自己肯定って難易度インファナルでは?
自己肯定が苦手分野の肉です、こんばんは。
啓蒙書的な本とかブログとか見ててイライラしてくるんだよな。
「自分の悪いところを受け入れる」事自体は簡単なんですよ。
もし僕らがこの弱肉強食の競争社会で生きていなければね。
悪い所や自分の成長を阻害する部分をまず享受することによって気付きを得、
改善措置をとれるようになるってことらしいんですが。
……嫌いなんだったらもう気付いてんじゃないの?違うの?
「そういう部分があるな」→「嫌いだわ」って話じゃないの??
そして中々直せない(つまり改善できない)ことに憤りを感じ、
存在を認めているくせに対応ができてない自分に腹が立つのでは?
そうしてそんなクソのような自分に劣等感を抱くのでは???
いる?「決して私はそんなんじゃない!」とか自分にすら言う人。
よっぽど自立した人だから友達できないだろうけど生きてはいけるでしょ。
劣等感故に社会から隔絶されようとする不能とは別じゃんそれ。
そういう生きていける人の更なる自己実現とか余裕のある話してないの。
ぶっちゃけ生きて行くことすらままならない人間の話してるの僕は。
って啓蒙系の文章読んでると思っちゃうんだよね。
「知るか」って話だよな。ごめんね。
これでも自己肯定はできるようになってきた肉なんです。
日々1時間に1回くらいの割合で過去の失敗がフラバして
その度に自分を5、6回殺してますが。赦しとは。
もうこの情報だけで僕が如何に失敗を許さない人間かわかるっていうね。
許してあげようよ。失敗くらいさ。
でまぁ、こいつは前座で。
劣等感でよく言われる「自分の理想が高い」についてひとつ。
あるブログに「大人だから社会人だからこうでなくてはいけない」という
完璧主義や固定観念が理想の高い原因と紹介されていました。
あ!これ母親に毎日言われてることだ!
って某挑戦漫画みたいな感覚に陥って書かずにはいられませんでしたね。
でも、普通に言うよね。親はね。
ぶっちゃけお荷物だもんね。でかくなったのにまともに稼げないで邪魔って。
思うわー普通に思うわー。
自分の無知ネグレクトは見たくないから棚に上げて子どもを責めるわー。
だってそれが普通だもんー。
いやいや、嫌味とかじゃなくて。自然の摂理ですから。仕方ないね。
だからね?
あるがままを受け入れるっていう方が僕には難しいことでは?って思えるの。
社会だって良い歳してフリーターで、或いは出世もなくて、
収入が低いなんていったらダメな人間だなぁってなるわけじゃん。
だから仕事を選り好みしなくてはいけなくてバイトなんかできないわけ。
そりゃサービス業で人手が不足もするよ。
一生バイトで生きてて恥ずかしくない程度の世論作ってよって話。
正社目指してたらバイトなんてやったところですぐ辞めるじゃん。
子どもが少ないってのもあるかもだけどそもそも大学までは学業が専門だし、
そこ出たらバイトして遊んでないで就活しろってことになるでしょ。
バイトが少なくなるのは当たり前では?
そしてバイトの道が断たれたとしても正社に成れるとは限りませんで。
晴れてニート大国になるわけですよ。
で、何を受け入れろって話でしたっけ?
バイトみたいな仕事しかできずに罵られ続けて、
そんなの酷い(?)親の元を離れたって言われるだろうし、
そんで劣等感ばっかり溜まっていくわけだけど理想高いって言うこれ?
もはや社会の声を一切遮断するしか劣等感を消す方法がないんだけど、
それって人間としてどうなのって思っちゃうよね。
最悪、今生きる為に必要ならその手段をバカにはできないけど、
ずっとやるのはなかなかキツいですよね。
痛い大人になるので友達ができないからね。
耳塞いでる内に出世しろってことかな。
耳塞いでる奴が出世できるのか?
