健康ソムリエ 北谷のブログ -6ページ目

 ★健康ソムリエ★  花粉症発症は23歳!

ウェザーニューズの全国1万5千人の有効回答結果によると


 「花粉症発症時期」は23歳からです。




詳しくは編集後記で。




■■ メジャーリーグ松井選手の花粉症解消宣言!


  ヤンキースの松井秀喜選手は、花粉症で有名です。

  キャンプ地であるフロリダのタンパは米国アレルギー都市ワースト100

  の上位ですが、松井選手の今年は体質改善のために服用している

  総合ビタミン剤で花粉症を解消したそうです。
 
  どこのメーカーだとか気になる情報ですね。
 
  米国では、花粉症処方には漢方薬が主流なのですが、松井選手のは

  漢方主体の特注ドリンクでしょうね。


  WBC決勝でV打のマリナーズのイチロー選手は、花粉症では

  ありませんが、CM契約である製薬会社の滋養強壮飲料の

  ユンケル ファンティを試合1時間前に飲んでいます。


  花粉症予防には、体の免疫力を高めることが必須です。


  イチロー選手の飲んでいる滋養強壮飲料も成分は漢方薬なので

  花粉症には、効果があるかもしれません。


  但し、高価なので1本飲んだからと言って治るものではないと思います。


  ■ マリナーズイチロー選手愛飲のユンケル ファイテン 50ml

  ⇒ http://www.peleeisland.jp/url/file/unkel.html




■■ 花粉症を根本から解消させる方法

 
  「とくダネ!」「あるある大辞典」などテレビや雑誌でも

  取り上げられた薬やレーザー治療に一切頼らず花粉症を克服

  する方法についての日本免疫治療学会会長の実践レポートです。


  花粉症は最も軽い免疫病であり、

  これまで、1,000人以上の方がこのレポートによる

  治療法で花粉症を改善しているそうです。

  
  当マニュアルに書かれたとおり、3ヶ月実践したにも

  かかわらず、全く効果の出なかった方には全額返金保証です。

  
  何をやっても花粉症対策にはならないと思われる方は、

  ぜひ、ご一読ください。


  ■ 花粉症克服!西原流免疫力向上法

  ⇒ http://kafunshounet.com/


    参考:著者関連の書籍

  ⇒ http://www.peleeisland.jp/url/file/meneki.html





■■ 編集後記



  ウエザーニューズ調査によると、花粉症発症年齢は、23歳です。


  県別で発症年齢を見ると、最も早い年齢は20歳の


  徳島県、最も遅い県は、佐賀県の28.6歳という結果です。


  花粉症は、一般的に個人の体質や生活習慣によって発症すると


  言われていますが、学生から社会人生活習慣の変化などに


  起因しているのでしょうね。

 
  4月からは、新年度のスタートです。


  新社会人になられた人は、特に環境の変化によるストレスや食生活の


  変化による体のバランスを崩しやすいものです、、花粉症にはご用心!



  花粉症の人にとっての新年度は、ますます睡眠不足や集中力が低下する


  シーズンですが、なんとか乗り切ってください。


  桜が満開を迎えていますが、東北ではスギ花粉のピーク、東日本などでは


  ヒノキ花粉が飛び始めています。


  朝の出勤時は夜間に積もった花粉が舞うため、最も辛い時間帯ですね。


  花粉症であってもなくても、仕事は午前中が勝負のようですね。


  くれぐれも体調は万全に!

★健康ソムリエ★ 花粉症予防グッズ第1位

今、一番売れている花粉症予防グッズランキングとは?



