書き出しは一番楽しい部分です。

もしここでつまづいているようだったら、何かが間違っています。

何回かしっくりくるまで書き直してみることも必要です。

 

起承転結の起の部分ですから、どこまで引っ張るか考えなくてはいけません。

書き出しがあまりに長くなってしまうと、当然のごとく全体もかなり長いものとなります。

とりあえず長く書いてもいいのですが、後で大幅に削るのがうまく書く秘訣です。

あまりに長いと言いたいことがぼやけてしまうからです。

 

書き出しは幼少期や学生時代の記述になる場合が多いと思います。強く記憶に残っていることから書き始めましょう。

古いもの順に時系列通りに書いて、カットバックは用いないようにしたほうがいいと思います。

 

人が羨むような内容なら極力謙虚に、逆に悲惨な内容なら明るく書いて、読者に不快感を与えないようにしましょう。

 

 

 

うちの両親は教育ママや教育パパではなかったのだが、なぜだかお茶の水大学付属小学校を受験させられた。

今はどうだか分からないのだが、当時はほとんどの受験生が合格する簡単な筆記試験があり、最後はくじ引きで合格者が決められたような気がする。あるいは、最初からくじ引きだったかもしれない。

お茶の水大学付属小学校は茗荷谷にあるので、当時だと国際興業バスで池袋まで出て、そこから丸の内線に乗り換えなければならなかった。

これはとても面倒だ。

わたしは不合格だったのだが、とてもほっとした。

その結果、区立高松小学校に入学することになる。

初登校の日、男と女の人の顔が書いてある紙を配られ、

「このふたりの絵に眼鏡を書き加えてみましょう」

と言われた。

お茶の水大学付属小学校でのテストの内容は全く覚えていないのだが、高松小学校で指示されたこの内容は、はっきり覚えている。

子供心にこれは、

「反社会性を見ているのではないか」

と思った。

いずれにせよ、馬鹿にされているような気持ちになった。

小学一年でこんな見方をしていたのだから、その頃から天邪鬼の萌芽は芽生えていたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

オーストラリア出身のエミリー・ブラウニングは不思議な雰囲気をまとった女優です。

スマッシュヒットした映画に恵まれていないので、日本での知名度は低いかもしれませんが、ホラー映画「ゴーストシップ」で少女の幽霊役を演じた女優だと言うと分かる人もいるかもしれません。

そのエミリーが主役を演じたのが「ゴッドヘルプザガール」(2014.イギリス)です。

「ベル&セバスチャン」というこれまたあまり日本では知られていないイギリスのバンドのボーカリストであるスチュアート・マードックが監督・脚本を手掛けています。

 

主な登場人物は女性ふたりと男性ひとり。

恋の駆け引きの展開を予想しますが、登場人物たちは不思議な距離感を保ったまま映画は進みます。

主演男優のオリ・アレクサンドルはゲイであることをカミングアウトしていますが、この辺りキャスティングも面白いところです。

挿入される楽曲はベル&セバスチャンのものですが、実際に主要人物の三人が歌っています。

オリは後にエルトンジョンとジョイントしたこともある本職であるから当然として、エミリーともうひとりのハンナ・マリ―の歌唱も見事です。

 

ノスタルジックな感じのするベル&セバスチャンの曲調とエミリーのオールディーズっぽいファッションがベストマッチして、とびきりおしゃれな映画になっています。

 

すっぴんに近いような場面やかなり濃い目の化粧もあり、エミリーはとびきり可愛く見えたり、そうでもなかったりします。

この映画の成功の鍵はエミリーの可愛さに掛かっているはずなのですが、監督は揺れ動く少女の内面を描くために、敢えてマイナスになるような場面も描いたのだと思います。

 

全体を通すと中途半端な印象が残る映画です。

ですが、この中途半端さがベル&セバスチャンであり、スチュアート・マードック監督なのでしょう。

中途半端な印象が残るとしても、とびきりおしゃれでポップな映画だと思います。

Amazonプライム会員の方はぜひご覧になってください。

 

予告編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、これまでで準備は整いました。

いよいよ船出です。

書き始めていきましょう。

 

