サンバララ旅行記3
サンバララでは毎日どこかで太鼓の音が聞こえた。
なにかの祝い事や誰かを出迎える時ももちろんだけど、若い世代が中心になって積極的に小さい子供達に太鼓を教えている。
子供の数は相当多いわりには太鼓の数は限られているので、太鼓に触れてもリズムをキープ出来なかったり間違えたりするとすぐにチェンジさせられてしまい、上手くならないと叩きたくても叩けないという状況になっている。
(自然淘汰で上手い奴が残る恐ろしいシステムです。)
今現在サンバララでは、5歳前後の男の子は上手に叩ける子が多い。それもドゥヌンバというリズムを。(凄いことだと思います)
どこでもそうだと思うけど、サンバララ村のトラディショナルリズムはお祭りや儀式の為にある。そのお祭りや儀式は先祖代々伝統として受け継がれてきたものであり、また時代を経ていくごとに少しづつ変化していくものでもある。
ファムドゥ師に言わせると、サンバララ村のあるアマナ地方だけでなく、どこの地域でも太鼓を叩く世代が交代すると、リズムの根幹は変わらないが、若干アレンジされたりバリエーションが変化したりするらしい。
つまり世代によって曲の構成が違うわけで、同じ村で一生過ごすと、子供の頃に聞いたソリというリズムは年寄り頃には7段階くらい変化しているそうだ。
ファムドゥ師も地元の若い世代に今の流行のアレンジを教えてもらうことがよくあるそう。
そしてどのリズムはどこが大元だと断定するのはもはや難しいらしい。(大体の地域は特定できるそうだけど)
同じ村でも世代が変わればリズムも変わるくらいだから、村や地域が変わればもちろん全然変わる。リズムの名前は同じでも、土地を離れるとまったく別の曲のようになっている曲も多いらしい。
たとえば同じDjaaという曲をとっても、クルサ地方の中でもアマナ地域とサンカラン地域ではドゥヌンの構成はもう全く別のもので、完全に別の曲だ。
なので、なにが正解とかどれが正しいとかは言えない。
しいて言えば、アフリカ人達にとっては自分が育った地域や習った師匠の地域のリズムが正解なんだろうし、リズムを学ぶ外国人にとっては納得いくまで追い求めて自由に自分の好きな地域のリズムを選択すればいい。
そういうこともあって各地域によって流行というのもあったりする。
例えば「アマナ地方の若い奴は今、ボロコノンドというリズムにこういうブレイクをつけてやるのがは流行ってる」とか、「この地域のソリというリズムはこの唄をうたうのが流行だ」とかいうのがある。
これもとっても興味深くて知れば知るほど面白いと思う。現地で長く生活すればもっと色んな地域の特性や流行を知ることができるだろう。
トラディショナルリズムが演奏される祭りや儀式は伝統儀式や通過儀礼によって各世代に継承されているんだけど、その儀式や祭りはその村が存続し繁栄するのに重要な"生き方"みたいなものを伝えているのも多い。
慣例として形骸化してきたものもあるらしいけど、例えば「女性はいくつになったらああしてこうしなさい」とか「男性は何歳になったらこうしなさい」みたいなもの。
これらはその地域で自然と共生していく行き方の術が詰まっており、同族がその地で存続繁栄していくのになくてはならないものである。もし資料や本にするとしたら「How to 種の残し方」みたいな感じ。
また、昔から精霊や目に見えないものの力が信じられていて、なんか不吉な兆しとかあると絶対に動こうとしない。本気で真顔で動かない。彼らにとっては言い伝えがすべてであり、先人の知恵こそが教科書。
いずれも自然の中から学び、その地の自然と共生するための知恵だ。
そして自然の中に神や精霊を見出し、その力を信じて時に力を借りたり、また感謝したりする。
そういう意味じゃ日本も同じだと思う。
日本に置き換えれば、五穀豊穣を祈ったり祝ったりする祭りで和太鼓を叩きお供えものを謙譲し輪になって同じ踊りを皆で踊る。
この根源には自然の中に八百万の神がおり、その恩恵を受けて生活しているという意識。これは今でも日本各地には残っているし、俺がいった三島村や奄美大島でも伝統の祭りや踊りはこの意識だった。
なんでだろう、国や地域は全く違うのにこの意識が共通している。
北米インディアンも、南米の山地に暮らす人々も、西アフリカの村も、日本の村も。
今、西アフリカのマリンケ族のアマナ地方のトラディショナルを学んでいるが、実はトラディショナルって、その根源は同じだと気づかされた。
いずれも「その土地の自然と共生して種を保存していく事」
そしてその土地(神)と共生する知恵や教えを寓話や伝統儀式や儀礼にして残す!
