書くことが仕事なので、読むものも多くなります。

でも、自由に読みたいものを読んでいるかというとまったくそんなことはありません。小説にかかわる資料読みが多く、読むものが偏ってしまいがちです。

いわゆる「積読」が溜まっていくばかりです。

寝る前に少しずつ読もうと思って枕の横に本を置いていたら、ベッドの壁側は本で埋まってしまいました。

これではいけないと思い、斜め読みでもいいから集中して読むことにしました。

斜め読みだけだと右から左へ抜けてしまうので、感銘を受けた部分を抜粋してみます。感想を入れたり、要約しようとすると、続かないような気がするので、多くの場合、抜粋のみに留めます。

 

まずは、

 

【「ゾーン」はここだ!】セルバ出版 (2009/10/15)

マイケル・ラーデン著 美甘章子・小倉智子翻訳 

 

ひと言:川上哲治氏は「調子がいい時にはボールが止まって見えた」と語っていたが、これが著者の主張する「ゾーン」に入った     状態である。スポーツで最高のプレーが行われた時の脳の状態を日常に生活に応用できないかという点について考察を加えている。自己啓発本とは一線を画す内容。

 

(以下抜粋)

 

簡単にいえば、ゾーンとは、思考と行動が完全に調和している精神状態のことである。

何かに深く夢中になっているとき、脳の働きは考える部分である大脳皮質を素通りし、原始的で反射的なレベルで実際に動いている。もし能動的に思考する脳(大脳皮質)が静かにしていれば、より早く効果的に反応(あるいは働く)することができ、経験上の時間の感覚を縮めることができる。

 

自分にとって何が正しいのかを心の中で分かっているのは自分だけであり、夢を信頼すること恐れに打ち勝つ勇気をもたらせてくれたのである。

 

私たちは夢から情報を得るだけでなく、偽りのない人生を送るための必要な力も得ているということである。

夢の世界との関係を築きあげると、自己と心と魂が結合するより深い部分との関係も築く。夢が私たちを方向づけひらめきを与え、自己実現に向かわせてくれるのである。

 

もし目標に辿り着くまでの道が見えて、それに必須な変数がコントロール可能であるなら、決して目標達成する能力を疑いはしなかったのだ。エリックは他人からの賞賛ではなく、自分の努力のみで自己を評価した。

 

多くの人たちにとって、決意を動力にする過程というのは容易なことではない。よくある障害の1つは、私たちは求める目標を美化してしまい、ゴールだけを見てその全体の過程を見ないことである。

 

能力が発揮されるのを邪魔するものは、意識のし過ぎなのである。

 

人生はたった10%が「何が自分に起こるか」であり、90%は「それにどう反応するか」ということだと認識することである。

どうにもならない出来事に影響されて自分を評価するのであれば、自信を傷つけるだけだ。人間の自信というものは本質的に非常に脆く壊れやすいものである。

もしどうにもならない要因とどうにかなる要因の両方が組み合わさって経験が成り立つということがわかれば、自信が付いていく機会が最大に増え、否定的な思考や感情に貴重なエネルギーを消費しないですむだろう。

 

つまり我々はどうにかなることに焦点を置くべきであり、どうにもならないことに心が駆られないようにしなければならない。

この能力を伸ばすためには、目標を選び、どの要因は自分の力で左右でき、どの要因が自分の力では左右できないものかをはっきりさせることから始める。

 

「結果」に注意を払いすぎず、やっていることの「過程」そのものにより注意を向けることで結局は結果が良くなることに気づく。

 

元来大事だったものを気にかけるようにする努力をし、一番楽しかったときに何が一番重要だったかに気づいてみよう。

複雑になってしまったものをもう一度単純なものに戻そう。比喩で表現すると、木を見ていても森があることを意識しよう。

他の誰も喜ばすことができなかったとしても、自分だけは絶対に喜ばせないといけないということを忘れてはいけない。

べス・ハイデン・リードのように。動機を単純なままにしておくことは宇宙工学ほど難しいことでも何でもない。答えは常に心が知っている。

だが、自分の純粋な動機を知るための道のりの間は、常にしっかりと地に足をつけて歩かなければならない。

 

目標が高ければ高いほど、動機はより純粋なものでなければならない。

 

神を信じようと信じまいと、生命の力を理解できる者なら信念の力を利用できる。

 

