酒屋の小僧シリーズ

酒屋のその後。

 

 

 

 

 

 

母は元々商売を嫌っていて
父も東京で会社勤めをしていた人
 
 
 
 
二人とも酒屋を生業としていたものの
暖簾にこだわりはなかったようです。
 
 
 
 
二人は小僧が小さい頃から
「酒屋は一代限りで良いから自分の好きな道を行きなさい」と言ってくれて
 
 
 
 
 
小僧は高校を卒業して東京で一人暮らしを始めました。

 

 

 

 

最初の夏は手伝いに帰ったものの

小僧は少しづつ酒屋から遠のきました。

 

 

 

 

しかし生活費は全部酒屋から出ていました。

 

 

 

 

予備校1年・大学4年・休学2年と

 

大学最後の秋に学生結婚するまでの7年近く

生活費・学費やその他諸々

酒屋の売り上げから仕送りしてくれました。

(3歳年下の妹は短大を卒業して就職して
小僧より早く独り立ちしました。)

 

 

 

 

しかし田舎の酒屋も時代の波にのまれます。

 

 

 

小僧が大学で量販店について学んでいた頃
酒屋の売り上げは下がり始めました
 
 
 
田舎でも量販店との競争が始まったのです。
 
 

 

 

 

その後
コンビニエンスストアとの競争も始まり
赤字の月が増えました。
 
 
 
 

父はなんとかしようと思い

セブンイレブンと話しを始めます
 
 
 
セブンイレブンからの提案は
 
街道沿いに新しい店舗を構え
(酒屋は場所が良くないので)
開業資金の3000万円は融資する
 
但し、ご子息が将来後を継ぐのが条件。
というものでした。
 
 
セブンイレブンの提案を伝えた上で
父と母は小僧に「どう思う?」
と聞きました。
 
何のプレッシャーもなく
何のお願いもされませんでした。

 

 

 

 
 
小僧の米国大学院生活一年目のことです。

 

 

 

 
今これを書きながら振り返ると
両親はちょうど今の私くらいの年齢です。
 
 
 
父と母はどんな気持ちだったのか?
どんな答えを期待して私に伝えたのか?
 
 
 
外資系金融の仕事に夢中になり
何事も合理的に処理していた小僧は
 
 
 
経営判断をするかのように振舞い
これでは条件が悪すぎるからと
両親に断ることを勧め
その話しは立ち消えになりました。
 
 
 
経営面から考えれば今も答えは同じです
でも、今なら違う言い方をしたと思います。
 
 
 
 
その後も売り上げは下がり続け
小僧は酒屋に資金援助をし
 
 

父母は65歳まで頑張りました。

 
 

 

 

酒屋で育てられたこと

 

 

両親に全面的に愛されたこと
そして最後に少し資金援助できたこと
 
 
幸運だったと思います。
 
 
 
65歳で酒屋を閉めた両親は
 
 

 

数年間そこで暮らした後

その土地家屋を売り払い

 

 

 

 

小僧が海沿いに建てた家に移住し

家の手入れをしてくれています。

 

 

 

 

 

これも書きながら思い出したのですが

 

 

 

小僧がまだ小学生の頃

父母が毎日早朝テニスをしていた時

いつかテニスコートのある家に住んで欲しい

そんなことを思っていたことがありました。

 

 

 

 

今両親が住む海沿いの家の目の前には
テニスコートがあります。

(貸別荘地のテニスコートです)

 

 

 

もう80歳ですからテニスはしませんが

小僧の夢はカタチを少し変えて叶ったようです。

 

 

(おわり)

酒屋の小僧シリーズをお読みくださった方

誰かが読んでくださると思いながら書くことで自分や家族に思いを向けることができました。

本当にありがとうございます。

 

 

終わってみたら、

酒屋の小僧で全部で7つの記事を書いていました。

宜しければお読みください。

そして、あなたのストーリーも教えてください。

 

酒屋の小僧(1)

酒屋の小僧(2)

酒屋の小僧(3)

酒屋の小僧(4)

酒屋の小僧(5)

酒屋の小僧(6)

酒屋の小僧(7)

 

 

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