0月25日付日経「政界Zoom」というコラム欄に「広がる日本外交体制」という記事があり、安倍政権の下で、外務省は外交成果を出さなくても組織だけは膨張させていたというのを報道した記事だと感じました。

この記事が報じられなくても、普段から外務省はまともに仕事をしているのかどうかも不明な組織ではないかという疑問は何時もありました。海外大使は官僚の定年後の天下りポストみたいにしか思えないし、その新任大使は役所の定型業務をこなすだけの業務しかしてこなかった役人で、大使になったところで問題が起きても自身では何も出来ず、所詮部下に丸投げするしかないという実態だと推測されます。

この報道の後、10月27日付朝日新聞では、非公開期限切れで公開されるべき文書が公開されないという問題の報道がなされ、この時はが外務省の文書管理のずさんさだけでなく、文書管理の人員不足で出来ないという事を理由としており、日経報道の職員数は9%増えているとの報道とは矛盾していることが判りました。

 

日経記事の要旨

1)日本が大使館数や外務省の職員数を大きく伸ばしている。2000年度に115だった大使館の数は19年度中に英国やドイツと同水準の152館まで増える。・・・かっては行政改革で拡大路線に待ったがかかったこともあるが、安倍政権の下で再び拡充が進んでいる。

2)外務省職員の定数も増えている。13年度に5733人だったが、19年度には6288人と9%超増えた。

3)揺れ動いた方針が第二次安倍政権以降で再び拡大路線に転じているのはなぜか。細谷雄一郎慶大教授は「安倍政権が対外広報に力を注いだことや、国民や企業のグローバル化が背景にある」と指摘する。歴史認識や領土問題で日本への批判が取り沙汰され、日本自身の発信を求める考えが広がった。グローバル化で企業の相談やトラブルにあった邦人保護などの領事業務が増えている。

 

朝日新聞10月27日の外務省の外交交渉文書不開示問題についての一節で、「・・・だが外務省では、増え続ける作業に対応する態勢が整わないままだ。「人員も予算も増えていない」(公文書監理室)という。」というくだりがあります。日経の記事との間のギャップは相当なものだと感じました。

 

外交上の問題と言えば、北朝鮮による日本人拉致問題の進展がないという事件が思い浮かびます。トランプ大統領が出てこないと前に進まないというのでは何をかいわんという事態で、外務省は何もできずに放置している状態が続いていると思えます。海外の日本人を守るという外務省の本論が全くできていないというべきかと思います。

ロシアとの領土問題なども安倍さんが何度プーチン大統領と面談しても何の進展が無いのも、外務省の情報収集とか人脈作りが全くできていないので、手ぶらでプーチン大統領と面談したところで海千山千の相手から見れば何をしに来たのだろうと訝しく思われるだけと思います。

国外問題が山積しているにも関わらず海外大使館数だけを増やすという発想は、諸外国に対して見栄を張りたいという発想しか無いと思え、安倍さんのレベルが推測されるような結果になっていると思えます。

日経新聞の細谷雄一郎慶大教授コメント、海外公館数の増大は「国民や企業のグローバル化が背景にある」というのは、新規に海外公館を新規に設置しているのは、名の知れない小国ばかりで、そんな国に国民や企業は進出する筈が無いと直ぐに想像が出来るので、的外れであるというのが分かります。海外進出する企業は市場の大きい米国とかEUが主で、次に発展途上国となるはずなので、そういう国々はとっくの昔から公館は出来ていいます。それよりも、そういう既存の公館がどれほど日本国民や企業の為に役立っているかというのは全く不明で、海外旅行中にパスポートを無くした人のためのパスポート再発行所機能位では余りにも人数が多いのではないかと思わざるを得ません。

海外公館では専属料理人を置いて、現地の有象無象の人たちを招待してパーティを頻繁に開いて飲み会行事をやることが重要な仕事みたいに報道される事が時々ありますが、マスコミのレベルが知れるようなものだと思い毎度苦々しく見ています。そういうパーティでは役人あがりの大使や職員では、現地の何の裏情報等は得られず、単なる飲み会で終わっていると思うと無駄な税金を食いつぶしているだけと思われます。一昔前に、ペルーの公館が襲撃されたというのは、職員の情報収能力が無いというのを証明したようなもので、現在も変化はないと推測されます。