■■ 花粉症予防商品「ノーズマスク」鼻マスク


  楽天ランキング健康用品 抗菌・除菌部門で


  第1位を獲得し、TVや新聞などでも紹介された


  花粉粒子を99.9%以上カットする世界初の


  鼻に差し込む見えないマスクです。


  (財)日本紡績検査協会生活用品試験センターで調べた結果、


  花粉通過率は0%の試験データです。


  「ノーズマスク」鼻マスクならマスクのように目立たず、


  会話も支障ありません。鼻マスクは通常のマスクと異なり、


  顔を覆わないので、化粧崩れも防ぐ事ができます。


  便利なアイディア商品ですので、お勧めです。


  ■ ノーズマスクピットII 花粉対策

  ⇒ http://www.peleeisland.jp/url/file/nosemask.html





■■ 花粉症を根本から解消させる方法

 
  「とくダネ!」「あるある大辞典」などテレビや雑誌でも


  取り上げられた薬やレーザー治療に一切頼らず花粉症を克服


  する方法についての日本免疫治療学会会長の実践レポートです。


花粉症は最も軽い免疫病であり、


これまで、1,000人以上の方がこのレポートによる


  治療法で花粉症を改善しているそうです。

  
  当マニュアルに書かれたとおり、3ヶ月実践したにも


  かかわらず、全く効果の出なかった方には全額返金保証です。

  
  何をやっても花粉症対策にはならないと思われる方は、


  ぜひ、ご一読ください。


  ■ 花粉症克服!西原流免疫力向上法

  ⇒ http://www.peleeisland.jp/url/file/bikokyu.html


    参考:著者関連の書籍

  ⇒ http://www.peleeisland.jp/url/file/meneki.html




■■ 編集後記



  前回は、花粉症に効果があると思う食材ランキングなどを紹介してきました。


  インターネットのALL About健康・医療の


  「使っている花粉症対策商品は?」でも


  やはり使い捨てマスクが第一位です。


  ■ 花粉症対策商品のランキング


    1位:使い捨てマスク   
    
    2位:空気清浄機・加湿器 
   
    3位:洗眼液・洗眼薬   
   
    4位:うがい薬    
       
    5位:花粉対策の食品や飲料


  このマスクには、いろいろな種類がありますが、昨日のテレビ番組


  「メレンゲの気持ち」でも紹介された鼻の中に装着する鼻マスクが


  究極のマスクという感じです。


  実際に装着したテレビ出演者は、違和感もないそうで、鼻声にもならない


  し、何よりもおもしろおかしく目立たないのが、ヒット商品たる理由でしょう。
 

  この他、鼻の周り(外)に塗るだけで、花粉やほこりなどが鼻腔内への侵入を


  防ぐ商品やなどいろいろあります。



  こうした新商品のマスクなども時と場所などに応じて使い分けているようです。


  5人に一人が花粉症というビジネス市場は、今後も不況知らずですね。


  つらい花粉症シーズンは、もう少しの我慢です。

 
  
  来年の花粉症シーズンに備えて、花粉症予防に効果がある食材や


  体の免疫力アップなど、日常の食生活を見直すことが大切です。



  今日、WBCで日本がアメリカに快勝したように、


  早くスカッとした気分になりたいですね。

北谷修 プロフィール

北谷 修 (きたたに おさむ)


カナダアイスワインの老舗ワイナリー日本正規代理店

株式会社ピリーアイランドジャパン 代表取締役


メルマガ「健康ソムリエの毎日からだにいい食事」著者



■ 食べないという健康(幼少時代)


