ロマンチックじゃないアートのはなし -8ページ目

掉尾の一振

相場の用語で「掉尾を飾る」とか「掉尾の一振」と言う表現があります。 株価が高値を更新していき最後の最後でエネルギーを出し切ることを指すコトバです。


近所の本屋さんでアートな写真を特集しているおしゃれな一般誌が平積みになっているのを見ました。 単純だけど写真作品は「売り」と思った。 株式相場では誰もが購読する日経新聞に掲載されれば上手な投資家は売りと判断する。 誰もが知ることとなったニュースはもはや株価が織り込んでいるからだ。 翌日、一般投資家が買うことで相場は終焉を迎えます。 だから、おしゃれなファッション誌が写真の特集を組むということは写真の相場が終わったということ「かも」しれません。 今年に入り著名な写真アーティストの作品も退屈に見えはじめたし、またアートフェアではかなりダブつき気味であり、オークションでも批評的な観点から直近の作品群の見直しが行われていると感じます。 いわゆる「ふるい落とし」のステージに入っていると実感します。 70年代初頭まで写真というメディアはアートではなく写真は写真でした。 70年代後半期になり現れたシンディー・シャーマンをはじめとする写真作家を援護する批評が現れていつしか写真はアートになった。 あれから20年にわたり写真は語られ芸術として批評される対象となりアートのポジションを獲得しました。


ふるい落としは鼎の軽重を問う時間です。 誰のどんな作品が史的に評価に値するかが取捨選択される。 この作業は美術史や美学を巻き込んだ息の長い議論になることでしょう。 それにリビングアーティストはこれまで以上の作品を制作し跳躍を続けなければいけません。 マーケットとはかくも過酷な場所のようです。 歴史も同様です。 では写真の次は何かと問われれば思うところはありますが書くには至りません。 相場の上達者が時間をかけて静かに拾い集めるように我々は静かに実践しなければならないのでしょう。

オラファーで始まりラスター・ノートンで暮れた

ちょっとしたお願いをしに原美術館 に行きました。 このところエッジの利いた展覧会が続くけど、今回はオラファー・エリアソン。 打ち合わせのあとキュレーターのAさんが丁寧に会場を案内してくれた。 7,8年前だろか、オラファーが初来日したとき、なぜだか夜の東京取材に同行したしたことがあった。 彼の視力はとても弱い。 レインボーブリッジからみえるお台場や新宿のネオン街にカメラを向けていたのを思い出す。 最近ではテイト・モダン でのプロジェクトが話題になったけどこの原美術館でも見事な作品を展開してくれた。 僕にとって彼の作品との出会いは98年のシドニー・ビエンナーレ。 公園に大きな滝のインスタレーションを展示していた。 その印象のせいか原美術館の展示作品のなかでも初期の作品であろう水の作品に心を奪われた。 天井から水が散布されるのだけど照明の効果もありシルクのような霧のシャワーでした。 買ってみたところで展示どころか仕舞う場所もないけれどもいくらくらいするのだろうか? だけれども猛烈に欲しい。