一番抵抗の少ない道を選んではいけない。その道は転機を導かないし、人生を変えることはないだろう。変化がなければ人生は平凡であり、貴重な時間を無駄にしながら自分では何も成し遂げることなしに、他人の成功等を見て娯楽を得るだけの人生になってしまうことが多い。

大地をしっかり踏みしめながら夢を見ること、そして近道はないことを理解することである。

 

ゾーンを見つけるために遠く幅広く探る必要なないのである。既に自分の中にあるものを抱擁することである。情熱をもたらせてくれる物事に一生懸命取り組めば取り組むほど、人生の経験は豊かなものになる。

 

 

 

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Cludia,she staightend me up.

Cleard me of drinking wiskey and all.

(クラウディアが俺を真人間にしてくれた。酒もやめさせた)

1992年「許されざる者」

 

「許されざる者」は、テレビ番組の西部劇「ローハイド」で頭角を現し、マカロニウエスタンと呼ばれた「荒野の用心棒」「夕日のガンマン」「続・夕日のガンマン」三部作でスターとなったクリント・イーストウッドが自ら監督、主演した映画です。

マカロニウエスタンはアンチ西部劇ともいえます。西部劇は日本で言えば水戸黄門のような勧善懲悪がストーリーの基本となっていますが、マカロニウエスタンはアウトローが主人公になることが多く、強いが悪い奴という設定もあったように思います。

クリントは「ダーティーハリー」でもはみ出し刑事を演じています。

そのせいなのかどうか、クリントが監督した映画はどこかみな反骨精神がにじみ出ているように思います。

「許されざる者」はその真骨頂ともいえる映画です。

多彩な人物が強烈な個性を持って登場します。

ジーン・ハックマン演じる保安官は街の治安を守るためには手段を選びません。

イングリッシュボブ(リチャード・ハリス)は紳士然としてみえるが、卑怯者。

ネッド(モーガン・フリーマン)は昔は悪かったけど、今は人の好さそうなおじさん。

クリントが演じるマーニーも自分の中の極悪人を封印していたのですが、ネッドを殺されたことにより、悪人が覚醒してしまいます。

誰が悪人で、誰が正義なのか、混とんとしたなか、物語は進みます。

結局のところ、自分が正義だと信じ、自分の正義を振り回す保安官が一番の悪人だとクリントは言いたかったのではないか、と思います。

 

さて、冒頭の文句ですが、短いけれど難しい表現です。

straight なら誰でもまっすぐと分かるけれど、語尾に-enが付くと途端に難しくなります。まっすぐにする、整頓する、正道に戻すの意味です。

次にof ~V(動詞)ingですが、同格と呼ばれる使い方に似ています。

He gave up a habit of drinking wiskey and all.(彼は酒をやめた)

 

このような同格の使い方が有名ですが、ここは目的格(~を)のof ~Vingととらえるべきです。

そうすると、drinkingをclearさせたと意味が通るようになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年のマイベストBOOK NO.1に輝いた「なぜ時代劇は滅びるのか」(春日太一)をテキストに時代小説の未来について一考察を加えてみたいと思います。

 

「なぜ時代劇は滅びるのか」を読むと、なぜ、いまテレビでは時代劇が放映されていないのかがよくわかります。

 

印象に残ったまま内容を書き連ねてみると、

 

映画では金がかかりすぎる時代劇が敬遠されるようになった。

映画からあふれたキャスト・スタッフがテレビに流れるようになった。

一流のメンバーで造るテレビ時代劇は製作費が安くてもそれなりのものになり、視聴率も取れた。

視聴率がいいので、どんどんテレビ時代劇が造られた。

そのうち、質が著しく下がっていった。

ステレオタイプの人物像、ワンパターンのストーリーとなった。

若い人は離れていったが保守的な高齢層の視聴者は残ったので、相変わらず視聴率は悪くなかった。

スポンサーが求める視聴者の年齢層と実際に観ている視聴者の年齢層に食い違いが出てきた。

スポンサー離れが起きる。

スポンサーがいなければ番組も制作できない。

 

これが時代劇が滅びた構図だと言うのです。

まさしくその通りだと思います。

 

小説は読者がスポンサーなので、テレビ番組とは違います。

ですが、ワンパターン化している点はテレビ番組と同じです。

ただワンパターン化していても書く作家が違うので、シチュエーションも異なり、テレビ番組ほど極端にならないだけです。

 

