に詳しい男であったが、こと自分の話についてはからっきしな奴でもあった。ある日、その麻雀で勝った代金で買ったというカメラを、東横線の網棚のうえに乗せてやったまま忘れて帰って無くしたこともある。欲しがっていたカメラを放置するなど考えられないが、翌日教室でそれを聞いて、遺失物になっているか確かめたかと訊くと、そんなことはしていないという。呆れた。さっさと駅員に言って、探してもらえと半分逆キレ気味に言ったが、ああ、あんなもんは天下の回りもんだ、とまったく気にした態でもなかった。話を聞きつけたクラスの気のいい奴と私は二人で駅員に聞いたが、とうとう柊のカメラは出てこなかった。さらに後日、柊が金を貸してくれというので、私が些少の額をそうしてやると、嬉しそうに千円札を財布に入れながらこれでカメラが買い直せる、と言った。何だ、やっぱりお前、カメラ欲しかったんじゃねえか。しかし、あれだけの豪邸に住んでいる柊が、カメラのひとつも小遣いで買えないとは、よほどシブい親なんだろうなと思っていた。

 その翌週、柊は停学三日となって張り出しがされた。何だと思って河内くんに聞くと、何でも定期券を偽造してキセルをやらかして駅員に捕まったらしかった。当時は自動改札などというものはなく、駅員に定期券を見せて改札を通るわけだが、どうも柊は日吉駅では前科者としてマークされていたようだった。どおりで駅に遺失物の申し出をしないはずだ。

 柊は私よりはるかに成績が悪く、出席もまともにしていなかったため、商学部か文学部、あるいは私と同じく新しい藤沢キャンパスへ行くしか選択肢がなかった。最初は、柊はどこか別の学部に行きたいのかと思ったが、何と柊は麻雀で喰っていくと言い出した。

 何を馬鹿な、と帰りの東横線で何度も柊に言い詰めた。世間の奴らが慶應大学に入りたくても入れないのを、お前が放り投げてどうするんだ。柊は、相変わらずニヤニヤ笑いながら、まあそれも人生ってもんよ、お前も慶應の大学生と卓を囲むことがあるだろう、奴らの世間慣れしてない馬鹿な麻雀見てるだろ、大学出てもその程度のおつむと思われるのがオチだ、とまくし立てる。話は平行線だった。

 その後、年越しのイベントでも柊と顔を合わせたが、その話題には触れなかった。ただ、何となく柊にあわせて笑って過ごした。それが私たちのペースだと思ったのである。

 柊は一月の大学進学のための試験シーズンから高校に来なくなっていた。そのまま柊は慶應を去るのかなと思った。進学希望学部も提出し終わり、一月末の最後の試験が終わると二月はもうこれといって重要でも喫緊でもない授業がダラダラと行われるだけとなって、このマンモス高校にも足を運ばなくなるのだな、という感慨だけが漂ってくる。授業に来ない奴がパラパラと出始め、柊は行きつけの雀荘を新宿に換えたらしく、それ以来卓を囲むこともなくなった。

 私もバイトがないときしか学校に行かなくなったが、ある晩友達から電話が入り、お前、河内くんから呼び出しの張り紙があったぞ、何か悪いことでもしたのか、という冷やかしの電話だった。さっそく翌日日吉くんだりまで赴いて教員室に入ると、国語科の窓際で河内くんがタバコを吸っていた。

 当時、河内くんはタバコを半分も吸うと、水でつけた皿にジュッと消してしまう奇妙な吸い方をしていた。実は私ももうそのころタバコを吸っていたが、さすがに教師の前で吸うわけにもいかないので黙って河内くんの仕草を見ていた。

 用件は二つあった。ひとつは、私がダメ元で希望を出していた経済学部への志望は、かなり教員の間で議論になったが結局ダメだったことだった。正直意外だったのは、私はまったく経済学部に行くだけの成績を備えておらず、それどころか今年は留年してもおかしくないな、と覚悟していたのである。議論になどなっているはずがないと思ったが、どうも数学と社会の教師に河内くんが、やりたいことがはっきりして学部志望している人間は放り込んだほうがいいと主張してくれたらしいのだった。結局、あまりにも出席していない私を”上位学部”に入れるのはほかの志望者の手前どうか、という非常にもっともで厳正な理由で却下された、と河内くんは笑った。