でも、
でも、
謎がまた出てきた。
どうしてそれがその地域ではその音になるのか。
どうしてそのリズムになるのか。
なぜその構成なのか!!!
う~ん謎は深まる。
う~ん深い。
でも一歩進んだ気がする。
いずれにしても、
食い物は自然の恩恵。
衣も自然の恩恵。
住居も自然の恩恵。
日陰も自然の恩恵。
そんな自然に改めて感謝。
そんなサンバララ旅行でした。
そうそう、サンバララ村で三島村ジャンベ留学5期生として一緒に半年過ごしたFROM沖縄の将人とその奥さんのカエさんに会えました。奇跡!
たった1日しか一緒にいれなかったけど本当に感激の再会だった。
なにかの祝い事や誰かを出迎える時ももちろんだけど、若い世代が中心になって積極的に小さい子供達に太鼓を教えている。
子供の数は相当多いわりには太鼓の数は限られているので、太鼓に触れてもリズムをキープ出来なかったり間違えたりするとすぐにチェンジさせられてしまい、上手くならないと叩きたくても叩けないという状況になっている。
(自然淘汰で上手い奴が残る恐ろしいシステムです。)
今現在サンバララでは、5歳前後の男の子は上手に叩ける子が多い。それもドゥヌンバというリズムを。(凄いことだと思います)
どこでもそうだと思うけど、サンバララ村のトラディショナルリズムはお祭りや儀式の為にある。そのお祭りや儀式は先祖代々伝統として受け継がれてきたものであり、また時代を経ていくごとに少しづつ変化していくものでもある。
ファムドゥ師に言わせると、サンバララ村のあるアマナ地方だけでなく、どこの地域でも太鼓を叩く世代が交代すると、リズムの根幹は変わらないが、若干アレンジされたりバリエーションが変化したりするらしい。
つまり世代によって曲の構成が違うわけで、同じ村で一生過ごすと、子供の頃に聞いたソリというリズムは年寄り頃には7段階くらい変化しているそうだ。
ファムドゥ師も地元の若い世代に今の流行のアレンジを教えてもらうことがよくあるそう。
そしてどのリズムはどこが大元だと断定するのはもはや難しいらしい。(大体の地域は特定できるそうだけど)
同じ村でも世代が変わればリズムも変わるくらいだから、村や地域が変わればもちろん全然変わる。リズムの名前は同じでも、土地を離れるとまったく別の曲のようになっている曲も多いらしい。
たとえば同じDjaaという曲をとっても、クルサ地方の中でもアマナ地域とサンカラン地域ではドゥヌンの構成はもう全く別のもので、完全に別の曲だ。
なので、なにが正解とかどれが正しいとかは言えない。
しいて言えば、アフリカ人達にとっては自分が育った地域や習った師匠の地域のリズムが正解なんだろうし、リズムを学ぶ外国人にとっては納得いくまで追い求めて自由に自分の好きな地域のリズムを選択すればいい。
そういうこともあって各地域によって流行というのもあったりする。
例えば「アマナ地方の若い奴は今、ボロコノンドというリズムにこういうブレイクをつけてやるのがは流行ってる」とか、「この地域のソリというリズムはこの唄をうたうのが流行だ」とかいうのがある。
これもとっても興味深くて知れば知るほど面白いと思う。現地で長く生活すればもっと色んな地域の特性や流行を知ることができるだろう。
トラディショナルリズムが演奏される祭りや儀式は伝統儀式や通過儀礼によって各世代に継承されているんだけど、その儀式や祭りはその村が存続し繁栄するのに重要な"生き方"みたいなものを伝えているのも多い。
慣例として形骸化してきたものもあるらしいけど、例えば「女性はいくつになったらああしてこうしなさい」とか「男性は何歳になったらこうしなさい」みたいなもの。
これらはその地域で自然と共生していく行き方の術が詰まっており、同族がその地で存続繁栄していくのになくてはならないものである。もし資料や本にするとしたら「How to 種の残し方」みたいな感じ。