難しいです。圧倒的に人間としてダメな奴が自分を受け入れるのは。
しかして、自分を受け入れていないから上手くいってるかというと、
まぁ見ての通り全然ダメなわけです。
向上すると期待して自己肯定をしたい僕ですが、
最悪生き易くなるだけでもいいとは思っています。
が、やっぱり物理的に生きづらかったらそれも難しいですよね。
あー…、自己肯定すらできない僕とは。
ってのは嫌味っぽいですが。はい、嫌味です。
年々嫌味っぽくなってきて色々まっしぐらです。
結局のところ、自分の評価っていうのは他人ありきなんです。
他人様の目から自分を評価してるんですよ。
それが過ぎたのが自己嫌悪なんですけど。
他人様さえいなければ僕は善くも悪くもない、何の価値もない者です。
他人が居て初めて僕は悪いものになるんです。
これははっきりわかってたことなので
ガチでしんどい時は完全に人を遮断します。
っていうか、みんな無意識だとしてもやってることだけど。
人がいないと生きて行けないとはいえ、人はそこそこ丈夫なので。
1ヶ月くらいだったらニートも親すら遮断してみましょう。
引き蘢りじゃ遮断にならないから気をつけてな。
ドアの前の存在ですら邪魔なので。森へ行け。
最後の力を振り絞り通行人の目を耐え
(正直親と対峙する時と同じ体力使うから家にいるのと変わらん)、
人がいないところに行きましょう。少しは体力回復できます。
閑話休題。
自己肯定難し過ぎるって話だよ。
この世でたった1人なら自己肯定なんて赤子の手を捻るが如しなのですが。
それが上手にできない悲しい生き物なんですね。僕は。
母親はこの手の話で「ランクが高くなればいい」と豪語しますが、
劣等感が強い人間の地位が上がるとその人はメチャクチャ下を見下します。
なんせ、「できない人間大嫌い奴」ですからねぇ。
生きてるだけマシって思うだろうけど…、うーん、どうだろう。
その人いらん敵を作りそうだけどな。友達減るだろうし。
それって結果寿命が減ってるのでは?知らんけど。
まぁ、世代の話をすればそういう人間が新たな劣等感を生むわけで。
教育に興味のある人間としてはそれが良しとできないんですよね。
「良い地位になったんだからしなきゃいいじゃない」とか言い出しそうな
僕の母親ですが、そんな単純かい。君の世界は。
目指したって、手に入らないものはある。
その過程で生まれるものもある。
それはすべて善いものとは限らない。
善い悪いを判断するのはそのからの視線を自分のフィルターに通したもの。
フィルターが腐っていたら生きづらいに決まってる。
そのフィルターこそが諸悪の根源なんですが。
これの交換がめちゃくちゃ難しい。つーかできるんですか?
今はただ対処法としてフィルターを通ってきた情報を
一々冷静に判断して少し曲解させることによって正常にしている。
対処療法でしかありません。
根本解決になるかと思って自己肯定を望んでいる僕ですが、
甘えや倫理との兼ね合いが難しいです。
思うことと行動することは別、それも理解はできますけど。
理解できることと、実践できることは別です。
別でなかったら我々は方法を知るだけでオリンピック選手です。
「何故生きるのか」なんで表現をするから誤解されるんだよな。
「どう生きればいいのか」と悩んでるんだよ。少なくとも僕は。
「普通に生きろ」という有能な人間たちと同じ道を歩むには、
どうしたらいいか常に考えなきゃいけないんだ。
何故生きるのが大変なのか、それすらもよくわかってない僕なのに。
でもそれは、僕より有能な人たちだってわかっちゃいない。
だから僕は少し笑って生きられるんだよ。
悔しかったら僕をまともな人間にしてみろ。できないだろ。バーカ。
これが結構難しい
素晴らしいブログ記事を発見したので紹介したいと思います。
ネサフ民の突然の紹介記事に圧倒されるといい。肉です、こんにちは。
自分の弱さを認め受け入れる方法は?自分を知ることで克服できる?ー旅タロズ
なんかもうこの記事に「それな」が詰まり過ぎていました。
個人的にこの記事で一番素晴らしい表現だと思ったのはこちら。
「また、「自己卑下」「自己否定」は巧妙な弱者の戦略です。
つまり、自分を否定することで、自分を卑下することで、自分が弱いままでいようとするのです。」(リンク先ブログから引用)
こういうの読んでると卑屈な僕は「俺が弱者だと!?」という感情が
湧いてしまうのですが、これに関しては「己の中にいる弱者」として
読めて不思議と嫌な感情が一切湧きませんでした。
普段はそういう意味じゃないと理解してても湧くんだけどね。
今日は体調がいいだけかな。
昔から存在だけは感じていた「己の中の弱さ」。
僕自身、これに感情移入しかけているのを常日頃から感じています。
もはや同意や同調の枠を出てるんです。
自分自身なんだから当たり前といえば当たり前なんですけど。
強くなろうとすると「俺は消えるのか?」と怯えるんですよね。弱さが。
え?むしろこれ分離してる?