年齢が上がると概して人は保守的になります。

時代小説の読者の中心層は60代、70代だと言われています。

従って、あまり新しい試みは歓迎されないのです。

 

時代小説には、ほどよいマンネリ感、ほどよいステレオタイプ感が歓迎される傾向があります。

柳の下に二匹のどじょうはいない、と言われますが、時代小説においては二匹どころか三匹も四匹もいるようです。

 

ただ人は誰も年を取ります。

抜けていく人もでてきます。

その分、同じくらいの人数が下からエスカレートしてくれるかというと疑問が残ります。

今は保守的であっても、この先ずっといまのまま保守的であっていいという保証はないのです。

 

保守派の枠内に入りながらも変化を見せるというバランス感覚がいまの時代劇には求められています。

 

 

 

 

 

 

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たいそうなタイトルですが、2025年はあまり映画を観なかったのか、ベスト3を挙げようとしたら、相応しい作品が見当たらなかったので、これまで自分が観た映画のベスト5の映画をご紹介します。

芸術作品は1本もなく、みな娯楽映画です。

自分の思ういい映画とは何回も観たくなる映画であり、下記にご紹介した作品も観た回数が多い順と言えます。

 

BEST5 コクーン2/遥かなる地球 (1988年・アメリカ)

監督:ダニエル・ペトリー

主演:ドン・アメチー

   ウイルフォード・ブリムニー

   ジェシカ・タンディ

音楽:ジェームス・ホナー

 

2とついているところからも分かる通り、この映画は1985年に制作された「コクーン」の続編です。監督がロン・ハワードからダニエル・ペトリーに代わっていますが、映画のタッチはそのままなので、ロン・ハワード監督と言われても分からないと思います。興行成績が1が85億円、2が25億円なので、1のほうがはるかに成績はいいのですが、個人的にはストーリーが2のほうが好きです。1では、老人たちの身勝手さが感じられました。黙って人の家のプールに入ったり、家族を残して不老不死の星、アンタレウア星に旅立ってしまったり。残された人たちはどうなるのか、と思ってしまいました。

2ではスティーブ・グッテンバーグ演じるジャック・ボナー船長にもちゃんと救いが残された、さわやかできっちりした結末になっています。

ジェームス・ホナーの映画音楽も素晴らしいです。

ちなみに、キティ役で出演しているターナー・ウエルチは、あのジャック・ウエルチの娘です。

 

コクーン予告編

 

 

 

 
 

 

 

 

BEST4   バンコック・デンジャラス(2008年・アメリカ)

監督:オキサイド・パン、ダニー・パン

主演:ニコラス・ケイジ

   チャーリー・ヤン

音楽:ブライアン・タイラー

 

ちょっとB級っぽい匂いのする映画です。

ロン毛のニコラス・ケイジは冷酷な暗殺者というイメージではないし、アクションも手に汗にぎるというわけにはいかず、いかにも中途半端な感じがします。

ですが、その中途半端さが逆にバンコクの雑多な雰囲気と相混じって、なんとも言えないカオス感を醸し出しているのです。

ラストのシーンを含め、賛否両論(どちらかというと否の人のほうが多いかもしれませんが)ある映画だと思いますが、個人的には何回も観てしまう映画です。

チャーリー・ヤンが演じる薄幸さの漂うレインが登場する場面で掛かる「レインのテーマ」が切なくて、その音楽を聴きたくて観ているのかもしれません。

東南アジアの雑多な雰囲気が好きな方にお勧めの映画です。

 

バンコックデンジャラス予告編

 

 

 

BEST3 光の旅人 K-PAX (2001年・アメリカ)

監督:イアン・ソフトリー

出演:ケビン・スペイシー

   ジェフ・ブリッジス

音楽:エドワード・シェアマー

 

どこからともなくターミナルステーションに現れたプロート(ケビン・スペイシー)は警察の取り調べに、自分は宇宙人だと言い張ったため、精神病院に強制入院させられます。

そこで出会ったパウエル博士(ジェフ・ブリッジス)は話していくうちにプロートの知性と人間性に共感していきます。宇宙人だと思い込んでいるプロートに本当の姿を明示することこそ救いになると思った博士は必死に、その正体を探りますが……。

