ケビン・クローンオフィシャルブログ「ここが変だよ!! 日本人」powered by アメブロ -573ページ目

<悪女を科学する38=>心理学上の人称世界>


一人称とは世界と自分が一つの状態です。
生まれたての赤ちゃんは世界と自分が
まだ、完全に分かれていません。
ある意味、完全にわがままな状態です。




二人称になると自分と世界が分裂。
泣けども泣けども母親がミルクを
与えてくれないとき、世界が自分の思う
通りにならないことを認識して、
世界と自分が分かれます。
自己と他者という概念が登場し、
このとき母親の存在を認識します。
ただし、他者はあくまで一つ。
まだ母親と父親の区別はつきません。



三人称は今のあなたです。
赤ちゃんならミルクを与える母親と
そばで笑っている父親を峻別できます。
はじめて自分から離れて、
父親と

母親の人間関係も理解できます。

ここから社会という概念が形成され、
自分の評価についてセカンドオピニオン
を聞き、自己評価もできます。
ふつうの人はここまでで、
そのまま、大人になっていきます。




ぼくのつけ加える四人称は神の目。
自分と他人を含めた社会全体を俯瞰でき、
すべての人称の視点から他の人称
および、

その関係を客観的に見れる視点。
空気(を読むこと)の達人レベル。
よくタレントさんが磨かれて、
垢抜けてくるなどといいますが、
彼らが魅力的になれるのは、
モニターやオンエアの
フィードバックがあるからです。
つまり四番目の目を仕事上獲得できるから、
自分を磨くことができるわけです。
多くのタレントさんは空気の達人ですね。
もちろん、勘違いや三番目の目すら
もてていない人もたまにいますけどね。




俗に一人称のまま大人になった
タイプをエゴイストと呼びます。
こういうタイプは自分のことしか
考えていないように社会から映る
「I、MY、ME」のタイプです。




二人称のままの大人になってしまった
人物は自分と他者しかいないので、
裏表のある人物に映ります。
つまり三番目が存在しないので、
自分を客観視できません。



例えばAさんの前でいつも

Bくんの悪口ばかりをいうC、
そのCがBくんを見かけると、

まるで何もなかったように

振る舞い、Aさんの眼前で

Bくんと仲良くできてしまいます。

Aさんから見れば、このようなCは

とてつもなく裏表がある

信用ならない人物ですが、
二人称の人間CにとってAさんも
Bくんも自身と1対1の関係で
AさんとBくんの関係は一切、

視野に入らないのです。
三人称の目がないため、
AさんとBくんから受ける評価は
視界に入らないわけです。



次回は「マザコン女性の傾向と対策


科学が人類最高の宗教である理由



人類が科学という新興宗教を
信奉して止まない理由は、
それがもたらす現世利益
その謙虚さにあります。

科学そのものはすべて仮説であり、
そこにはコペルニクス的転回
という大どんでん返しの
魔物がつねに潜んでいます。
しかるにいくらひっくり返しても、
ビクともしない弾力性
科学技術という現世利益
科学にはあったわけです。




祈祷だってゴリヤクのある方に

人々は集まるものです。

効くか、効かないかわからない

おまじないよりも効果覿面な

抗生物質の方がいいに決まって

ますし、翼をもった想像上の

天使たちよりもボーイング機や

スペースシャトルの方が

現実的利便性という現世利益
をもたらしてくれるわけです。



科学の持つ弾力性は別名、
反証可能性ともいいます。
たとえば世間で最も信頼の

厚いノーベル賞科学部門ですら、

受賞者フィビガーの死後、
癌が寄生虫によって発生しない
ことがキチンと反証されていますし、
同じく受賞者エガスモニスの
ロボトミー手術が誤りであった
ことは今や世間一般の常識と
なっているわけです。



最近では冥王星が惑星でないことも
証明され、教科書から姿を消しました。
科学のスゴさはこうした大転回
や大反証があっても、その体系が
まったく崩れないところにあります。
そして、むしろ人々がそれを

待ち望んでいるところ、

そして科学者たちがそれを

誇りにしているところです。

宗教であれば「やはり神はいなかった
などといったら大騒ぎになりますね。
教義解釈が違うだけで、

派閥争いから戦争へ発展する

ケースもあるわけです。
科学は仮説であるという謙虚な姿勢と

現実的な利便性によって
人類最高の宗教として今もなお
君臨し続けているわけなのです。


<悪女を科学する37=>魔性の女と青い鳥>

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悪女を科学する
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女性同士の勝負に飽き足らなくなった

プチ女王たちは、その矛先を男性に向け

男との勝負をはじめます。

そのチャレンジには二種類あり、

日本女性の場合そのほとんどは

狙った男は逃さない」という

魔性の女」勝負になっています。



すなわち、誰もが憧れる男、他の女の男、

手の届かない男、女好きでない男、

ナルシシストな男などを標的に

陥落させることに勝負をかけるわけです。



もちろん、これは女の序列競争の中で

行われることですから、男は球技の玉です。

つまり、男を陥落させるところに主眼があり、

彼女たちは本気で恋愛するつもりもなければ、

結婚したいわけでもありません。

陥落という勲章と勝利を手にして、

女性の中で上位に立ちたいだけなのです。

ですから男がふり向いたり、陥落すれば

その瞬間、恋愛から覚めてしまいます。

そして、そこに「幸せの青い鳥」はいません。



このゲームでの最高得点はセックスをしないで

ふり向かせて、男に自分を追わせることです。

なぜならライバルたちがそれを評価するからです。

ただし、同じ男の取り合いになったときは

セックスを含めた抜け駆け行為や

ドラマに出てくるようなズルイ手に

勝負をかける女性たちもいます。

事件の陰に女ありとか色仕掛けなどの

ことばが生み出された歴史がここにあります。

一番みじめなのは勝負のネタにされ、

転がされているのに、それに気付かない

男性陣たちなのです。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

さて、勝負の相手が「女のいる男」だった場合、

その女から男を奪い取ったという勲章を手に

することができますね。それでは、ライバルの

いない、自分好きの自己愛者ナルシシスト

なぜ、こうした女性たちにモテるのでしょう?



ナルシシストを振り向かせるということは

自分がその人物のナルシシズムに勝った

ということに他ならないからです。即ち

彼は自分のこと好きだったけど...

...私のことはもっと好きなのよ!

ライバルたちはこれも高く評価します。



ライバルたちに勝って少しでも上に立ちたい

という願望を無意識に抱いてきた彼女たちに

安らぎや愛はけっしてやってきません。
なぜなら、彼女たちは「幸せの青い鳥」を猟銃で

打ち落としているだけだからです。

彼女たちの弾(美しさ/若さ)が切れたら

即ゲームオーバーだからです。