[源氏物語] 与謝野晶子著「源氏物語礼讃歌」 | コンデジ片手に出かけよう

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私の旅の思い出を紹介します。

大河ドラマ「光る君へ」の影響もあって、絵画とか特別公開とか普段見れないものが2024年は見れそうな予感です。そして、私の地元・堺市出身の女流歌人・与謝野晶子についても源氏物語と言う視点で良く知りたいとも思っています。


堺市には「さかい利晶の杜」と言う文化観光施設があり、その中に与謝野晶子記念館というのがあります。そしてその中には貸し出しはNGですが、与謝野晶子さんの書籍や源氏物語関連の本などがあり、気軽に知識を得ることが出来そうです。




2024/1/7(光る君へ初回放映日)に訪れた廬山寺・京の冬の旅2024特別公開。そこで与謝野晶子自筆の和歌集「源氏物語礼賛歌(げんじものがたりらいさんか)」があるのを知りました。

 



堺市立図書館に関連本があるのを知り借りたのですが、巻末に源氏物語54帖それぞれに対し与謝野晶子さんが作られた和歌が掲載されていました。晶子さんは源氏物語を3回も現代語訳されています(そのうちの一つは関東大震災で原稿が焼けたために未発表です)。そして、「源氏物語礼讃歌」はいわば生活等のための資金にするために作られたもので、そのうちの一つが廬山寺にあるんですね。
※ちなみに最初の源氏物語現代語訳は、夫・鉄幹がスランプになり、ヨーロッパ行の資金を稼ぐためだった様子です。そして、その訳が気に入らなかったので再チャレンジしたという側面もあるかもしれませんね。



あと、与謝野晶子さんは「源氏物語講義(未発表)」という作品も執筆されるほどの人、そして1909年(明治42年)4月から自宅において毎週2回源氏物語の講義を行っていた様子で、そんな過程で「紫式部日記」も現代語訳されていた様子です。そして、その中に「紫式部考」と言うのも付属されていて、次のようなことが書かれていました。
※この本も堺市立図書館で借りています。



◎『源氏物語』は「帚木(ははきぎ)」巻から起筆され、「桐壺(きりつぼ)」巻は後になって書き加えられたのであろう
◎筆致の違いなどを理由として「若菜」巻以降は紫式部の作品ではなくその娘である大弐三位の作品であろう
第二帖・「帚木」に書かれているのは『雨夜の品定め(女性を巡るボーイズトーク)』と『空蝉のもとに忍び込む光源氏』。読んでいてやっぱり若い男性の興味を引く話題ですから。そして源氏物語は最初は一話読み切り短編で作られたのではないかと言われるので、まずは話題性なんですね。
※『雨夜の品定め』に似た感じのシーンは光る君へ第三回に出てきましたね。

 




ところで与謝野晶子が源氏物語を熱心に現代語訳を行ったのは、彼女の人生に源氏物語が大きな影響を与えたからと思いますが、源氏物語自体を身近に感じるような要素が感性豊かな少女期から思春期にあったと思います。
※写真は与謝野晶子が通った堺女学校(現・泉陽高校)があった開口神社にある記念碑



個人的に与謝野晶子と源氏物語を結びつける要素はこんなものかなって考えました。
◎与謝野晶子の父親の蔵書に古典や歴史関係の書物があり読みふけるようになる
◎9歳で漢学塾に入っている
◎源氏物語に出てくる住吉大社は、与謝野晶子の実家から歩いて1時間以内で、住吉祭の神輿が自宅近くを通ったので、身近に思った。(住吉神は光源氏の守護神みたいな存在で源氏物語に複数回出てくる)
◎源氏物語には「神功皇后」「応神天皇(八幡神)」「仁徳天皇」などを連想させるシーンがあり、時代を考えると学校で教えられていたと思われる。


 

紫式部の生涯と与謝野晶子の生涯を考えると似ている点も多いのですが、それは別記事で紹介します。

また、紫式部日記も面白そうなので良く読み込みたいと思っています。