1952年、東京の下町、江戸川区小岩にて生を受けました。


当時は「フーテンの寅さん」も世に出る前でしたが


寅さんで有名な柴又帝釈天でよく遊びました。



夏目漱石「彼岸過迄」にもでてくる川魚料理「川甚」で


有名な料亭があり、祖母と鮎や鰻を食べた思い出があります。


鮎は苦かったし、当時常におなかがすいていた自分にとっては


量が少なく、こんなものが高価なのかとびっくりしました。



そんな祖母は明治の生まれでなんと103歳という長寿でした。


家族の中で私の事を1番叱ってくれました。


たとえば私が幼稚園で遊びに没頭し帰りが10分だけ


遅くなってしまったときに


わざわざ幼稚園まで来て怒鳴り込んできたり


銭湯で友達と遊んでて長湯になってしまったときにも


怒鳴り込んでくるような人でした。


子供ながらに厳しい中にも優しい気骨を持っていることを感じておりました。



今思うと、祖母の長寿の秘訣は博打かもしれません。


私の祖母は大の花札好きでここだけの話、


1度警察にも厄介になっていしまうほどでした。。


年をとってからも花札は大好きで


いつも頭を使っていたことが


長生きの秘訣だったのではないかと感じています。



祖母が作る食事には季節感がありました。


冷蔵庫が普及してない時代でしたから


木の箱に氷を切っていれるくらいでした。


保存方法や調理方法に工夫があり


季節ごとのおいしい食材や調理がありました。



小さな庭にもしそ、みょうが、あしたばなどなど


佃煮になりそうな下葉を育てておりました。


化学肥料は一切使わず、我が家の人糞を肥料に使っていて


子供ながらに汚いなあと感じていました。



風邪は滅多に引かない人でしたが


体調が優れないときは漢方薬を煎じて飲んでいました。


ミミズの干からびたものを煎じてエキスを出したものでした。


夏、のどが渇いた~と学校から帰ってきて


やかんに入っている麦茶をがぶ飲みした後


なんか異様な味がする、、とやかんの中をよく見ると


ミミズが泳いでいた!ということはよくありました。


今思い出してもあの光景は、やっぱり不気味でしたね。



風邪薬などは一切のまない人でしたから


骨を焼いたときに頭蓋骨からつま先の骨まですべてが真っ白でした。



父親と比べるのもなんですが、彼の骨を見たときは酷かったです。


癌の闘病が長かったものですから


抗がん剤のせいで赤、青、緑と骨に色がついていたのです。



それに比べると祖母の骨は焼き場の方も


「めったに見ない白さです」と言っていました。


ミミズも馬鹿にできないもんですね。



最愛の祖母が亡くなったときは、涙こそ出ませんでしたが


祖母の作ってくれた漬物が食べれなくなったことだけは


今でも寂しくなります。



やはり祖母がつくってくれた野菜や漬物は


どんな一流の料理よりも一流であり、


今食べたいと思ってもどこにも売ってない


金では買えない食べ物だということをよく思います。



形はわるい、虫食いの野菜ですが完全無添加、無農薬野菜でした。


祖母は尋常小学校しかでていませんが、


昔ながらの食材の扱いを熟知していたようでした。


コンビニで売ってる漬物は薬品にまみれていて


祖母があれを食べたらびっくりすると思います。



そんなおいしい漬物と味噌と米があれば立派な食事でした。


当時貧乏であったという意識はあまりありませんでしたが


今考えると、食事はいつも質素で、


油ものなどの高脂肪の食べ物をとる機会が少なく


そのため体はいつも健常でした。



たまに風邪をひいた時に、ようやくバナナが食べれた時代です。


そんな思い出のバナナも今では年に1本食べるかどうかですが。。


果物でもなんでもそうですが、食材が昔と比較にならないほど豊富で、


安価になったかわりに、そうした食味への感動が薄れていく気がしています。



丸いちゃぶ台で、家族が全員揃って食べる夕飯は懐かしい思い出です。


電子レンジなんてものはないし冷凍庫で長期保存なんてできませんから


温かいものは温かいうちに食べるのが当たり前でした。


だから夕食の時間は必然的に全員揃っていたのでしょう。



それから、どんな家庭でも鶏を飼っていました。


卵を産ませて朝、取りに行くため、


鶏が鳴く朝5~6時くらいには起きていました。



1965年に大橋巨泉の「11PM」が始まる前までは


深夜にテレビを見るなんてことはありえませんでした。


つまり家にいたら夜更かしをすること自体が不可能で夜は寝るものでした。



夜は早寝で朝は早起き、今も昔も健康にいいことは変わっていませんね。





■ 落ちたら即死、心を鍛えた山登り(大学時代)



