お伊勢さん巡礼☆神社紀行⑥第4日:田丸めぐり | 神様が呼ぶ方へ☆きくれいの神社紀行

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こんにちは、紀行作家の保志喜久鈴(ほしきくれい)です。居住地の京都を中心に日本全国の神社や神様を勉強しながら参拝記録を
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お伊勢さん巡礼☆神社紀行⑥
第4日:田丸めぐり

 

平成31年4月9日(火)八時半過ぎ。
JR伊勢市の3つ手前の
田丸駅で降ります。

 

昨日は前後で余計に歩いたので
10㌔コースが15㌔になりましたが、

 

今日は駅周辺から南部にかけて
時計回りに一周する13㌔コース。
無駄歩きの心配はありません。

 

訪れるのはすべて内宮の摂社群。
この辺りは内宮の禰宜・荒木田氏
開拓した地域で、

 

昨日最後に訪れた湯田神社
北東へ約2㌔という近さです。

 

ここに本拠を置いた荒木田氏でしたが
南北朝時代には台頭する武士に押され
内宮宇治町へ移住を余儀なくされます。

 

摂社群も戦国時代には
いったん荒廃したといいます。

 

駅から西1㌔の田丸城址は
荒木田氏を追い出した
北畠氏が築いた城なのです。

 


“熊野古道伊勢路出立の地”

の記念碑が駅前に立っています。

 

伊勢本街道と熊野古道の分岐点で
参宮に続いて熊野詣に向かう者は
この町で装束を整えたのです。

 

浮かれ加減の陶製の人形。
昔の人の“寄り道感覚”は
現代人の域を遥かに超えています。

 


徒歩10分、4日目最初の神社は
内宮摂社狭田国成(さたくなり)神社

三柱のご祭神がいらして、

 

速川比古(はやかわひこ)命
速川比女(はやかわひめ)命
近くを流れる外城田川の神様。

 

山末御魂(やまずえのみたま)
土地の守り神といいます。

 

昨日の大間国成神社
同様に「くなり」ですから
佐田地区開拓に関わる神様でしょう。

 

集落内にあるせいか
古殿地はありません。

 

参道には椿の花が落ちています。
先月の大湊・志宝屋神社の椿は
まだ開花していませんでした。

 

この1か月で見頃が過ぎたのでしょうか。

 

(左端ビニルハウスの向こうが次の杜)


佐田地区の広い墓地を横目に
次の末社に向けて南東へ。
東西と南北に道が付いているので
ジグザグしながら歩きます。

 

青々と繁る作物をよく見ると
赤ん坊の様に小さい麦の穂が。

 

“麦秋(ばくしゅう)は春の季語”

 

そう習ったのは随分昔の話。
収穫は来月くらいでしょうか。

 

麦畑の向こうに
次の杜が見えていますが、

推奨コースも右へ左へ曲折して
なかなか近づいてくれません。

 


摂社群の杜には珍しく桜が咲いています。
杉の木が目立つ境内も思いのほか広く
左へ曲がる参道も奥へと伸びています。

 

内宮末社小社(おごそ)神社のご祭神、
高水上(たかみなかみ)命は水の神様。
日照りの際には雨乞い祈願もしたとか。

 

お詣りすると社殿からの風。
境内にもす~っと吹き抜けます。

 

この神社は荒木田氏の
氏神様でもあるといいます。

 

神様の内でも“ヒト”に近づく程
歓迎される傾向が私にはある様です。

 


今度は県道を西へと向かいます。
宮川を隔てる山稜に並行するので
緩やかに起伏を繰り返します。

 

日差しは暖かいのに風は止まず
古いヒートテックにフリースでは
少し寒いくらいです。

 

出発以来、小一時間、
摂社巡りのお方には
一度もお逢いしません。

 

珍客が現われたので地域自体からも
歓迎されている錯覚すらしてきます。

 


県道を逸れた雑木林の奥、
隠し田のような耕地の隣に
内宮摂社奈良波良(ならはら)神社

 

ご祭神那良原比女(ならはらひめ)命
この辺りの産土神で、

周辺はかつて楢の木の
原野が広がっていたとか。

 

倭姫命(やまとひめのみこと)
定めたお宮らしく由緒は古いのですが、

 

遷宮を待つ社殿の後ろから
二本の杉の木が空を衝くばかりで
何処かうら寂しい雰囲気がします。

 