また、昔から精霊や目に見えないものの力が信じられていて、なんか不吉な兆しとかあると絶対に動こうとしない。本気で真顔で動かない。彼らにとっては言い伝えがすべてであり、先人の知恵こそが教科書。
いずれも自然の中から学び、その地の自然と共生するための知恵だ。
そして自然の中に神や精霊を見出し、その力を信じて時に力を借りたり、また感謝したりする。
そういう意味じゃ日本も同じだと思う。
日本に置き換えれば、五穀豊穣を祈ったり祝ったりする祭りで和太鼓を叩きお供えものを謙譲し輪になって同じ踊りを皆で踊る。
この根源には自然の中に八百万の神がおり、その恩恵を受けて生活しているという意識。これは今でも日本各地には残っているし、俺がいった三島村や奄美大島でも伝統の祭りや踊りはこの意識だった。
なんでだろう、国や地域は全く違うのにこの意識が共通している。
北米インディアンも、南米の山地に暮らす人々も、西アフリカの村も、日本の村も。
今、西アフリカのマリンケ族のアマナ地方のトラディショナルを学んでいるが、実はトラディショナルって、その根源は同じだと気づかされた。
いずれも「その土地の自然と共生して種を保存していく事」
そしてその土地(神)と共生する知恵や教えを寓話や伝統儀式や儀礼にして残す!
でも、
でも、
謎がまた出てきた。
どうしてそれがその地域ではその音になるのか。
どうしてそのリズムになるのか。
なぜその構成なのか!!!
う~ん謎は深まる。
う~ん深い。
でも一歩進んだ気がする。
いずれにしても、
食い物は自然の恩恵。
衣も自然の恩恵。
住居も自然の恩恵。
日陰も自然の恩恵。
そんな自然に改めて感謝。
そんなサンバララ旅行でした。
そうそう、サンバララ村で三島村ジャンベ留学5期生として一緒に半年過ごしたFROM沖縄の将人とその奥さんのカエさんに会えました。奇跡!
たった1日しか一緒にいれなかったけど本当に感激の再会だった。
サンバララ旅行記2
サンバララ村での生活は埃っぽいのを除けばすこぶる快適だった。
気候はBAMAKOよりも気温の高低差がすこし激しい。
昼は太陽が強くて皆あまり活動しない。夜中から明け方は冷え込むので長袖が必要だったけど寒いという程ではない。
蚊はBAMAKOより全然少ない。
食べ物の心配は殆ど無い。
果物は豊富になってるし、近くの綺麗な川では魚や貝が取れる。
鶏は沢山のヒヨコを連れてブッシュの中を力強く走り回っていて、ヤギも牛も草木の緑を始終食んでいる。
根菜や葉野菜もあって、村の人達も食べ物に困っている感じは無かった。
今風に言えば完全にオーガニック。人も綺麗に筋肉がついていて力強く、メタボな人はいない、超健康体の村だ。
飲み水は井戸から汲んでおいてあり、それ以外の用途の水は川から汲んでくる。
洗濯やシャワーは皆川に入りながらだ。
夜は電気がないので基本暗くなったら寝るしかない。
でも満点の星を見ながら床につくのは最高だ。
金銭的には裕福ではないかもしれないけど、自然と共生して生活している姿はこれしまでみた中で一番身体も心も健康で"人間として裕福"に見えた。
村の現金収入は基本は金だ。
川沿いにいくつも採掘現場があり、運び出された鉱石を男達が細かく砕く。
それを女達が川の水に浸しながら小さな小さな金を見つけるのだ。
作業は朝から行われていて、女性達は川でザルみたいなものをかき回している。
最近またこの近くで金がよく見つかり始め、新しいゴールドラッシュが起こっているという。近所には次々と採掘現場が出来始め、人が各地方から集まってきているらしい。
このあたりの金の鉱脈はシエラレオネまで続いているとか。
昔はこの川にもワニやカバや各種の動物がいたらしいが、1900年代の中ごろから欧州の会社の乱獲が始まり、今ではこれらの動物は全くいない。
お陰で生態系も変化し、今と昔では取れるものが全く違うようだ。