 もうひとつの用件は、私が柊に金を貸したことだった。なぜ河内くんがそれを知っているのかわからなかったが、それ以上に奇妙だったのは、河内くんが財布を出して私が柊に貸した数千円を払ってくれたことである。

 何故ですかと問うと、河内くんはまた笑いながら、お前は経済記者になりたいと言っていたじゃないかと言う。まったくピンとこなかった。あのな、バブルは終わったんだから、もうこれからいろんなことがあるんだからさ、と諭すように河内くんが言うので、すみません、全然理解できません、と答えると、今度は驚いたように、何だ、何も聞いていなかったのか、と言った。

 柊は、今年の後期の授業料が結局払えず、十二月で中退処分となっていた。

 柊とクラスで一番親しかったのは私だ。柊の住んでいた豪邸にも行ったことがあるし、つるんで雀荘で遊んでいたのも、東横線から山手線、西武新宿線と乗り継いで一緒に登下校していたのも私だ。私のバイト先に柊が冷やかしに来たことも一度や二度ではない。しかし、柊は私に何もそのあたりのことは語らなかった。私は何一つ、柊のことを知らなかったも同然であることに気づいて、しばし頭のなかが真っ白になった。

 そのときの河内くんの話から私は、バブル経済がおかしくなる過程で、柊は父親が破産か何かをして、授業料を払えないために高校を辞めたのだと理解した。それは決して間違いではなかったが、その後、世間様に詳しくなる過程で、祖母が経済事犯で逮捕され、それが理由で柊は慶應から追い出されたのだと知った。さらに、バブル経済の崩壊で私自身の家庭も結構な辛苦を味わうことになったが、本稿ではそれには触れない。

 河内くんから話を聞いて、とりあえず経済学部に行けないことよりも、柊のことが気になって、バイト終わりに終電で自宅に戻ると柊の家に電話を入れたが留守だった。自転車に乗って、柊の家を訪問してみたが、迷惑そうな顔をした小間使いの女性がインターホン越しに今日はもう休んでおります、とだけ返答してきた。

 翌朝、電話を入れると柊が出たので、黙って学校を中退するなんて酷いではないかと詰ったが、いつになく柊は怒った口調で俺には俺の価値観があるんだ、気にしないでくれ、と言った。そう言われると仕方がないが、私だって納まらない。まだ何か隠していることがあるのか、仕事はどうするのだ、別の大学でも受けるのか、と訊き回ったが、柊は杳として答えないままだ。もうどうにでもしろ、という気分になって、電話を切った。

 それから一週間ぐらい経っただろうか、バイトから帰ってきて深夜寝ていると、お袋の不機嫌な声で目を覚ました。クソ真夜中に柊から電話が来ているというのである。何故だか凄く底冷えのする日だった。寝室のある二階から電話を取りに一階に行くだけで足の裏が凍るような感じがした。電話を取ると、例の調子の柊だった。

 頼む、いまからちょいと新宿に来てくれないか。

 この深夜に何だというのと、柊に誘われて嬉しいのと気持ちは二分したが、さすがにこの寒いのに出かける気になれない、しかも終電もとっくに終わっている。新宿に行くなら自転車ぐらいしかない、この凍える夜中を自転車で私は新宿まで行くのか?

 何度か断った、しかし、柊は頼む、頼むとしか言わない。用件さえも言わない柊は、まあ柊らしいと言えなくもなかった。ため息をついてから、新宿行き着けのゲームセンター前で落ち合うことにして、電話を切った。手袋をして、コートを着て、出かける支度をしているとき、私は単なる便利使いされているだけの男なのかと思って、ふと心配になった。また雀荘でイカサマ仲間を再開するのは御免だ。

 果たして、ゲームセンター前には柊の姿はなかった。が、ゲームセンターの横合いの路地から声がする。何だろうと思って見やると、柊、とそれを囲んでいる五人組の男たちであった。とりあえず、血の気が引いた。どのような理由であったとしても、明らかに柊はレッドゾーンに存在していて、いままさに私もそこへ引き込まれようという瞬間に違いない。柊も男たちも、まだ私の存在に気づいていないようではあった。

