あなたに平安がありますように。

あなたが救われますように。

イエス様のみこころのとおりになりますように。





さて、イエスの母と兄弟たちとがイエスのところにきたが、群衆のためそば近くに行くことができなかった。

それで、だれかが
「あなたの母上と兄弟がたが、お目にかかろうと思って、外に立っておられます」
と取次いだ。

するとイエスは人々にむかって言われた、
「神の御言を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである」。

ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗り込み、
「湖の向こう岸へ渡ろう」
と言われたので、一同が船出した。

渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた。
すると突風が湖に吹きおろしてきたので、彼らは水をかぶって危険になった。

そこで、みそばに寄ってきてイエスを起し、
「先生、先生、わたしたちは死にそうです」
と言った。
イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった。

イエスは彼らに言われた、
「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」。
彼らは恐れ驚いて互に言い合った、
「いったい、このかたはだれだろう。
お命じになると、風も海も従うとは」。












聞いて行うとは、理解するために聞き、理解したことを行うので、理解していなければ行えません。

全て理解していると思っていることが高慢です。

イエス様は全て知っているから教えられるのであって、人は全てを知り得ないのです。

教えると神のように成るということです。

人は横に等しいのに、人の間に上下を作るから間違いとなるのです。

神が上で全ての人は下です。

人に上下を作るのは神が無い証拠です。

イエス様と一緒にいるなら死にません。

イエス様から離れているから死ぬのです。

イエス様の御言葉を聞いて行うなら家族のように近いのです。

信じているから聞き、信じているから行うのです。

死にそうになったからといって心配するのは、イエス様を信じていない証しです。

死ぬ時には死ぬのです。

イエス様を信じて死ぬのです。

体の死が全てでは無いと教えられているからです。

イエス様の言ったことと自分の行いが違うのは、信じていない証拠です。