僕は昔と考え方が180度違うんですよ。
もう恥ずかしくて捨てちゃったけど小学生の時に描いた自分への手紙が
もう修造だったもんね。なんだこの暑苦しい奴…。
といっても多分、人から見たら大差ないのかもしれません。
だから変な恐怖は感じなくていい筈なんです。
考え方が変わったくらいで死人が出る筈もなく。
僕の中で擬人化された「弱さ」がある意味で僕を守ってくれました。
元々その為に存在してたんだろうけど。
僕はこれから彼をライバルと見なし、
反面教師とし、付き合っていきたいです。
多分殺すことはできないし、自分の中で湯煙殺人は勘弁です。
今は気分がいいのかそんなポジティブな考え方ができてます。
僕は自分の「強くなりたい」から逃げ過ぎていました。
ずっと言ってた割に全然どういうことがわからなかったんです。
そんな焦りから弱い自分を否定するようになってたのかもしれません。
もう自己卑下しない、という努力目標ができました。
ダメだったら直せばいい。直せないなんてことはない。
直せなくても直そうとする努力はするべきだ。
その努力だけでも評価してくれる人はいるのだから。
最近、どっかで読んだ(紹介したかどうか忘れましたが)
「病気と診断されたい女」という記事も「弱さ」の仕業かなと。
病気だったら専門的な治療をされるまで、或いは不治の病なので
努力ではどうしようもないといいたくなるんですよね。
又は毒親の件もそう。
勿論、本当に深刻な場合の人はこれに限りませんよ。
ただその影に隠れてしめしめとしてるクズも勿論いるって話で。
あ、僕の話です。ちなみに僕の家族全員このタイプのクズです。
これらも元々は「弱さを認められない弱さ」から来てるので
クズっていってやったら可哀想な気もしますが。
っていうか、これも自己卑下になりますかね。意外と難しいな直すの。
「弱さを認められない弱さ」も育成プログラムがあったわけで、
その弱さを持つ自分を責める心があるからこそ
責任の所在がどこにもないことを示す為の毒親認識もあるのかもしれないね。
親だって毒親に育てられたのかもしれないんだから、
もう責任の所在はうやむやだしもとからどうでもいいことなんだ。
だから自分も責められることではない。
と、言いたい回りくどい自己肯定だったんだね。
こういう捻くれた考え方をする人間、好きだからそれも困ったものだよ。
まあでも、僕の当初の思惑通り、どっぷり弱さに浸かることもできて満足。
僕は体験しないとどうも頭に入ってこない質でして。
幼い頃は弱さが認められなかった場合の修造みたいな奴だったので、
どう足掻いても弱者と認めざるを得ない状況に身をやつせたのはいい経験でした。
語弊があるといけないんですが弱くなかったと言いたいわけじゃないんだよ。
言い訳のしようがなくならないと認められない頑固者ってことだよ。
損な性格だよね。
僕は超の付く弱者大嫌い人間だったので謝罪とかも苦手なんです。
何にもない時はすいませんすいません言ってるくせに、
謝るべき時に謝れないんですよね。不思議だよね。
昔っからこれ。
こんなこと言ってると謝らないでもいい生活してきたんだと言われるんですが、冬場に薄着で外出されて1000回ごめんなさいさせられたり自分が悪くない損壊事件で5000円出して謝罪させられたり連帯責任でお客様に謝罪しにいったりと全然謝りまくってるからいい加減にしろよ。
後半二つにいらないプライドが見えますね。(冷静)
お前が悪いと言われ続けられた人間の成れの果てなんです。僕は悪くない。
でも事実は認められる様にならないとね。
謝らないからといって別に罪悪感がないわけじゃないからね。
むしろ人よりそれが強いから重責に堪えかねて謝れないんだもの。
人は失敗することもある。次はもっと良くする。
そうやって無駄な重責を取り除けば自ずと謝罪ができるようになる気がするよ。
今、強くなろうと努力して、強くなることができたら、
僕は本当に強くなれる気がする。
要領が悪いのはもうどうしようもないけど、
要領が悪いなりに頑張ってきたんだと思ってる。
早くから弱さを認めることができてた人は羨ましいけど、
そんなの羨んでてもしょうがない。
紹介した記事に
「強くならなければ、自分の尊厳も他人も、何も守れません。」とあった。
僕は無害さを表現したいが為に尊厳を守ろうとすることすら
「烏滸がましい」と自分で封じてきたところがあります。
どうぞ卑下して下さいと。そのくらい僕は無害ですと。
