前回の続き→

 

 

※地震に関する具体的な表現があります。

苦手な方はご遠慮ください。

 

 

 

 

 

 

「安心安全」とはかけ離れた環境にいて

抱えきれない「不安感」が

デフォルトだった子供時代ドクロ

 

 

でも当時は、不安感を

抱えているとにも気付けてなかったニコ

これはコーチングのセッション中に気付いたこと

 

 

そんな負荷のかかった気持ちは

少し成長してからも

変わることはなくて

 

 

段々と

 

周りや自分を受け入れられない

そんな不具合も追加されるようになっていた

 

 

 

波波波

 

 

 

その頃から

母との関係はさらに悪化して

暴言・暴力・人格否定が

日に日に増していた

 

絶望

 

 

多分その頃から

 

抱えきれない不安が

「地震への極度の恐怖心」

へと変わった。

どゆこと?キョロキョロ

 

 

 

「え?今、揺れてない?」滝汗 全然揺れてない

「今大きな地震が突然来て、学校ごと崩壊するかも」滝汗

「数秒後に建物の下敷きになって生き埋めになるかも」笑い泣き

 

 

 

 

常にこんな事を考えて、

常に逃げ道を考え どこから出てどう逃げよう走る人

常に体に力が入った状態のままの

緊張状態を維持して過ごしていたゲッソリ こりゃ疲れるわガックリ

 

 

 

つづく→

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の続き→

 

 

↓突然生活が崩壊した日はこちらから↓

 

 

 

自分で表現しといて

「立っていられないくらいの不安」

って超しっくりキラキラデレデレキラキラ

 

 

 

それでいて、学校の友達には

我が家の異常性(特に母の素性?)

はバレちゃいけないうさぎクッキー

と自分に超重大ミッションを課してた

え?みんなと同じ普通の家庭に育ってますけど、何か?みたいな

(誰も聞いてねーよ昇天

 

 

 

母は、そんな私の不安に気付く訳もなく

周りの大人(祖母、叔父、叔母)←オジオバしょっちゅう来てた

と一緒になって私を馬鹿にしては

楽しそうにはしゃいでた

デレデレ パンチ!

 

 

 

波波波
 

 

不安・恐怖・悲しさ・孤独・絶望

 

波波波

 

 

 

 

 

当時、

どこかの大人に助けを求めるなんて

アイデアは一切なくて、

求めていいとも思ってなかったな~バレエ

 

 

そんな私は、

少し経つと、超超超~(モー娘みたい笑)

トイレが近い少女になったもぐもぐ え?

 

 

いや、笑い事ではなくてよおいで

 

 

45分の授業中、毎回2~3回は席を立つ

ひどいときは、休み時間の間に2回以上

 

 

ポーンポーンポーン

 

 

恥ずかしいし、恥ずかしかったけど、

 

 

そんなことよりも何よりも

無事にこの45分が過ぎ去りますように・・お願い

次はどんな言い訳で席を立とう・・・

に神経を全集中させてたから

 

 

 

 

母、家の事を考える

余裕がなくなってた魂が抜ける

 

 

 

つづく→

 

 

 

前回の続き→

 

 

祖母→母へと連鎖された

ヒステリック体質 

いや、多分その前からだろな~ 絶望

 

 

 

ヒステリック母からされてきた

暴言・暴力・人格否定・無視・家族内差別

やば・・しかも私だけに 真顔

それでも異常な母だとはなかなか認められないわけよ~

 

 

 

突然、昨日までの生活が崩壊して

急遽始めることとになった新生活に

心が付いていけなかった小学生時代

家も学校も地獄・・だったなにっこり

 

 

 

当時の私は、常に

立っていられないくらいの

不安に襲われながら過ごしてた

漠然とした理由なき不安みたいなやつねオカメインコ

 

 

こんなんさ、

真正面から全てぶつかってたら

私は壊れてたと思う笑い泣き

 

 

 