お昼間はネクタイにスーツだったので、夜はいちど家に帰って服を着替えました。 なぜなら前に書いたカールステン・ニコライのユニットであるラスター・ノートンのライブに行くんだから。 夜11時に会場のUNIT に到着するとケロロは完全に高齢者であった。 クラブなんて何年ぶりだろうか。 長いDJが終わり12時近くからステージが始まった。 なんと前座は坂本龍一さん。 驚きはしなかった。 ある国際展が坂本さんをリストに入れようとしていてメールのやり取りをしていて彼がカールステン・ニコライとのヨーロッパツァーを終えたことは知っていた。 友人S さんからAlva Noto + Ryuichi SakamotoのCDもすでに入手していたし。 ステージはユニットのkangding rayから実質ラスター・ノートン・レーベル の社長であるolafに続く。 kangding rayは若く表情豊かでフレッシュなサウンドを聞かせてくれた。 olafは終始ビートの利いた、というかビートそのものに表情と過剰な強弱のバランスを持たせたところに豊さを感じた。 パフォーマンスの背景はいかにもカールステイン・ニコライであろうサウンドとシンクロしフラッシュするイメージをプロジェクションしている。 ソロのトリはニコライ先生。 いくつかの彼の盛り上げ方法を知ってはいたけれども、CDの再生ではなく実際の時間のなで感じるのはスリリングなパフォーマンスだった。 しかしすごいよ、このユニットは。 どこから迷い込んだのかラップ系の兄ちゃんがとなりで踊りながら「信じらんねぇ~」とか「この100年で一番クール!」とか叫んでいた。 アートが音楽に嫉妬する瞬間だ。 ステージはそれからニコライ先生とolafとの双発ユニットに続くのだが息をもつかせぬステージであった。 ダンスを始めるものもいればじっと耳を傾け直立不動の者もいた。 本当に「信じらんねぇ」音だった。 友人のSさんによると彼らの音はオリジンを持たずコンピュータの中で人工的に作られるという。 そういった音でも人を反応させてしまう。 短い休憩時間にデザイナーの近藤一弥 さんと遭遇。 同世代、ゲット! 彼とは大学を出て最初の職場でご一緒した同世代の友人。 そのうえ先日は小さな仕事を引き受けてもらうこととなり思わぬところで小指の赤い糸を再確認。 なんでも同レーベルからリリースされる池田亮司 さんの新譜のデザインを終了したところだとか。 4時過ぎまで続いたステージは終始見事なものでした。 それもあっという間でした。 かつてカンディンスキーがシェーンベルクと親密だった時代にロマンペイターが「すべての芸術は絶えず音楽の状態にあこがれる」と記しているけどそんなコトバを思い出した代官山の夜でした。


オラファーの光や風(PC用の冷却ファンの集積)や霧、カールステン・ニコライの聞こえる音とズボンを震わす聞こえない振動、複雑なビートでリフレッシュした一日でした。 両者の作品とも語れば言葉が陳腐に響くだけ。 今月のMUSTかもね。


17日は山口情報芸術センター でニコライ先生の大作のオープニングです。 ケロロも行こうと思っています。 翌18日には同じラスター・ノートンによるライブが行われる予定。



短期and/or長期

年初より細君が始めた食関係のビジネスが好調です。 企業の新作発表会やレセプションにちょっとした食べ物やドリンクのサービスを提供する仕事です。 私はもっぱら食べること専業なのでせいぜい依頼のあった会社を調べることで協力しています。 今週は東京の富裕層を狙ったセンスのよいアパレル会社のプレス発表会と、若者向け衣料で市場を拡大する大阪の繊維会社の原宿店のお披露目会のスケジュールが週末に重なり大忙しです。 東京の会社は訴求する相手がハイクラスでイメージを大切にしておりフランク・ロイド・ライト設計で有名な明日館 を会場とします。 一方の大阪の会社ですが東証二部上場で毎年業績を伸ばしなんと1年で株価 をほぼ5倍にしています。 昨年末に1700円であったのが今日の終値は8480円です。 170万円が1年で848万円。 1000万円買っていればほぼ5000万円になるわけです。