息を潜めることでしか身を守れなかったんですよ。
泣く声を抑えられなかったら酷い目に遭うんですよ。
息を止めないと、痛いんですよ。
だから僕は「無」でなければならなかったんですよ。
でも何故か社会は「無」である方が酷い目にあうんですよね。
本当に、家庭と社会のギャップというのは大きいだけ損です。
上手く育てなくても育たなくてもいいから
家庭と社会のギャップだけは少なくしていった方が良いです。
って、今、そう思いました。
これからは自分の尊厳を構築していきたいと思います。
愚弟に「学校のゴミ箱の匂いがする」とか因縁付けられてる場合じゃ
ないんですよ。お前の学校のゴミ箱どんだけフローラルだよ。
家族兼用のシャンプー香料の匂いですべてを打ち消されてるんだから
もれなくお前も同じ匂いだよ。
傷付くかと思って言ってなかったけどお前の部屋は相当臭いからな。
常に誰かの文句ばかり言ってる人間とはこいつですお巡りさん。つれぇ。
愚弟もしっかりこの色なので悪循環ですね。ハイ。
愚弟が何を言っても己が惨めになるくらいの尊厳を持たないとですね。
動機が不純。
精進していきたい次第です。
周囲から嫌われる?! 見た目は真面目なのに中身は……「真面目系クズ」診断
真面目系クズ…?俺のことか…?
ククク…いいだろう。受けて立ってやるよ…。
提供:周囲から嫌われる?! 見た目は真面目なのに中身は……「真面目系クズ」診断
あなたの真面目系クズ度は35%。要領はそれほどよくありませんが、どんなことでも、ごまかさず、きちんと取り組んでいこうとするタイプのようです。
その分、面倒なことを人から押し付けられて苦労したり、要領が悪くて上司から誤解されたりすることも。しかし、自分からがんばって取り組むうちに、自然と実力アップをはかることができ、最終的には大きく成長することができそう。今後もやるべきことをコツコツ進めていって。
ーーーーーーーー
嘘…だろ…?
この怠惰に塗れた負極型自己愛性パーソナリティがクズじゃない…だと…?
しかし要領の悪い真面目野郎はなんか否定できないわ。
つまり俺に不利益を被せる奴が本物のクズってことですね。
では心置きなくクズを罵って生きます。ありがとうございました。
蛙の子は蛙というのは遺伝の話だけではなく
自分の興味のある研究対象に対して自分の経験を元にすると
なんか知らんが愚痴を言われてると思われる肉です、こんにちは。
被験体が自分しかいない可哀想な奴ってだけだろ放っとけ。
今回は当たり前といえば当たり前、ただ肉が納得に至っただけの話。
「コミュニケーション能力の遺伝」についてだらだらしたいと思います。
犯罪心理学で養子研究という分野があるのですが、
簡単に言えば生みの親と育ての親のどちらの影響が高いかという研究。
結論から言うと産みの親の影響が一番大きいです。
犯罪…と固定して言うと語弊がありそうですが、
そういったものも先天的な影響が大きいようですね。
が、勿論育ての親がまったく影響がないかというとそうではありません。
これも当たり前といえば当たり前ですが。
データによって影響力の大きさはまちまちですが、
デンマークのメドニックらの研究では1.2〜4.5%、
ボーマンの研究では3.8〜27.9%変動がありました。
先天的な素養がないと伸び率(ここでは犯罪傾向に限ります)が低い様です。
うちの子が悪い子になったらどうしようと不安を抱えている奇特な奥さん、
安心して下さい。家系に犯罪者や危ない人がいなければ大丈夫です。
え?いる?…御愁傷様デシタ。
これらは犯罪心理学の遺伝研究データですが、
能力遺伝として雑ではありますが括れば同じことかなとは思うんですよね。
コミュニケーション能力の話に戻ります。
多くの人は生みの親と育ての親は一緒かと思いますので、
親のコミュニケーション能力は一定ということになりますね。
絶望的な現実を叩き付けることになりますが、
親がコミュ障ならどう足掻いてもコミュ障まっしぐらです。ドンマイ。
遺伝的なものは然ることながら、育て方についても根拠はあります。
これなんかは確実にどっかで研究データが存在してそうですが、
ごめんなさい、僕は全然知りません。結果同じだろうけど。
最大根拠となるのは親の形成する環境社会、そして会話術です。
多くの場合、子どもは親の影響を強く受けます。
本人が無意識的にも意識的にも、真似をしようと思うのは
ある程度の尊敬がないと始まらないので、無償の尊敬を得てしまう
