クマの散歩道 Vol.127 クマが鬼怒川に架かる橋をご案内します~その10大瀞橋、中岩橋ほか | クマの散歩道~大好きなふるさと日光市を紹介するブログです~

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このシリーズも3クール目の4記事目になりました。トータルでは10本の記事で川治温泉から龍王峡を経て、鬼怒川温泉街に架かる12橋(※1)を紹介してきました。今回は、鬼怒川温泉街よりも下流(南部)に架かる4橋を一気にご案内したいと思います。
 
→前回の記事クマの散歩道vol.126クマが鬼怒川に架かる橋をご案内します~その9立岩橋、鬼怒楯岩大釣り橋(それより以前の記事には前の記事より順番にアクセス出来ます)。
 
※1 天端を渡ることの出来る小網ダムも橋として換算、一方日塩有料道路龍王峡ラインの橋梁は割愛しての12橋という換算です。
 

その4橋というのは、上流から万年橋(まんねんばし)、大瀞橋(おおとろばし)、新大瀞橋、そして中岩橋(なかいわばし)です。
 
上の写真はその中で、新大瀞橋の橋上から見た、大瀞橋の様子です。大瀞橋は吊橋になります。
 

それでは、この回での最上流にある万年橋からご案内しましょう。この橋は観光で来るお客様が通ることの少ない道に架けられた橋なので、地元民以外は余り知らない橋かもしれません。グーグルマップでも橋そのものの名前ではヒットしないので、東武鬼怒川線の小佐越駅(こさごええき)で検索してみました。上の写真で道の奥に小佐越駅があります。
 
小佐越駅から緩やかな坂道を下りてきて、小さな交差点を直進すると、ここからは急坂で万年橋まで下りていきます。
 
緩やかにカーブを描きながら坂道を下りると、幅員の狭い比較的小さな橋が架かっています。
 
橋の袂まで下りてみるとこんな感じの橋になります。幅員は乗用車1台が通れる程度で、橋上での行き違いは出来ません。逆にそれがひっっそり感を醸し出しており、いい感じです。
 
前に通った時にたまたま映画か何かの撮影をしていたところに出くわしました。撮影中一時通行止めにしていたので、車を下りてスタッフに聞いてみたけど、そのスタッフは何の撮影かわかっていないようで教えてもらえず、未だにその映像を見たことがないのですが、雨を降らせるシチュエーションで撮影していたので、さぞかし素敵な映像が撮れたのだろうと思います。一度見てみたいなあ。
 
この橋の架橋は昭和38年(1963年)ですから、比較的古く架橋された橋ですね。ただ前々回の記事クマの散歩道 vol.125 クマが鬼怒川に架かる橋をご案内します~その8くろがね橋、ふれあい橋でご紹介した、くろがね橋は大正時代の架橋ですから、鬼怒川に架かる橋の中ではまだまだ新しいものかもしれません。55年、半世紀以上経ってるから、新しいという言葉は合わないか。
 
一般的には「万年橋」と表記していますが、橋の欄干には旧字体で「萬年橋」と書かれていました。
 
正面に立った位置で橋を見てみました。どうでしょう?撮影に使われるだけあって、結構趣のある橋だと思いませんか?
 
この橋を渡った先は小佐越地区といい、現在は鬼怒川有料道路が地区を貫いています。その先にはベゴニアガーデン花いちもんめ日光江戸村があります。
 
こちらが橋上から上流を望んだところです。観光ナイズされていない橋ですが結構きれいですよね。
 
そして下流側の様子です。下流のすぐのところに、小さな索道?が見えています。これは昔からあるのですが、僕にも何のために設けられたものなのかわかりません。これはあくまで想像でしかないのですが、古くは鬼怒川の右岸に木戸ヶ沢鉱山という鉱山が、左岸に南沢鉱山がありましたから、その関連の設備かもしれませんね。人が乗れるほど大きなものではないので、荷物の運搬に使ったのでしょうか。
 
橋の袂にはダムの放流警報所があります。
 
万年橋からは、上のグーグルマップに載っている日光市立下原小学校(しもはらしょうがっこう)の脇を抜けて次の橋まできてみました。万年橋から徒歩で10分ほどの距離でしょうか。
 
大瀞橋そのものもヒットしなかったので、大瀞ドライブイン(鬼怒川ライン下り下船場にあるドライブイン)で出してみたグーグルマップです。地図の上のほう、千里馬(おいしい焼肉屋さんです)というポインターがあるところが新大瀞橋です。
 
ちなみに先ほどの万年橋には駐車場がありません。こちらは下流の大瀞橋の近くなのですが、こちらには公衆トイレがあって、本格的な駐車場ではありませんが、その横に2、3台駐車出来るスペースがあります。
 