 

在外公館は所詮日本の役所の海外出張所の位置づけで、決められた行事を毎年繰り替えてしているだけの存在ではないと思えて、海外公館数を増やして果たして何をやろうとしているのが全く見えないと思います。外務省に関する印象で言えば、テレビで外務省上がりの解説者が話すのを聞いていると、本当に弁論はたくましくのですが内容は極めて常識的と聞こえて、口先は旨いが肝心の折衝はできていなかったのだろうと思ってしまいます。 

私が大腸癌に罹患しているのを知ったのは70歳も過ぎてサラリーマンを退職した後でした。大腸内にこぶし大の癌が出来ていて10年物位ではないかと思えました。10年も以前と言えばサラリーマンも現役で、ブログでも紹介している通りに会社内に自分の会社があるような形であったので、業績向上を目指して週一で某社の癖の或る課長に付き合って夜遅くまで酒を飲んでいた生活を送っていました。尤も、私はアルコールを受け付けない体質なので薄い水割りを啜るようなものでしたが、それでも深夜にまで飲食が及んだので癌が進行したのかと想像をしています。しかしながら、癌が進行しても体調が悪くなることもなく極めて健康な毎日を送っていて、癌が体に対して体調変化をもたらすようなことはありませんでした。唯一の変化と言えば、ある時期からやたらヨーグルトが好きになり毎晩かなりの量を食べていましたが、それは癌の肥大化によって大腸内を通る便が通りにくくなるので便を柔らかくする為に癌細胞が要望したものと思います。癌細胞を切除した後は全くヨーグルトを食べるという習慣は無くなったので、そういう理由であったのかと後追いで知ったということでした。

 

私が大腸癌に罹患しているのを知るきっかけとなったのは病院での血液検査でした。医師から鉄分が異様に少ないので内科で診察を受けるようにとのアドバイスがあり、内科でCT検査をした結果大腸内に大きな影があるのが発見されて、内視鏡検査で大腸癌が確認されたのでした。その後、半日以上も掛けて大きな大腸癌摘出手術を受けたものの、長い間に大腸癌が肥大していく途上で肝臓や肺に転移していることも分かり、転移した大腸癌医療を始めるようになったのでした。

これが抗癌剤治療の初めでした、毎月点滴4時間行い同時に2週間服薬をしました。毎月の診察時、腫瘍マーカーと言われる数字を見ながら上がった下がったと一喜一憂をしました。薬は分子標的薬という効果がありそうなものを服用するという説明でした。この薬なら転移した大腸癌も無くなるのかなと期待をさせましたが、結論から言えば効果は全くありませんでした。この抗癌剤治療は体に大きな負担をかけるもので、皮膚の糸が黒くなったり、顔の皮膚は赤くはれてぼろぼろになりフランケンシュタインの顔のように変化しました。抗癌剤の副作用として頭髪も抜け、薬に体力が奪われるので歩くこともままならず一日中寝ていることが多くなるという毎日を1年間過ごしました。

腫瘍マーカー値は、最初順調に下がって行きましたが、1年後には再び上昇に転じて効果が無くなったように思えました。医師から、薬を飲んでいるので腫瘍マーカー値が抑えられており、抗癌剤治療を続けるようにと説明を受けましたが、私の感想では医師は患者の体力が続くうちは抗癌剤投与をしようとしているとか思えなくて、抗癌剤治療の中止を申し出ました。以後は定期的に転移した癌の観察をするという方針にすることにしました。

 

抗癌剤治療を中止したので体は直ぐに復調するのかと思っていましたが、抗癌剤の副作用は中止してからも何度も襲ってきて体調不良になる時があり、抗癌剤の恐ろしさというものを感じました。副作用は抗癌剤治療中と同じで体調不良になり寝込むというものでしたが、3カ月も波が押し寄せるように時々続いた後には軽度の副作用が出るくらいまでに少なくなりました。しかし、体全体の皮膚が黒くなったり顔の皮膚の赤くなっている状態は4カ月経過して薄くはなりましたが完全にはなくなっていません。頭髪も少し生えてきた程度です。抗癌剤の副作用で手足にしびれが残り、鍼灸院で治療をしてもらっている状態です。

