当教室では年に2回、画仙紙課題に取り組んでいる。
画仙紙課題は半紙課題の約3倍の練習量が必要だ。
そして忍耐力と、一つ一つの難しい筆使いを繰り返し練習して作品を作り上げるために最後まであきらめずに頑張る気持ちも殊更必要になる。
幼児や小学低学年であっても、本人が画仙紙課題を書きたいと望むなら私は喜んで指導する。
しかし、その練習は容易ではないので、私は子ども一人一人に「画仙紙課題は大変だけど、最後まで頑張れる?」と、尋ねる。そして、その質問に「頑張る!」と答えた子ども達だけが画仙紙課題のお稽古を行えるのだ。
練習が始まり、子どもは文字の点画等を何度も練習して克服し乗り越えなければならない。
そのような時、子ども達は自分が頑張ると言った手前、途中で投げ出すことはしない。
その結果、お清書まで漕ぎつけることが出来る。
子ども達の中には、私の注意に直ぐに答え応じられる子どもと、何度も同じことを注意されてもなかなか改善されない子どもがいる。
最近の子ども達の傾向として、いつも親から答えだけを与えられていている場合、自分であまり物を考えて行動することが出来なくなる。
その最たるものが指示待ちの子ども達だ。
指示待ちの子ども達は、「なぜ? どうしてそうなるのか? どのようにしたら良いか?・・・・」等、あまり物を思考しない。
指示待ちの子どもは思考力が弱い。
「子どもには魚ではなく、魚の釣り方を教えよ!」的なアプローチをする親は少ないように感じる。
しかし、書道は思考しながら組み立てていく作業ゆえ、物を考えない子どもはどうしても進歩が遅くなる。
そしてお手本と自分の文字との対比や分析が出来るかどうかも、進歩の速度に違いが出る。
家庭で、親が子どもの思考力を良く伸ばしている子どもは、私の注意をきちんとキャッチして早い進歩に役立てることが出来る。
今日も一人、何度か同じことを注意された子どもが、大粒の涙をぐっとこらえて筆を走らせていた。
この子ども(低学年)は、画仙紙課題が初めての挑戦で、自分で書きたいと志願したので、お稽古が辛くても最後まで投げ出さず大変頑張った。
そして作品が書き上がって、立派に出来た自分の作品に満足げだった。
どの子どもも、技術も進歩したがそれ以上に心も大きく成長した。
お手本をよく見て書く、書いた作品とお手本を見比べて分析する、分析したことを次の一枚に取り入れてさらに良い作品にする。
書道は地味で忍耐強いお稽古の繰り返しだが、文字を書くだけでなく他の作業や学びにも、そして生きていく上で様々な困難があっても、書道のこの地味なお稽古はとても役に立つのだ。
私が7才だった時、画仙紙課題と同じような書初め課題で当時の私の親先生から厳しい注意を受けた。
その日の教室の帰り道で、私は泣いた。
しかし、その苦しかった経験は、その後の様々なお稽古の学びで乗り越える力になっていた。
あの日の涙は60代になっても忘れない・・・。
経験した楽でない厳しいと感じた当時の私の親先生のお稽古で得られた経験と教訓は、60代になっても大いに役に立っている。
画仙紙課題で学んだ楽でないお稽古で頑張ったことが、子ども達一人一人の一生のどこかのシーンで、踏ん張る力になるといいな・・・と思う。
みんな、良く頑張ったね!!
立派でした。