というのがあらすじとなります。

最初は患者と医師の立場で接していたにすぎないパウエル博士が次第にプロートに友情に近いものを感じ始めるようになるのですが、その心情の揺れ動くさまの演技が見事です。パウエル博士がプロートの正体を突き止め、かつて住んでいた家に行くシーンは何回観ても泣いてしまいます。

 

演技派のケビン・スペイシーはとても好きな俳優ですが、頂点から奈落へ転落した人です。

性被害で訴えられた時点でゲイであることをカミングアウトしたものの、その発表の仕方が悪いと炎上してさらにダメージが大きくなり、すべての役から降板となってしまったのです。現在ではすべての訴えにおいて無罪が言い渡されたものの、小規模の活動でしか再開できていません。実力がある人だけに、這い上がってきてもらいたいと思っています。

 

光の旅人 K-PAX予告編

 

 

 

BEST2 ブラックホーク・ダウン(2001年・アメリカ)

監督:リドリー・スコット

出演:ジョシュ・ハーネット

   ユアン・マクレガー

音楽:ハンス・ジマー

 

プロパガンダではないかと論争が起こった映画です。

カナダの哲学者であるジョセフ・ヒース氏は「中国のプロパンダは意図的であきらかにそれとわかるが、アメリカは無自覚で見事なプロパンダを作ることができる」と指摘しています。

 

ですがプロパガンダぬんぬんの前に優れた娯楽映画であることは確かです。この映画の魅力は自分が戦場に行ったかのように錯覚するほど臨場感あふれている点です。

 

この映画は実話に基づいています。

その中で最も印象に残ったのは次の場面です。

 

相手の攻撃を受けてヘリコプターのブラックホークは敵地の真ん中に墜落します。たちまちパイロットは何百人にもの民兵に取り込まれてしまいます。アメリカ軍はパイロットを救出に向かいますが民兵の強い抵抗を受けてなかなか現地にたどり着けません。空からたったふたりでパイロットを救出するため向かったのはランディ・シュガート氏とゲイリー・ゴードン氏。ほかの味方の到着はしばらく見込めず、決死隊です。事実は残酷で、ふたりとも戦死してしまうことになります。

この描写を観て自分だったらどういう態度を取るのだろう、と考えさせらました。

 

またヘリコプターのプロペラの音、自動小銃の発射音までも音楽に組み込んでしまったかのようなハンス・ジマー映画音楽も素晴らしく、何回観ても新鮮な発見がある映画です。

 

ブラックホーク・ダウン予告編

 

 

 

 

ブラック・レイン(1989年・アメリカ・日本)

監督:リドリー・スコット

出演:マイケル・ダグラス

   アンディ・ガルシア

   ケイト・キャプショー

   高倉健

   松田優作

音楽:ハンス・ジマー

 

もう何回観たか分からない映画です。

キャスティングが完璧で、不良刑事役のマイケルダグラス、陽気なヤンキー刑事のアンディガルシア、まじめ一辺倒刑事の高倉健、ニュージェネレーションやくざの松田優作、なぞのホステスケイトキャプショーと誰一人はずれがいません。

他にも若山富三郎、内田裕也、ガッツ石松、安岡力也とやくざの面々もかなりすごいものがあります。

末期癌に犯されながらも鬼気迫る演技をみせた松田優作が高く評価されていますが、高倉健も見事です。

一番好きな場面はアンディガルシアと健さんがピアノの演奏でレイチャールズを歌う場面です。

ラストのマイケルダグラスの笑顔もなんともいい。

とにかく魅力が詰まった映画です。

この映画もリドリー・スコットとハンス・ジマーが組んだ映画ですが、このふたりの組み合わせは最高だと思います。

途中でオリエンタル感漂う変な音楽が掛かるのですが、坂本龍一の作曲なのを知って驚きました。

 

ブラック・レイン予告編

 

 

 

 

 

 

 

2025年は戦後80周年ということもあったのか、個人的には第二次世界大戦に関する本をたくさん読んだ一年でした。

もっとインスピレーションを得られるかと思ったのですが、数多く読んだ割にはぐさっと心に刺さるものがなかったのが正直な感想です。

 

第3位 宮城まり子 ねむの木学園 愛が愛を呼んだ軌跡 渡邊弘

 