さてアートマーケットですがニューヨーク&ロンドンの秋のメーンイベントのオークションも終了しました。 日本勢も大健闘。 現在、森美術館で開催中の杉本博司河原温奈良美智村上隆 、草間彌生の古い作品比較的新しいもの が目立ちました。 春のセールではどのアーティストの作品も瞬間的な高値かと思いましたがどうやらそれは取り越し苦労でほぼ落札レンジが定着したもようです。 また誰の目にもつまらない作品を除いてほとんどの作品は落札されしかも同一作家の複数の作品が同じセールにでても流動性を積極的にとらえる向きがあります。 10年前までのコンテンポラリーのセールといえばジャスパージョーンズやウォーホルの数百万ドルという代表作を中心にミニマルアートやポップアートが周辺を飾るといった構図でしたが、いまやここ10年、20年、もっと言えば数年前の秀作を中心にオークションは進行しているように見えます。 その背景として、ひとつは世界的な金余り現象の具体例であるでしょうし、またそれ以上に先に挙げたジョーンズやウォーホルのような作家の作品がもはやマーケットになくなってしまい新しい現存作家に対する強烈な需要があるといえます。 10年前に見られた5百万ドルから1千万ドルクラスの出品なんてありませんものね。 それを助長しているのがハイテック技術による情報の加速度的な普及でしょう。 あと、これは欧米ではありませんが、香港での中国現代美術のオークションがしっかりしてきました。 データを見るかぎりリードする中国作家のプライスが透明性を獲得してきたことも「兆し」として捉える必要があると思います。 とくに天安門以前にフランスに亡命したヤン・ペイ・ミンなどすでに外国でマーケットを形成している作家の本国からの買戻しが特徴的でした。 あと欧米ではビル・ヴィオラが高値をつけて映像がクローズアップされ始めました。 たいして写真作家の選別が始まったといえるでしょう。 残るものと消えるもの、そして新たに現れるもの。 マーケットは過酷です。


先に奈良美智を買ったことを話しましたが1996年で価格は6万円でした。 今回、ちょうど同じくらいのサイズで同じくらいの時期であろう作品のレコードを見つけました。 11月10日、サザビーズ・ニューヨークのロット322 です。 落札価格は1800万円。 ちょうどその年に生まれた娘のためスタートさせたコレクションの第一号でした。 彼女はこの現実を知る由もありません。

誕生日

誕生日にはまだ早いが、ふと自分と同じ誕生日の人ってどんな人がいるだろうかと調べてみた。 生年月日を入力してググってみる。



久世光彦 (テレビプロデューサー)


千宗室 (茶道家元)


村野武範 (くいしん坊!万才)


パロマ・ピカソ (天才の娘 デザイナー)


石原伸晃 (政治家で長男)


坂下千里子 (タレント)


マリア・シャラポア (テニスプレイヤー)



どうやらなんの共通点もないようだ。 それでは収まらず自分と似た特徴がないかと探す自分に笑ってしまう。

自分の作家で食うということ

アートの世界で働きはじめてずいぶんと経ちました。

まだバブル前の80年代でしたがその頃のギャラリーはおおかたが欧米の作品を輸入し販売することが経営の柱で、ギャラリーの顔である企画展では彼らと組んでいるアーティストの作品を見せていた。 表のフロアでは会田誠や束芋の展覧会を開催しながら、バックルームでピカソやシャガールを売ってギャラリーを運営していたわけです。 日本産の数万円の作品が売れずにバックルームにある欧米産の数千万円の作品が売れていたわけです。 当時の経営者は二足の草鞋で器用だったのですね。


オークションや海外のギャラリーからの作品の再販で商売することをセカンダリーマーケットといいます。 対するアーティストのスタジオから産地直送を販売することをプライマリーと呼びます。 バブル以降に開業した私の世代にとっての夢はプライマリーでギャラリーを運営することでした。 当時、そんなことを口にしようものなら「無理だよ、ケロロくん」なんていわれました。 お客さんから無謀な冒険とも揶揄されましたが、当時の我々はセカンダリーで作品を購入する資金もなく借り受ける信用もなかったから無理無体にプライマリーに立ち向かうしか道はありませんでした。 有り余る時間と体力が資産のコアでしたから。 あれから10年が経ちます。 G9とよばれたわれわれのギャラリーはほぼうまく運営できているようです。 次は何をしようかただいま思案中です。

