(ネタバレ注意!)映画版、各場面ごとの原作との比較と感想⑤ | 近キョリ恋愛、原作と映画の比較

近キョリ恋愛、原作と映画の比較

原作無視で話題となった映画「近キョリ恋愛」を原作と比較するブログです、映画の感想も時々書きます。原作、映画共にネタバレあるので注意!

映画近キョリ恋愛を原作と比較して感想を書くのも今回で5回目、もうすぐ折り返し地点です。


前回のラストにも書いたように、今回は近キョリ恋愛最大の場面、教卓キスの場面から始めます。

本当に、この場面があるからこの映画は近キョリ恋愛と名乗れるようなものです、この場面がなければ本気で近キョリ恋愛を名乗ってほしくない映画ですから。

映画の感想を書く前に、まずある画像を紹介します。





ツイッターの「最近の少女漫画がヤバいbot」のようなものでこの画像を見たことある方もいるのではないでしょうか。

実はこの画像は近キョリ恋愛の原作の教卓キスのシーンなんです。

近キョリ恋愛の最大の魅力と言われているこの教卓キスがまさか巷ではネタ扱いされているなんてビックリですよね。

個人的な推測ですが、胸キュンシーンとして人気、というより単にギャグとして関心を持たれているだけなのでは…

以前紹介した公開日に放送された特番でもこの1コマが流れましたからね、何とも言えませんね。

そんな巷でネタ扱いされているこの教卓キスですが、映画版では特注の教卓を用意してまで自然な体制になるように改善しました、これはもちろん良い点だと思います。

…しかし、映画版で改善されたと思ったのもここだけ、他は相変わらずの原作無視、そして原作で生じていたご都合展開を映画版でもそのままほったらかし、それどころかますます不自然な流れになるという最悪の事態になっていますので1つずつ紹介します。

















個人的に思う原作最大の問題点は、第1話にしてゆにとハルカが付き合ってしまうこと。

全40話の中の第1話にしていきなり付き合ってしまうことになります。

ゆにもハルカも、なぜ互いを好きになったのかが具体的に描写されていません。(ゆにに関してはその後の第2話で少し描かれますが)

原作は大好きですが、ここが本当に残念だなと思います。

映画では両想いになるまでに本編の約半分の時間をかけているので、ハルカがなぜゆにを好きになるのか細かく描かれるのかと思いましたが…そんなことはありませんでした。

前回紹介したように、告白しようとしてもなかなか言い出せないゆにはクラブ活動中に、生徒がノートに分からないところをまとめているところを見て、ノートを使った告白をしようと決意します。

ここは原作にない部分ですが、個人的にいいと思いました。

しかし、ハルカが教室に入ってきたら「分からないところをノートに書いたんですけど」と言って見せようと思っていたはずのゆにが何を思い立ったのか、急に教卓の下に隠れてしまいます。

既にここでもうメチャクチャです。

原作では、特に描写されていませんがナミが「移動教室から来てない」と言っていたことから、恐らくゆには誰も教室にいない時に1番乗りで教卓の下に隠れていたのだと思われます。

一方、映画ではハルカが教室に入る寸前までゆには他の生徒たちと一緒に教室にいました。

それなのに、急に教卓の下に隠れたのを誰も気づいていないのです。

しかも、ゆにが男子生徒の前や他の生徒の席の前を横切ったりしているのに、何十人もの生徒が全員ゆにの存在に気付かないなんておかしい状況です。

そもそも、なんで始めはハルカが教室に入った時にすぐノートを見せようと思っていたのに、急に教卓の下に隠れようと思ったのでしょうか…その気持ちの変化がよく分かりません。

そしてよく分からないといえば、ゆにがハルカの裾を引っ張るシーン(3枚目)。

なぜここでゆには目を閉じているのかが個人的によく分かりません。

ドキドキして見ていられない!みたいにギュッとつぶっているのではなく普通に閉じているのです。

普通ならこういう時は目を開けているのが自然だと思うのですが…

ちなみに原作を忠実に再現している、とかではありません。(原作はゆにの手しか写っていません)

そして、ノートの「私は先生が大嫌いで大好き!どうすればいい?」という文字をみてハルカは無意識にキスしてしまう。

…で、キャーとなるとは考えづらいです…

先ほど述べたように、原作もゆにとハルカはあっさり付き合うのですが、教卓キスをするのは2人が付き合い始めた後(第2話)です。

そもそも、前回も書いたように「大嫌いと大好き、両方あるのが本物の恋なんだ」は映画のスタッフが勝手に考えた名言であり、この「私は先生が大嫌いで大好き」も原作でゆにがノートに書いた言葉とは全く異なります。

原作では一度付き合い始めるものの、ハルカに自分の好きなところを聞かれてとっさに「顔です」と答えたゆにはハルカに他の生徒と同じだなと言われ、なかったことにしようと言われます。

しかし、ゆにが体育で足を痛めた際、ハルカがこっそり湿布をロッカーに入れていたことを知ったゆには、自分はハルカの優しい所が好きなんだと気付き、ノートでそれを伝えようと決意します。

その際ノートに書いた言葉は「シップをありがとうございました。そういう風に優しい先生を私は知っています。だから恋をしたんです。」。

そして、それを見たハルカは教卓の下でゆににキスをする…という流れです。

今までのように映画よりずっとまともだ、とまでは言えませんが(原作は原作で結構急な展開です)、一応一度は付き合う事になっていたので一度冷めた気持ちがまた戻ってここでキスをするというのはまあ分からなくもない気がします。