正直言って、子供のころは宮城まり子さんのことを好きではありませんでした。

なんかモソモソっと話す人だなあ、という印象で、ねむの木学園のこともよく知らなかったからです。

掛川にはよく行っていたものの、同じ市内にあるねむの木学園もどこにあるのか知らなかったくらいです。

それが昨年、偶然、ねむの木学園に行く機会があり、同地に置かれている吉行淳之介記念館で宮城まり子さんとの仲を知るようになりました。

そこでこの本を手にしたわけです。

ふたりの仲は一言で表してしまうと不倫となってしまうのですが、やむにやまれぬ事情もあったようで、正しい、正しくない、と割り切れるものではなかったようです。

このドキュメンタリーでは宮城さんに感情移入することもなく、第三者的に描いていて好感が持てました。

 

 

 

第2位 零戦撃墜王 空戦八年の記録 (光人社NF文庫 )

 

この本は第二次世界大戦中、ゼロ戦パイロットで撃墜王として知られた岩本徹三さんの話をもとに書かれた本です。

撃墜王ものとしては坂井三郎さんの本がよく知られていますが、坂井さんは少し理屈っぽいところがあり、自分としては岩本さんの本のほうが性に合いました。

本がベストセラーとなり名士となった坂井さんに比べ、岩本さんの晩年は幸せではなかったようですが、運命のめぐり合わせのようなものを感じてしまいます。

坂井さんとの比較では、坂井さんが努力型の正統派、岩本さんは天才肌の異端派ともいえるのですが、チームワークを大事にしていたというのは共通した点です。 

 

 


第1位 なぜ時代劇は滅びるのか 春日太一

 

目から鱗が落ちるという表現がぴったりの本です。

この本については別の項で詳しく述べたいと思います。

著者の春日太一さんは1977年生まれと比較的若いながら、時代劇に造詣の深い方です。

年齢的に時代劇をリアルタイムではなく後追いで観たはずなので、客観視できるという利点もあるのでしょう。

時代劇、時代小説に関しては縄田一男さんというすぐれた評論家がいらっしゃいますが、縄田さんはもう少しどっぷり時代劇に浸っています。

たとえていえば木枯し紋次郎のように、いくら冷淡を装っても筆に愛情がにじみ出てしまうのですが、春日さんは乾いた目で時代劇をばっさり斬り捨てることができるようです。

ではどうすればいいんだ、という点についてこの本では書かれていないのですが、それは春日さんの分野ではないのだと思います。

その分を差し引いたとしても、優れた書籍です。

 

 

 

先日、今年は小説に関する記述を増やしていきます、と言った舌の根が渇かないうちに音楽の話題で恐縮です。

本当は2025年度中に書いておかなければいけなかったベストシリーズを今年になって書いています。

すみません。

まずは音楽部門。

2025年にリリースされたものはひとつもなく、2025年に私が初めて知った曲です。

アンテナが低いようでこれまたお詫び申し上げます。

( )内が発表された年です。

 

第3位 リメンバーフェン ~ アラン・ジャクソン 

Remenber When  ~ Alan Jackson(2003年)

 

アヴリル・ラディーンにも同名の曲がありますが、まったく別の曲です。

ゆったりとしたテンポのどこか懐かしさを感じるイントロからぐっと惹きこまれます。

英語も難しい単語はなく、最初のフレーズ

 

Remember when I was young and so were you
And time stood still, and love was all we knew
You were the first, so was I
We made love and then you cried, remember when

(俺もお前も分かった日を覚えているかい。

 時間は永遠で、愛だけがすべてだった。

 俺もお前も初めてだった。

 愛を交わした日、お前が泣いたのを覚えているかい)

 

で始まり、

 

Remember when we said, when we turn gray
When the children grow up and move away
We won't be sad, we'll be glad
For all the life we've had

(ともに白髪が生えても、子供たちが巣立っても

 悲しまないで、ふたりの歩みすべてを喜び合おう

 と言ったのはいつだったかな)

 

で終わります。

この歌をテンガロンハットをかぶったカウボーイ風のタフガイに歌われたら、女性は思わずぐっときてしまうのではないでしょうか。

男も、決意というか、意志の表明というか、愛する人にこんなことを歌に託して言ってみたいなと思います。

 

Remenber When ~ Alan Jackson

 