ちなみにこれらは革製品として高級ブランドショップに並ぶ。
金も同じく高値で店頭に並ぶわけだ。
ブランド品や金を身につけている人も中にはこういう現場を知らない人も多いだろうな。
巨大な広告費を使って消費者の価値観を洗脳しながら購買欲求を煽りつづける側と、疑いもせずその価値観に乗せられ自己の終わることのない欲求を満たし続ける側、この馬鹿馬鹿しい構造が変わらない限り世の中の貧困や矛盾は続いていくんだろうな。
どっかの誰かが勝手に作った価値感に乗せられている事にどれだけの人が気づいているのか。
世の中が扇動や洗脳に溢れ、一見自分のものと思える欲求でさえコントロールされている事にどれだけの人が気づいているのか。
俺には金や宝石や新しいブランドものを見せびらかして自己満足に浸る事が下らなく思えてしょうがない。
西アフリカの金に絡んだ問題は承知の人も多いだろうが、未だ安い人工で雇われ、安全ではない現場で、少しの賃金しかかせげない現状は続いているようだ。またそれを生業として軍需産業などと絡めて手広く稼ぐ欧州の会社達も現役なようだ。
サンバララについて3日目の朝、近くの採掘現場で12名が穴の陥没によってなくなったという。たまにあることらしい。
サンバララは子供の数はものすごく多い。
一夫多妻制ということもあるんだろう、一人のお父さんで子供が20人いたりする。
でも全員無事に成人するわけでなく、ちゃんと無事に成人できるのは全員ではないらしい。また幼児の死亡率もまた高いようだ。
ファムドゥ師の今回のワークには世界各国から参加しているが、とりわけカナダ人達は自分達の価値観やモノサシでこの現状を解釈しているようだった。
お金がない事を「かわいそう」とコメントしたり、「こんな不健康で貧困なところで育つ子供はかわいそう、私になにか出来ないかしら」なんていってる。
一人のカナダ人の女性は村の小さな男の子と特別に仲良くなったようで、その家の病気の幼児が何日か前に亡くなったと聞いて結構な額のお金をあげていた。
そして同じくカナダから来たもう一人はそれを皆の前で高く評価していた。
俺にはまったく理解できなかった。
確かに幼くか弱い幼児が病気で死ぬ確立は高い。でも種の保存という意味では強い遺伝子のみが残るような上手い仕組みになっているように思えるし、例えば現代医療がこの地域を網羅したところで出産率は変わらないわけで、逆に大きな問題になりかねない。
そして、ここの子供の体と精神のたくましさは都会には絶対ないし、都会の作られた消費牧場のなかで洗脳されながら暮らす先進国の労働者達なんか持ってない圧倒的なエネルギーを彼らは持っている。
そういう意味じゃビタミン剤や健康補助食品を手放せない都会の優越感に浸った偽善者より全然健康で裕福でたくましい。
ただ、財産や金銭に関するトラブルは絶えないのも事実だ。
どこへいったってそうだけど、その土地にはその土地のやり方があるし、気候や風土にあった社会や受け継がれてきた伝統がある。
それを自分の価値観のみで判断して行動する事がはたして本当にその土地にとっていいことなのかどうなのか、十分考えてから行動に移すほうがいいと思った。
もちろん圧倒的に問題だといえることもあるけれど(人道的なものとか)、少し関わったくらいでその問題に首をつっこむのは両方にとって必ずしも良い結果を生みだすわけではないと思った。
なんだか愚痴っぽい感じになってしまったが、サンバララの星を眺めながらそんな事を考えた3日目の夜だった。
リズムはボロコノンドというトラディショナルをやりはじめた。
これがなかなか一筋縄ではいかないリズムで苦労してるけど、とても充実していて楽しい。この種のリズム感を自分の中にとりいれたら南米でもどこでもいけそうな気がする。
気候はBAMAKOよりも気温の高低差がすこし激しい。
昼は太陽が強くて皆あまり活動しない。夜中から明け方は冷え込むので長袖が必要だったけど寒いという程ではない。