そんな子供時代を生きた私が

自分のために編み出した

生きてくための自己防衛に

気付かされたセッションがあった

 

 

キラキラキラキラキラキラ

 

 

 

 

つづく→

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏休みだね~こんなんほしい目がハート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の続き→

 

 

 

パチン・・・キラキラ

 

 

小さな心が壊れる音が

はっきりと聞こえたあの日風鈴

 

 

何が起きたのか分からないけど、

「見てはいけないものを見てしまった」

・・そんな不安に満ちた予感を抱えて

大人への強烈な恐怖心を抱いた日セキセイインコ青

 

 

あぁ、母親のヒステリックは

祖母譲りなんだな無気力 

やべー・・先祖代々的な?超やべーじゃん

 

 

え、待って、

だとしたら、このままだと私も・・・・滝汗 

 

 

波波波波

 

 

これは目をかっぴらいて

本気で向き合わないと

 

 

この絶望的な気持ちや

景色をかわいい子供たちにも

見せてしまうことになるって事よねチーン

 

そして、いつか私と同じように

悩む日が来るって事よね真顔

 

 

炎絶対ヤダ炎

 

 

私がこの流れを止めねば物申す

 

 

そんな不安と焦りを感じた状態で

コーチングをスタートさせるのでしたオカメインコ

 

 

 

次は、コーチングで見た新しい自分ゆめみる宝石

→つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の続き→

 

 

 

 

新幹線で遥々

祖父母に会いに行った

幼少期のある夏の日の出来事風鈴花火

 

 

久しぶりのおばあちゃん家では、

フルーツやお菓子を用意して待っていてくれて

歓迎されている気がしてすごく嬉しかったカキ氷

 

 

一緒に遊んでもらった記憶はほとんどなく

祖母はいつも母と大人同士で会話していた手裏剣

母とね

 

 

なので、小さかった私は

いつも蚊帳の外

 

大人の目を気にしながら

持ってきたおもちゃで遊んだり

チラシに絵を書いたり

一人で遊んでる時間が多かったおすましペガサスゆめみる宝石うずまきキャンディ

 

 

 

その日も一人で

何かに没頭して遊んでいた

 

 

すると突然波

 

 

 

ごらぁー!!

何してるのぉー!

やーめーなーさい!
と叫び倒す祖母ムキー

 

 

ん?

誰に言ってるのか分からなかった

のでそのまま遊んでいると・・・

 

 

 

もんのすごい形相で

こちらをにらみつけ

顔を真っ赤にしている祖母炎ムキー炎

 

え??

なに?無気力

 

それ子供に見せていい顔なの?ってくらい

 

 

ふざけるなー!炎炎

何やってるー!

どうしてくれんのよー?ムキー

え?どうすんのよー!え?

 

え?子供相手にめっちゃ詰めてくるやんアセアセ

 

ワケが全く分からなくて超困惑驚き

 

 

 

普段、優しいはずのおばあちゃんが

まさしくブチキレた日

 

私の心の中でパチンハッ

何かが割れる音がした気がした

 

 

つづく→

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の続き→

 

 

あれから2回のコーチングを終えた私キラキラ

 

セッション中に

私の口からよく発されるワードが

 

 

祖母

親戚

叔父

夜逃げ

息子

 

波波波

 

 

強烈ははこちらから↓

 

強烈な夜逃げはこちらから↓

 

これまで書いてなかったけど

祖母がまた強烈だった

 

 

普段は上品なマダム風の祖母指輪

 

 

部屋着とか着ないし

常に自分で仕立てた洋服を身に着けていた

 

 

子供ながらに祖母の事を

「孫よりも娘(母とその妹)に本当甘いよな」

と思っていた。

 

 

帰省すると、母親が

祖母の前で甘えた娘の口調でいる事は

ちょっと気持ち悪く感じていたりしたドクロ

 

家ではヒステリックなくせに、

自分の親に甘えるんだ~みたいな?真顔

 

 

そんな祖母に遥々新幹線で

会いに行った

幼少期のある夏に

 

 

事件は起こるのでした爆弾

 

 

つづく→

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時を戻そう↓↓

 

 

暴走時代を経て

結婚、離婚、出産、離婚、再婚し ややこしいわ!