スバルのフォレスターに乗っています

ながいあいだペーパードライバーだったケロロが始めてクルマを買ったのが5年ほどまえのことでした。 ちょうど当時の仕事場の近くに東京スバルの本社があったのでランチのついでにカタログをもらいにいったりしていた。 クルマのカタログってデザインと印刷にたいそうお金をつぎ込むものですが、あまりに地味な会社の富士重工はペラペラの安カタログしかなくお客さまにコーヒーも出てこない反面、社員さんはどの人も車オタクを極め何時間でも技術を熱く語って止まない社風で知られていました。 この夏にオープンしたトヨタのレクサスとは雲泥の差ですね。


いまはスバルは3代目でフォレスターの新型クロススポーツ に乗っています。 ポルシェとスバルしか採用していない水平対向っていう独自のエンジンにターボチャージャーが付いていて2リッターエンジンでもトルクは3.5リッターエンジンに匹敵するみたいです。 また常時四輪駆動なので高速走行時のコーナリングは抜群です。 技術者の宝庫とよばれるスバルですが今年上半期の国内売上は国産メーカーのなかで単独でマイナスでした(笑)。 マイナーなんです。 デザインが他社に較べてダサいことに加え、ショールームでコーヒーのおもてなしすらないせいでしょうか。 あるいはケロロのように今風なセンスを持ち合わせないスバリスト と呼ばれるダサい熱狂的ファンがブランドイメージを著しく傷つけているためでしょうか。


古くはマツダのロータリーエンジンや最近ではトヨタ(最近スバルの大株主になりました)のプリウスなど日本の自動車産業にはほとんどアーティステックな技術の話題に事欠きません。 オタクであれ職人であれ「ものを作る」情熱があるんですね。 ただそれらの産業はオールドエコノミーと見られて、M&Aや金融技術だけで会社が大きくなり話題になる最近の新興企業(R天、Mファンド、生扉)のほうにばかり期待がかかっているようです。 もちろん国際競争力のなかった日本の金融がさまざまな技術を習得してスリルと夢のある市場を作ることはよいことでしょう。 ただいいたいのはスバルのボンネットを開けて見える技術と時間の集積や、また本業で優れたアート作品の背後に見え隠れするアーティストの苦労の時間やチャレンジに触れるにつけ「ものを作る」って今でさえ(and/or)今だから一番大切なことだと思うわけです。

疲れていますーー

フランクフルトにいます。

ドイツは明日までなのですが明後日のフライトやパリのホテルの予約をネットでやっているのですが何度も入力間違いをやらかして年齢を痛感しています。 旅程が流動的なのでいつもこんな感じなのですがいいかげんこのようなその日ぐらしのバックパッカーじみた出張はやめにしたい(涙)。 


昨日は以前から約束していたギャラリストと会いにケルンに行ってきました。 DB鉄道(ドイチュバーン)で1時間ちょっと。 土曜日なのでとんでもない混雑。 あそこは京都みたいな観光地なのか。 ルードウィッヒ美術館で戦後美術をみた。 もはや歴史なんだろうね。 演劇のほうが有名なブレヒトの企画展もやっていた。 これは再検証なんだろうね。 チャンスオペレーションってさぁ。。


喰いすぎー。 もう胃がもたれてきた。 太田胃酸持参してよかった。 魚フライのサンドイッチがおいしいぞ。 


これからMMK (近代美術館)に展覧会を見に行きます。 ネットでのショッピングをめぐる展覧会らしい。 いやショッピングの展覧会であるわけがない。 ただイーベイで買ったものいろんなものを並べているって。 さてそのこころは?