蚊はBAMAKOより全然少ない。
食べ物の心配は殆ど無い。
果物は豊富になってるし、近くの綺麗な川では魚や貝が取れる。
鶏は沢山のヒヨコを連れてブッシュの中を力強く走り回っていて、ヤギも牛も草木の緑を始終食んでいる。
根菜や葉野菜もあって、村の人達も食べ物に困っている感じは無かった。
今風に言えば完全にオーガニック。人も綺麗に筋肉がついていて力強く、メタボな人はいない、超健康体の村だ。
飲み水は井戸から汲んでおいてあり、それ以外の用途の水は川から汲んでくる。
洗濯やシャワーは皆川に入りながらだ。
夜は電気がないので基本暗くなったら寝るしかない。
でも満点の星を見ながら床につくのは最高だ。
金銭的には裕福ではないかもしれないけど、自然と共生して生活している姿はこれしまでみた中で一番身体も心も健康で"人間として裕福"に見えた。
村の現金収入は基本は金だ。
川沿いにいくつも採掘現場があり、運び出された鉱石を男達が細かく砕く。
それを女達が川の水に浸しながら小さな小さな金を見つけるのだ。
作業は朝から行われていて、女性達は川でザルみたいなものをかき回している。
最近またこの近くで金がよく見つかり始め、新しいゴールドラッシュが起こっているという。近所には次々と採掘現場が出来始め、人が各地方から集まってきているらしい。
このあたりの金の鉱脈はシエラレオネまで続いているとか。
昔はこの川にもワニやカバや各種の動物がいたらしいが、1900年代の中ごろから欧州の会社の乱獲が始まり、今ではこれらの動物は全くいない。
お陰で生態系も変化し、今と昔では取れるものが全く違うようだ。
ちなみにこれらは革製品として高級ブランドショップに並ぶ。
金も同じく高値で店頭に並ぶわけだ。
ブランド品や金を身につけている人も中にはこういう現場を知らない人も多いだろうな。
巨大な広告費を使って消費者の価値観を洗脳しながら購買欲求を煽りつづける側と、疑いもせずその価値観に乗せられ自己の終わることのない欲求を満たし続ける側、この馬鹿馬鹿しい構造が変わらない限り世の中の貧困や矛盾は続いていくんだろうな。
どっかの誰かが勝手に作った価値感に乗せられている事にどれだけの人が気づいているのか。
世の中が扇動や洗脳に溢れ、一見自分のものと思える欲求でさえコントロールされている事にどれだけの人が気づいているのか。
俺には金や宝石や新しいブランドものを見せびらかして自己満足に浸る事が下らなく思えてしょうがない。
西アフリカの金に絡んだ問題は承知の人も多いだろうが、未だ安い人工で雇われ、安全ではない現場で、少しの賃金しかかせげない現状は続いているようだ。またそれを生業として軍需産業などと絡めて手広く稼ぐ欧州の会社達も現役なようだ。
サンバララについて3日目の朝、近くの採掘現場で12名が穴の陥没によってなくなったという。たまにあることらしい。
サンバララは子供の数はものすごく多い。
一夫多妻制ということもあるんだろう、一人のお父さんで子供が20人いたりする。
でも全員無事に成人するわけでなく、ちゃんと無事に成人できるのは全員ではないらしい。また幼児の死亡率もまた高いようだ。
ファムドゥ師の今回のワークには世界各国から参加しているが、とりわけカナダ人達は自分達の価値観やモノサシでこの現状を解釈しているようだった。
お金がない事を「かわいそう」とコメントしたり、「こんな不健康で貧困なところで育つ子供はかわいそう、私になにか出来ないかしら」なんていってる。
一人のカナダ人の女性は村の小さな男の子と特別に仲良くなったようで、その家の病気の幼児が何日か前に亡くなったと聞いて結構な額のお金をあげていた。
そして同じくカナダから来たもう一人はそれを皆の前で高く評価していた。
俺にはまったく理解できなかった。