公衆トイレのある場所から少し進むと下原児童館のところが交差点になっていますので、ここは右斜めに伸びている道を進みます。
 
そうするとリブマックスリゾートという宿泊施設(※2)の前を通り、その先で右に下りる道があるのでそこを下ります。
 
※2ここはかつて和楽荘という老人施設でしたが、今と別の会社がその後保養所に改装し、現在はリブマックスの手でホテルとなっています。老人施設時代から温泉が湧出しているようです。
 
そうするとこんなふうに、いかにも吊橋といった趣の橋が架かっています。これが大瀞橋です。かなり昔からある橋で、下流側すぐのところに新大瀞橋が架橋されるまでは、万年橋以上に目立たない存在の橋でした。この辺りは今でこそ、この後に紹介する新大瀞橋の際に抜ける道路が新設されたからアクセスしやすくなりましたが、それまでは狭い道路のどん詰まりにあってひっそりとした場所でした。
 
橋はこんな感じに向こう岸まで伸びています。欄干は新しいものに替えられていました。
 
上流の様子です。下流に中岩ダムがあるので、水が湛水されていて、紅葉と水の色のコントラストが最高でした。川面にモーターボートが停船していますが、鬼怒川ライン下り終点部分が間近で、川の流れがゆっくりなため、ここから下船場まで何艘かをロープでつないで引っ張るために待っているところです。
 
対岸に渡ってきました。今回はここで折り返しましたが、対岸は割とすぐのところにある鬼怒川有料道路の始点付近に出ることができます。近くには日光江戸村があります。
 
僕の場合は車に戻るため、折り返したので右岸側から橋を見たところです。
 
折り返すときにちょうど鬼怒川ライン下りが到着しました。この日この時間は3艘でしたが、お客様が多い日、時間には5~6艘来ることもあります。
 
下流側の新大瀞橋を望んでみました。
 
 上流側では到着したライン下りの船を、モーターボートで曳航しています。
 
橋から上がって元来た道まで上がってきました。この先で国道121号線と鬼怒川有料道路入口をアクセスする道まで、最近になってこんな広い道を作りました。この近辺は下原小学校や保育所、児童館があるので、それらへのアクセスをよくするために作った道なのですが、大瀞橋を観光するためにも使えるようになりました。
 
これが左岸から見た新大瀞橋です。結構大きな橋で、きちんと歩道も設置されています。
 
ここはレジャー公園通りと呼ばれています。由来は、手前の国道121号線沿いに鬼怒川レジャー公園(栃ナビ!にリンク)があることからの命名です。
 
橋の途中で左岸側を振り返ってみました。この先で東武鬼怒川線と国道121号線を陸橋で越え、ぐるっと半回転するように国道121号線につながっています。
 
橋から上流を見てみました。先程の大瀞橋が見えます。
 
下流側は中岩ダムにより水が湛水されています。ダムが出来る前から川はこの辺りで瀞(川の水に浸食されてできた深い淵(ふち)で、流れがゆるやかな所=デジタル大辞泉より)を形成していたようです。古くはそこに渡し舟があったようです。そんなことからこの辺りの地名を大瀞と呼んでいて、橋の名前にも採用されています。
 
新大瀞橋の左岸には渡し舟があった当時の事件に関連する慰霊碑である六題目の碑あります。心霊話なども嘘か本当か真しやかに語られていますが、お詣りしてみるのもいいと思いますよ。たとえ霊が存在しようとも、謂われも知った上で、真摯な気持ちできちんとお詣りする人に危害を及ぼすようなことはないと思いますから。僕も何度かお詣りしましたが、祟りどころか逆に生活が良い方向に向きましたよ。
 
下流遠くには中岩ダムが見えています。ここは東京電力の管轄するダムで、前回の記事で書いた鬼怒川発電所で発電に使われた水を放流したときに、下流での急激な増水を抑える目的の逆調整池の役目と、このダム自体でも中岩発電所として発電が行なわれています。
 
ダムをズームしてみました。
 
僕の場合は大瀞橋近くの公衆トイレ脇に停めた車に戻るのに元来た道を戻りましたが、大瀞橋のほうからの道とレジャー公園通りの交差点からは、北の遥か彼方に鶏頂山の山塊が見えています。
 
また対岸の東武鬼怒川線と国道121号線の向こう側に山が迫り出しています。ここは国道121号線の隘路になっていて、歩道もなく幅員も狭い上、落石や土石流の危険もある場所です、現在歩道を作り、道路も拡幅する工事が進行中です。
 