4カ月経過して体力も少しずつ戻りつつあるものの、少しの散歩や買い物でも息が上がる状態で以前のの様な普通の体力に戻るには時間が必要かと思うこの頃です。

 

1年以上も抗癌剤治療を受けた感想としては、抗癌剤治療は効果のある人と無い人があるのではないかと感じた事です。私の抗癌剤治療も医師が途中で薬を変えたりしましたが、腫瘍マーカー値に変化はありませんでした。

病院の患者は常に新しい患者ばかりで、点滴を受ける治療室では私と同じ薬の点滴を受ける患者がいて、その患者は常に入れ替わっているように思えたからでした。癌治療の診察時、病院の待合場所で私と同じ抗癌治療を受けている人がいつの間にかいなくなったりしていました。

癌があると即死につながるような報道をしているマスコミにも疑問を持つようになりました。癌に罹患していても、内臓が機能を果たしている間は何ら問題が無いというのを自身で経験しているので、癌の罹患に対する認識を改めることが必要ではないかと思っています。抗癌剤治療を止めて4カ月経過しましたが、癌が体内に存在していても体調は復調してくるし、皮膚の黒色化も無くなりつつあり健康体に向かいつつあるのを感じています。

抗癌剤治療の問題を自身で体験したということになったと思いますが、高齢なので1年間の抗癌剤治療は効果も無く時間だけ経過して、やりたいことも出来ずに時間を消耗しただけの無為な時であったと感じています。

昨日は「新元号」が発表された特別な日でもあり、新元号に対する感想を書くことにしました。
菅義偉官房長官が記者会見で発表し、「万葉集」の「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」を典拠としたと説明しました。安倍晋三首相も会見して談話を読み上げました。首相は「日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継ぎ、日本人がそれぞれの花を大きく咲かせることができる日本でありたいとの願いを込めた」と説明した。
これを聞いて、「令和」と「安倍首相の説明」がどう繋がっているか理解出来る人はいるのだろうかと疑問を持ちました。単語の意味も理解しないまま安倍首相は自論を述べたに過ぎないとしか思えませんでした。
一方で現在の「平成」の由来の解説を読むと、「史記」五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」から採られており、もう一つは、政治史・政教を記した中国最古の歴史書「書経」からで「地平天成(地平かに天成る)」つまり「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味です、とありました。
平成がそんなに平和であったのかと疑問を持ったので、平成時代に起きた災害について調べてみると平和どころか災害ばかりではなかったのかという感想を持たざるを得ませんでした。新号の下で実際の生活では何が起きるのか予測は出来ませんが、丁度世界景気に陰りが見えかけている中では一般的に考えれば楽観的な事は言えないと思えました。
以下に平成時代の災害を整理しました、平成は平和でもなかったのにマスコミに向かって堂々と平和であったと言い切る人がいるのには疑問を持ったということです。

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                        ( 2019年1月22日 朝日新聞 )

