第1005話

神仏の声を聴いて
皆様にお届けしています
菊水千鳳です


プロフィールはこちら 



今回の日記も いただいた質問の中から、神仏の回答をえられたものや、明確にお答えできるものを いくつかご紹介していきます。


ー・ー・ー・ー

それでは書いていきます。
なお、回答は俺とC君の2つある場合があります。

俺達の回答は、後ろの眷属(けんぞく)、または神仏のどなたかの語りも含んでいます。


今回は、少し長めのご質問でしたが、全文をご紹介します。

回答はいかに…

ぜひ最後までお付き合いください。


質問25)
「因果応報の法則について

善因善果、悪因悪果、自分が行った事は、善い事も悪い事も全て自分に返ってくる。
そしてそれが魂の学びとなる。
これまでに様々な人達が神仏の言葉、霊界の言葉として伝えてきたこの絶対的な法則ですが、これについて素朴な疑問があります。

この因果応報の法則とは、神仏の意思を挟む余地の無い無機的なものなのでしょうか。

それとも人為的(もしくは神為的、霊為的と言うべきか?) なものなのでしょうか。

法則と言っても様々ですが、例えば物理法則は極めて無機的なものですね。重力の法則とか。
誰かが足を滑らせて高い所から落下し始めた時、ああこの人このまま落ちてしまっては気の毒だ、と地球の重力が人体を地面に引っ張るのをやめる事はありませんよね。
全く無機的に、無慈悲に、何の意思もなく重力は等しく働きますね。

仮に奇跡が起こってその人が助かるとすれば、神仏などの何らかの強い力が働いて奇跡的にその人が無傷で済む事はあるかもしれませんが、それは別に、重力の法則に例外が生じるわけではない気がします。
重力は、例外なく絶対的に働くものだと考えます。

このように、物理法則というのは極めて無機的・絶対的なものですが、では因果応報の法則はどうなのだろうかという疑問が浮かんでくるわけです。

善因善果、悪因悪果、それがその通りそうなるように、霊界側が明確な意思を持ってカルマを刈り取らせるようにあれこれ動いているからこそ、それが成り立っているのか。

それとも、霊界側の意思とは無関係に、極めて無機的に因果応報が発動するものなのか。
それがわからないのです。

もし前者であるとすれば、
それは『法則』というよりむしろ『方針』ですよね。
善因善果、悪因悪果、そうなるようにこの地上世界に働きかけをしていますよ、という霊界の方針。
法則ではなく方針ならば、場合によっては例外が生じる事もあると思います。

因果応報による結果が起こるその規模や時機など、霊的意思の介入によって様々な例外が起こり得る。
実際そんな事が起こっている気がしています。

因果応報の法則とは、
本当に絶対的・無機的な
『法則』なのか。
それとも例外が起こり得る
『方針』なのか。

あるいは、その両方の性質を持っているのか。
教えて頂ければ幸いです。
何卒よろしくお願い致します。」



回答25)

C君より

輪廻転生という法則の中に
運用ルールとしてのひとつが因果応報

絶対なものでないけど
ルールみたいなもの


そこに、酌量の余地の部分に
仏さんとか、お地蔵さんのように仕分ける存在
酌量の余地がある


善と悪
善に身が傾くから 極楽
その逆で
悪に身が傾いたら 地獄

どれだけいいことしてきても
たったひとつの出来事で
悪になりうる

善行だけを積むだけの魂はないから
生きていくうえで
必ず悪も体験する

悪を知って 善を知る
また逆

やった行為は消せない

質問からは少し脱線しているが

法則の緩い版
質問主さんがおっしゃる
ゆるい←考え方?

法則にのっとった方針
限りなく定義に近い
かといって定義があるから
それを証明するにはあまりにも不可解な部分があり過ぎる

分からなかったら
また聞いて


~~~~~

俺より

安倍晴明さん
【一言では片付けられない
深い絡みが含まれておることを留意いたしながら
お答えしよう

小さき違いは別として
法則と方針の両方が介在しておる

絶対的法則とまでは
言いきれぬ


車のハンドルに余裕があるように
隙間は生じる

法則とは決まった流れをいう 
〈カルマの法則〉と
人はいうだろう

自然のしきたりと
置き換えられる

人は己のカルマを何らかの方法で知り 意識する者もいよう
だが大半は意識していない

(今) 起こっている全てを
カルマに当てはめるのもよろしくない

何でもカルマのせいにし 
現状を変えることを怠ろうとする節がある

最もカルマをいち早く
軽減させる方法というものがある


信心深くしていることだ

何故なら カルマの発生のメカニズムを統括しているものが
神仏であるからだ


したがって
ここでは〈法則〉のほかにも
信心深さによっては
カルマの刈りとりの微妙な〈方針〉変換がなされてくることがある

カルマを軽減させたくば
犯したカルマを刈り取ると同時に
善行を積み重ね
神仏を味方につけることだ


善行はそれだけで
良いことが返ってくる

それを積み重ねることで
カルマのエネルギーが相殺されていく

徳を積むことだ

重ねて言うが
今が悪い状況だとしても
そこから学ぶべきことが多い

それをカルマのせいにしすぎてはならない

日々 選択である

良き仲間 友を選ぶのも
その反対も己の次第


こうしたブログをみることで
人は様々な影響が与えられる

そうした情報の選択も
また大事であろう】



※因果応報 とは
ご存知の方もおられると思いますが、
調べてみました。

過去および前世の行為の善悪に応じて現在の幸・不幸の果報があり、現在の行為に応じて未来の果報が生ずること。

人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。(もと仏教語)
行為の善悪に応じて、その報いがあることで、現在では悪いほうに用いられることが多い。
「因」は因縁の意で、原因のこと。
「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと。


今回は以上です。
それでは また




本日のオススメの過去日記はこちら


🚾トイレの神様が現れた!1 烏枢沙摩(ウスサマ)明王からのメッセージ   



🚹立て続けにトイレの神様が現れた3 番外編 龍神のお言葉  


🦊凛々(りり)しく厳しさのある狐、御祭神からのメッセージ~千種稲荷(東京 錦糸町