1972年、成蹊大学に入学した私は、兄が山岳部に入っていて


道具が一通り揃っていたこともあり山登りに明け暮れました。



一度山に登ると5日くらいは帰りません。


夏の山は食材が腐りやすいので三日目くらいになると


食べるものはなくなってしまうのです。



風呂もないしこれが山ではなく街だと


浮浪者の集団というくらい汚い格好でした。


現に帰りの電車に乗ると周りの人が逃げる有様です。



それでも私が山登りに熱狂した理由はやはり充実感を得たいがためでした。


山を降りたときに山を踏破した!という充実感。


その充実感は他のどのスポーツとも違う充実感なのです。


それは敢えて厳しい状況に身を置く、自分との戦いでもあります。



こんな会話を思い出します。


明日は下山、もう身も心もこれ以上ないくらいの疲労状態で


私「お前今、一番何食いたい?」


後輩「かつ丼が食いたいです!」


私「おれはラーメン」


本当に極限状態にあると、寿司でも焼肉でもキャビアでもフォアグラでもなく


かつ丼やラーメンなどそんな庶民的なものが死ぬほど食べたくなるのです。


不思議ですね。



命の危険のある山岳部は完全な縦社会でした。



1年は牛車


2年は奴隷


3年は一般人


4年は天皇


5年は神様(笑)



なんて言葉があったくらいです。


私がまだ牛車だったころ、寝坊して


集合時間に遅れてしまったことがありました。


先輩からの電話で起きたのですがひどい罵声を浴び心臓が縮みあがりました。


しかも私は食材係という非常に重要な任務を負っていたのです。


とにかく食材を抱えて、先に登り始めてしまった


先輩達を追いかけることにしました。



自分の背負える重さには限界があるので


リュックサックにパッキングするのにも技術が必要です。


そして、忘れてはいけないのは食材よりもなによりもウィスキーです。


雪山で遭難すると犬がブランデーを下げて助けに来るのを


ご覧になったことがあるのではないでしょうか?


ウィスキーは疲れを癒し体を温めるため、山登りの必需品なのです。



食材は腐りにくいものを中心に持っていくのですが


そのとき、混乱と焦りでわけがわからなくなっていて


たまたま目に付いたあじの干物を入れてしまいました。(笑)