一昨日来、マスコミや新聞で三浦雄一郎氏のアコンカグア登頂断念について報道はされているものの、そもその三浦雄一郎氏のアコンカグア登山というものが無謀なものであるとは報道されない事に頭をかしげざるを得ないと思っています。
数年前のエベレスト登山では、大名登山と言われて大勢のスタッフを前後に連れて登頂した時も、下山する時には頂上から少しだけ下山しただけで体調不良と言う理由でヘリコプターでベースキャンプまで下りてきたという経緯があります。ヘリコプターで下山して登山しましたとは普通には言えないのを平気で登山したと発言するので、てっきりスポンサーがついているので言わざるを得なかったのかと思えたのでした。しかし、その後の本人のテレビでの発言を聞いていると、エベレストに登山した登山したと発言しているのを聞いていると本気で登山したと考えていると思ってしまいました。
今回のアコンカグアに登頂するという事を聞いた時にはエベレスト登山での経験が全く生かされていなくて、単に一時の脚光を浴びたいがための行動ではないかと思いました。マスコミ報道によれば、登頂するベースキャンプにはヘリコプターで運ばれたので、普通の感覚でいえば登山になっていないと思えました。案の定、登山を始めて数百メートル上がっただけでドクターストップがかかり断念という結果になりましたが、エベレストの事を考えれば普通に想像ができる事だったと思えるのですが、加齢による妄想で判断が出来なかったのかと推測をしています。
スポンサーも沢山ついて資金は潤沢だったかも知れませんが、こういうイベントを計画することについての反省の弁がマスコミから一切なくて、皆一様に下山する勇気をほめたたえるような口調には違和感を覚えざるを得ませんでした。高齢者をおだて挙げて世間の注目を浴びようとい目論見だったと思いますが、発想の原点が広告宣伝という類の発想しかなく、登山の危険度を認識していない関係者のいい加減さが裏には潜んでいたというという事実を報道できないのは、戦前の戦争翼賛と同じ土壌であると思うと何とも恐ろしいことかなとも思えました。
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9月23日(土)朝日新聞記事を読んでの感想です。
相変わらず長期時間労働の事ばかりが話題になっていますが、日本の労働生産性の低さは今に始まった訳でも無く戦後から営々として続いてきたものではないのでしょうか。それが、たまたま有名企業の電通で新入社員の自殺を結びついて過激に報道されるのには違和感を感じざるを得ません。
50年程以前、私が新入社員として入社した時は工場勤務でしたが、理由は不明でしたが新入社員の自殺は何件かあったのは記憶にあります。サラリーマンとして職場に適応できなかったのかなと思います。現在でも新入社員の自殺は割合にあるのだけれども、会社としては印象が悪くなるのを避けるためにできる限り伏せるので報道されないだけではないかと思っています。
電通新入社員自殺事件では母親が「裁判での社長の言い分は信用できない」という発言があり違和感がありました。それでは何故信用できない社長のいる会社に娘を入社させたのかという疑念が起きてしまいます。
電通に限らず広告会社というのは非常に厳しい職場環境であるいうのは入社以前に調べれば分かっていた筈と思います。競争に勝つためには多様な思考力・発想力や積極的な行動が求められるので、学生時代に少々勉強ができる能力とは全くちがうと思います。電通鬼十則を読めば企業のイメージ少しは把握出来た筈と思います。東大卒というのを聞くと、決められた問題を解くのはできても、決められない問題を解くのが出来るかどうかは本人の能力次第で、ここらあたりの入社以前の思慮が不足してしたのではないかと推測しています。自身の能力と就職先企業が求める能力との間に大きな差異があったのではないかとも推測されます。
それに加えて、今回の自殺事件で悲劇だったのは上司の管理職が無能であったことだと思います。自分の職場の仕事に対応できているかどうかは、普段の仕事ぶりを見て居れば直ぐに分かる筈だと思います。長年の経験があれば、この社員が職種をこなせるかどうかは分かる筈で、早々に本人と面談して異動を考えるとかの対策はあったと思います。そういう対策をせず放置した無能な人間を管理職に据えている事が露見したのは、人事面で電通は普通に事なかれ主義とか親分子分の体質があると推測しています。
又、この事件についてテレビ局は「適正な仕事をしなくてはいけない」とあたりまえのコメントが出ているのが笑えました。電通の仕事の主なるものはテレビコマーシャルで、そのクライアント(発注者)からの激しい受注合戦やその後のクライアントのわがままな要求に対応するために電通の社員は振り回されていて、そういうハチャメチャな背景で出来上がったコマーシャルを放映しているのがほかならぬテレビ局であるという事実を知っていて、説教節でも語るような他人事のコメントを出しているのかと思いました。
 