 

子育てを初めて8年。

いや~、こんなにも

子育てを通して過去がリフレインして

自分を邪魔してくるとは思わなかったよ 悲しい

 

例えばさ、

子に夫にキレてまう

比較してまう

否定してまう

強要してまう

何かを意識してまう

やば・・真顔

 

 

そんな時にとあるコーチ

(コーチングをしてくれる方)

と出会いましたクローバー

 

話は変わるけど、え?いま変わるの?

 

今でこそ「波乱万丈な人生」を自ら言えるけど、

タイムリーには、いかに普通の家庭に育った子

に見えるかを意識していたからか

 

子供の頃から

人前ではよっぽどでないと

泣けなかった私オカメインコ

 

 

でもね、

そのコーチとオンラインで話したとき

禁じてたはずの涙がポロポロ流れて

  自分に超ビックリ目 

え?敵かもしれないよ? 失礼左差し

 

 


「共感」「受容」そして

傷を持っている方から言われると

やっと受け入れられる

「つらかったね・・・」

の言葉

 

実はそこまでのフェーズは

何回か体験したことあったけど

怖くて、共感の先に行けなかった・・・

 

でもさ、

やっとその先の扉を開く

勇気が湧いたわけよ

 

 

くま(夫)に相談すると

二つ返事で「やらない理由あるの?」

「お金じゃないよ、協力する」

と言ってくれた

 

3桁万円の出資には正直ビビったけど真顔

重要な自己投資と思って

立ち向かう?向き合う決心をして

前に進みたいと思ってます花火

 

 

よって、

並走していただく事を

プロコーチにお願いしましたスター

 

 

ここからはタイムリーになるので、

どんなブログになるか未知ですが

よかったら、アダルトチルドレンと対峙する

40歳をお楽しみください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は、ここに至るまでが

まぁ~結構な大暴走だった・・・↓↓↓

 

 

①飲めば一番泥酔 超迷惑だよね。。でもそうとしか飲めなかった

②飲まない日はない ネガティブ 

③予定のない日はほぼない なくてもつくる!

④常に何かの幹事 ちゅー 多忙でな自分が好き

⑤深夜から集合かける 0:00はまだ夕方の感覚

⑥突然、消える 絶望 やべー

⑦集団から一人になるのがめっちゃ怖い 。。。

⑧誰とも会えない日はマジ絶望真顔

⑨いきなり絶望的に寂しくなる  みんな離れて行っちゃうかも・・・

⑩きっと、共依存だったなあの頃  なんも言えねぇ

 

 

でも、その時、暴走こそしないけど

なぜかいつも一緒に並走してくれる

相棒みたいな男友達がいた雪だるま

 

その友達と一回だけ大喧嘩して 原因不明

私の誕生日を一緒に過ごせなかった年が

あったんだけど、毎年和民で飲み明かしてたにのさ~

 

教えてないのに、なぜか嗅ぎつけて

私が飲んでる居酒屋に登場して・・

当時私が好きだった

JOHN・TRAVOLTAのポスターと一緒に スペル大丈夫?