そんなちょっと微妙なパッキングが完了した後、


殺されると思っていますので、無我夢中で追いかけ、


2日目の夕方、南アルプス仙丈岳のキャンプ地に追いつきました。



どんな怒号が響くかと小さくなって挨拶に行くと


意外にも先輩は「よく来たな」と優しく迎えてくれたのです。


「1人で山を登ることは危険だから普通はビビッて来ない」と


根性を認められたのです。



この時ほど胸を撫で下ろした瞬間は


サラリーマン時代にも起業した後もありません。


今思えば、精神を鍛えられたとてもいい経験でした。


しかし、その翌朝の食事当番で4時起きしリュックサックを空けた瞬間


腐ったあじの干物がただならぬ異臭を放っていたことは


内緒にしておきました。



山での食事は突き詰めていくと「ケーキ」になります。


ショートケーキやチョコレートケーキなどのあの「ケーキ」です。


つまり、エネルギーを補充できればいいという考えなので


小さくて軽くて高カロリーを追求することになります。


バターや卵をふんだんに使用して特注で作ってもらいました。


1日をその特注ケーキ1食でまかなうこともよくありましたので


常に腹は減っている状態でしたがその方が頭が冴えてよく動けました。


また、「腹が減った」「のどが渇いた」などは


絶対に言わないことが暗黙のルールでした。


山登りではどんなつらいことにも耐えられる忍耐力が醸成されました。



山登りの中で一番危険な岩登りをしていて判断を迷うときがあります。


次の足場に行くかを怖気づいてしまうのです。


無理して行くと落ちて死ぬ危険があるし


でも戻るのはもっと危険という状態。



微妙な判断で時間にしたら2、3秒ですが


体が緊張で震えてくるのがわかります。


1度判断を誤って、後輩を滝から落としてしまったことがあります。



一命は取り留めましたが、


鎖骨とあばら骨を折る大怪我を負わせてしまいました。


これは本当に一瞬の判断力の大事さを学んだ経験でした。



このように青年時代にとことん体を苛め、負荷をかけたことは


その後の健康人生に大いに役立ったように感じております。


山登りをするということは身体のエンジン100%フル回転で


すべての筋力を使い、清涼な空気を吸って血液の循環をよくし、


さらにそれに従い骨格もよくなっていきます。


無理なダイエットなどとは違い身体がいい方向に


シェイプアップしていくのがよくわかりました。



精神力も連動しています。


高校時代はすぐギブアップして休憩したり水を飲んだりしていたのが


大学時代は経験とともにだんだん弱音を吐かなくなりました。


最終的には山を踏破した瞬間、


次はもっと難易度の高い山を心が欲するようになっていました。



これは将来安泰と思われたサラリーマンの道を捨て


儲かっていない会社を立て直すために


逆境の道を選んだ、現在の姿勢に通ずるところがある気がしています。



会社を前進させるタイミング。


または今は動く時期ではないと耐えるタイミング。


根性・忍耐力・精神力。


そういう意味では会社経営も山と一緒だなと感じます。





■ 仕事を成功させるもイバラの道へ(サラリーマン時代)