この機会に電通鬼十則というものを読んでみましたが、私が営業職としてサラリーマンをしていた頃、こういうことは上司からも言われた記憶もあるし、実際の仕事でも色々な事件があったので、この文章には納得感があります。しかし、今どきの分業とか職種の細分化が進んだ企業では全部は適用できないのかなと感じています。
電通鬼十則は一般企業へ適用出るか考察しました。
1.仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない。
⇒企業では年度計画によりすべてが動き社員の仕事は他動的です。自ら創れる場面は限りなく
少ないし、あったとしても非常に困難な課題しか残っていなので、実際には出来ないと考えるの
が自然です。
2.仕事とは先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
⇒仕事の内容によりけりで、普通は決まった仕事を処理するだけのことが大半なので先手は打て
ません。新規事業とか業務改善などは先手を考えることは必要で、こういう仕事には適用でき
る内容と思います。
.大きな仕事と取組め! 小さな仕事は己を小さくする。
     ⇒社員は自分で仕事は選択できません。新規に事業を興すとかいう場合には一考に値する内
容と思います。
4.難しい仕事を狙え! そして成し遂げるところに進歩がある。
⇒社員は自分で仕事は選択できません。難しい仕事を与えられることもあるし、何の思慮もいら
に仕事を与えられることもあるので、こういう指摘は無理があります。しかし、難しい仕事を担当
させられたら成し遂げるというのは参考になる意見と思います。
5.取組んだら放すな! 殺されても放すな! 目的を完遂するまでは...
     ⇒仕事の内容によりけりで、これは電通の営業マン向けの檄文みたいに思います。普通の社員
       の仕事ではこういう内容は限りなく少ない職種に適用されると思います。「取り組んだら」という
       下りを読むと、新しく事業を始めたらとも読めるので、完遂するまで努力しろ言うふうにも読め
ます。
6.周囲を引きずり回せ! 引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地の開きができる。
     ⇒会社の組織を動かすときの話で、会社の中で嵐を自ら起こせと言っていると同様で、事なかれ
主義が普通の日本の会社では難しい事かなと思います。ベンチャー企業には適用可能なかと
思います。
7.計画を持て! 長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
     ⇒会社では普通に長期・中期・今期の事業計画が普通にあり、こういう考え方は既にほとんどの
会社で実行されていると思います。この文章の「忍耐と工夫」の意味は、一旦決めた計画は安
易に修正せず完遂させろという意味と思うと示唆に富んだものと思います。普通は安易に見直
しをすることが普通になっているからです。
8.自信を持て! 自信が無いから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚みすらがない。
     ⇒仕事に対して自身が持てるのは、ある程度仕事の内容を理解して自分の身についてからです。
       単純な事務作業では自信ではなくミスをしないで処理することの方が重要で、仕事の内容に
よって仕事に対して自身が持てたり持てなかったりするのではないでしょうか。
9.頭は常に全回転、八方に気を配って、一部の隙もあってはならぬ!! サービスとはそのようなものだ。
     ⇒職種によってこういう気構えが必要なものと、そうでもないものとがあると思います。
10.摩擦を怖れるな! 摩擦は進歩の母、積極の肥料だ。でないと君は卑屈未練になる。
     ⇒6項と同じことを言っていると思います。組織を動かすときに、組織間の利害対立をも恐れず
仕事を推進するというのが趣旨で、事なかれ主義の日本の会社では難しいことかと思います。
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朝日新聞 7月2日(日)

20173月期役員報酬1億円以上の開示企業数、人数ともに過去最多 6/30() 20:35配信
 
役員報酬1億円以上は221社、457人(63017時現在)
63017時現在で、20173月期決算の有価証券報告書が確認されたのは2426社。このうち、役員報酬1億円以上を受け取った役員の個別開示を行った上場企業は221社で、開示人数は457人だった。社数は20153月期(212社)、人数は20163月期(414人)を大幅に上回り、過去最多を更新した。
 1億円以上の役員報酬を受け取った457人のうち、20163月期決算と20173月期決算で、連続して個別開示された役員は311人(構成比68.0%)。新たに開示された役員は146人だった。
 個別開示トップは、ソフトバンクグループのニケシュ・アローラ元副社長の1034600万円で、歴代役員報酬額の最高額を更新した。
 1社あたりの個別開示人数は、最多が三菱電機の22人(前年23人)20143月期以降、4年連続でトップとなった。また、ソニー(3→10人)やパナソニック(1→10人)など、電気機器メーカーで開示人数が大幅に増加した。
                            日経新聞を引用した記事