少し北へ戻ると
“勝田農事実行組合”があって
隣の大規模なビニルハウスには

イチゴがたわわに成っています。

 

玄関先の白地の看板には

 

『平成二十年十一月十四日
 皇太子殿下御来園』

 

きっと神宮を参拝された後
視察に来られたのでしょう。

 

『令和』発表はつい先週のこと。
来月、新天皇に即位される御方も
この地を訪れていたのです。

 

神宮とこの地域の
深い結び付きが感じられます。

 

(摩耗した“鴨下神社”の石柱)

 

西へ少し上った集落の外れ、
苗木を植える前のブドウ畑に
囲まれた次の杜が見えてきます。

 

内宮末社鴨下(かもしも)神社
京都在住者には“下鴨神社”と
字順が逆なので違和感を覚えます。

 

次回訪問する鴨神社の下手に
鎮座する事から命名された由。

 

ご祭神は三柱で
石己呂和居(いしころわけ)命
鴨比古(かもひこ)命
鴨比売(かもひめ)命

 

いずれも勝田地区の

水利灌漑の神様とか。

 

この神々に守られながら
あのイチゴやブドウが育つのです。

 

杉や楠に囲まれた社殿が清冽です。
珍客を迎えて微風も止みません。

 


西へ10分歩くと
満開の桜の下に田宮寺

由緒書によれば
荒木田氏の氏寺だった由。

 

やはり今日は
この御一族に縁がある様で
お堂前に立ち手を合わせます。

 

 

向かいには田宮寺神社
所管外の神社ですが本殿は
垂木を載せ千木も見えています。

 

ここまでの4座分の
お賽銭はここに決めます。

 


境内に御船殿跡の石柱が立ちます。

御船代(みふねしろ)とは内宮の
ご神体を納めて奉納する器のこと。

 

江戸時代中頃まで
式年遷宮後の古い御船代を
この地の御船殿に奉安したとか。

 

地域と内宮の結び付きを
さらに感じさせられる話ですが、

近年の古御船代の行方も
気になる処ではあります。

 


田宮寺がある丘を降りて
水田の広がる農道を北に向かいます。

 

麦、イチゴ、ブドウ、米。

 

荒木田氏の開拓した土地は
今も稔り豊かなのです。

 

行程も4分の3は過ぎたでしょうか。
遠く右手に田丸城址の丘も見えます。
御一族にとって無念の象徴の様です。

 

(田宮寺のある丘を眺める)


別の丘を越え外城田川を渡り
集落を抜けJRの踏切を渡ると
ダンプも走る登り坂になります。

 

右手に牛尾崎池が広がります。
潮に見立ててここで禊をしたとか。

 

田丸の地を潤してきたのでしょうが
低い丘陵地のどこにこれだけの
保水力があるのでしょうか。

 


細く長々と登る参道が見えてきます。
これまでの摂社群にないタイプです。

石畳の坂道を丘の上まで行くと
ひっそりと社殿が佇んでいます。

 

本日最後の内宮摂社
坂手国成(さかてくなり)神社

 

ご祭神高水上(たかみなかみ)命
先程の小杜神社と同じ神様で

内宮の神田の灌漑を守る水の神。

 

開拓地のほとんどが御料田(神田)や
荒木田氏の私領田だったといいます。

 

その田丸の地を今日廻った
摂社群の“水の神々”が囲み、

 

御一族がいちばん高いこの摂社から
見守っている気がしてくるのでした。

 

(つづく・残り87社)

 

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※伊勢神宮HP
https://www.isejingu.or.jp/

 


お伊勢さん巡礼☆神社紀行①第1日前編:外宮宮域
https://ameblo.jp/kikurei-jinjakikou/entry-12447296971.html

 

お伊勢さん巡礼☆神社紀行②第1日後編:外宮周辺
https://ameblo.jp/kikurei-jinjakikou/entry-12449110887.html

 

お伊勢さん巡礼☆神社紀行③第2日:大湊・神社めぐり
https://ameblo.jp/kikurei-jinjakikou/entry-12451226647.html

 

お伊勢さん巡礼☆神社紀行④第3日前編:小俣めぐり~宮川堤まで
https://ameblo.jp/kikurei-jinjakikou/entry-12455129223.html

 

お伊勢さん巡礼☆神社紀行⑤第3日後編:小俣めぐり・宮川堤~湯田神社
https://ameblo.jp/kikurei-jinjakikou/entry-12456130082.html