明日は敬老の日ですね。

 

自分が花好きのせいか、敬老の日のプレゼントは以前から鉢植えに決めています。

 

今年は、りんどうの花の寄せ植え。

 

 

りんどうは、漢字で書くと、竜胆となります。

 

難読文字ですね。

 

「りゅうたん」のほうが普通だと思いますが、漢方薬としては「りゅうたん」と読みます。

 

もともとりんどうの根は、漢方薬として用いられてきた歴史があります。

 

効能は、頭痛、眼疾患、黄疸、下痢、熱性痙攣、皮膚疾患などとされています。

 

ですが、非常に苦いので、「竜の肝」のように被害ということで、竜胆となったそうです。

 

漢字にするといかめしいりんどうですが、いかにも秋の花がする、清楚な花だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伝統というものは血のつながりであり、生命の継承だと思う。自分という人間はお父さんとお母さんの二人から生まれたものだ。お父さんにも似ているし、お母さんにも似ている。しかしお父さんでもなければ、お母さんでもない。結局新しい生命だ。新しい生命がその時代に戦って作り上げられるものが伝統なんだ。

 

加藤唐九郎(かとうとうくろう・愛知県瀬戸市生まれ。32歳のときに作った志野茶碗が大茶人・益田鈍翁の目に止まり、絶賛を受ける。その後、陶祖・藤四郎を否定したとの理由で排斥運動が起こる。贋作だったとされる「永仁の壺」事件は、いまも謎が多く残っている)

 

 

 

加藤唐九郎という人は、はっきり物事を言う性格だったせいか、毀誉褒貶の激しかった人物です。

俗物っぽい言い方もされるのですが、わたしとしてはかえってその人間臭さのせいで魅力的に感じます。

芸術家だからといって仙人ぶる必要はないと思います。

 

さて、冒頭の言葉ですが、陶芸という伝統で凝り固まっているような世界の人の発言であるところが、まず興味深いです。

伝統は、両親といってもいいでしょう。

子供が親に似るのは、これは必然だけれども、まったく同じ(模倣)ではない。似ているけれども、本人が戦って作り上げたものが、伝統に根差したうえでのオリジナリティだ、と言っているのだと思いました。

 

伝統や基礎というのはけっして否定できないし、それらをきっちり把握していなければ、土台の不安定な家のようになってしまいます。

しかし、伝統や基礎だけで、傑作が生まれるかというとそうではありません。

伝統や基礎をしっかり身につけたうえで、オリジナリティを出そうともがき続けた結果が傑作につながるのだと、思っています。

 

 

 

You want  a good life? It' not complicate. Tell the girl you love that you  love her. And tell the truth to everyone whenever you can.

 

(いい暮らしがしたいって? そいつは簡単だ。愛する女に愛してると言う。そして、誰にもできる限り真実を口にすることだ)

 

~ イエスタデイ(2018年)


 

 

映画「イエスタデイ」は何かの拍子に時間の軸が狂って、この世の中にビートルズの存在がなくなってしまうというものものです。

もちろん名曲「イエスタデイ」も存在せず、偶然、この曲をつま弾いた主人公は「天才だ」と称賛され、世界的なスターになる、という筋書きです。

その中で、一般人のままのジョン・レノンが口にしたのが冒頭のセリフです。

ジョン・レノンに扮したのはロバート・カーライルという名優なのですが、あまりに似ているので驚きの声が上がりました。

このジョンのセリフを聞いて、主人公はある重大な決断をしたキーワードとなっています。

まるで本物のジョンが言ったかのようなこのセリフは、簡単なようでいて、難しいこと。

でも難しいから、やらなければならない事なのだと思います。

 

イエスタデイ予告編

 

 

 

 

 

Watch the birdie.

(チーズ!)

 

~トップガン(1986年)

 

 

写真を撮るときに「チーズ」と声を掛けますが、これは英語から来た表現そのもので、英語でも Say cheese ! です。

声を出して「チーズ」というと笑ったような表情になるからです。

冒頭の表現は、主人公マーベリックが、敵機ミグ28に遭遇したとき、ギリギリまで寄って、写真を撮ったときに掛けた言葉です。

これは知っていたのですが、トップガンを観たとき、冒頭の表現は知らず、なんのことだろう、と思っていました。

 

birdie は bird の子ども言葉で、「小鳥さん」といったところです。

幼児の写真を撮る際に、幼児の目線をこちらに向けようと、カメラマンが小鳥の人形を持ったことに起因するそうです。

 

七五三のときに、カメラマンが音のなる人形を鳴らしながら、「人形のほうを見て」と言っていたのを思い出しました。

 

a ではなく、the が使われているのも、いまここにあるこの鳥を見て、という感覚なのでしょう。

 

ところで、公開延期になってしまいましたが、トップガン2は楽しみです。

マーベリックはどんな感じになっているのでしょうね。

 

あとYOUTUBEで面白い映像を見つけました。

この映像を観れば、この表現は忘れることがないでしょう。

 

TOP GUN

 

 

Watch the birdie

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学問の上で間違った説があった場合、たとえそれが恩師の説であったとしても、後から訂正するのは当然のことである。しかし、批判するにもルールがある。すでに他界してしまった人は、いくら批判しても反論できない立場にある。その点を十分注意して批判するべきである。(深沢秋男意訳)

 

(井関隆子・幕末の旗本の婦人。当時の世相を著した詳細な日記を遺した)

 

 

著名人の不用意な言動についての昨今の世論は、かつてなかったほど厳しくなっていると思います。

何かをしでかした著名人についてよく知らない人、あるいは、その著名人の言動自体をよく知らなくても、意見を求められると、何か答えなくてはいけないと思い、つい反動的なことを口にしてしまう人も多いように思えます。

よく指摘があるように、インターネット上での無記名による書き込みは、いきおい攻撃的な中傷誹謗へと繋がりがちです。

著名人への攻撃を「有名税」として割り切るには、このところの状況は異常としか思えません。

著名人は死者ではないのだから、反論もできるのですが、実際のところなかなか発言しにくいのも事実です。

「罪のない者だけが石を投げよ」といったら道徳的すぎるかもしれませんが、理性的な批判ではく、罵詈雑言は、たとえ相手が誰であれ、するべきではない、とわたしは考えています。