6月末と7月上旬の三菱電機に関する新聞記事を見た感想です。
最初の長時間労働事件は一旦は社長も社内表明を出したことで終わったのかなと思っていたら、とんでもない尾ひれがついたという記事だったと思いました。
三菱電機の労働組合は4・50年も以前から御用組合として揶揄されてきたのが、こういう事件をきっかけにして実態を社会の前に露呈したという事だけであったと思います。推測になりますが、中央書記長は人事部からうつ病を発症した男性社員を丁度いい口実ができたので辞めさせろと内々指示されて、男性社員に社員を辞めろと伝えたものと思います。この中央書記長は反省の弁を述べているらしいが、社員の味方になる筈の役目を果たすどころか、社員を裏切った行為をしたという事でした。中央書記長は普通なら組合役員を辞し社員も辞職させろというのが常識なのが、人事部からは「大変だったねえ」と言われてねぎらいの一席を設けてもらって、勲一等を得て何処かの部署に配属されたと思われます。
そういう事件が起きても、三菱電機の役員の多くが1億円を超える報酬を貰っているという記事を読むと、会社の事情とは関係なく、役員だけはしっかりと自分の給料を増やすのに汲々として姿が見えたと思いました。三菱電機社員の給料は電機業界の比較でも高いという評価はされていないと思いますが、役員だけは別待遇という事が有価証券報告書の開示義務で明らかになったのでした。
こういう情報は新入社員や中途採用社員のリクルート情報に含まれていなとい思いますが、いい情報ばかりを流すのではなく情報の公平性という観点から広く知らせるべきものであると感じた次第です。
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2月8日の日経新聞朝刊の記事を読んでの感想です。この記事は投稿なので、日経新聞の記者が書いたものではないそうです。
この文章を読んで読んで最初に大きく違和感を感じたのは表題の「ベンチャー企業で仕事力を高めよ」でした。私が長い間サラリーマンとして勤務してきた会社では、ベンチャー企業の社員が仕事力がある例は一つも経験したり聞いたことがないということでした。

この記事では「大企業では配属先が部署や上を選べない」がベンチャー企業は「魅力的な経営者の近くで仕事をすることができる」と書いています。まるで大企業には魅力的な人がいないと言いい、ベンチャー企業には魅力的な経営者ばかりだという風に読める文章です。
大企業は倒産の心配も少ないのでややもすると保守的な行動をとる人が多いのは事実ですが、それが人間的魅力の少ない人達かどうかは別問題と思います。ベンチャーは明日の飯も食えるかどうかわからんという状態で毎日をあくせくとせざるをえない状況にあり、そういう環境で魅力的な経営者とはどういう人物か想像をすれは自ずと知れると思います。この投稿者が言うところのベンチャー企業の魅力的な経営者というのは「社員を馬車馬のように働かせる人」を言っているとも思えてきます。ベンチャー企業で仕事と言えば如何にたくさんの金を稼ぐにしか思考が行かないと思います、その極端な例がライブドアという会社だったと思います。
同時に投稿記事では「ベンチャー企業で3年猛烈に働けば、大企業の10年分にしてきするくらいの仕事をすることができる」と書いていますが、その仕事とは金儲けばかりの事で、相手かまわず押し売りをすることを意味しているとかし思えません。何をもって「猛烈に働けば」という肝心の主語が抜けているので、意味が不明という事です。

社員力測定の下りも、何をもって測定したのか記述していないので、ベンチャー企業の方が社員力が高いというのも常識的には考えられず、我田引水としか思えませんでした。
「大企業で評価されるのは大規模な分業体制の中で人間関係をきちんと考えながらそつなくこなす人材」と書いているのですが、100年も前の事かと思える程の妄想としか思えませんでした。普通の会社でも、そつなくこなす人材は不要で、何処の会社でもバリバリと仕事を積極的に勧める人を求めています。大企業でそつなくこなつ人はどんどんと窓際に追いやられてのは枚挙にいとまがない程だと思います。
ベンチャー企業で評価されるのは・・・規格外の仕事をするどがった人材だ」とも書いていますが、そういう人材は大企業でこそ活躍できる人材だと思います。そういう頭脳の持ち主であれば倒産の危険があるベンチャー企業を就職先として選択をする筈かが無いとも思います。

