1月9日にオフ会を開催します
当事者、非当事者問わずユニークフェイス・見た目問題に興味のある方は是非ご参加下さい。

参加希望の方はナカタニさんのブログを参照下さい。



【お知らせ】
第2回大阪オフ会をします。

日時 : 2011年1月9日(日) 13時開始~16時終了予定

場所 : 大阪、京橋駅から徒歩10分程度の公共施設です。
     ご連絡頂いた方に詳細をお知らせ致します。

交通 : 最寄駅/京橋駅(JR線、京阪線)
           大阪ビジネスパーク駅(地下鉄長堀鶴見緑地線)

参加条件 : ユニークフェイス問題、見た目問題に関心のあるかたであれば、
        当事者であるなしは問いません。
        ご家族、支援者、研究者のかたの参加も歓迎します。
        当日の飛び込み参加はご遠慮願います。

内容 : フリートーク

参加費 : 一家族500円(貸会議室使用料として)

主催 : 大阪アザの会
     ( http://mixi.jp/view_community.pl?id=4935307 )
今年を振り返るにはまだ早いのですが、少し振り返ってみたいと思います。

今年は今まで行なってきた作業を振り返りながら、新しい一歩を踏み出すような年でした。
まさに準備の年。
大きな動きは無かったけど、たくさんの人に合い、たくさんの人から刺激と元気をもらいました。

出逢った方々と打ち合わせをしてよく耳にする言葉がありました。
それは…

「私が居ていいんですかね?」と言う言葉。

振り返れば私自身も聞いていたことがある。
私自身に聞かれた事もある。


そして、お決まりの回答は「勿論、居てよ。居ていいんだよ。」


凄く単純な会話のやり取りだけど、「居ても良い」って思ってもらえることが安心をもたらす。
自分自身を肯定できる。
他人も認めることができる。
単純だけど難しい作業。

そんな作業ができた今年はちょっぴりいい歳だったのかもしれません。
脱皮の痛みを感じることがある。
私は人間だから生涯を通じて皮を剥がれることは無いけれども、精神的に脱皮を強いられることがある。
何だか切なく痛い。苦しい。

こんなことを思いながらテレビを見ていたら
映画監督としての北野武がテレビで興味深いことを言っていた。
何だかわかるような気になって、何だか妙に納得した言葉があった。
それは、北野武という天才と称される人もスランプに陥ることがあるらしい。
その時の様子を語っていたのがこんな感じ。
(再現ではなく、要約なのであしからず)

「…その時の自分はどこに向かうのか、どこに行くのか、何をしようとするのかわからなく不安に思う。その不安は次のステップに進もうとする時の不安でもある。
そして、その時にはなぜか痛みを感じる。その痛みとは、自分で自分の皮を脱皮してようとするそんな痛みなんだと思う」

人間の皮は自然に剥がれ落ちるのではなく、脱皮させないといけないんだとか。
ちなみに、どうでもいいことだけど、私は確実に人生の第3ステージに移行しようとしている事は実感している。いい意味でも悪い意味でも変化の数年を迎えているし、迎える事になる。

きっと何かわからない抽象的なこの痛みは脱皮の痛みなのだろう…と。

今の仕事も今年で10年。10年という節目はあると思う。
だから、動かないといけないんだろうな。

ちょっと話が変わるがこんな話を思い出した。
サスペンションに興味を持っていた知り合いの気持ちが何だかわかるような気がする。

サスペンションと言って体にマグロを釣るようなフックを引っ掛けて吊るという
身体改造の一種というかピアスの延長線上にあるものらしい。


実際に友人がサスペンションを経験したことがあるという。
自分でお願いして、サスペンションをしてもらったそうだ。

友人曰く、抽象的な痛みを想像して耐えるより、サスペンションでより実感できる痛みを感じてみる。
そうすることで、何かあってもその痛みに耐えれたから…という自分への経験に繋がるという。
だから、サスペンションに何で興味があるの?と聞くと「それはスピリチュアルなものだから」と即答していた。

実質的な痛みと精神とのつながる痛み。

この痛みはまさに“通過儀礼”として人を成長させると思わせてくれるんだろう。

でも、私は痛いの嫌い。
ピアスさえ空いていない。
サスペンションなんて無理。
きっと無理。
いやいや絶対無理

でも、私のどこかが痛いのは、知らないどこかが脱皮していると思いたい。



一瞬、スルメ?って思いましたが違います。
スメルです。
ニオイです。
そのニオイで他人を不快な思いをさせると、スメルハラスメントになるそうです。

しかし、体臭・口臭もハラスメントの域になるとは…と言いたくなるのか?
それとも、ようやく臭いにも“ハラスメント”という言葉ではあるけれども、悪臭を排除する時代になったのだろうか?


ただ、気になるのが個人によって臭いの我慢の領域が異なる場合、ハラスメントの定義が難しい。
時代と共に価値観が変わりクサイとなった場合それはハラスメントなんだろうか?

また、ポマードなんかはその典型かもしれない。
ポマード愛好家はカッチリ決まる髪形、そのニオイを含めてポマードかもしれないけれども、
個人的にポマードのニオイに慣れない生活を送ってきたので、たまに満員電車でポマード愛用者と乗り合わせると心の中でハズレクジを引いた気分になってしまう。
「しくじった」と。

また、こんなことを思い出した。
私が中学生時代、整髪剤にムースタイプのモノが発売され始め男女問わず手に取り
髪の毛に塗りたくった。
ほんと、てんこ盛りに塗りたくった。
ただ、そのムースは修学旅行でバスの移動の時も皆が塗りたくったせいで、バスになんとも言えない臭いが篭り、車酔いの生徒続出。クサカッタ。
それに伴い、担任の教員がムース使用禁止令を出す始末。

ニオイって本人が思っている以上に、他人に配慮を強いられるモノかも。

そのうち、職場で昼食後に歯磨きをしない人は他人に対して配慮ができ無い人なんていわれるようになって、無理からに歯磨きを強いられるようになるのか!?
先日、知り合いのおじい様が亡くなられたのでお通夜・告別式行ってまいりました。

最近、結婚式より葬式の方が多いのは季節の変わり目だからなのか、年のせいなのか?

葬式に行くと滅多に会わないけど、知り合いで、久しぶりに会うと積もるような話がいっぱいって皮肉です。

お通夜が終わって一段落した後、椅子を並べてしゃべっていたら、皆人生色んなことがあるなぁ~と。
ある人は事故で指を切断し、ある人は自己破産をし、ある人は癌で数個の内臓を摘出し、ある人は離婚をし。
ネガティブそうな要因を並べてみたのですが、彼ら本人にとっては人生の中の出来事の一つでしかないと言う。
それ以上でもなく、それ以下でもない。
ただ、その事実があるだけだという。

淡々としている。

でも、何がすごいって人間の生きる力。

何があっても生きていかないといけない。
色々とあるけど生きていけるという。

一つのネガティブなことに引っ張られているよりも、
飄々と風に吹かれながら生きているそんな生き方も良いのかも。


当然のことながら、その亡くなられたおじい様は翌日火葬されました。
約2時間かけて火葬してカラカラの骨になりました。
人間死んだら骨になる。
わかっているけど、久しぶりに見たカラカラの骨は人生って儚いと物語っていました。

骨になるまでの間に何をするか…
それが人生かぁ。

人生って長いと思っていたら、意外と時間が足りの無いのかも。