お伊勢さん巡礼☆神社紀行④第3日:小俣(おばた)めぐり前編~宮川堤まで | 神様が呼ぶ方へ☆きくれいの神社紀行

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こんにちは、紀行作家の保志喜久鈴(ほしきくれい)です。居住地の京都を中心に日本全国の神社や神様を勉強しながら参拝記録を
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お伊勢さん巡礼☆神社紀行④
第3日:小俣(おばた)めぐり前編

 

平成31年4月8日(月)
12時12分、快速みえ号から
伊勢市駅に降り立ちます。

 

一か月ぶりのお伊勢さん巡礼は
門前町山田の西部から宮川を渡り
さらに郊外まで足を延ばします。

 

ガイドブックのスタート地点は
近鉄の隣駅・宮町なのですが
さほど距離はなく歩いて向かいます。

 

駅前の県道から新道商店街に入ると
かえって見事な位のシャッター通り。

ご老人の自転車がヨロヨロしても
これなら安全安心です。

 

とはいえ
戦前までは歓楽街だったとか。

当時の賑わいに思いを馳せていると
唯一、金物屋から子供の歓声が
漏れ聞こえてきます。

 

店先の手書きポスターには
“学童保育所”とあります。

 


少し道に迷いながら20分後には
本来のコースに合流します。

今日はこれから約10㌔の行程ですが
すでに1.5㌔ほど余計に歩いています。

 

最初の摂社に向かって
高向(たかぶく)集落を北へ。

前回“大湊・神社めぐり”の道中でも
再三見かけた海抜の表示板は
2㍍台を示しています。

 


大楠が他の木に覆い被さった
小ぶりな杜が現われます。

 

摂社宇須乃野(うすのの)神社
御祭神は宇須乃女(うすのめ)命
五穀の霊神といいます。

 

末社県(あがた)神社も同座され
こちらは高向の上田(あがた)の守護神。

 

市街化が始まる迄は水田の中に
浮かぶ様に見えたことでしょう。

 

大楠の葉は黄色く変色しています。
この時期に新しい葉と入れ替わり
落ち葉が降り注ぐのだとか。

 


来た道を宮前駅付近まで戻ります。
違う道を回遊するのが理想ですから
ルート設定にひと工夫欲しい処。

 

編集部としても適切な道が
見つからなかったのでしょうけれど。

 

思いのほか日差しが強く
早速汗ばんできました。

 

フリースを腰に回して
長袖Tシャツ一枚になります。

 

 

踏切を二つ渡ると次の杜が
住宅の屋根越しに見えてきます。

 

摂社清野井庭(きよのいば)神社
若木の社殿が外から丸見えです。

 

御祭神は草野姫(かやのひめ)命
この地域の灌漑用水の神様の由。
やはり稲作に関わる神社なのです。

 

大木も健在していますが
全体的に木々がまばらで午後の
日差しが直接境内に差し込みます。

 

社殿がいっそう光輝くのですが
傷みが早まりはしないでしょうか。

周囲の市街化が進んで
杜が衰えたのかもしれません。

 


5分も歩かず到着したのは
ふたつの摂社がある杜です。

 

参拝者を遮るように
祭壇の様な石組みがあって
傍らに手水鉢を目にします。

 

今日の私は御手水を忘れたまま
ここまでお詣りしていました。

 

慌てて旧ご聖典(なぜ編)で習った
簡易な禊ぎ方法を試みるのです。

 


若木の社殿が並ぶ御姿は新鮮で
初々しくも感じられます。
境内も広く風もそよぎ始めます。

 

左手の草奈伎(くさなぎ)神社
外宮第1位の摂社で剣を祀っています。
御祭神は御剣仗(みしるしのつるぎ)神

 

右手は大間国生(おおまくなり)神社
御祭神の大若子(おおわくご)命・乙若子命
初代伊勢国造・天日別(あめのひわけ)命の子孫。

 

内宮鎮座やこの地域の開拓で活躍された由。
それで“国生”を「くなり」と訓むのでしょう。

 


大若子命は垂仁天皇より剣を賜り
越の国の平定でもご活躍されたとか。

 

