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*インド生誕の釈迦が2500年前に、民衆の苦しみを救う哲理を瞑想し到達して表したのが「法華経二十八品」。

その後像法時代に法華経二十八品のエッセンスを表したのが中国の天台で、その著が「魔訶止観」。

法華経と魔訶止観で説き表さなかったその極理が「妙法蓮華経」である。と悟って立宗宣言して弘めたのが末法の日蓮。

 

*釈迦は正法時代の法華経。天台はその後千年間の法華経である「魔訶止観」。日蓮は末法万年の法華経である「妙法蓮華経」を説き表して弘通した。

 

*これら三種の法華経に共通している哲理は「成仏」。「成」とは仏の命を開き現す。ということ。

仏の命。というのは、いかなる煩悩や生死の苦しみに襲われても、それに紛動されることなく、変毒為薬して命は常に「喜び」で満たされて生き生きと輝いている。これを煩悩即菩提。生死即涅槃というんですね。菩提は心の喜び。生死は生老病死という身の苦しみ。涅槃は身の喜び。を指しています。

 

*釈迦、天台、日蓮は、煩悩や苦難を突き抜けて、揺るがぬ喜びを民衆が命の中に確立できる方途を説いた。しかし、釈迦、天台の成仏の方法は、長延な時間をかけたり観念観法であって万民が成仏に至ることが困難な法であった。

 

*日蓮は「前代に異なり肝要を好む」との言葉通り、ただ「南無妙法蓮華経」と唱えるだけで煩悩即菩提、生死即涅槃。と、万人が成仏できる法を開示。以心得入と言って、素直で大きな心で信じて妙法に帰依する人が成仏できることを教えました。

 法華経二十八品と魔訶止観が説く内容が、すべてこの妙法蓮華経の七字に納まっていることから、妙法蓮華経が末法の法華経と呼ばれている。

 

*妙法蓮華経は、大宇宙の命の法であるとともに、小宇宙である衆生の命の法であり、両者はつながっていて、宇宙と衆生の生命を貫いています。

妙法蓮華経というのは仏の名でもある。南無、というのは帰命とも言われ、身を任せるという意味でもある。

妙法蓮華経という仏に身を任せて「南無妙法蓮華経」と唱えて讃嘆し感謝すると、衆生の命は更に生かされ守られ愛されて歓喜が満ちてくる。仏の慈悲が渙発される。慈悲とは、衆生の命を生かし守り愛すること。衆生の命を感謝歓喜で充たすこと。

 

*私たちは自分の力で生きている。と思っていますが、実は宇宙の法である妙法に生かされているのです。守られ愛されているのです。

 

*仏の慈悲。それは智慧、歓喜、生命力であり、慈悲智慧歓喜生命力は、それぞれが互いに具有されている。

 

*抽象的な言葉でお話しているので、次回もう少し私たちに身近な話題からお話したい。

 

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 アイマース久美高筆