書き出しに当たってひとつ考えなくてはいけないのが人称です。

 

私は東京都新宿区で生まれた。

 

と、書くのか、

 

木村忠啓は東京都新宿区で生まれた。

 

と書くのか、ということです。

 

小説創作においては結構大きな問題なのですが、自分史においてはどちらでもいいように思います。

 

自伝を読むとたいがいは、「わたしは~」と書かれています。

しかし、自伝と自分史はちょっと違うかな、と思っています。

 

私は、と書くと主観的に、木村忠啓は、と書くと客観的に書くのが容易になると思います。

少し書き始めてしっくり来るほうを選べばいいでしょう。

 

 

人称が決まったら、起承転結に従って書いていきます。

カットバックは使わず、時系列的に書いたほうがいいと思います。

まずは幼いころの思い出を書いていきましょう。

当時聴いていた音楽だとかテレビ番組なども書くといいでしょう。

 

さわりの部分を自分でも書いてみます。

 

わたしは新宿区で生まれた。

新宿といっても中落合なので、限りなく豊島区に寄った土地だ。

聖母病院といってなぜかキリスト教の病院だった。

当然、そのころの記憶はない。

最初の記憶は幼稚園時代まで飛ぶ。

通っていたのは忠信幼稚園と言って池袋にある幼稚園だった。

国際興業バスで通っていたように記憶している。

いや、バスで通ったのは数回で送迎してもらっていたのかもしれない。

はなはだあやふやな記憶だけれども、初めてバスに乗る際に、とても緊張したのは覚えている。

調べてみると、忠信幼稚園は岩倉具視の娘が創立した幼稚園だそうだ。

地元ではけっこう名門幼稚園らしく、親の期待が込められていたんだなあ、と改めて感じた。

 

 

 

小説の新人賞応募作を読んでいると、カットバックの使用率がかなり高い印象を受けます。

小説においてカットバックシーンを挿入すると、内容がごちゃごちゃして分かりにくくなるため、難易度の高い技法なのですが、好んで使いたがる人が多いことに驚きすら感じます。

 

カットバックシーンの挿入は、映画やテレビの影響が大きいのだと思います。

映像ではカットバックは親和性が高く、比較的、容易に使用できるようです。

 

先日、映画「We live in time  今この時を生きて」を観ました。

この映画はカットバックの連続によって成り立っている作品です。

 

チラシを見ると、

「喜びのひと時、悲しみの瞬間が、時間軸をシャッフルしながら描かれていく」とあります。

 

シャッフル!

つまり、過去に起こったできごとが時系列的に並んでいないのです。

たとえば、昨年の3月のできごとが語られたあとに、おととしの12月、その次は昨年の7月みたいにバラバラに並べられているのです。

これはわかりづらいです。

 

ですが、カットバックを好む観客がいるのも事実で、レビューを読んでいると、次第に明らかになっていく過程がいい、などという評価もあります。

 

内容が多少分からなくても映画はどんどん進んでいきます。

観客は受動的でいい、という点がカットバックと映画の親和性に影響しているのだと思います。

 

いっぽう、小説の読者は能動的でなければならないので、分からないシーンの登場はとても引っかかるものです。

 

映画やテレビ的な感覚を小説に持ち込んでカットバックを用いると、途端に小説は混迷します。

 

さて、この映画「We live in time」ですが、不思議女優フローレンス・ピューを主役に迎えての恋愛映画です。

深刻な話もウエットにせず、どちらかというと淡々と描いています。

カットバックは観客との間に距離を置く効果があるのかもしれません。

 

ラストもあっさりとしていて、観終わったあとになんとも不思議な気持ちになりました。

好き嫌いが分かれる映画ではないでしょうか?