渡してくれた手紙が、

実は今でも忘れられないくらいには

嬉しかった真顔

 

 

~手紙(ルーズリーフ切りっぱなし)~

 

1月・・俺に彼女ができるチョキ

2月・・地元で彼女お披露目パーティ

3月・・降られてどん底真顔

4月・・失恋パーティ三昧昇天

5月・・ココに彼氏ができるチョキ

6月・・酒癖が悪くて降られるニヤニヤ

7月・・失恋パーティ生ビール

8月・・くまアイスに彼女ができる

9月・・くまアイス抜きで地元で飲み会三昧

10月・・俺に彼女ができそうになる、でもできない

11月・・・結局俺とお前で飲んでる生ビール生ビール

12月・・みんな降られて地元のみんなで年越しボトル

 

 

たぶん、深い意味はなくて

何なら酔っぱらって

適当に書いた手紙かもしれないけど・・

未来も一緒に私と遊んでることを

当たり前として書いてくれた手紙が

実は。。。

死ぬほど嬉しかったえーん

 

 

 

そんな奴が20代を全力で並走してくれました

そして、ひとしきり一緒に爆走すると、

「お!もう30歳か、じゃお互い達者でな~!!」

と解散し、今に至るような感じですDASH!

 

いまでも時々家族ぐるみで飲むいい友人です

 

きっと、そんな友人がいたから

今の私はここにいるんだと思ってます日本酒

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の続き→

 

 

ボランティア活動には

最年少の私をはじめ、サラリーマン、

子育てを終えた主婦の方、70代のご婦人まで

本当に様々なタイプの方が参加していた

お父さんお母さんおばあちゃんおじいちゃん

 

 

そこにいる人にしか分からない

気持ちを共有することで

次第にお互い仲間意識が芽生えたりして

 

そこでも新しい居場所を見つけたクローバー

 

 

霧霧霧霧霧

 

こんな感じで

 

・カウンセリングマインドを学ぶ

・サークルを作ってみる

・ボランティア活動してみる

 

 

と動いてはみたけど、

 

「カウンセリングが必要なのは母親」

の言葉を丸飲みにして 心のお守り的な

 

 

諸々の事に正面から向かうよりも

活動的に良さそうなインパクトのある行動を

大人と一緒にしていくことで、

この頃、不良、反抗期、どうしようもない娘!ムキー

と触れ回っていた母を

結果的に見返したかったんだと思う 今気づいたわ

 

 

 

時に暴力的にも映る行動力の源は

 

 

「あんた、(母親)

私の事なんて何もわかってないよ!」

と常に心で言ってやってたことだと思う物申す

 

 

 

 

次は現在へ→

 

 

 

 

 

 

 

友達はサークルの趣旨に共感してくれて

メリットなんてないのに

それぞれの方法で、

精一杯応援してくれた

ネザーランド・ドワーフセキセイインコ青セキセイインコ黄オカメインコ 感謝

 

 

 

スノボスノボスノボダッシュ ちょいちょいちょ~い!

 

 

ねぇねぇ!

「共感」「受容」あったじゃん、ここに↑↑!!!

見落としてんじゃないわよ、私!あんぐり←今の私

 

 

サークル活動自体は、

可もなく不可もなくな盛り上がりでしたが オイ!

年齢は5歳~80歳までの老若男女が

毎回コンスタントに参加してくるようになりました赤薔薇

参加希望の連絡が来るたびにめちゃくちゃ嬉しかったな~花火

 

 

 

長くなるので

つづいてその②へ

 

 

次はというと、

何を勘違いしたか、突き動かされるままに

自殺防止のボランティア活動に参加。お前にできんのか?真顔

 

数か月間の研修を経て、

地方まで講義を聞きに行ったりした後

最後に適正テストを受けて

晴れて電話相談を受けられる様になるわけです。

最初は先輩の電話を聞くだけ雪の結晶

 

これは、超真剣でした。

耳をそむけたくなるほど辛い相談の後は

ボランティア同士で吐き出して保ってました。

 

自分の想像を超える

苦悩を抱えてる方がたくさんいることに

正直、驚いたけど

人を救えるのは人しかいないんだなとも思った

 

ひとしきり話して

切り際に「ありがとう。少し気が楽になった」

「また掛けちゃうかもしれないけど、もう少しやってみるわ」

と掛けてきたよりも少しだけ前を向ける人もいたり

「聞いてくれてありがとうクローバー」と泣かれることもあったりして

 

 

 

つづく→