 私は柊を捨てて、そのまま駅へ向かって自転車を漕いだ。

 昔、ゲームセンターで知人が喧嘩に巻き込まれたことがあり、先に警察に駆け込んで事情を説明してしまえば少なくとも悪いことにならないことを経験で知っていたからである。幸い、新宿東口の交番には警官が三人いた。ゲームセンターの隣で、高校生が暴力団風の男に囲まれています、と告げると、警官が二人、自転車に飛び乗って場所へ先導してくれと言った。

 まだ、柊と男たちはそこにいた。そのとき分かったが、柊はどうも殴られているらしかった。警官が止めに入るころ、私は少し遠めの間合いで事の成り行きを見守った。男たちが警官に向かって何か喚いている。明らかに柊は何かをやらかしたのだろう。自棄になって無銭飲食でもやったか、イカサマ麻雀でもバレたか、たぶん男たちに囲まれて金を出せとでも言われて、頼れるところが私のところしかなく、きっと深夜を厭わず電話を入れてきたのだ。

 同様に、私はこういう事件のあと事情を聞かれるとたいへん時間を取られることも経験上知っていた。何より問題なのは、持ち物検査とかやられると、高校の学生証と一緒に開けたばかりのマイルドセブンと百円ライターが私のポケットから出てくる恐れがあったからである。一人、また一人と警官がやってくるのを見ながら、数人の野次馬に紛れて私はそっと現場を離れた。パトカーがサイレンを鳴らしてやってくるのとすれ違いに一度だけ振り返ったが、そのまま自転車を全速力で漕いで、西武線沿いに家路へ急いだ。三時過ぎの新宿界隈は、ちらちらと雪が降り始めていた。

 自宅に着いたそのあとも、柊が気になって眠れなかった。

 翌々日になって、柊から電話が入った。ちょうど日曜バイトに出かけようかという時間だったので、着替えている最中である。外は、あの晩降った雪が残って、轍のように不格好な輪郭を道なりにつけていた。暖房を切りながらお袋から取り次がれた電話に出た。

 はいよ、と電話に出ると、柊は無言になった。いつものヘラヘラした感じの、柊ではなかった。おい、柊、と促すと、柊はぼそっと、ありがとうよ、と言った。何のことだ、と返したが、ただな、お前、高校生が囲まれていますって言ったそうじゃないか、と訊かれた。ハッとした。もう柊は、私と同じ高校生ではなかったのだ。柊は、私が自転車で駆けつけたことを知らなかったが、交番で事情を聞かれたときに、警官が喋った内容から私が警察を呼んだことを確信したという。そして、黙ってその場を去ったことも。

 そのあたり、お前は麻雀でのその堅実な打ち方と一緒だな、最初誠実、影でいろいろやって、最後にはいいところだけ持って行きやがる。柊はいつになく、ゆっくり喋った。

 怒っているのかなと思った。ただ、柊はこの電話では最後まで、なぜ男たちに殴られたのか語らなかった。私も尋ねる気はなかった。知ったところでどうしようもないと思ったからである。今日はもう出かけなければならないから、また連絡をくれ、ケーキでも一緒に食おうと言ったら、柊はいつものように愉しげに笑って、また電話するわ、と言った。そのときは普通に受話器を置いたが、それから電話がかかってくることはなかった。

 それから数日もせず、柊はそっと引っ越して行った。その事実を知ったのは、例の小間使いで雇っていた老婆がどこで知ったのか我が家にやってきて、お袋に向かって私によろしくお伝えください、と言付けて行ったからである。

 その後、柊がどうしているのかは知らない。不器用な男だから、のたれ死んでいるか、幸運な男だから、身を持ち直しているか、おそらく半端な生き方はしていないのではないかと期待しているが、さて、どうだろうか。

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 この文章を書いたのは00年のことだが、柊とは02年夏に偶然再会した。結婚して、仙台で家族五人で暮らしているそうだ。少なくとも現時点では私は柊に負けている。そういうことにしておこう。
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