あなたに平安がありますように。
あなたが救われますように。
イエス様のみこころのとおりになりますように。
それから、彼らはエリコにきた。
そして、イエスが弟子たちや大ぜいの群衆と共にエリコから出かけられたとき、テマイの子、バルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。
ところが、ナザレのイエスだと聞いて、彼は
「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」
と叫び出した。
多くの人々は彼をしかって黙らせようとしたが、彼はますます激しく叫びつづけた、
「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」。
イエスは立ちどまって
「彼を呼べ」
と命じられた。
そこで、人々はその盲人を呼んで言った、
「喜べ、立て、おまえを呼んでおられる」。
そこで彼は上着を脱ぎ捨て、踊りあがってイエスのもとにきた。
イエスは彼にむかって言われた、
「わたしに何をしてほしいのか」。
その盲人は言った、
「先生、見えるようになることです」。
そこでイエスは言われた、
「行け、あなたの信仰があなたを救った」。
すると彼は、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。
この盲人の、どこが信仰だったのか。
彼はイエス様が憐れんで救ってくださると、信じました。
だから、多くの人から怒られて、黙れと言われても、黙りませんでした。
今黙れば二度とチャンスは無いからです。
死ぬまで見えない苦しみとなります。
だから、イエス様に呼ばれた時には、見えるようになることを確信して飛び上がったのです。
イエス様が憐れんでくださると信じて、イエス様を求め続けると、必ずイエス様が救ってくださる。
どこにもイエス様が死んだから救われるなんてことは無いのです。
見えなくても、イエス様が在ることを知っているから、憐れんでくださることも知っていて、呼び続ければ答えてくださることも知っているので、その通り信じたことが、信仰です。
イエス様が死ぬことで人は救われるとイエス様は言っていません。
イエス様が憐れんで救ってくださると信じることと、イエス様が人の罪を身代わりに背負って死んで蘇ることで救われたと信じることは、同じではありません。
イエス様がこの時、
「あなたの信仰があなたを救った」
と言ったのは、どんな信仰だったのでしょうか。
その信仰と、十字架で救われるという信仰は同じものでしょうか。
違うのなら、イエス様が言ったことと違うということです。
イエス様を信じないでどうやって救われるのでしょうか。
イエス様を信じるのが信仰です。
他のものを信じるのも信仰ですが、救われないのです。