お伊勢さん巡礼☆神社紀行③第2日:大湊・神社(かみやしろ)めぐり | 神様が呼ぶ方へ☆きくれいの神社紀行

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こんにちは、紀行作家の保志喜久鈴(ほしきくれい)です。居住地の京都を中心に日本全国の神社や神様を勉強しながら参拝記録を
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お伊勢さん巡礼☆神社紀行③
第2日:大湊・神社(かみやしろ)めぐり

 

平成31年3月9日(土)10時前。

松坂で一泊した私はJRで伊勢市駅に戻り
外宮とは反対側の近鉄口から出ます。

 

ターゲットは外宮の北部地域、
“大湊・神社(かみやしろ)めぐり”の5社。

 

ガイドブックの推奨ルートは
寄り道が多く歩行距離は11㌔。

 

3時間で18社廻った昨日とは
様相が異なる行程なのです。

 


最初の摂社まで真っ直ぐ北上せずに
東へ迂回して河崎の町に入ります。

 

川船が行き交った時代の物資の集散地。
大きな蔵が幾つも点在するのは
繁盛した当時の名残でしょう。

 

河崎の中間点にあるのが
河辺七種(かわべななくさ)神社
由緒書によれば周辺は魚市場跡とか。

 

神宮関係者の全員が神饌の“お下がり”
に有りつける訳ではなかったでしょう。

“神都”の胃袋を掴む町。
儲からない訳がないのです。

 


“河崎の産土神”をお詣りすると
社殿の位置が境内の奥に偏っています。

 

最初は野焼き場に見えた敷地の奥に
石組が組まれ紙垂で囲った一画が。

 

神宮所管外の地元の氏神様でも
遷宮用の古殿地を備えているのです。

 


出発して一時間弱でようやく
最初の摂社河原淵神社に着きます。
御祭神の澤姫命はやはり水の守り神。
杜に面した朧ヶ池も宮川の跡だとか。

 

戦国時代に一度頽廃した後
江戸時代に別の土地で復興してから
明治時代に現地に戻ったといいます。

 

今や大きな杜の中心には
地元の氏神様船江上社が鎮座し
摂社の方が間借りしている恰好です。

 

賽銭箱も見当たらず、やむを得ず
氏神様の方に献上することにします。

 


次の摂社に向けて北上すると
要所要所で海抜の標識が現れます。
大体が2㍍と少々の表示。

 

先程の朧ヶ池といい
外宮の勾玉池といい
すべて宮川の旧流路ということは
この辺りは氾濫原だったハズ。

 

洪水はおろか津波が来た日には
ひとたまりもない土地柄なのです。

 

しかし平坦な分だけ見通しは良く
次の杜がすぐにそれと分かるのですが。

 


たどり着いたのは摂社河原神社
御祭神は川神(かわのかみ)
宮川下流の田地を守護する神様。

 

同座する末社毛理(もり)神社
御祭神が木神(きのかみ)
御神木の神を祀っているとか。

 

社殿を覆う様に立つ楠が
その御神木でしょうか。

御祭神のお名前や由緒がだんだん
シンプルになってきました。

 


ここにも賽銭箱はありません。
この先の神社でまとめて賽銭する
と決めて退出すると、

 

杜の入口に私を待つように
同年代の女性が立っています。

 

『摂社巡りですか?』

 

近所にお住まいの方で
神宮のガイドを務めておられるとか。
全125社もお詣り済みと言います。

 

伊勢市駅から直線距離で2.7㌔。
ここまで来る参拝者は少なく
余程私が珍しかったのでしょう。

 

この辺りはずっと平坦ですねと
愚にもつかない感想を漏らすと

 

『逃げ場がないんですよ。
 高い建物もなくて少し怖い位』

 

明後日は3.11。
今朝も関連ニュースを見て来た所です。
この杜も津波に耐えられるものでしょうか。

 