確かに幼くか弱い幼児が病気で死ぬ確立は高い。でも種の保存という意味では強い遺伝子のみが残るような上手い仕組みになっているように思えるし、例えば現代医療がこの地域を網羅したところで出産率は変わらないわけで、逆に大きな問題になりかねない。
そして、ここの子供の体と精神のたくましさは都会には絶対ないし、都会の作られた消費牧場のなかで洗脳されながら暮らす先進国の労働者達なんか持ってない圧倒的なエネルギーを彼らは持っている。
そういう意味じゃビタミン剤や健康補助食品を手放せない都会の優越感に浸った偽善者より全然健康で裕福でたくましい。
ただ、財産や金銭に関するトラブルは絶えないのも事実だ。
どこへいったってそうだけど、その土地にはその土地のやり方があるし、気候や風土にあった社会や受け継がれてきた伝統がある。
それを自分の価値観のみで判断して行動する事がはたして本当にその土地にとっていいことなのかどうなのか、十分考えてから行動に移すほうがいいと思った。
もちろん圧倒的に問題だといえることもあるけれど(人道的なものとか)、少し関わったくらいでその問題に首をつっこむのは両方にとって必ずしも良い結果を生みだすわけではないと思った。
なんだか愚痴っぽい感じになってしまったが、サンバララの星を眺めながらそんな事を考えた3日目の夜だった。
リズムはボロコノンドというトラディショナルをやりはじめた。
これがなかなか一筋縄ではいかないリズムで苦労してるけど、とても充実していて楽しい。この種のリズム感を自分の中にとりいれたら南米でもどこでもいけそうな気がする。
ただいまBAMAKO。サンバララ旅行記1
昨日の晩、無事にBAMAKOに帰ってきました。
ただいま。
凄く充実した6日間だった。
7日の朝4時に起き、荷物を2台の車につめて総勢22名でファムドゥ師匠出身のサンバララ村へ。
鮨詰め状態の車はまっすぐな道をひたすら南西へと下っていく。
途中ママディ・ケイタ師出身のバランデュグ村の近くで休憩してママディの親戚に会ったり、KANKANという大きな町で食料を調達しながらの旅は、西アフリカの風景や空気や雰囲気が堪能できた。皆ほんと適当。w 笑えるぐらい適当。
昼は炎天下でどうなるかと思ったけど、道は舗装されて良好だったし、こまめに休憩を取りながら無理せず進んでくれたので、皆それほど疲れも無く夕方4時には村に着けた。
村に着いたというので車を降りるとそこには大きな川があった。川幅は150Mくらいだろうか。大勢の子供達が駆け寄ってくる。川岸では女性達が大量の芋を洗っている。
向こう岸では女性達が洗濯でもしてるんだろうか、いずれも色とりどりの綺麗な布をまとって腰をかがめての何やら作業しているのが見える。
向こう岸から4艘ボートがやってくるのが見えた。
男達が太鼓を持ち、祭りの衣装を身にまとい、20人くらいでこちらに渡ってくる。
何が始まるんだろう。皆ワクワクしながら砂の川岸でバックパックを背負いながら見ていると、最初に太鼓隊が上陸しドゥヌンバというリズムを始めた!!
その後ダンサーの男達が次々に上陸し、ドゥヌンバの踊りでこちらにやってくる!
子供達も大はしゃぎ。女性達も作業の手を止めこっちを見ている。
踊りは30分くらい続き、リズムとダンスの歓迎を受け、さっそく大満足。
やっぱり歓迎の演奏は嬉しい。
硫黄島でも最初に歓迎の演奏があったけどあれは物凄くうれしかったもんなぁ。
旅の疲れも一気に吹き飛んで、全員ボートに乗って向こう岸へ渡り、いよいよ村へと入った。荷物を置き、長老達に挨拶の儀式をすませ、再度歓迎のドゥヌンバ。
地球の心臓ような大きなうねりのリズム。
村の男達が踊ってくれる。
子供も踊っている。
女性達が歌っている。
最高だ!
話に聞いていたサンバララ。
あこがれていたサンバララ。
ドゥヌンバの村、サンバララ。
電気も水道もないサンバララ。
今、確かにここにいる!!!