1977年に大学卒業後、大手通信会社に入社しました。


非常に給料など恵まれた一流企業で幹部候補生という名目で入りました。


待遇など悪くはなかったし、社会的なステータスもあったので


このまま定年までと考えていました。



社会人になってからは、酒と付き合い始めました。


それでも、毎年健康診断では、異常なしの結果で、


問診では10年若い体質ですねと言われていました。



通常は年とともに、お酒の飲みすぎで肝臓が悪くなると高くなるγ-GTP値


動脈硬化や心筋こうそく・脳出血を引き起こす指針になるコレステロール値


などがあがっていきますが私は全く大丈夫でした。



私が勤めていた会社の社員食堂は豪華で


寿司や天ぷらなどを出していましたが、私はほとんど毎日そばでした。


健康のためにといえば聞こえがいいのですが実際は


時間ももったいないし、選ぶのが面倒くさいからという理由からでした。


今考えると、高カロリーな油ものなどを控え、そばを選んでいたことは


少なからず健康診断の良評価につながっていると思います。



ちなみにその社員食堂のコロッケやカツを食べると


必ず腹を下す人がいたため油としての品質はやはり良くなかったのでしょう。



サラリーマン時代の私の最後の仕事はよく覚えています。


会社上役の誰もが失敗すると思っていた「リストラ組の再生」


これが私の最後の仕事でした。



現在のようなご時世ならとっくにクビが飛んでいるような


リストラ候補組社員の有効活用を主眼にした社員再生プロジェクトでした。


そのプロジェクトとは料金関係のプロジェクトで


従来は派遣社員にやらせていた仕事を


社員を使って派遣社員より成果をあげることを目標にしたものでした。



そのプロジェクトのリーダーに抜擢された私は


はじめに渡されたチームのメンバー表をみて愕然としました。


100名ほどのそのリストに書かれたプロフィールはそのほとんどが


どう扱っていいかわからないほどひどい経歴の社員でした。



どう考えてもそのプロジェクトを推進することは不可能に近く


私は何度もプロジェクトリーダーを降板することを考えました。



しかしここでも山で培った忍耐力とチャレンジ精神を発揮し


だめもとでやってみようと試行錯誤を開始しました。



仕事の内容としてはお客様対応やクレーム処理がメインになり


私はリーダーとして個々人の生産管理、


つまり、何件受けて、何件処理して、


どのくらいの売り上げがあったなどの統括をしていました。



はじめはとにかく一斉に全員ができるだけ早く


そして効率的に仕事をこなせることを目標にすすめました。


できない社員にはできるまで教え、


まずは全員のレベルアップを図ったのです。



しかし、残業してまでわからない社員にわかるように指導しても


成果はなかなか伸びませんでした。



ある日、ふと私より年配の方がパソコンの操作マニュアルを


一生懸命読んでいる姿を目にしたとき、やっと私は気づきました。


全員のレベルを上げることを目標にするのではなく


個々人の能力に合わせた仕事を任せるべきだということにです。



年配でパソコンの操作に慣れていない人には


パソコンの操作は簡単だがトークをメインに使う仕事を、


トークが苦手な社員には簡単なトークで済む仕事を与えました。



個々人の能力を把握し、それに合わせた仕事を与えることで


リストラ組の社員はうまく機能し始め、


なんと成果は前の月の2倍にまであがったのです。


派遣社員の料金もいらなくなって、


そのプロジェクトは完全な成功を収めました。



このプロジェクトは副社長から直接与えられた仕事で


誰も成功するとは思っていなかったため


このような成果を叩き出したことは社長の耳にも届いたようでした。



次に私を待っていたのは社運を賭けた


一大プロジェクトに関われるチャンスでした。


当時、その会社には大小様々な通信会社が寄せ集まって来ていて


それを統一した請求書にするというとても大きなプロジェクトでした。



しかし、そのチャンスは自ら蹴りました。


あとでまた詳しく話しますが当時私は、


カナダの「ブルーベリーワイン」と「アイスワイン」というものに強く惹かれ


これに自分の命運を賭けて見ようと夢を選んだのです。



年収は大手企業の中堅管理者レベルで生活には満足していたし


そのままサラリーマンを続けていれば悠々自適でいれました。


自分や妻の老後のことや家族を養えなくなるというリスクが高いため


一般的に50代を超えた起業は難しいと言われます。



そしてなにより一緒に難しいプロジェクトをやり遂げ


信頼し合っていた部下達には後ろ髪を引かれました。


私が残れば次のより難しいプロジェクトを


一緒にやり遂げる楽しさもあったでしょう。



しかしそれでもやはりピリーアイランドジャパンを建て直し


このすばらしい「ブルーベリーワイン」と「アイスワイン」を日本に広める


という夢の方が私には魅力だったのです。





■ カナダワインとの衝撃の出会いと失敗(起業時代)



私の兄がカナダトロントに永住を始めた頃から、


カナダには何度も渡航し大自然を満喫していました。



ロッキー山脈の雄大さは文字にすることのできない感動がありました。


4000m級の山々、つまり富士山が延々と連なっていることを


想像していただけるとわかりやすいのではないでしょうか?


そんな荘厳な山でのスキーやロッキーの麓をただぶらぶら歩くトレッキング。


こんな素晴らしい時間はなかなかありません。



地平線をみたことがありますか?


