怒り (マタイ21章_七巡目) | イエス様の命の言を育てて食す

イエス様の命の言を育てて食す

食べることは喜びです
肉体に食あるように、霊にも食あるのです
イエス様の命の言を繰り返し反芻して存分に味わうブログです

 

 

そなたはよく肚をたてるが
肚がたつのは慢心からであるぞ

よく心得なされよ

下肚からこみあげてくる怒りは
大きな怒りであるから、怒って
よいのであるなれど、怒りの現わし方を
出来るだけ小さく、出来るだけ清く
出来るだけ短かくして下されよ

怒りに清い怒りはないと、そなたは
思案して御座るなれど、怒りにも
清い怒り、澄んだ怒りあるぞ





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イエスは宮に入られた

そして、宮の庭で売り買いしていた人々を
みな追い出し、また両替人の台や、はとを
売る者の腰掛をくつがえされた

そして彼らに言われた

わたしの家は、祈の家ととなえらるべき
である、と書いてある

それだのに、あなたがたはそれを
強盗の巣にしている













イエス様は、心から神様の栄光を求めます


何よりも 神様の御心を大事にします


だから私事であったら我慢できても
父である神様が汚されれば怒ります


穏便に済ませるわけにはいきません


祈りは、大切だからです


神様との交流だからです


聖域なのです


汚してはならない神聖の場
強盗の巣にしてはならないのです


処刑場にしてはいけないのです


日の本も同じです


神の国だからです


自分たちのものではないのです


決して踏み荒らしてはいけない
神域があるのです


人の慢心が天に達して、イエス様の怒りが
限界を超えたとき、火と水が襲うのです


地が激しく揺れるのです


ただし、イエス様の怒りは清いのです


我善しから出た怒りではないからです


乱れを正常に戻すためにあるからです


目を覚まさせるためだからです


子を躾けない親はいません


誤りを正さない親はいません


私たちは、大難を小難にしてくださいと
深く頭を下げるしかないのです



イエス様の御名が崇められますように


本日は以上となります
ありがとうございました