 

 

We live in time 公式サイト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで用意ができたら、書き始めたいところですが、その前に最後チェックです。

 

小説で起承転結だとか、破序急と言われるストーリー構成を考える必要があるのです。

最初に表を作った時に記述の多い年が最も色々あった年だと述べました。

つまり記述の多かった年が山場になってきます。

起承転結でいえば、転の項に書くわけです。その次の結は現在の自分の立場や考えを書きます。

後半はこれで決まりです。

 

前半の起の項は、やはり生まれ育った幼少期から青年期の記述です。

承の項がちょっと難しいのですが、転の項が生きるように少し低迷期の記述がいいように思います。

 

自分史は頑張った自分に対するご褒美です。

自分で自分の書いたものを読み返して、

「俺もなかなか頑張ったな」

と自己満足できる作品がいいのです。

 

その「頑張った感」を生み出すのが、この承の部分なのです。承で起こったさまざまな問題を転で解決します。

 

逆に言えば、承で多くの問題を提示しないと、その後の部分を読んでも感動できません。努力して障害を乗り越えた時のカタルシスが得られないのです。

 

 

それらの構想が決まったら、それぞれの章に見出しを付けます。

 

具体的に言うと、

 

第一章 乱暴者と呼ばれて

第二章 暗闇に落とした鍵

第三章 偶然の邂逅

第四章 明日を信じて

 

みたいな感じでしょうか。

 

見出しを見ただけでなんとなくストーリーが浮かんできませんか?

推理小説などでストーリーが分かりやすい見出しを付けてしまってはいけませんが、自分史ではオーケーです。

 

ここまでで準備段階は終わりです。

次はいよいよ本文を書いていきましょう。

 

 

 

 

 

 

年表ができあがったら、すぐにでも書き始めたくなる気持ちが起こるかもしれませんが、実際に書くのはまだ早すぎます。

 

次に行う作業は、年表に書いた音楽なり、本なり、旅行の写真などを引っ張り出すことです。

頭の中に描いているイメージと実際はけっこう違うことが多いもの。

 

引っ張り出してきたら、もう一回、その音楽を聴いたり、本を読んだり、写真を整理するなりしてみてください。

 

 

もう一回、映画を観ていたら一日掛かりになってしまった、というのでもだいじょうぶ。

なにせ、漠然と映画を観ているわけではなく、自分探しの旅の一環なのですから。

お酒好きな人だったらビール、飲めない人ならコーヒーでも飲みながら、ゆったりとした気持ちで過去に感動した事柄をもう一回味わいましょう。

何か新しい発見があるかもしれません。

 

 

CDやレコードジャケット、あるいは映画のパンフレットなども用意しましょう。

なければ、ネットから取り込んでください。

これらの資料はあとで自分史を書く際に使用します。

 

 

 

 

 

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自分史を書き始める前の作業があります。

 

まずエクセルで表を作りましょう。

 

一番左から順に西暦、年号、自分の年齢を書きます。

その左には、履歴書的なできごと、たとえば、幼稚園に入っただとか、中学校を卒業したということを書きます。

その隣は、もっとパーソナルなことです。

失恋したとか、スキーを始めたとか、初めて車を買ったなどということを書きます。

さらにその隣は、社会的なできごとです。

ベルリンの壁が崩壊したとか、愛知万博が開催されたとか。

さらに趣味の列を作るのも面白いでしょう。

スポーツ好きな人だったら、その年に活躍した選手、オリンピックの開催地などもいいですね。

あるいは、流行っていた歌だとか、読んだ本などというのも書けそうです。

項目がいくらあってもいいので、好きなだけ書いていくといいと思います。

結構、楽しい作業ではないでしょうか。

 

タテは時系列となりますが、一年に何個の書き込みがあっていいのです。

思いつくままに書いてください。

 

こうして書いていくと、書き込みが何行にもわたる年と、少ない書き込みで終わってしまう年が出てきます。

もちろん、書き込みの多い年が動きの激しかった年となります。

自分史はその書き込みの多い年の記述が中心になっていきます。

 

またヨコですが、書いていて楽しいと思える趣味の項目があると思います。

先ほどの例では、スポーツや音楽、本でしたが、

映画だったり、旅行記録かもしれません。

その中で一番楽しかった趣味とパーソナル列の記述を2本の軸として書いていくのです。

 

たとえば、歌を軸にするんだったら、あんな曲が流行っていた年に高校を卒業したんだったなとか、失恋した年にこんな曲が掛かってたなとか、自分に起こった出来事に歌を絡めていくのです。

 

でも、この段階では表を作り、イメージを膨らませるだけでOK。

実際に書き始めるのは、まだ先です。

 

ぜひ、楽しみながら、この作業をしてみてください。


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公募で受賞を目指す人やプロ作家の中には書くという作業をしんどく思ってしまう人もいます。

ですが、本来、書くという行為は楽しいものです。


なぜ楽しくなくなるかというと、認められなくてはいけない、売れなくてはいけない、と考えるからです。


考え方を変えて、自分のために書いてみたら楽しそうだとは思いませんか?


