「呼吸が変わると、世界の“感じ方”が変わる」──
これは、
前回までの記事で繰り返し取り上げてきたテーマです。
この感覚の変化は、
単なる気分の変動ではなく、
情報空間における臨場感の階層が動いた結果です。
その背後には、
身体の構造的な変化が存在します。
それは、
ただ酸素を取り入れるという“機能”ではなく、“選ばれなかった可能性”すら、再び目覚めさせるような、身体の記憶を呼び戻す“鍵”としての呼吸です。
最近の記事内容は、
ふわっとした内容に感じているかもしれないメッセージの裏側にある理論も、表に出していきながら書き記してきました。
それが、
身体性という根源的な部分が、ある種のパスポートになることであったり、情報空間を観る方法であったり、未来へ移動していく方法であったり、チャンスの掴まえ方であったり、気功のコツ、共感覚などいろいろなことへ接続されていくことを感じて頂けていたら嬉しいです。
それを踏まえて、過去記事を読んでいただくと以前から書いていることに、気付いたいただけたら、すごく有り難いです。
で、昨夜、
遠隔ヒーリング「Révia Lux」の最終セッションが無事に終了しました。
ご参加いただいた皆さま、
本当にありがとうございました。
期間中、呼吸が変わった、肌の感覚が変わった、夢が鮮明になった──
そんな感覚の変化が数多く寄せられました。
それは、ただの身体的な反応ではなく、
“世界の見え方”の再構成が始まったサインかもしれません。
前回までの記事でも触れてきたように、呼吸が変わることで、世界の“感じ方”が変わり始めていきます。
Révia Luxでは、「呼吸と意識のあいだにある微細な通路」をテーマに進めてきましたが、それは、これまでずっと裏で流れていた理論をわかりやすい形に再統合したプロセスでした。
それを通して、実際に多くの方が“変化の兆し”を身体を通して実感してくださったこと、
とても嬉しく思います。
その中でも、今回意識的にアプローチして印象的だったのが──
「能力の輪」に対する反応でした。
「身体が整うと、自分の“得意なこと”に改めて気づいた」
「何か、立ち位置の“輪郭”のようなものが浮かび上がった」
「この“感覚”を起点に、次の一歩を決めたくなった」
不思議なことにパーソナルセッションでも、このような流れが起こっていますので、今日はその「能力の輪」について、少し丁寧に触れていきたいと思います。
「能力の輪」とは、
自分の才能や得意分野を円環構造で捉え直す概念です。
ここで考える、
それは一般的な“スキル”の話ではありません。
むしろ、
それは“当たり前すぎて自覚していない”ような領域──
自分では見落としがちな「普通の自分」の中にこそ、
その“輪”の中心があります。
けれど、
その「普通」こそが他者にとっての「非凡」であり、自分自身の価値を見出す鍵となります。
輪の内側にあるものについては専門家のように深く理解しているが、輪の外については理解できないのです。
そしてバフェットはこう言います。
「自分の能力の輪がわかっているなら、そこにとどまっていればいい。
その輪がどれくらいの大きさかはそれほど重要ではない。
しかし、その輪がどこで終わっているかを正確に知ることは非常に大切である」。と
我々もその輪がどこで終わっているかを正確に知りましょう。
そもそもその輪がどこにあるかも知りましょう。
その輪は意外と小さいものですし、内なるエゴは自分はもっと有能だと騒ぎます。そのエゴには黙ってもらいましょう。エゴくんは災難と競争と見栄と不幸しかもたらしません。
そして、この輪の外について「自分は何も知らない」という偉大な人が言うときにそれを謙虚と周りは評価します。しかし謙虚でも何でもなく、彼らはその輪の中にとどまり、その輪の境界を良く知っているだけなのです。
そしてその輪の中にとどまる限りは、幸福であり、成功もできるのです。
我々は輪から遠く離れたところで、無駄なあがきをしているのです。
才能の源泉は輪の中にあります。それは半径30センチくらいかもしれませんが、我々が生きていくには十分な広さがあるのです!