東京に住んでいたらまず見えないでしょう。。


私がカナダで地平線を見たとき、自分が地平線と想像していたものより


スケール感が桁外れで、まさに地球というものの大きさを


感じることができるものでした。



観光で有名なナイアガラの滝も素晴らしいものですが、


あの地平線には敵わないように思います。


ただ散歩しているだけでジュラ紀の化石が露出していた場所を発見したり


歴史という時間軸でも大きさを感じたものです。



カナダに出会った私の感想はとても単純です。


「住んでみたいなあ」



日本の都会という便利なようであって人工物だらけの


自然とはかけ離れたところに住んでいると


便利さはないんだろうけど、いつでも感動する自然があるあの場所に


住んでみたいと今でも考えています。



「山」・「川」・「湖」・「森」の「高さ」・「広さ」・「深さ」、


島国である日本とはレベルの違う広大な自然のある土地で


ログハウスでも建ててのんびり住んだら楽しそうだと感じます。



それこそ食材はそこかしこにあります。


川に行けば大きなサーモンが泳いでいるし、湖に行けば貝や鱒などがいます。


自分で釣ったサーモンを燻製にして食べることは私の夢の1つです。



観光旅行で訪れて魅力に取り付かれて永住してしまう人が


かなりいるという事実には大きく頷けます。



そんな魅力的なカナダで初めて飲んだ


カナダ産のワインがアイスワインだったのです。


知人宅で薦められて飲んだのですが、その予想だにできない


はじめての味覚の感動は今でも忘れることができません。



後で知ったのですが、その知人は、陳萬得という台湾の医学博士でした。


ブルーベリーが眼病予防や老化防止などに効果がることは知られていましたが


陳氏は、彼自身が緑内障を患っていたことから、こうしたブルーベリーの


アントシアニン成分を高める方法を研究し開発していました。



私が、陳氏と会った2001年は、


現在のワイルドブルーベリーワインが商品化された年でした。


このブルーベリーワインならば日本でも「養命酒」のように普及できるのでは


と早速、日本での起業の話となりました。



カナダワインは、日本での知名度がないので、


これならばなんとかヒットするのでは思い、各方面にサンプルの試飲をお願いし、


その市場性を検討しました。



2003年の暮れ、ワイン販売の経験者、会社経営経理の経験者、営業の経験者


そして資本を提供する私の4人が揃ったタイミングで


会社名をカナダワイン生産地の日本正規代理店とすることが


認められ、㈱ピリーアイランドジャパンを立ち上げました。



それぞれの経歴を持った人材が集まり会社を起業して


これならば軌道に乗るのも早いのではと期待したが


そんなにうまくは行きませんでした。



2005年、営業開始初年度は予想以上に経費がかさんでしまいました。


まず広告宣伝費として新聞雑誌パンフレットに経費をかけたものの


連動して売り上げが伸びませんでした。



次いで人件費、顧客拡大に向けた人件費、宿泊費、営業費がかさみました。


どちらも必要経費であることはわかっていましたが


売り上げに見合ってるかどうかを計画的にみることができず


実際は持ち出しが多く売り上げに結びつかなかったのです。



バランスをみながらの経費の使い方ができずに


1年目で資金はすぐに底をついてしまいました。



2006年、設立2年目は運転資金という大きな問題に直面しました。


銀行からの1000万円の融資は商品の買い付けで使い切ってしまいましたし


もともと資金計画に無理があるので、すぐに個人的役員の長期貸付、


つまり私のポケットマネーで運営するという事態になってしまいました。



債務超過の状況で、たかだか2年目で解散という方向性もありました。



2007年、設立3年目には今後の経営について資金面でも販売面においても


不安が先に立ったことから経営を任せていた


社長自身が責任を感じて降板してしまいました。



そんな先行き不透明な会社であったため


優れた営業ノウハウを持っていた社員2名もすぐに退職してしまいました。



しかし、ブルーベリーワインについては売り上げが少ないというものの


非常に優良な商品であり、カナダワインを含めて


市場では認知度が低い状況というのが一番の原因であるとし


社長交代を含め、経営の刷新を図るため私は会社を退社し


資金面をふくめて会社再建を目指しました。


会社をやめたときの退職金を資金面での原資に充当する覚悟はありました。



会社を辞める前では夕食においしいご飯を食べれましたが


会社を作って3年目からは経営者としての責任を負うため


自分の贅沢は抑えざるを得ない状況になりました。



事務所への往復の電車賃ももったいないくらいに感じ


事務所に寝泊まりをする時期もありました。


食事も外食を避け、そばを主体とした自炊生活が始まり


考えられる徹底的な経費の削減をしました。



2008年、設立4年目はインターネットに強い人間に協力を頼み


必要とは思いながらノウハウがなくできなかったホームページの作成から


インターネットで売るためのノウハウを協力してもらい


これまで手薄だったインターネット層へのビジネス拡大を図りました。



これまでの顧客への再度のアピールも始めました。


ここでも経費削減のためデザインを外注せず自社でデザインし


印刷も自社のプリンターで一枚一枚印刷し


ダイレクトメールを送り始めました。



インターネット販売との相乗効果でその年、


こちらから営業活動をしなければと思っていた大手の業者などから


ホームページをみたということで発注をいただくことができました。



夏に行ったインターネット広告では費用に対して10倍以上の売り上げを達成し


これまでの月間売り上げを大きく更新したり、


ワイン専門店からカナダのブルーベリーワインという点に興味をいただき


受注をいただいたり、イタリア料理、フランス料理、韓国料理のお店などから


国境を選ばない料理に合うワインとして


ブルーべりーワインの発注を受けるまでに成長しています。



はじめてホームページをみて当社の製品を信頼して購入いただいている


お客様にはいままでにない感謝の気持ちをここに記しておきます。


本当にありがとうございます。



2009年、設立5年目を迎え、これまでの厳しい経営状況を


なんとか乗り越えられてきました。



2009年3月の時点ではカナダ大使館の広報後援団体関係である


オーロラ倶楽部での試飲会が功を奏し、


カナダ大使館への納入も決まっています。




以上が私の今までのプロフィールです。


長い文章になりましたが、


ここまでお付き合いいただき、どうもありがとうございました。


私が会社の節目と考えた本年は、


ワイルドブルーベリーワインやアイスワインを主力商品とし、


なお一層のカナダワインの普及に努めていきたいと思っております。