コミュニケイター

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 僕はずっと電話が怖かった。

 実は僕は長電話ができない。子どものころ、中耳炎を患って以来、右耳が聴こえづらいというのもあるが、電話でずっと話されると途中で頭がぼんやりとしてくるのだ。だんだん相手が何を話していても、興味をもてなくなってくる。

 それ以上に、長電話をしながら僕が相手に興味をもてなくなっていることを知られたくないというのもあるし、ひょっとしたら、相手も電話を切りたいと思っているのかもしれないと感じてしまうのだ。僕はもう話すことなんてない。電話を切りたい、でもこちらから電話を切るように話を仕向けるというのはある種の恐怖だ。関係をこちらから切って、相手が嫌な思いをしたとしたら、どうだろう。もう、二度と電話はかかってこないのではないか。

 だから、僕は僕から電話をかけるときは、必ず「お話があります、いま話して大丈夫ですか。何件あります」と言ってしまってから、用件だけを伝えるようにしている。それ以上の電話はしたくないからだ。それに、用件が終わったら、その旨だけ伝えて電話を切ればいい。

 電話でさえ、恐ろしく感じるくらいだから、最近のネット技術や携帯電話というのは僕にとって不快以外の何者でもない。僕はMSNメッセンジャーを導入したことがある。僕がパソコンに向かっているときは、たいてい僕の仕事をするために精神を集中しているときだ。そこに誰かがメッセンジャーで問いかけてくる。見なければいいのだが、呼び出しがあると見ないわけにもいかない。

 なぜ僕が僕のために用意した時間にほかの人が踏み込んでくるんだ。しばらくして、僕はメッセンジャーを立ち上げるのをやめてしまった。それでも、仕事相手がメッセンジャーを使っていたので、そのためだけにメッセンジャーを改めて導入したことがある。そうしたら、どこから訊いたのか、いろんな人が僕のメッセンジャーを登録し始めた。

 知らない人ならともかく、仕事でかかわりのあった人、一緒に何かを手がけている人、いろんな人が登録してくる。登録してくれるのは嬉しい。それだけ大事に思ってくれているのかもしれないからだ。でも、いったんみんなを登録してしまうと、メッセンジャーを立ち上げている間中、僕はパブリックとなる。さかんに、様々な案件について、相談について、雑談、世間話、噂などなど、問い合わせや様子伺いをしてくるようになる。

 僕はメッセンジャーをたまにしか立ち上げないようにした。これなら、僕は僕の気構えができたときだけ、パブリックになれる。そう思った。でも現実は違った。僕がメッセンジャーを立ち上げたとき、待ち構えていたようにコメントを一斉に投げてくる。僕は世間話がしたいんじゃないんだ。まるで十面指しの将棋のように、特定の人たちとそれ用の会話をしなければならない。電話が発展したようなものだ。しかも、電話のように、あらかじめ何件、と決めてチャットするわけじゃない。断りづらい。

 結局、僕はメッセンジャーを使わなくなった。誰のせいでもない。ただ、断りたくないだけなんだ。会話をし始めると、会話を終えなければならない。それは長電話と同じように、僕が誰かに「それじゃ、忙しいんで切るね」といわれて寂しい思いをしたのと同じく、メッセンジャーで問いかけてきてくれた知り合いとのチャットを打ち切りたくないんだ。

 ソフトやネットが便利になった分だけ、人間関係が便利になったということなのだろうか。僕はそうは思わない。僕がほかの人との対話に使う時間は、固定電話しかなかったころとたいして変わっていない。確かに、あのころは友達の自宅に電話を入れて、親が出るかもしれないというドキドキもあって、連絡を入れるというのは一種の覚悟のようなものが必要だった。

 でも、いまは違う。携帯電話をかけられたら、よほどのことがない限り出ないといけない。連絡は気軽につけられるが、それがかえってストレスになっている。着信した番号で誰だか分かる、それを知って出ないと思われるほど失礼なことはない。僕だって、誰かの携帯に電話を入れて、呼び出し音が鳴っているのに出なかったら何か理由があって僕を無視しているんじゃないかと不安に思う。きっと、僕に電話をかけて、僕が電話に出られないことが、誰かの不安を呼び起こしているんだろうと感じてしまって、携帯電話のスイッチが入っているとイライラしてくる。

 呼びかけが気安くできるようになっただけ、技術が進んだだけ、僕たちは近くなったのだろうか。僕が嫌いだった長電話のように、とにかく何かで繋がっているだけの人間関係で不安がそのまま埋め合わされているような、しかも、繋がることを、繋がり続けることを断るのが何だかとても失礼なような、凄く得体の知れない焦燥感に置かれているような気がして、僕はいつもパソコンの前で腕組みをしてしまう。
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