アートのフェアバリュー

もう15年ほど前のことだが、いまは国立美術館の高いポジションにいるキュレーターである人(当時は地方美術館の課長職)が「有名といわれる現存作家の作品が果たして代表作であれ500万円を超えてよいものだろうか。 5館以上の美術館で発表したことのない作家の作品が30万円を超えてもいいの? 経験以上の根拠はないけど俺はそうは思わない」と僕に言った。 当時はバブル経済の絶頂期でその人が属する美術館は特別予算を消化するために議会案件を含めて年に4回ほど収集委員会を開いていた時代だ。 ながいあいだ決して豊かではない予算規模で知恵を絞って独自の企画で魅力的なキャラ作りに専念していた課長のバブルに対する精一杯の抵抗のように聞こえた。


最近、若いアーティストや中堅とよばれる作家の作品が妙に高額と感じるのは僕だけだろうか。 美術マーケットの世界的な好景気の影響があるだろうがなにしろデビューしたての作家たちが高額だ。 もちろん作品のプライスは年齢で決定されるものではない。 が、所属しているギャラリーくらいでしか発表の機会がない作家のドローイングですら数十万円の値がつく光景を目にするたびに首を傾げてしまう。 もちろんその値段で複数の作品が売れればそれが相場だといえなくもないが。


1994年だか96年だかさだかじゃないけどなけなしのお小遣いをはたいて娘のために杉本博司と奈良美智の作品を買ったことがある。 シースケープが30万円強。 ジオラマで30万円弱の価格だった。 いまでは5倍から10倍近いセカンダリでのバリューはあるだろうけど、すでにNY近美をはじめいろんな美術館に収蔵されていたとはいえその値段で購入するには勇気と思い切りが必要だった。 6万円で買った奈良のペインティングの現在価格はいくらだろう? だけれども今では当時の彼らの値段では到底買えない若い作家がゴロゴロいるようだ。 作品のマーケットに流動性も空間的な広がりもない作品が作家の生活コストやギャラリーの運営費から算出されたた不自然でたわいもない数値で値付けされている。 そして売れているという現実。


マーケットっていう所は、あるときは上にオーバーシュートし、またある時は過剰に下落する、健全とはいえない場所に違いない。 ただ市場はいつも価格(数値)の最適化に向かいどこがそのフェアバリューなのかを手探りで模索している。 批評に説得力のない市場ではなおさらだ。 株式相場では理論株価という数式があるけれども数値化が難しい美術作品のマーケットでは困難な作業だ。 だから面白いとも言えるが、だから悲劇的なときもある。 ただ今は上にオーバーシュートしている作品が多すぎて、それぞれの作品のフェアバリューが算定しづらい地合いなのだろうけど、首を傾げる作品を見るにつけ前述の課長さんの言葉を思い出すのでありました。

やっぱり

やっぱり横浜トリエンナーレは熱い!

出品アーティストに同行し横浜トリエンナーレの現場に行ってきた。 もうずいぶんと会場が準備されている。 それよりも何よりもトリエンナーレ事務局が熱いったらありゃしない。 まるで学園祭前夜の部活部屋のよう。 前任者のキュレーターである建築家が突然に役を降りたので後任コミッショナーの川俣さんほかキュレーターの方々はたいへんだ。 時間的な制約。 そして資金的なハンディがある。 同情的な眼差しを差し引いても事務局の若いスタッフやおじさんキュレーターの真摯な熱気が心地よい。 与えられた条件で最大のパフォーマンスを上げるに違いない。 記録をとっている写真家の安斎重男さんは「もうワクワクして毎日通わなきゃいられない」という。 がんばれー


やっぱり失敗は繰り返す

アジアトリエンナーレのオープニング日時を間違えて福岡に入ったので時間をもてあました。 思いついたのが学校の勉強が不得手の娘を大宰府に連れて行くことだった。 新しく開館する九州国立博物館 も見学できるしねー、と計画したがまたもや日時を間違えた。 オープンは10月でした(涙)。 「なんか最近調子悪いね」と娘に慰められながら大宰府特製鉛筆を買って帰った。 次回は唐津を訪ねることにしよう。 ねっ、コレクターの大原さん