一方、映画ではゆにがノートを見せる時までハルカはゆにに対して好意を抱いていませんでした。

それなのに、ゆにのノートを見たら急に好きになってキスをする…というのは結構無理がある気がします。

原作最大の問題点を改善することなく、そのままやってしまった…というのが本当に残念です。

あれだけ原作はポップで現実味がないって言っておきながら、そんな原作最大の問題点に関しては放置…無責任すぎます。





いよいよ美麗が登場し、その場面を見られます。

ここで教卓キスの場面は終わり。

そしてここで出てくる疑問が「この後ゆにはいつ出てきたの?」

原作(第2話)では教卓キスの場面は第2話のラストで、ここで第2話が終わり、第3話ではもう別の日になっています。

そのため、原作でもいつ出てきたんだとなりますが、ここで第2話は終わり、とすることで強引に解決させています。

そもそも、ハルカはゆにの行方について「枢木は早退した」と言っている上、帰りのホームルームの時間だったのでそんなにゆにが隠れている時間は長くないと思われます。

まあ、それでも決して短くはないですけどね。

一方、映画ではハルカが担任じゃないこともあり、ホームルームではなく英語の授業の時。

しかも、ゆには「トイレに行っているんじゃないか」程度で済まされています。

少なくとも授業中はずっと出るわけにはいきませんから、時間が経つにつれて生徒たちから心配されてもおかしくありません。

設定を変えるのはいいですが、ちゃんと自然な流れにしてほしいものです。








ここまででも結構ひどいのに、そんなゆにに対してハルカは「忘れてくれ」と、無責任にもほどがある発言をします。

先ほど述べたように付き合い始めてから教卓キスした原作とは逆に、映画ではこのキスの瞬間で両想いになったことになります。

もちろん、ハルカの発言が100%間違っているわけではありません、原作と違ってあくまでも教師という立場をわきまえているのですからね。

しかし、恐らくゆににとってはこれがファーストキス(原作では初恋の相手は小南でしたが予告で「初めての恋だった」と出てることから映画ではハルカが初恋の相手だと思われます)。

これが、ゆにの方からキスしてきたとかならまだ分かるのですが、ハルカの方から別に頼んでもいないのにキスしておきながら、教師としての立場をわきまえて「忘れてくれ」と言う…突然キスされたゆにの気持ちを何も考えていません。

だったら始めからするなよ…と。

どうやらこのキスは無意識でしちゃったって事になっているそうですが無理ありませんかね?

そもそも、この教卓キス自体がもう現実味のない場面、山Pがインタビューで言ってた言葉を使うと「先生と生徒の距離が近すぎる」場面なんです。

これを実写化する時点で原作のポップな世界から切り離すことはできないのです。

それなのにあたかも真面目な感じでこの場面を実写化しているから原作以上に痛さが増します。

実際、映画を観た人の中には、本編で見るまではこの教卓キスの場面は妄想シーンかと思ってた人も多かったようです。

…で、ゆにがスカートをくしゃっとするところがまたもやアップされますが、いい加減くどいと思えてきます。

もうちょっと引いてできなかったのでしょうか。








美麗とハルカが再会し、美麗が教卓キスを見てしまったことを話したうえで教師と生徒の恋愛はいけない、と話します。

登場人物の違いの時に書いたように、原作では美麗はハルカの高校時代の担任でしたが、この映画では幼馴染になっています。

恐らく、そうじゃないと美麗が教師と生徒の恋愛がいけないと言ったって、お前が言うな、となってしまうからでしょう。

原作では序盤の峰藤コウ登場と枢木虎による結婚の反対、終盤の花音の脅しの時くらいしか教師と生徒の恋愛はいけないことだと描写されている場面はほとんどなく、あとはそんなに触れられていません。

映画化するにあたって教師と生徒の恋愛が許されている、みたいな映画にしてはいけないと思ったのでしょうか…だったらこの作品を実写化する事自体間違っていますよね。

実写化するにあたって、原作のこの場面はダメ、これもダメ、教卓キスは斬新でいいけどここがいけないからこう変えよう…としている感じがすごいです。

ハルカの父親や美麗との思い出話はもう感想を書くレベルに値しません、原作の面影なんて全くありませんから。

確かに原作のハルカ父も結構ハルカに嘘をついていましたが(というよりハルカをだましていた)…

美麗はハルカに「ハルカはその生徒の事が本気で好きなんだ」と言っていましたが、正直あのノートだけでハルカがゆにを本気で好きになるとは思えません。

先ほど書いた原作の問題点をほったらかした結果、ここでもおかしなことになっています。


…というわけで、ついに教卓キスの場面になりましたが、もうメチャクチャですね。

原作でも結構おかしかったのに映画では真面目にやるからなおさらおかしくなった、つまり改悪だったのです。

本気で、近キョリ恋愛と名乗らないでほしいです。


次回は唯一原作と映画でそんなにキャラが変わっていない的場が登場します。

また、久しぶりに原作を再現した場面も出てきます。

漫画原作の実写映画なのに、「久しぶりに原作を再現した場面が出てくる」って文が出てくること自体おかしいんですけどね。


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