大瀞橋への入口付近では、新しい保育園が建設中です。
 
一度車に乗って、途中で新大瀞橋を振り返ってみました。この手前側に、鬼怒川有料道路(鬼怒川バイパス)との交差点があります。
 
交差点を新大瀞橋のほうから来て右折すると小佐越地区を抜けて、鬼怒川有料道路方面へと道が伸びています。鬼怒川パーキングの案内看板の向こうの左側に赤い幟が立っている建物が、クマの散歩道 Vol. 123 クマ、新生「お食事処みち」さんでとんかつ定食を食べる。で紹介したお食事処みちです。
 
その途中には鬼怒川パーキングがあって、トイレもあり、車が5台ほど停められますので、ここから大瀞橋や新大瀞橋に行ってもそれほど遠くはありません。
 
駐車場脇には周辺の案内看板も立てられています。万年橋から、大瀞橋、新大瀞橋と、これからご案内する中岩橋まで案内されています。
 
鬼怒川パーキングの少し手前を右側に入って行くと大瀞橋に行くことが出来ます。
 
ここを下りて行くと、右岸から大瀞橋(吊橋のほう)へ行くことが出来ます。
 
では次の橋をご案内します。この橋は中岩橋という橋です。日光市の中心部今市から鬼怒川温泉に行く、国道121号線の橋梁です。架橋されたのは1935年(昭和10年)のことですから、鬼怒川に架かる橋でもかなり古くから架けられていた橋です。今は合併して同じ市内になっていますが、かつては今市市と藤原町の境界がここでした。そんな関係から、ここが鬼怒川川治温泉郷(便宜的に両温泉はよく合わせてこう呼ばれることが多い)ということになっていて、大きな看板が立てられています。
 
直上のグーグルマップでは、東武鬼怒川線と書かれているところが中岩橋です。
 
橋は道路橋だけで2本架けられていて、1935年に架けられたのは奥の橋です。ずっと奥の橋が今市から鬼怒川に行く場合、鬼怒川温泉から今市に来る場合には手前の橋を使用していましたが、現在は1本で対面通行になっています。奥の橋は歩行者は通行可能です。
 
橋の下流側には鬼怒川カントリークラブのクラブハウスと、道谷原(みちやばら)発電所の取水堰が見えます。
 
こちらは左岸の鬼怒川温泉方面から見た橋の様子です。
 
並行して、東武鬼怒川線が通っています。奥が鬼怒川温泉駅方面です。ここで大きなカーブを描いてすぐ先にある新高徳駅に進入します。
 
現在は車道としては使われていない上流側の橋です。すぐ隣に東武鬼怒川線の中岩橋梁も架けられています。この日はNTTドコモの受信状態調査が行われていました。
 
橋の名前の由来になった中岩を橋の下に見ることが出来ます。
 
ちょうど鬼怒川温泉方面から東武日光駅に向う6050系電車に出会いました。このあとに下今市駅から鬼怒川温泉駅に向かうSL大樹がこの橋梁を渡ります。
 
大きなトラックが停まっていて、見てみたらNTTドコモの社名が入っていて、道路沿いに「受信状態調査中」と看板が掛けられていました。昔は携帯電話が通じにくい、あるいは通じない場所って結構ありましたよね。でも今はほとんどなくなりました。この辺も全く問題なく受信出来るはずなのですが、ちょうどSL大樹の運行日だったから何か関係があるのでしょうか。
 
右岸の鬼怒川カントリークラブに入っていく道沿いには、こんなレトロなポストが設置されています。もちろん現役のポストですが、ここに設置されたのはごく最近のことです。
 
左岸の橋の袂からは踏切を渡って、高徳中岩河川公園(たかとくなかいわかせんこうえん)に下りる道があります。
 
公園には多目的広場や散策を楽しめるエリアがあり、駐車場やトイレもあります。
 
公園のすぐ脇が鬼怒川になっています。道谷原発電所の取水堰で水が堰き止められているので、ちょっとしたダム湖のようになっています。そして向こうには東武鬼怒川線中岩橋梁が見えます。SL大樹の撮影スポットは沿線随所にありますが、ここも撮影スポットの一つです。
 

SLが中岩橋梁を渡河するシーンを動画で撮影してみました。右側の下今市方面から、左側の鬼怒川温泉方面に向けてゆっくりゆっくりと渡ります。

 

踏切警報機が鳴ってから撮影を開始したのですが、実際に来るまでかなり間があります。この区間は下今市方面から来て、先に砥川(とかわ)橋梁を渡り、急カーブの切り通しを抜けて、中岩橋梁を渡り、更にそれを渡ってからも上の写真のように急カーブを描いて新高徳構内に進入するために、特急電車でもかなりスピードを落として通過します。また映像はスマホで撮影しているため画像が粗く、また逆光だったので暗めになっていますのでご容赦ください。

 

 

以上、今回の記事では、鬼怒川温泉の入口に掛かる万年橋、大瀞橋、新大瀞橋、中岩橋の4橋をご紹介しました。

 

 

(取材日:2018.11.12)