親の影響はどうしても強く受けます。
コミュ力の低い親は勿論ですがお友達が少ないですよね。
そうなると家庭に関与して来る他人の存在が必然的に少なくなります。
強いては外の風が入らないことによって子どもに家庭の色が強くなります。
つまり熟成コミュ障一家の完成です。
アメリカ人がなんかいつもバーベキューとかしてるイメージあるんですが、
(多分僕だけじゃない筈)あれは善い文化かもしれませんね。
あれに限らず地域の交流を図る催しは同等の効果があると思います。
祭りに関しては出し物に関わるぐらいしないとダメな気がしますが。
親御さん方がコミュ力に自信がなくても、
コミュニケーション環境を広げてあげれば底辺になることはないのかなと。
それがしんど過ぎて延々にネタにし続けるティム・バートンみたいな人も
いますが。これは先天的なものが強い気がします。
社会生活できてるからいいんだよ。
そして会話術。これは今回記事を書くきっかけとなった体験のデータです。
僕は会話下手なので時々いい会話術がないか調べたりしますが、
「間を取る」とか「早口にならない」とか色々ありますよね。
そうやって理屈は僕の中にもあるんですよ。できないだけで。
では何故できないのか?
責任転嫁と言われそうですが当然親の会話術が悪いからです。
逆にいえば英才教育をされている状態なので、
これで親には何の責任も影響力もないですって言われたら教育が破綻します。
責めたいのではなくて影響力の話がしたいので悪しからず。
ちなみに余談ですが、
僕がこうやって回りくどく責任の所在を問う言い方も
親に被害妄想の気があるからですね。
親に限らず、一定数、特に女性は会話で身を守る人がいるので。
自分が被験体ってこういう面倒があるんですよね。
こういう影響を受けてきた被験体Aがこういう行動を取るようになった、
それを話したいだけなのに責任の所在なんてどうでもいいじゃないですか。
誰の影響だっていいよ。データさえ違わなければ。
閑話休題。
下手な会話が移るメカニズムは至極単純です。
勿論、子どもが真似する先が親しか無い環境が多くなるのも事実ですが、
下手な会話術の人と話す機会が多いと、会話のタイミングがそれになります。
例えば「間」。
会話下手の相手が沈黙を持てない人の場合(僕もこれで育ちましたが)、
マシンガントークのように話され、あれよあれよという間に自分の意見が
まったく言えなかったり、酷い時には自分の意見が改変されたりします。
それが自分に不利益を被るので必然的にその会話に立ち向かうようになり、
結果、人の発言に被せるようになります。
間とか以前にこんな会話方法の人が好かれる筈がないので、
必然的に会話したいと思う人が減ります。
そして逆も存在するかなと。間を置き過ぎな人ですね。
これは多分…僕の環境下には存在しないので憶測になってしまうのですが、
これも会話方法に同調してしまっていたり、その会話方法に慣れている
ということになるのかな…と。
会話速度も同じロジックに組み込まれそうですね。
急いで話さないと聞いてもらえなかった早口さんや、
そういう会話速度が普通の環境だったのんびりさん。
で、こういう話をしてると大抵、僕の母親は自分が責められていると思い、
「私も親に同じことをされたからこうなった。みんな同じ。」と言います。
勿論、データが揃えば誰にだって実現できるのが科学です。当たり前です。
だからこそ予想ができることも忘れてはいけません。
自分の受けている影響、先天的なものと後天的なもの、すべてを見て
「自分はこういう風に反応する生物なんだ」と認識する。
そして、「それが周りにどういう反応をもたらすのか」検証する。
子育てに限らずビジネスや友好関係に置いてもそれぞれの目的がある筈です。
「こういう子に育って欲しい」「ああいう関係になりたい」
そうしたらそこにどんな要素が必要なのかもおのずと絞られてきます。
自分の生物反応が子どもに与える影響も、育てる前から分かる筈なのです。
そしたら先手を打って影響を減らす方法が取れる筈ですよね。
先天的なものは避けられないにしても後天的なもので悪い部分は薄くできます。
自分にコミュ力が低いと感じているならコミュ力の高い協力者を得るとか。
それを子どもの友人として宛てがい、育ててもらうこともできます。
同時に協力者と接することで自分も少しマシになるかもしれません。
なるべく信用できるコミュ力高い人間を連れてきましょう。