結局のところ、この投稿者はベンチャー企業相手の人材会社でろくな人材も集まらないので、日経という新聞を利用して人材を集めようとして投稿したのだと思います。ベンチャーに行く人材に優秀な人がいないとは思いませんが、この投稿者の会社に登録するような人たちは日経新聞なんて読んでいないので、こういう記事は自身の無知をさらけ出すだけで何の効果も無いとしか思えませんでした。
同時に、日経新聞は株屋新聞の域を抜け出せない編集者の能力も知れてしまったというように感じました。
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1月28日の日経新聞の記事を読んでの感想です。
電通では真面目に検察に対応して勤務記録等を提出したのに対して、三菱電機は以前の新聞記事でもあったように社内には記録がなかったという報道がされて、今回嫌疑不十分という事で不起訴になったものだと思います。
そういう意味では勤務に対する記録を隠し続けた結果、三菱電機社内は良かった良かったという結果になったと喜んでいるかもしれませんが、勤務記録程度のものが無くなるという事自身が不自然なので益々疑惑が深まったと想像されるのが自然とは思いつきませんかね、見識の程度が低いと言わざるを得ないと思います。そういう意味では電通が一流会社とみなされているのに対して三菱電機は何流でしょうかという評論がされる行動をとったともいえると思います。
30年程も以前、三菱電機が共産圏への輸出に関わりがありそうだと報道された時に、担当者が2年程雲隠れしていたという話を聞いたことがあります。そういう歴史から見ると、三菱電機は隠すという伝統があるという風にみなされても仕方が無いのではないでしょうか。
今回の不法残業について、社長は何か発言しているようでうが、外に向けての体裁づくろいではなく、社内に向かってきちんと証拠を調べて出せというくらいの気概がないと社長は名ばかり社長になしかならいないのではないかと思います。
新聞記事では一日数十分という超過残業という風に言っていますが、残業が100時間を超えていたという報道と矛盾すると思えて、この数十分という話は何なのか全く理解不能でした。元々、数十分の超過残業なら適応障害なんかにならないのでうはないかと思われて、そもそも認識が間違っているとしか思えませんでした。何とも情けない検察の実態があらわになったものとも感じました。
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 ( 2017年1月12日 朝日新聞 )
2017年1月12日の朝日新聞の記事を読んで、会社側の説明に疑問を持ちました。
もう30年以上も前の三菱電機本社の職場では、社員が残業時間を決められた時間j以上に勤務簿に記載することは出来ないルールがあると聞いたことがあります。会社としての予算制度の制約からそういう指導を社員にしていたということです。管理職に昇進すると給与は年俸になり残業代がなくなうるので、早めの昇進という人事政策も行われていたようでした。
この記事を読むと、労災認定男性の上司は管理を厳しくしていたにも関わらず、記事では「社内調査の結果、確認できなかった」という広報担当の説明では、矛盾があると読めてしまうと思います。
会社側としては体面があるので認めたくないという意識の表れだと思いますが、まさに何十年にも渡って行われてきた社内慣習を否定している姿は何ともみすぼらしくしか見えないというのが感想です。これでは真っ黒なユニクロと同じ体質の会社ではないかと疑われても仕方が無いと思います。
又、以前にも書いた、この会社の労働組合は長年御用組合と言われてきただけの根性を証明したことも労災認定の男性からも語られていました。
この事件は、社長の力量も試される局面であり、自らがきちんと人事組織に対して意見を言えるかどうかという事も見どころと思っています、その後うやむやになるようでは、社長も平凡サラリーマンでしたねということになると思います。同時に、社会に対する責任という意味のガバナンスを、この会社の役員が認識しているかどうかが問われている事件とも思いました。