きなこ日和 ~キャッスルマン病あれこれ~ -4ページ目

骨折後5日め・手術前日

手術前日の朝は透析を受けることからスタート。
もはや8年程やっているので特に変わったこともなく単なる日常の風景と化しております。
午後戻って来て、遅めの昼食。
その後手術後はしばらくお風呂に入れないとの事で身体拭きをしてもらいました。(私は足が動かせないので要介助でのお風呂になりますが、その日は介助風呂の日でなかったため)
後、移動式シャンプー台で洗髪。
入院初日とか痛みで苦しんで汗だくだったので、やっとサッパリ!
夕方に浣腸もされちゃった(>_<)
トイレ行けなくて、オマルだったから恥ずかしかったよ~!
でも看護師さん達はさすがに慣れた感じで普通に対応してた。
この時程、早く治りたい!と思ったことはなかったわ。
麻酔科の先生やオペ室の看護師さんの説明メドレーを聞いたところで前日の準備イベントはほぼ終了。
後は手術前最後の食事をとって、水分補給するのみ。
ちなみに水分は、水かお茶か経口補水液を手術当日の朝5時までOKでした。(朝イチの手術だったため)
普通は500ミリリットルのペットボトル2本分の水分をとるように言われますが、私の場合透析してるのでなるべくとってね、って感じでした。
(飲水制限があるので)
あっという間に前日の一日が過ぎて、後は寝て起きたら手術だ~!
でも眠れないよね。やっぱり。

骨折後4日め・術式決定!

私の骨折は『右脛骨高原骨折』というものだそうです。
膝関節内にあり、私の場合は膝の外側が陥没していました。
陥没がわずかだと保存療法でいけるみたいですが、私は陥没が大きかったので手術適応となりました。
最初に主治医に提示されたのはプレートをボルトで止める方式でした。(ちなみに主治医は救急車で運ばれた時に対応してくれた先生。そのまま主治医になった。)
その時はまだネットで色々調べたりとかもしてなかったので、骨折の手術に対して何の知識も無く、漠然とそういうものなのかなぁといった感じでした。
手術前の検査を粛々と受けていたところ、手術2日前になって主治医より術式変更のお知らせ。
私の場合、キャッスルマン病の持病があり、かつ透析もしているので内科の先生とも色々話し合っていたようです。
その結果、私がキャッスルマン病の治療の為に投与しているアクテムラの影響で切開した傷口がきちんと塞がらない恐れがあるとの事でした。
そこでなるべく切開部分を小さくするためにワイヤーで陥没部分を引き上げてスクリューで止める方式に変更になりました。
プレートで固定するより安定感は無くなりますが、現状ではこの選択肢しかないということなので了解しました。
この病院では2日前から手術準備に入るので、変更と共に準備も開始!
後は俎の上の鯉状態です。
ドキドキ。

痛くて、怖い夜

救急車で運び込まれたのは、市内で一番大きい公立の病院。
ウチから5分くらいで着きました。(日曜の夜でクルマも少なかった)
救急車内で隊員さんに、近くのご家族に連絡して下さいと促され、40キロ程離れた市に住む妹へスマホで電話しました。
開口一番
「なに~?イラッ
と、超不機嫌そうな声。
そりゃそうだよね。
日曜の夕食後の団欒のひとときだもん。
ごめんよ。妹。
手短に事情を話し、隊員さんに代わってもらって色々説明してもらった。
私はその時あまりにも痛すぎて、電話のやり取りを聞いていなかったのですが、後々妹に聞いたところによると、この時点では隊員さん達は私のケガを軽い捻挫程度だと判断していたようで、妹にも
「病院に搬送しますが、帰りにタクシーに乗るのが大変そうなので迎えに来てやって下さい」
と言っていたらしい。
いやいや、帰るどころか即入院でしたがな。
でもまぁこれもしょうがない。私の骨折箇所、見た目には変形も内出血もしてなくてホントに何でもない感じだったし。
運び込まれた救命科でも最初の扱いは雜だったしなー(>_<)
レントゲンやら何やら撮って、骨折が判明してから心なしか優しくなったような気がする。それまではただの大げさな人扱いだった。
救命科で採血やら色々して、痛みに耐えながらぼーっとしていると、整形外科の先生がやって来て、
「骨折してます。手術です。今夜から入院してください。」
と、告げられました。
えー⁉入院?
なにー!?手術?
ひとりパニクっていると、いつの間にか到着していた妹が既に話しを聞いていたようで
「だってさー。お姉ちゃん」
と、軽い一言。
その後、救命の病棟に移動になり、灯りの消えた廊下をベッドごとガラガラと押されて行きました。
ただでさえ不安な気持ちなのに初めて来た病院の、真っ暗な廊下を運ばれているときは、まさしくホラー映画のワンシーンみたいで恐怖心でいっぱいでした。
運ばれて行った病室も4人部屋なのに私ひとりの個室状態。
看護師さん達に、手早く血栓防止用の医療用ストッキングを履かされ、骨折した足を牽引するための砂袋がセットされました。
痛み止め用のカロナールを飲み、やっと落ち着いた雰囲気に。
(しかしこの痛み止め、全然効かないのだ!)
妹は私の自宅に取り急ぎ必要なものを取りに行ってくれた後、ひとまず帰宅。
ひとり残された私はちょびっと恐怖を感じながらも、それもひとときの事で以降は絶え間ない激痛との戦いでした。
最終的に痛み止めの点滴を打ってもらってやっと2時間程眠る事ができました。
昔受けた、腎生検の日の夜と同じくらい眠れない夜だった気がします。
とにかく長い長い夜でした。