僕の父親もコミュニケーション能力は高い方ではありませんが、
人と関わることを重要視して実践できる人間なので僕を色んなところに
引っぱり回してくれました。
まぁ、ちょっとこれも夜遅い時間だったりとか色々問題点はあったのですが、
コミュニケーション能力育成の一点に置いては評価できる行動です。
ちなみに僕が連れ回された場所と出会った人種ですが、
父親の職場の運ちゃんたちやバンドマンの方々(個性派揃いですね)、
後なんかよくわからない怪しい事務所の人たちや
(僕の尻をコピー機に掛けて遊んでくれました)、
オシャレなバーだったり、音楽スタジオだったり(受付は宇宙人でした)、
公園で放置されたから不良高校生たちと仲良くなりましたし、
葉っぱ大好きなおじさんたちともお話したし、色々ですね。
…善し悪しは個人で判断して下さい。僕は生きる自信だけは付きました。
これが今日まで続けば僕ももう少しマシなコミュ力だった気がしますが、
親が忙しくなった小学校中学年あたりから一切なくなったので…。
僕はコミュ障のサラブレッドだったので伸び率が低かったのも敗因です。
普通のコミュ力DNAだったらこの程度ですごいコミュ力を得てそうです。
…今からは想像できないくらい面白い幼少期してるな僕。
絶対途中で寄生獣に乗っ取られて違う人になってるって。
えっと、コミュ力遺伝の話ですハイ。
環境(時代)も多少違いますが、同じ親に育てられているという点で
弟が面白い結果を弾き出しました。
面白いっていうか、普通にコミュ力崩壊マンなんですけど。
僕より酷い人間を身近で見たのは初めてだったので感動しました。
彼の時代は父親も落ち着いていたし、変な人たちに会うことが少なかった、
強いては親の交遊範囲が今までよりも狭かったので、
彼は家庭の色を強く受け継いだのだと思います。
僕も中1から同じ環境なので彼と殆ど差異がなくなってきてはいます。
っつっても流石に0才からの英才教育には負けますが。
腹減った時にそのまま寝込んでるところを見た時は流石に目を疑ったよ。
イドというものが存在しないのか?
DNAは環境によりけりですが、近親を選んでない限り
多少の苦手は薄まって行くのが普通です。
しかしコミュニケーション環境は身内に引っ込んでる以上、
どんどん遺伝病の様に蓄積されて最後にはモンスターを生み出します。
…なるほど、ミームというものも外で交配するべき生物だったんですね。
子どもの行動範囲は親が広げてあげられるものです。
理想は過程も見せてあげられるといいかも。
義務教育でも勿論やっているので必ずしもしなくてもいいかもですが、
うちの弟は半ヒッキーだったので学校の授業を受けてなかったんですね。
そういう人もいるので、重複しようともやった方が良いかもです。
こういうのは友人関係で学んで行くところもあるとは思うんですがね…。
現代都会っ子としてはそれはあまり頼りにならないかなぁという印象。
そもそもそんな友達豊富な子はそもそも問題が少ないですね。ハイ。
自分の会話術に関してはもう日々向上しかないんですけど、
それも限度というものがあるので、まぁ、子どもには広い関係を…。
個人としては場所は限定しません。時々海外に拘る人いますけど、
特別そういうところじゃなくてもいいと思います。
国内の人間全員と話したら考慮するくらいでもいいんじゃないですか。別に。
ダメってわけじゃないけど。
国内の方が高いってこともあるしご予算と合わせて考慮する事案ですね。
大事なのは本人が一人でやろうとしたらできるように教えることです。
どんなに小さくても関係ありません。
切符を買うところや相談する人、
そんな過程を見せたりやらせたり体験させましょう。
そうすれば後は自分で勝手にやってくれます。楽ちんです。
盗んだバイクで走り出す時にでもちゃんと進めるようにしてあげましょう。
遠くまで飛ぶことが目的なんです。種というのは。
何をするにも欠かせないのはコミュニケーション能力と筋力です。
それさえあれば、正直無学でも偉業すら成し遂げられると思っています。
少なくとも健全に生きられる気がします。
喋りたい人と喋れて、仲良くなりたい人と仲良くなれて、
やりたいことをやれて。
これを「若ければなんでもできる」なんてバカなこと言う人いますが、
違いますから。若いうちにあると思われているものがあればできますから。
若さで無条件で付いて来る得点は「周りの許容」くらいです。
それもコミュ力次第では無になることもあります。うわ死にたい。