自分のために何を書くか、といったら、自分史なんてどうでしょう?


伝記などといったら、少し大袈裟になるので、カジュアルに自分史です。

自分のために書くのですから、うまく書く必要はありません。

堅苦しく考えず、書きやすいところから始めればいいんです。


ちょっとこのテーマで話してみようと思います。







マジシャン・上口龍生さんのライフワークのひとつに過去のマジックの伝承があります。

日本古来の手妻や海外のターベルシステムがその例となります。

 

 

ハーラン・ターベル(1890~1960)というマジシャンが1926年に「ターベルコースインマジック」という本を出版しました。この本は1000種類にも及ぶマジックを紹介したマジックの百科事典のような存在ですが、この本の出版の前にターベル氏は60回に分割されたターベルシステムというマジックの通信教育を行っていたのです。

 

つまり、ターベルシステムは初心者がマジックを順を追って学べるように工夫されているのに対し、ターベルコースのほうは字引的な要素で編集されたということです。

龍生さんは、この順序が大事としてターベルシステムにこだわっています。

 

ターベルシステムの特長は、単に技術的な解説だけでなく、マジックの歴史やマジシャンの心構えなどにも言及しているところです。

 

今、手もとに「レッスン30 マジックでお金を儲けること」というセクションのレジメがあります。

マジックだけでなく、小説の書き方やビジネス作法としても納得できる内容です。

 

一言も喋らなかったとしてもあなたを偉大に感じさせることはできます。リアルな知識に基づく本物の自信を自分の周りに漂わせるだけでいいのです。

黙っていれば~な人っていると思います。

 

成功する芸人は、その心持ちをその場に応じて適応させる偉大な能力があります。

観客が何を楽しむかを理解しそれを研究するのはあなた自身なのです。観客の好きなもの、興味を持っているものを学び、楽しませて、彼らの人生そのものに入り込むのです。

演技を行うにあたり10ドルなのか、100ドルを得るのかどうかは、これらを行える、その能力に大いに関係しているのです。

自分の好きなものを書く。分かってくれる人だけ分かってくれればいい、というのではマーケットは広がりませんね。

 

 

観客の感情を刺激して、それから緩和して、それからまた刺激するのです。

ホラー映画でよくあるやつですね。小説にも活かせそうです。

 

一般人に演技を悟られるようなタイトルを付けてはなりません。

これはどうでしょう? 小説の場合はタイトルが内容を端的に表している場合とタイトルだけでは何だか分からない2種類に分かれると思います。どちらがいいのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

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あまり知られていないかもしれないのですが、直木賞はハードカバーで出版された本を対象とする賞です。

つまり文庫書下ろし小説は対象外なのです。

同じような時代小説でも初めハードカバーで出版され、のちに文庫化された小説は受賞の可能性がありますが、最初から文庫で売り出された小説が選出される可能性はゼロということです。

出版の形態と内容には関係がないのではないか、と思いますが、いかがでしょうか?

 

直木賞・芥川賞受賞作一覧

 

というサイトがあります。

非常に興味深いサイトです。

このサイトによると、直木賞を受賞すると6万部から8万部くらい売れ行きが伸びていることがわかります。

文庫化された作品を調べてみると「地図と拳」という作品がありました。

受賞当時のハードカバーの価格は2,420円。文庫価格は913円。

先ほどのサイトを見ると、受賞後7万部アップとあります。

ハードカバーだと2,420×70,000=1億6940万円。

文庫本だと913×70,000=6千391万円。

実に1億円以上の差があるわけです。

この辺の事情があるのだなあ、と思います。

 

 

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