第2位 キス・イン・レイン ~ イルマ

    Kiss in rain  ~ YIRUMA(2024年)

 

韓国のピアニストYIRUMAによるインストメンタルの曲です。

心の奥深い部分に直接刺さるようなとてもエモーショナルな曲で、聴いていると何だか気持ちがザワザワします。

YURUMAはどちらかというと飄々とした表情でピアノを弾くのですが、タッチは柔らかく、繊細さを感じます。

理屈ではなく、心で感じる秀作です。

 

Kiss in rain  ~ YIRUMA

 

第1位 酔いどれ東京ダンスミュージック 真っ黒毛ぼっくす(2010年)

 

もう一回りも昔にこんな名曲が生まれていたとは知りませんでした。

真っ黒毛ぼっくすは、大槻泰永(ヒロノリ)のソロユニット。

毎回、ゲストを迎えながらホーンセクションや三味線、チンドン屋まで含めた多彩な編成でライブを行っています。

このバンドのことはアマゾンプライムで観たドキュメンタリー映画で知ったのですが、大槻さんはサラリーマンを続けながらバンドを続けています。

その姿勢にも共感するし、何と言っても酔いどれ東京ダンスミュージックは歌詞がいいんです。

歌詞にも出てくるあがた森魚にも影響を受けているのだと思いますが、尾崎豊とも違う独特の世界観を造りだしています。

神聖かまってちゃんの「ロックンロールは鳴り止まない」にもどこか共通性を感じます。

ただし、詩として歌詞を見た場合、あがた、尾崎、神聖など誰も大槻には敵いません。

 

満点の星を見上げ歩いていたら

ふいに見覚えのある路地に辿り着く

いったいあれからどのくらいたったのか

窓から漏れる裸電球の灯り ラジオの流行歌(はやりうた)

 

エモいという表現は好きではないのですが、この歌はまさしくエモい歌です。

さらに歌詞は冒頭で

 

若き父と母に抱かれながら歩く三軒茶屋の坂

 

と一番で歌い、

 

骨となりし母を抱いて帰る我が家

 

という二番に続きます。

抒情詩につながるスケールの大きさを持ち合わせているのはすごいです。

何回も繰り返される「酔いどれ東京ダンスミュージック」のサビが耳にこびりついて離れません。

現在大槻さんは病気療養中とのことなので、早く回復して再び元気な姿でライブを行ってもらいたいものだと思います。

 

こうしてみると、2025年度版はエモーショナルな曲が3曲集まりました。

何だか自分の心理状態をあらわしているのかなあ。

 

酔いどれ東京ダンスミュージック 真っ黒毛ぼっくす 

 

別バージョン

 

アマゾンプライム

 

 

新年あけましておめでとうございます。

旧年中はいろいろとお世話になりました。

本年もよろしくお願いいたします。

 

2026年が明けました。

2000年問題と言われたのがつい昨日のことのように思えてしまいますが、もう26年前の話になりました。

私事ながら、ここ数年は身辺で大きな変化があった年でした。

今年も大きな変化の一年となりますが、地に足を付けて地味でもしっかりと歩いて行きたいと思っております。いっぽうではもっと貪欲に小説に取り組んでいく所存です。

 

私生活ではひとつ大きな課題があるのですが、それは置いておいて、①睡眠の質を高めて脳の状態をよくする②水泳、筋トレの頻度を高めて基礎体力を上げる③腸の状態をよくして体調を万全にするなどを目標にしたいと思います。

 

このブログに関係する点としては、

 

① 小説家のブログらしく、小説に関する記述を増やしていく。

② 未完成のままの自分史の書き方を完成させる。

③ 形はどうなるか分かりませんが、今春を目標に小説講座を開く。

 

といったことを考えております。

何かご意見、ご希望があれば、ぜひコメント欄でお知らせください。

 

いずれにせよ、

All for one,one fo all.

をモットーに頑張っていく所存です。

なにとぞ、今年も応援のほどよろしくお願いいたします。

 

木村忠啓

 

写真は関ケ原ウォーランドにある横田甚左衛門像(作家は浅野祥雲氏)

 

 

 

 

 

 

 

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Every little action of the common day makes or unmakes character.