変えるべきものは能力の輪の中にあり、変えることのできないものは能力の輪の外にあり、「変えられないものと変えるべきものを区別する賢さ」は境界を知る知性にあります。
ニーチェの言う通り、我々は天才神話を忘れるべきなのです。
ニーチェはより踏み込んで、その天才神話とはCreativeAvoidance(創造的回避)だと見なします。
(引用開始)我々は、自分自身を高く評価しているにもかかわらず、自分にはラファエロのような絵を描く才能も、シェイクスピアのような劇的な戯曲を生み出す才能もあるとは思わないので、彼らの才能は並はずれてすばらしいとか、めったにない出来事だとか、いまだ神を信じているなら、天上からの恵みだと思いこむ。こうして我々の虚栄心、我々のうぬぼれが、天才崇拝を助長する。彼らは我々とはまったくかけ離れた存在である、奇跡であると考えれば、彼らは我々を傷つけはしない(引用終了)
それが“輪”という比喩で立ち現れてくるとき、
僕たちはようやく“本来の立脚点”を取り戻していくことができるのだと思います。
それは、
こんな風にいえるのかもしれません。
能力とは、
自分の中にすでにある“当たり前”に対しての再発見である、と。
それが「輪」として立ち現れるとき、
人は“自分の場所”を取り戻す。
つまり、
能力は生まれ持ったものというよりも、
認識と環境の相互作用の中で定義され直すもの
ということです。
そして、
それは不断に再帰的に繰り返される中で、能力の輪は精緻化され、卓越性や社会に機能を果たすこと、ブランディングなどに繋がっていくのだと思います。
ただ、僕たちは、どうしても模倣から逃れることはできません。(ミメーシスはピーター・ティールの師匠の理論)
その暫定的な方向性は、昨日記事に書いた様に、繰り返し模倣することで、近似解を繰り返すことで本質に近づいていくプロセスであり、厳密な点を見つけることよりも、近似を続けることによってしか機会の通り路を抜けられない、ということでしたね。
それは、ここにも繋がっていくと思います。
ミエリンというのは絶縁体です。
ミエリンという絶縁体でニューロンを覆うことによって、脳内のナローバンドをブロードバンドに切り替えます。
ミエリンについてはWikipediaを引きます。
(引用開始)
髄鞘は伝導性が低いために、髄鞘化されていることによって神経線維の内外の抵抗は5000倍に、静電容量は50分の1となる。この絶縁性の高い髄鞘が存在することの主たる機能は、髄鞘化された神経線維(有髄線維)に沿った神経パルスの伝導速度が速くなることである。(引用終了)
ポイントはミエリンという絶縁体によって神経回路を包み込むことで、信号の伝導速度を早めるのです。シンプルに言えば、ブロードバンドにするということです。
頭の回転が速いというのは、ナローバンドがブロードバンドになるということです。
そこにはミエリンという絶縁体が関わっているということです。
この流れは以前、習得への情熱―チェスから武術へ、の本をご紹介するときに、こんな記事を書いていたことを思い出します。
ここまで来て強引に「能力の輪」に話を戻すと、「輪」は
“自分がどこから世界を見ているのか”という視点の位置情報でもあります。
たとえば、
呼吸が深まり、視座が上がったとき──
「自分はここに立っていたのか」と気づくことがあります。
そのとき、
僕たちは初めて
“夢”や“未来”を自然と語れる身体になっていきます。
それは、
自己の中心軸から世界を見直すプロセス。
つまり「能力の輪」とは、
自分が何が得意で、何が好きで、どんな状態が快適であり、どんな場所に、どんな人たちと過ごして、どう在りたいのか──
そういった、自分という“構造”の認識装置でもあるのだと思います。
それは何を外していくのか、
ということでもあります。
長くなってきたので、このあたりで今回は終わりしますが、よくわからなくても何も問題ありません。
そんなとき“場”の変化の流れに乗っていると意識にあげていただくだけで大丈夫です。
それだけでも、
Khronosの時間への移行を促していきます。
Révia Luxで呼吸が整い、
内側の構造が書き換わったとき、「能力の輪」がふっと、輪郭を持って現れてくる感覚があるかもしれません。
表現形としての現実への写像は様々だけど、
それは、“何かを始める前の静かな決意”のようなものかもしれません。
能力とは、 外に探すものではなく、
内側に戻ることによって、“再び可能性をひらく”ための扉です。
それを、インストールする機会ができたことは幸いなことです。
必要なメンバーが集まり、
それを受け取って頂けたことは有り難いことでした。
昨日という「変化の最終日」に、
あらためて深呼吸をひとつ。
Révia Luxにご参加くださったすべての方に、感謝を込めて。