近放伝『福音の光』のブログ -6ページ目
良い事ばかりじゃないですよね。
時にはがっかりする事もあり、
大失敗する事も。
信用していた人に裏切られたり、
大切なものを奪われる事もあるかも。
どうしてこんな目に
あわないといけないのと考えてしまいます。
それは仕方ありません。
どれだけ立派な信仰を持っていたって
やっぱり少しはそう思います。
人間そんなに強くありません。
だけど知っておくべき事があります。
神様はそんな私たちにとっては
耐えがたい経験すら
最終的には益になるように
計らってくださるという事。
愚痴りそうになっても
この約束を思い出して
クリスチャンは
試練を乗り越えるのです。
「神を愛する人々、すなわち、
神のご計画に従って
召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて
益としてくださることを、
私たちは知ってます。」
(ローマ 8:28 新改訳)
真面目に信仰生活をはじめて
四半世紀以上の時が流れました。
年もとり老けました。
無理すると直ぐに体調不良。
体は結構ガタが来てます。
しかし霊的にはどんどん強くなってます。
若い頃なら折れていたであろう信仰心も
ビクともしないくらい頑丈になりました。
自分でそんな強さをゲットしたわけでは
ありません。
私は昔からずっと変わらず
弱くてボロボロな人間です。
存在しているのが申し訳ないぐらい
取り柄の何もない人間です。
多くの大失敗を繰り返してばかりの私。
しかしその失敗の繰り返しが
私の信仰を成長させてくれました。
自分の弱さを知った時、
主がその弱いところで働いて
下さったからです。
「たとい私たちの外なる人は衰えても、
内なる人は日々新たにされてます。」
(第二コリント 4:16b 新改訳)
海外での生活が結構長かったので、
このみことばの大切さが
分かる気がします。
私はもてなされた回数の方が
もてなした回数より
絶対に多いように思います。
受けた恩を返すためにも
私もまた土地に不慣れな人や
外国からいらっしゃった方々を
親切にもてなしたいと思います。
思えば〈おもてなし〉って
日本の大切な文化習慣の1つでも
ありますよね。
「兄弟愛をいつも持っていなさい。
旅人をもてなすことを
忘れてはいけません。
こうして、ある人々は御使いたちを、
それとは知らずにもてなしました。」
(ヘブル13:1-2 新改訳)
私たち人間は弱いです。
救われた私たちクリスチャンも
相変わらず弱いです。
罪の奴隷にはならなくなっても
気をつけないと影響は受けます。
弱い私たちが強くなるには
みことばを生きることで
罪を離れ続ける必要があります。
気をつけていても失敗はします。
それは仕方ありません。
そういう時に必要なのが悔い改めです。
ヨハネは悔い改めると
神様は清めてまで下さると
使徒ヨハネは教えています。
悔い改めのない信仰生活などあり得ません。
「自分の罪を公に言い表すなら、
神は真実で正しい方ですから、
罪を赦し、あらゆる不義から
わたしたちを清めてくださいます。」
(第一ヨハネ 1:9 新共同訳)
「思い違いをしてはいけません。
神は侮られるような方ではありません。
人は種を蒔けば、
その刈り取りもすることになります。
自分の肉のために蒔く者は、
肉から滅びを刈り取り、
御霊のために蒔く者は、
御霊から永遠のいのちを
刈り取るのです。」
(ガラテヤ 6:7-8 新改訳)
原因が結果に先行する事はないという
因果律は全ての人が経験によって
理解していると思います。
しかし分かっていても
良い結果を招来するであろう原因を
生み出す行為をなかなか起こせないのが
弱い私たちの姿なのかもしれません。
うすうす悪い結果へ
至りそうな気配を感じても、
それをサタンの誘惑だとか
不信仰だからと自分を騙して
その場しのぎの生活を続けると
取り返しのつかない最悪な結果を
招く恐れがあります。
私たちは蒔いたものを刈り取るのです。
良いものを蒔き続けなければなりません。
いったい私たちは日頃、
何を蒔き続けているのでしょうか?
一度、考えてみてもいいのでは?
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