人格は日常の小さな行動の積み重ねによって造られる。

 

エミリア・クラーク主演の「ラストクリスマス」は監督ポール・フェイグのユーモア感覚と自らも出演して脚本を書いたエマ・トンプソンのストーリーが秀逸な佳作です。

エミリア・クラークは「ターミネーター:新起動/ジェネシス」でサラ・コナー役を演じました。皮ジャンにショットガン姿の印象が強かったので、まったく異なる今回のキャスティングには驚く気持ちもあったのですが、すこしたれ目気味のエミリアにはラストクリスマスのケイト役のほうが適役かもしれません。

 

ミステリアスな役どころであるトム(ヘンリー・ゴールディング)が少しステレオタイプっぽく感じてしまったのですが、最後のほうでは「あっ」という仕掛けがあったりして、伏線の貼り方がとても秀逸だと思いました。

 

冒頭の言葉は、トムがケイトを諭すように告げるのですが、これはもともとイギリスの詩人・オスカー・ワイルドの言葉です。

 

後半もあって、全文を書くと、

 

I foget evrey little action of the common day makes or unmakes character,and that therefore and what his done in the seacret chamber one has some day  to cry aloud on the house-tops. 

(人格は日常の小さな行動の積み重ねで造られる。だから、秘密裡に行った行動もいつの日にか公になって、大声で泣く羽目になることをわたしは忘れていた)

 

となります。

 

行動が人格を造るというのは、つい忘れがちな考えです。

「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」といったのはアメリカ初代大統領・リンカーンですが、ずるいことばかり考えている人はずるい顔に、善行を積み重ねている人はいい顔になってきます。

心したいものです。

 

 

主演のエミリア・クラーク

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ひそかに名古屋は大盛ランチのメッカです。

老舗有名店だった「ダッカ」はもうないものの、新栄にある「吉野家」はいまも元気に営業中です。

うどん、そば、きしめんとあるものの、おススメはうどん。

いくぶん細いうどんは腰があって、ツルツル。

ガンガン食べられます。

面白いのは、大盛のネーミング。

1、2盛、中盛、大盛となります。

量の増え方も凄まじいものがあります。

 

1.2盛 麺1kg

中盛   麺10玉

大盛   麺20玉

 

です。

大盛となると、フードファイターでないと食べられない量です。

中盛も大変ですが、知り合いは完食していましたので、超大食漢であれば、不可能ではないと思います。

 

先日は3人で行って、それぞれ1.2盛を頼みました。

 

鳥なんばんうどん。

 

煮こみうどん。

 

みそ坦々煮込みうどん。

 

この手の料理はなかなか写真では迫力が伝わらないのですが、吉野家のうどんは写真でも十分に迫力が伝わるのではないでしょうか。

 

三人ともかなり食べるほうだったので、三人とも完食、と言いたいところなのですが、一人脱落。

この坦々うどんはちゃんとメニューに激辛と書いてあったのですが、たいしたことないだろうと思って頼んでしまったら、本当に激辛だったのです。

頼んだ人間は量よりも辛さでやられてしまいました。

思わないところに伏兵がいました。

 

以前、頼んだ中盛の写真がありました。

 

肉うどん。

 

やまかけうどん。

 

いやあ、写真だけ見てもすごい!

これを食べきる胃袋というのは、どんなに大きいのだろうか、と思います。

ちなみに、肉うどんは一番人気で、売り切れてしまうことが多いようです。

 

最近は面白半分にこの中盛や大盛を頼む人が多くなってきたのか、以前にはなかった罰金が制定されていました。

中盛を残すと5000円、大盛を残すと10000円という結構、高額な設定です。

作る側としては、面白半分に頼まれて、大半を残されてしまうのでは、やってられないという思いもあるのでしょう。

 

大食漢の方はぜひおススメしたい名店です。

なお、駐車場はないので近くのコインパークに止めてください。

 

吉野屋

愛知県名古屋市中区新栄1-6-3

月曜  11:00~14:30 

火~金 11:00~15:00 16:00~21:00

土曜  11:00~14:00

日・祝 休み

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先日、大学時代の仲間と岐阜県中津川市にある苗木城址に行きました。

 

ジブリ映画の「天空のラピュタ」にも似ているというこの城址は、そのユニークな形状と、天守閣跡に建てられた展望台からの眺めが素晴らしいです。

 