満点の星空の下、程よい疲労の中、ニヤニヤしながら気持ちよく床についた。
2日目はサンバララからブッシュの中をひたすら歩いて1時間のところにあるセナンコロ村へ行った。
ここでバラティーの世代交代の大きな祭りがあるというのだ。
バラティーとは同世代の結社みたいなもので、例えば子供会・青年会・成人会・老人会みたいなもの。それぞれの結社毎に役割があって、村の重要な儀式や決まりごとの時はもちろん、普段から各世代の結社が決められた仕事や役割をこなしている。
各結社がその上の世代から教育され教えを守ることで、文化や伝統が保存されていたり先祖からの教えが守り受け継がれている。
もちろん年をとるので、何年かに一度、結社の世代交代があるというわけだ。
そのタイミングは村ごとによって違うが、ここセナンコロ村の場合は4年に1度らしく、運よくそれを見ることができた。
村の中心場所であるサッカーグランド半分くらいの大きな広場の真ん中に、これまた樹齢何百年という巨大な木が葉を大きく広げて木陰を作っている。
その木陰の下には村の重要人物と思われる世代の長老達が他の人よりもいい椅子に座ってタバコを噛ん
でいる。
その反対側では朝からこれから演奏を司ることになる重要な若い世代が太鼓をチューニングして時折リハーサルをしている。
広場の真ん中の木の下でそれより少し上の世代の男達が牛を倒して足を縛り押さえている。
広場の端で女性達がオレンジやパパイヤを並べている。
ハシャギまくる大量の子供は、場を仕切る世代の鞭や枝をもった男達に追い払われて慌てて逃げている。
牛をおさえていた一人の男が、牛の首に大きなナイフを入れた。
首が半分切られ真っ赤な血がピューと噴出す。
みるみる大地は赤く染まる。
広場の前へ一人の男が出てきた。
長老の一人と一緒に掛け合いながら口上らしきものを述べ始めた。
口上の途中、広場の向こうで姿は見えないが大勢の男達の雄たけびが聞こえる。
地面を踏み鳴らす響きも聞こえてくる。ときおり広場の入り口までその姿を現すが、皆猛り狂っているよう。
1時間ほどたったであろうか。口上の終わりとともにジャンベフォラが合図を叩き、その瞬間とてつもないエネルギーのグルーブで演奏で「ドゥヌンバ(強い漢のリズム)」が始まった。
合図と同時に広場の向こうからいきり立った男達がドゥヌンバの踊りで地面を踏み鳴らし大量の土煙を上げながら激しく、でも進む距離はすこしづつを躍動させながら進んでくる。体中の筋肉と皮膚を全部つかって固まりになってやってくる。
1列に10人、それが20列。総勢200人が「強い漢のダンス」を踊りながら広場に入ってくる!
それはもう凄い状況だった。
圧倒。
エネルギー。
パワー。
猛る男。
吼える男。
雄という動物。猛獣。
最初はただただ圧倒されてその場にいるのみであったけど、気づいたらその列に加わってた。
なんだろうあの状態。
なんか、こう、動物とか仕留めたい感じ。
体の底から勇ましさが沸いてくる感じ。
吼えたい。とにかく吼えて動きたい感じ。
なんか獲物とかいたら仕留めてやる!!!
俺が仕留めてやる!って感じ。
きっとすげー顔してたんだろうな。
その後もさらにエスカレートしてきて、村の広場は喧嘩大会みたいになってた。
暗くなり始めたのもあり、ファムドゥ師匠の指示でその場を離れ、サンバララへと戻っていった。
セナンコロの男達は8時間くらい叩きっぱなし踊りっぱなしだったらしい。
2日目にして早くもアマナ地方のドゥヌンバの凄さを体感した。
ただいま。
凄く充実した6日間だった。
7日の朝4時に起き、荷物を2台の車につめて総勢22名でファムドゥ師匠出身のサンバララ村へ。
鮨詰め状態の車はまっすぐな道をひたすら南西へと下っていく。
途中ママディ・ケイタ師出身のバランデュグ村の近くで休憩してママディの親戚に会ったり、KANKANという大きな町で食料を調達しながらの旅は、西アフリカの風景や空気や雰囲気が堪能できた。皆ほんと適当。w 笑えるぐらい適当。
昼は炎天下でどうなるかと思ったけど、道は舗装されて良好だったし、こまめに休憩を取りながら無理せず進んでくれたので、皆それほど疲れも無く夕方4時には村に着けた。
村に着いたというので車を降りるとそこには大きな川があった。川幅は150Mくらいだろうか。大勢の子供達が駆け寄ってくる。川岸では女性達が大量の芋を洗っている。
向こう岸では女性達が洗濯でもしてるんだろうか、いずれも色とりどりの綺麗な布をまとって腰をかがめての何やら作業しているのが見える。
向こう岸から4艘ボートがやってくるのが見えた。
男達が太鼓を持ち、祭りの衣装を身にまとい、20人くらいでこちらに渡ってくる。
何が始まるんだろう。皆ワクワクしながら砂の川岸でバックパックを背負いながら見ていると、最初に太鼓隊が上陸しドゥヌンバというリズムを始めた!!
その後ダンサーの男達が次々に上陸し、ドゥヌンバの踊りでこちらにやってくる!