コミュ力と筋力です。わかりましたか。若さければ尚いいだけです。
さっさとコミュ力と筋力を鍛えて下さい。
心のケアとか怠惰神様の言い訳です。
それを武器にしてる僕が言います。言い訳です。
筋力が付き、友人が出来、腹が満たされている人間は鬱になりません。
あ、後、太陽。これは必要条件。
心のケアなんかしてても焼け石に水です。
多少の言い回しに気を付けるくらいにしておいて、
さっさとコミュ力と筋力を付けてあげて下さい。
精神医は薬の実験をしてないで筋力トレーナーを紹介しろ。
本気で絶望的な気持ちを直したいならそれしかないんです。
自分が最強の人間になれば何も恐くないんです。
対人恐怖持ちはそこに行くまでが大変なのでそこをケアしてあげてね。
だから医者でも親でもいいから早く筋力トレーナーを紹介しろ。
そして家に連れ込んででも筋力を付けさせろ。すべて解決だわ。
強引なマッスルハラスメントでオチを付けたところで今日はここまで。
ご清聴、ありがとうございました。
僕の呪い
努力を強要しないでほしい。
言うだけはタダだからと人は簡単に口から努力を強要する言葉を発する。
それがどれほど人を追い詰めるかも知らずに。
いや、知らないのではない。
「重く捉える方が悪い」と責任転嫁までしている節がある。
ならば「いじめ」なんて取沙汰されることはないだろう。
僕だって思うよ。「重く捉える方が悪い」。
しかし努力を強要する言葉はその聞こえの良さからか、問題視されない。
まったくもって不思議だ。
何故本人でもない人間がその人間の限界を知っている?
後のことすら考えないで突っ走ることの何に美徳がある?
それを美徳と思わない人間は罪なのか?
努力を強要している暇があったら、
自分の声の掛け方を見直す努力でもしたら如何だろうか。
無益且つリスクの高い声掛けよりも得るものが多そうだが。
面倒だと思うなら声なんて掛けないのが一番いいのだ。
確かに人間関係としてはよくない環境だが、
正直、マイナスな行動よりは幾分かマシに感じる。
努力の強要は何も生まない。
やる気の火種がなければ燃料で溺れるだけなのだ。
火を燃やすというのは、燃料があればいいという話ではない。
ましてや火だけあればいいわけでもない。
海のような燃料の中にマッチが存在してたって、酸素不足で燃焼しないのだ。
火を燃やすのはとても大変なんだ。
単純な方法の一点張りで強引に燃やそうとしてもどうにもならない。
だが、努力を強要することしかできない人間には何を言っても無駄だろう。
もはや人の心を理解する概念がないのだ。自分の気持ちしかないのだ。
彼らだってもう少し気の効いた言葉を吐きたかったかもしれない。
しかし、彼らの脳細胞の化学反応ではそれは絶対に作り出せないようだ。
少なくとも僕の身近な人はそうみたいだ。
何故出来ないのかわからない。
そういう疑問は、共感できないから生まれる発想だ。
共感ができていないのであれば、言葉はなんら意味をなさない。
相手には絶対に伝わらない。心には響かない。動かせない。
常に不条理に押し寄せて来る絶望感と虚脱感の波に晒され、
それに足を取られている自分に罪悪感と苛立ちを覚え、
キャパシティが限界を向かえた時に一切を失いもはや上下すら危うくなる。
空間も意味をなくし、自分の体と精神が分離する。
僕の手は他人の手になる。僕の視線の高さは違和感を覚える。
明日と過去の境がなくなり、過去に遡るような生活を送る。
焦燥感だけが僕を動かすが明日の概念がないから僕はただ動いている。
今ここに必要なものはエネルギーじゃない。
エネルギーの流れる道だ。道がなければただの爆弾だ。
それではいけない。それではいけない。
否定をされ続けた僕の意思は存在しない。僕は弱かった。
平衡感覚すら失われる。僕の右はみんなの右じゃない。
1人じゃないから孤独なんだ。人がいるから孤独なんだ。
数分毎にフラバする嫌な記憶の数々。
「そんなの気にするなよ」と自称身内の他人様が嘲笑う。
そんなお前の脳味噌と僕の脳味噌を入れ替えてやりたい。
他人のトラウマなら他人事で見れるかもしれないから互いに楽だろう。
そうだよ。そうできたらどんなにいいだろう。
きっと映画みたいなものだ。体験してないトラウマなんて。
反吐が出る。
肥大化した超自我が僕のリビドーを全部持って行って凄いパワーで抑圧する。
僕の精神の世界で一番強い階層になってしまった。
バランスが大事なのに。何故お前はこんなに育ってしまったんだ?
