ふとした瞬間に、
「この記憶、こんな風に感じたことはなかったかも──」そういう違和感やズレを感じたことがこれまでにあるかもしれません。

それは決して、記憶が改ざんされたわけでも、
都合よく塗り替えられたわけでもなく、
むしろ──“あなたの物語”そのものが、未来の構造から語り直されはじめたサインなのかもしれない。そんな記事を前回は一緒にみてきました。



その変化は、すでに未来と接続し始めた身体が、
“これからの自分”として世界を観はじめている証でもあります。

それは、“問い”の余韻の中に、
“言葉”の間にある沈黙にひっそりと訪れるということも以前の記事で一緒にみてきましたね。



それは気功でもあるということがうっすらと観えてくるかもしれません。

 
これからどういう“言葉”を使うか、
どの“空間”を選ぶか、
どんな“未来”を歩むか──
それすべてが、再起動されるタイミングにいる。


ある言葉によって変化した先の世界に訪れる空間は、その言葉に触れる前にあった空間とは、どこか違うものになっています。(それをある時は同じものを観て、違う風景に観えるということや螺旋的な移動と表現しているかもしれません)

ここで書いているメッセージは、もしかしたらある人たちにとっては詩的な表現で現実感のないものに感じるかもしれません。

けれど、世界は言語で描かれているということを踏まえれば自然なことですし、その視点に立てば“リアリティを生成するための物語構造”が欠かせないことも、クリアに観えてくるのかもしれません。

 
気功をあっさりと獲得して、一気に上達するには、言葉に対するセンスを磨くことです。
もちろん気功は非言語であり、言語抽象度を超えています。それはそうなのですが、磨くのは被験者やクライアントのためではなく、自身のためです。
気功を学ぶものがきちんと言語を獲得するならば、気功をあっさりと獲得して、一気に上達すると思います。

気功技術に関する重大な秘密を1つ漏らすとするならば、気功技術とは概念であるということです。概念であり、言葉であるということです。概念は情報の網の目の中に浮かぶものであり、宇宙全体に広がる情報をゆらがせます。もちろん内部表現もゆらがせます。
ある概念を学ぶということは、身体が変わるということです。


苫米地先生は繰り返し、「世界は言語で描かれている」と言います。
すなわち、非常に浅薄な言い方ですが、モーダルチャンネルのうち言語が最も優位であるべきということです。
脳幹欲求優位の原始的な我々はつい五感ベースで考えてしまうのですが、それでは臨場感の本来の姿をほとんど理解できないということです。
空想ではなく、科学という整合性の高い物語がリアリティを増すためには不可欠であることをキャメロン監督は理解していたのだと思います。


そして、
それを身体を伴って再構築していく接続する“場”の存在です



接続の“場”についてもこんな風に以前書いています。

 
リアルな呼吸や身体を介した「構造の再起動」
遠隔の情報場を通じてアクセスされる「視座の再編」
その両方が再帰的に循環することによって、決して頭で理解したつもりになっているだけでは起こることのない変化が継続的に起きていくのです。(ここに綴られている一連の記事も遠隔として作用するのは、情報場を通じてアクセスされる「視座の再編」があるから、読むだけで変化が起こる、という現象があるわけです)


その意味で冒頭に書いた記憶は、“思い出す”たびに未来を通して観た「いまの自分」によって語り直されるのです。

身体が変われば、呼吸が変わる。

呼吸が変われば、臨場感が変わる。

臨場感が変われば、記憶が変わる。

これは、あまりにリニアな表現かもしれません──
けれど、そういった変化の流れのなかで「思い出し方が変わる」というだけでなく、「記憶そのものの“意味”が変わってしまう」ということ。

それが“あなたの物語が変わった”という一つサインだと捉えることができた時に、これまでとは違う空間へ移動できるのだと思います。

ヒーラーとは、
誰かに“癒し”を与える人ではなく──
“物語の構造”を更新するきっかけを静かに提示できる存在。
その空間に“別の記憶”を、未来の臨場感から差し込める身体ともいえるのかもしれません。

それは、
自分自身の言葉によって──
自分の身体の解像度を変えること。
空間に宿る情報の質を変えること。
言葉の回路を変え、臨場感を変えていくこと。



そして、
「いつのまにか変わっていた」
「別人になっていた」
その背景には、“物語の再構成”が進行していたということがあるのです。


 
音楽って変化するものだと思うんです。
私はよく音楽は建築に似ていると言うんですが、
どちらも存在できる空間を掘り出していると思うんです。
存在が理解できない暗黒物質みたいなものですよね。
私たちにはまだ感知できないけど、確かに存在しているもの。もし仮に世界中に存在する、あらゆる音階のすべての音を一曲のなかに詰め込んだとしても、それはひどい音楽になると思います。

そして、物事を洗練させていくうえで大事なのは、
何を削って何を残すのか。
何かを引くことの方が足すことよりも重要だと思い
ます。

たとえば曲をミックスするのは物理的なプロセスなんです。特定の音域を際立たせるために別の周波数を削ったり、低音が多すぎたらそれをカットしたり、つまりそういう作業は空間をデザインしている感覚に近いんです。
言葉でも同じことがいえると思います。
言わなかったことが、言ったことよりも強い意味を持つことってありますよね。特に詩的な表現ではそうです。だから、音の間にある沈黙。
たとえばベースラインがこう鳴ったとして、音がいつ鳴っているかはとても重要ですが、しかしグルーブを生み出すのは、その間に存在する、ほんの少しの静寂の瞬間なんです。
音楽が終わったあとの静けさって、その曲の前にあった静けさとは、どこか違うものになるんです。
少なくとも私はそう感じています。
だから、私は沈黙はとても重要だと思います。
The Evolution of AI and Creativity: Yuval Noah Harari × Hikaru Utada / AIの進化と創造性【ユヴァル・ノア・ハラリ×宇多田ヒカル】(YouTube訳)




未来の構造が、今に作用しはじめている。

そうしたとき、過去の出来事すらも新たな文脈で語り直されていきます。

「未来の自分」が現在の自分に向かって、
ありとあらゆる方法で「きっかけ」を与えようとしている──
ノイズを掻い潜ったその先にある気づきが、過去に新しい意味を与えていきます。

あなたの身体は、すでに未来を語りはじめているし、その物語はいつでもデザインできる、ということ。

それはつまり、
身体という空間を通して、
もっと根本的なことですら──



あなたが触れている空間が変われば、
言葉が変わり、語りが変わり、未来も変わる。
それらを、僕たちはデザインしていく、新たな物語を創造していくことができる場所に一緒にいるということ。

ではでは、今回はこの辺で。


また次回の記事でお会いしましょう!
Khronos / The salone|Hiro

追伸:
感想・ご質問、大歓迎です! 
たった一言でも構いません。もし何か感じたことがあれば、ぜひシェアしてください。言葉にすることで、見えなかったものが形になり、次の扉が開いていくのです。
あなたの一言が、次の扉を開く鍵になります。
どんな小さな気づきでも、それが新しい変容の始まりになります。そして、“場”をさらに深める力になります。