やっぱり博多は美味かった

20年前に初めて食べて奇異な印象を残した黒酢のお寿司の名店「やま中」に行った。 あのときの店舗ではなく場所も変わり横浜トリエンナーレを投げ出した磯崎新さんが店舗設計したハイカラなお寿司屋さんになっていた。 さすがにネタは新鮮だったけれどもあの感動はなかった。 うまいけど値段もいいね! よって適正株価。 続いて東京でも昨年の冬あたりから人気のモツ鍋に出かけた。 それが「おおいし 」 ここのモツ鍋に較べたら六本木界隈のそれはファーストフードでしかない。


やっぱりサムソンは化けるのか

来年度よりサムソン電子が32Gのメモリーを量産するらしい。 もう数年待てばハードディスクが消えるかも。 これから旬を迎える映像作品のマーチャンダイズの物理的形式にも影響するかもしれないなど本業の心配。 ともかくこれはたいへんなことだ。 おそるべし、サムソン電子。 美術館 も凄いけれどもなんてたって絶頂期のソニーを髣髴とさせるデザインと機能の幸福な結婚には恐れ入りました。 先日オーストラリアのセレクトショップで見たラップトップ はこれまで見たなかでいちばん美しいノートパソコンだと思った。 これを手にすればVAIOなどこれまたファーストフード程度でしかない。


やっぱりICタグ?

株式市場ではテーマ株というのがあってある時期にある特定の業種がクローズアップされる時がある。 ここ数年を振り返っても携帯着メロだったりネット広告だったり、またあるときは不動産の証券化だったり。 かなり前だがほいみん さんがICタグ関連を熱心に探していると言っていた。 ICタグとはたとえばFEDEXの荷物に小さなチップを貼るだけで世界中いつでも荷物の居場所のトラッキングができるというまさに流通革命の大きな武器みたいです。 ただそのコード化やチップの世界的な標準化でいろんな駆け引きがあるようですが。 今日は証券コード6738 を800円で買ってみました。 終値は運良く849円でした。 その後にジャスダック証券取引所によって一時売買の停止。 和泉電気に対して第三者割当増資だと。 上場来高値の1400円近くを抜いてくれると嬉しいのだが。 さて明日はどうなるでしょうか。

例外的な夏相場

自分のトレーディング技術が未熟なせいなのか夏相場にはめっぽう弱い。 だけどこれまで弱かったのに今年は東証マザーズのある携帯関連株 を7月の安値で買って高値で売り、下落し節目まできたところで静かに拾い再び再び高いところで手本のように売り抜けることができました。 株価のチャート を振り返れば簡単に見えるけれども実はそんなトレーディングは曲芸に近い。 だができてしまった。 感涙にむせぶ! ただなぜこんな暴騰劇を繰り広げたのかはいまだ分からず。 親会社がMファンドに関わりがあるということ。 ようやく黒字転換したこと意外は今もって理解できていません。


選挙のせいか何が理由なのかは分かりませんがこの夏は多くの人たちが私のように利益を得ているようです。 ただ来週からの(それはもう始まっているかもしれない)調整は長引くのではないでしょうか。 オーバーシュート気味の暴騰劇はそれの何倍もの時間でようやく差し引かれるでしょうから。


今夜は同業で親しくさせていただいている「I」さんのおよばれ に甘えました。 ありがとう。 彼女のビジネスパートナーが始めようとしている現代美術の世界での新しい業態はとてもフレッシュな印象を与えます。 詳しく書けませんけど。 ちょうどこんな風 といえばいいのでしょうか。 不安もあるけどそれだけにアートの世界はまだまだ糊しろがあることを確信しています。


アジ美トリエンナーレ のオープニングが明日だと思ってうっかりと旅行の手配をしてしまった。 チケットも購入しホテルも予約した。 準備万端のあと気づいたのですが、実はそれは来週の金曜日だった(笑)。 反省もなく明日の夜には娘と博多でモツ鍋を楽しんでいることでしょう。 こんな「しくじり」も許されるさ。 来週の金曜日は森美術館 で杉本博司展でありますです。