誰にもわからない。僕にはまともな親がいない。
それを理解できる親がいない。だから誰も知らない。
当たり前だ。みんなそうだ。みんなそうか?きっとそうだ。
原因すら忘れられた怒りが抑圧されて憤っている。
消化されなかった可哀想な怒りたちがただ不満を溜め込んでいる。
爆発寸前で僕を睨み付けている。僕が悪いのか?僕が悪かったのか?
一体何がいけなかったんだ?
だって、怒りは抑えろって、言ったじゃないか。聞いてなかったのか?
名前のない怒りたちは誰にも紹介してやれない。名前がないのだから。
だからずっとそのままだ。ずっとずっと、爆発するまで。
僕は誰に声を掛けてやれば努力という行為ができるんだ?
抑圧に比例して怒りたちは不満を肥大させていく。
何に力を入れれば問題が解決するんだ?
「それを解決する必要はない。ただ生活すればいい。」と誰かが言う。
ただの生活ってなんだろうか。この苦しみを継続させる以外になんだろうか。
常に苦しいんだから何も変わらないじゃないか。
ご飯が食べれない苦しみを僕は知っている。
それを加味してどうでもいいと言っているのに。
「過去のことはどうでもいい」とまるで責められたかのように喚く。
僕は責めてるんじゃない。知ってると言ってるだけなんだ。
知ってて、どうでもいいと言ってるんだと伝えたいんだ。
どうでもいいんだ。責任の所在なんて。
どうでもいいんだ。お前が苦しんだ事実なんて。
どうでもいい。僕は今苦しいんだから。どうでもいいよ。
痛みは思考力を奪い、息苦しさは余裕を奪う。
込み上げるような喉の焼ける痛みは僕を静かに追い詰めて行く。
力を入れれば入れるほど、努力を意識するほど、それらが増して行く。
僕はどうすれば頑張れたことになるんだろう。
この世界が美しいだけで僕は満足なのに、
何故頑張らなきゃいけないんだろう。何を頑張ればいいのだろう。
下心があって生んだのなら、素直にそういえばいいのに。
変な嘘を付くから余計にわからなくなる。
早く立派になって食わせてくれって言えば矛盾がなくなるのに。
「そんなつもりはない」なんて言われたら、そんなことしてやるわけない。
面倒だもの。
責任だけ押し付ける。僕の意思という言質だけ欲しいんだ。
僕はこの世界の二面性に付いていけないんだ。
僕の受けた傷はすべてなかったことにされて、
僕の傷は僕が好き好んで付けた傷にされて、
最終的には自分で付けた傷にされて、基地外扱いされるんだ。
信じられないことだけど、長い時間をかけて本当にそうなった。
僕はそれを証明する能がない。
自分は安全なところにいたり、自分だけ病院にいったりして、
自分だけまともになったフリをして基地外役を押し付け合う。
じゃあそれは僕でいい。
ただ1人、僕で良い。
僕以外じゃダメだ。僕の子どもとか、そんなのはダメだ。
そんなのは絶対にダメだ。
自分が助かる為に、何も知らない人間にその役は押し付けられない。
僕で止めるんだ。僕だけの罪だ。誰のものでもない。僕だけの。
絶対に許さない。
絶対に許さない。
絶対に許さない。
何をかなんて全部忘れた。
何もないところに煙は立たない。何かがあったんだろう。
でも全部忘れた。だからこれでいい。これはもう呪いになったのだから。
だったらもう、これ以上、広がらない様にすればいいだけなんだ。
僕の爪が、僕の毛先が、僕の発する声すべてが、
その呪いを忘れていない。僕にはどうしようもできない。
他人には影響が薄いだろう。そもそも簡単に共感をしないから。
共感性に乏しい僕の両親はその意味すら理解できないだろう。
でもきっと、僕に子どもができたら、彼はきっと逃げられない。
子どもは親に一番に共感するものだから。呪いを一身に受ける。
僕の強い怒りに晒される。僕の醜悪な怒りを取り込んでしまう。
絶対に許さない。
これは僕だけのものだ。これは僕だけのものだ。
これが僕の努力なんだ。
悲しみを伴った努力なんだ。
安易に、応援するんじゃない。
人をバカにするのも大概にしろ。
クズにだって、心があるんだよ。