次の摂社も真北なのですが
推奨ルートは西を迂回し
奉行所跡の集落に向かいます。

 

中心部の所管外二木神社は当所の氏神様。
先程の河辺七種神社と同じ様に
ここにも古殿地が用意されています。

 

ところが本殿の屋根から突き出た
千木は水平に切ってあります。

 

千木の切り方は内宮が水平、
外宮が垂直と習いました
から
内宮に関連するお社でしょうか。

 

“拡大・神宮ネットワーク”
距離の遠近だけに係わらない
複雑な由緒があるのかも知れません。

 


現在の宮川の堤防に上ります。
両側の川面と農村を見下すと
10㍍近い高さに感じます。

 

宮川は川幅いっぱいに水を湛え
中洲は一面に低い葦が繁っています。
対岸に目立った人工物もありません。

 

茫洋とした河口の風景。
歩いてもなかなか景色が変わりません。

少しばかり倦んできた頃、どこからか
正午のサイレンが響いてきます。

 


20分程で本流の堤防から分かれると
分水路の対岸に大湊の町が現れます。

古くからの造船業の町とかで
広い三角州に人家が立ち並びます。

 

周囲の民家とは異質な四角い
無機質な3階建てが見えています。

 

災害避難所だと察しは付きますが
この大きさで三角州に住む全員を
収容できるのでしょうか?

 


町の一画に摂社志宝屋(しおや)神社
杜の周囲は椿が植わっています。
海に近づいたのでしょう。

 

参拝を終えた若い女性が現われ
今度は私が面食らいます。

 

御祭神は塩土老翁(しおつちのおじ)。
塩業、海路の守護神なのですが
地元では安産の神とされているとか。

 

軽装の“若い女性の願い”に
後から思い至る次第なのです。

 

 

大木が並ぶ参道を行けば
遷宮前の社殿の傷みが激しいこと。

 

垂木は削られて色を失い門の部材は
一部新しく取り換えられています。

 

杜の中にあってもやはり
潮風の影響が強いのでしょうか。

 


ほとんど歩き詰めで
さすがに疲れを覚えます。

30分に1社を参拝するペース。
次回以降が思いやられます。

 

本日最後の摂社に向かいながら
景気づけに歌い始める私。

水路端で休んでいた水鳥がすべて
一斉にダイブして逃げて行きます。

 


港湾の堤防に行き着きます。
潮が引き水面は細く対岸も近いので
勢田川の続きのように見えます。

 

南へ行くうち一色大橋が見えてきます。
路線バスが高く港を越えて行きます。

 

橋のたもとが神社(かみやしろ)集落。
三河や尾張からの参詣は“船参宮”と言って
船でこの地に上陸し外宮を目指したとか。

 

 

遊郭も栄えたという集落の一画に
最後の摂社御食(みけ)神社があります。

御祭神は水戸御饗都(みなとのみけつ)神
海産物を神宮に供する御饌の神様です。

 

この地に上がった海産物などの
物資は川船に積替えて今朝訪れた
河崎の町まで運ばれたのでしょう。

 

流通拠点・神社港に御饌の神様が
祀られた理由も得心がいきます。

 

 

池や堀で囲まれた神域は
今日訪れた諸社とは趣が異なります。
杉や楠の大木が多く添え木も立派です。

 

周囲が水路で狭いためか
古殿地は見当たりません。

 

修繕を待つ社殿に向かい参拝のお礼と
無事ゴールした感謝を申し述べます。

 

板垣の前に小振りな賽銭箱。

 

私はそっと3社分の
お賽銭をするのでした。

 

(つづく・残り102社)

 

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お伊勢さん巡礼☆神社紀行①第1日前編:外宮宮域
https://ameblo.jp/kikurei-jinjakikou/entry-12447296971.html

 

お伊勢さん巡礼☆神社紀行②第1日後編:外宮周辺
https://ameblo.jp/kikurei-jinjakikou/entry-12449110887.html