三種の神器のひとつ“草薙剣”と
同一の剣なのかは判らないけれど
天皇の武力の象徴として
その御神威は強烈だったのでしょう。

 

両社をお詣りしてゾクッとしてきます。
心地よい風が止むこともありません。
記紀神話を学んで来た成果でしょうか。

 

一方、これまでの在地系の神様に
感じる処は少なかったのです。

 

御手水や禊ぎを忘れて礼儀を
尽くさなかった報いもあるでしょうが。

 


さらに市街地を西へ歩くこと10分
上社(かみのやしろ)に到着します。
3つの摂社が同所にあるのです。

 

上社の由緒書によれば
当地の3つの摂社が戦国時代に荒廃したのを
地域住民が産土神として祀って今日に至ると。

 

式年遷宮が政情不安や財政難で
中断したのも戦国時代でした。
摂社等の維持管理も困難だったハズです。

 

前回訪れた船江上社河原淵神社
同様な関係にあったのでしょう。

盛衰を経て今の125社になった訳で
古来不変の構成ではなかったのです。

 


上社の手水舎で浄めてから
上社の参道と並行する小径に入ると
若木の板垣が並んでいます。

 

再興した3社を上社の杜が
御守りしている呈なのです。

 

ガイドブックに従って先に奥の摂社
志等美(しとみ)神社・大河内神社へ。
2つの社殿が一つの板垣に収まっています。

 

左の志等美神社の御祭神は
久久能智(くくのち)神で木の神様。

 

右の大河内神社は大山祇(おおやまつみ)神
日吉大社や松尾大社でもお詣りした神様。

 

手前の摂社打懸(うちかけ)神社
打懸明神が御祭神で五穀豊穣の守護神。

 

しかしながら
いずれも本来のご神徳に加えて
堤防守護の神様とされています。

 

ここはすでに宮川に程近く
ひとたび決壊すれば今日廻った地区は
瞬く間に泥流に呑み込まれるでしょう。

 

切実な祈りと願いを感じ取ります。

 


もちろん上社にもお詣りします。
ご祭神は先程の3社と同じです。

 

古殿地らしき空間の向こう
千木を載せた本殿の屋根は
赤で塗られています。

 

このお社の尽力で摂社も復興し
この度の巡礼で立ち寄れたのです。

本日4座分のお賽銭は
ここに入れる事にします。

 


宮川堤防は裏道を抜けてすぐ。
桜並木は僅かに見頃を過ぎていますが
多くの花見客が集まっています。

 

川沿いの風はひと際強くて
容赦なく花弁を散らしていきます。

 

『桜の下には死体が埋まっている』

 

明治の作家が言い始めたらしいけど
堤防工事には人柱が付き物だしな、
と妙な納得の仕方をします。

 


桜吹雪の中、
健気に残る桜を楽しみながら
最初の橋を渡り始めます。

 

川越しの桜並木もいいものです。

 

向こう岸に近づき道を確認すると
ガイドブックの推奨ルートは
もう一つ下流の橋を渡るらしい。

 

不穏当な連想などしたものだから
桜花の妖気に当てられたのかも知れません。

 

(後編につづく)

 

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※伊勢神宮HP
https://www.isejingu.or.jp/

 

※旧ご聖典(なぜ編)

『成功している人はなぜ神社に行くのか』
https://www.amazon.co.jp/%E6%88%90%E5%8A%9F%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%80%81%E3%81%AA%E3%81%9C%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%81%8F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E5%85%AB%E6%9C%A8%E9%BE%8D%E5%B9%B3/dp/4763135643

 


お伊勢さん巡礼☆神社紀行①第1日前編:外宮宮域
https://ameblo.jp/kikurei-jinjakikou/entry-12447296971.html

 

お伊勢さん巡礼☆神社紀行②第1日後編:外宮周辺
https://ameblo.jp/kikurei-jinjakikou/entry-12449110887.html

 

お伊勢さん巡礼☆神社紀行③第2日:大湊・神社めぐり
https://ameblo.jp/kikurei-jinjakikou/entry-12451226647.html