城の歴史はかなり古いようです。

源頼朝の家臣だった加藤景廉(かげかど)の長男である景朝は遠山姓を名乗るようになりましたが、さらにその子である遠山景村がこの地に進出。

元弘年間(1331年~1334年)には砦が築かれましたが、天文年間(1532年~1555年)には遠山正廉によって苗木城が建造されました。

遠山家は織田家の家臣として桶狭間の戦いで善戦するなど活躍を見せます。その後、甲斐の武田家とも接近し、織田・武田両家の連衡を成功させます。

しかし、この友好関係は長く続きませんでした。

天正2年(1574年)、武田勝頼は東美濃に侵攻を開始。苗木城を奪います。

翌天正3年(1575年)には長篠の戦いの一環として織田信忠(信長の子)が苗木城を奪い返し、遠山友忠が城を支配します。

このころまでは、武田家と織田家の力は拮抗しており、遠山家も武田家に付く者、織田家に付く者とさまざまに分かれていたのですが、長篠の戦いで織田家の力が優勢となると、武田家に付いていた遠山家の者は処刑されたといいます。

 

下って天正十年(1582年)は激動の一年でした。

織田信忠を総大将とする織田軍と壮絶な戦いを繰り広げた武田勝頼は3月に天目山の戦い(山梨県)で力尽き、自刃します。

甲州征伐とよばれたこれら一連の戦いに苗木遠山家からは友忠が参戦し、活躍をみせます。

ですが、武田家を滅亡させた織田信長・信忠親子も同年6月2日に起こった本能寺の変で自刃。

 

もともと仲が悪かったのか、友忠は木曾義昌らと共謀し、同じ織田軍の森長可(鬼武蔵)の暗殺を計画しますが、事前に発覚し、失敗。

豊臣秀吉に付いた長可は、7月には友忠の守る苗木城を攻めます。

この時は失敗したものの、翌年天正十一年(1583年)五月に長可は再度城を攻め、落城させています。

友忠は浜松の徳川家康の下に逃げ込みます。

 

その長可も天正十三年(1855年)の小牧・長久手の戦いで戦死。

苗木城は長可の弟である長重(忠政)が継ぎましたが、慶長四年(1599年)忠忠が念願であった川中島へ移封されると、代わりに川尻直次が入城。

しかし、翌慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いが勃発し、西軍に付いた直次は討死してしまいます。

この期を突いて、遠山友政が苗木城を攻略。

徳川家康から正式に苗木藩が認められ、友政は初代藩主となります。

 

その後、最後の藩主・友禄(ともよし)まで遠山家は江戸時代を通して苗木城主を勤めることになるのです。

 

苗木城の特徴としては、岩山を拓いて造っただけあり、巨岩をそのまま配したユニークな構造があげられます。

またもともと財政的に豊かではなかったため、しっかりした天守は造られず、板葺きの天守だったと言います。

木曽川の北岸に建てられ、木曽川との標高差は170m。

北側の守りは堅固ですが、平地がなかったため桝形(敵を狭い場所に追い込み、櫓から集中的に攻撃する場所)を造ることができず、四十八曲がりとも呼ばれるくねくねした上り道をその代わりとしました。道幅を狭くして、90度以上のかなり急な曲がり方にして防御性を高めています。

とはいえ、大人数で守れるような場所がなく、堅固性という点では難攻不落という城ではなかったように思います。

 

もうひとつ加えておくと、遠山家は一万石取だったのですが、通常この禄高では城持ち大名ではなく、陣屋持ちです。しかも江戸時代を通じて一回の移封もなかったのも珍しいといえます。

 

城持大名(城主格)となると、さまざまな義務(参勤交代など)が生じるため、財政的もひっ迫します。遠山家の苗木藩も例外ではなく、幕末には藩士全員から家禄の全額借上げ(つまり無給ということ)を行うなどしても御家の台所は火の車だったといいます。

 

木曽川に面した北側の守りは固いのですが、反対側から攻められると弱いような気がします。

 

巨岩を生かした城づくりが行われていて、それがユニークな形状となっています。

 

大櫓(本来は防御用あるいは物見用の建物ですが、武器庫を兼ねていたと思います)跡。平地の少ないこの地では城下の平らな場所に集中して倉庫を造る必要があったのでしょう。

 

展望台からの眺望は素晴らしいのひとこと。

 

CGを使った再現図。別称の赤壁城のイメージは感じられません。

 

おまけの一枚。