子供達も大はしゃぎ。女性達も作業の手を止めこっちを見ている。
踊りは30分くらい続き、リズムとダンスの歓迎を受け、さっそく大満足。
やっぱり歓迎の演奏は嬉しい。
硫黄島でも最初に歓迎の演奏があったけどあれは物凄くうれしかったもんなぁ。
旅の疲れも一気に吹き飛んで、全員ボートに乗って向こう岸へ渡り、いよいよ村へと入った。荷物を置き、長老達に挨拶の儀式をすませ、再度歓迎のドゥヌンバ。
地球の心臓ような大きなうねりのリズム。
村の男達が踊ってくれる。
子供も踊っている。
女性達が歌っている。
最高だ!
話に聞いていたサンバララ。
あこがれていたサンバララ。
ドゥヌンバの村、サンバララ。
電気も水道もないサンバララ。
今、確かにここにいる!!!
満点の星空の下、程よい疲労の中、ニヤニヤしながら気持ちよく床についた。
2日目はサンバララからブッシュの中をひたすら歩いて1時間のところにあるセナンコロ村へ行った。
ここでバラティーの世代交代の大きな祭りがあるというのだ。
バラティーとは同世代の結社みたいなもので、例えば子供会・青年会・成人会・老人会みたいなもの。それぞれの結社毎に役割があって、村の重要な儀式や決まりごとの時はもちろん、普段から各世代の結社が決められた仕事や役割をこなしている。
各結社がその上の世代から教育され教えを守ることで、文化や伝統が保存されていたり先祖からの教えが守り受け継がれている。
もちろん年をとるので、何年かに一度、結社の世代交代があるというわけだ。
そのタイミングは村ごとによって違うが、ここセナンコロ村の場合は4年に1度らしく、運よくそれを見ることができた。
村の中心場所であるサッカーグランド半分くらいの大きな広場の真ん中に、これまた樹齢何百年という巨大な木が葉を大きく広げて木陰を作っている。
その木陰の下には村の重要人物と思われる世代の長老達が他の人よりもいい椅子に座ってタバコを噛ん
でいる。
その反対側では朝からこれから演奏を司ることになる重要な若い世代が太鼓をチューニングして時折リハーサルをしている。
広場の真ん中の木の下でそれより少し上の世代の男達が牛を倒して足を縛り押さえている。
広場の端で女性達がオレンジやパパイヤを並べている。
ハシャギまくる大量の子供は、場を仕切る世代の鞭や枝をもった男達に追い払われて慌てて逃げている。
牛をおさえていた一人の男が、牛の首に大きなナイフを入れた。
首が半分切られ真っ赤な血がピューと噴出す。
みるみる大地は赤く染まる。
広場の前へ一人の男が出てきた。
長老の一人と一緒に掛け合いながら口上らしきものを述べ始めた。
口上の途中、広場の向こうで姿は見えないが大勢の男達の雄たけびが聞こえる。
地面を踏み鳴らす響きも聞こえてくる。ときおり広場の入り口までその姿を現すが、皆猛り狂っているよう。
1時間ほどたったであろうか。口上の終わりとともにジャンベフォラが合図を叩き、その瞬間とてつもないエネルギーのグルーブで演奏で「ドゥヌンバ(強い漢のリズム)」が始まった。
合図と同時に広場の向こうからいきり立った男達がドゥヌンバの踊りで地面を踏み鳴らし大量の土煙を上げながら激しく、でも進む距離はすこしづつを躍動させながら進んでくる。体中の筋肉と皮膚を全部つかって固まりになってやってくる。
1列に10人、それが20列。総勢200人が「強い漢のダンス」を踊りながら広場に入ってくる!
それはもう凄い状況だった。
圧倒。
エネルギー。
パワー。
猛る男。
吼える男。
雄という動物。猛獣。
最初はただただ圧倒されてその場にいるのみであったけど、気づいたらその列に加わってた。
なんだろうあの状態。
なんか、こう、動物とか仕留めたい感じ。
体の底から勇ましさが沸いてくる感じ。
吼えたい。とにかく吼えて動きたい感じ。
なんか獲物とかいたら仕留めてやる!!!
俺が仕留めてやる!って感じ。
きっとすげー顔してたんだろうな。
その後もさらにエスカレートしてきて、村の広場は喧嘩大会みたいになってた。
暗くなり始めたのもあり、ファムドゥ師匠の指示でその場を離れ、サンバララへと戻っていった。
セナンコロの男達は8時間くらい叩きっぱなし踊りっぱなしだったらしい。
2日目にして早くもアマナ地方のドゥヌンバの凄さを体感した。