フィンガーダンサー.Blog byケンディジット -41ページ目

Dragon Ash(ドラゴン・アッシュ)フィンガーロゴ Finger Logo 

Dragon Ash(ドラゴン・アッシュ)Finger font Logo No.270 フィンガーフォントロゴ
手を84使用

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Dragon Ash(ドラゴン・アッシュ)は、日本ミクスチャー・ロックバンドJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント内のレーベル、MOB SQUAD所属。CDの総売上は1500万枚以上

 
 
メンバー Kjボーカルギター
(1996年 - )
櫻井誠(ドラム
(1996年 - )
BOTS(DJ
(1999年 - )
HIROKI(ギター
(2003年 - )
DRI-V(ダンサー
(2003年 - )
ATSUSHI(ダンサー)
(2003年 - )
 
旧メンバー IKÜZÖNE(ベース
(1996年 - 2012年)

 

メンバー

作詞作曲も担当。降谷建志(ふるや けんじ)。妻はタレントMEGUMI
  • MAKOTO SAKURAI (マコト サクライ、桜井誠(さくらい まこと)):ドラムス
Kj、BOTSとは同級生。HIROKIと共にendiveとしても活動している。ライブではMCを担当することが多い。趣味はゲームと料理で料理本を出版しており、ライブやフェスでも「桜井食堂」として出店している。最近では単独でパチスロ番組への出演も多くなっており、多くのライターとも共演している(CSフジテレビ1で放送の「パチスロ旅」で射駒タケシと共演他)
1999年加入。正規メンバーとなる前から、PVやライブに参加していた。近年のステージではターンテーブリストとしてスクラッチを刻むだけではなく、ティンバレスを叩く姿も数多く見られる。サッカーチームではキャプテンを務めている。
  • HIROKI (ヒロキ、杉山弘樹(すぎやま ひろき)):ギター
2003年加入。Dt.やstrobo、そして桜井誠とのユニットendiveなど様々なプロジェクトでも活動し、他のアーティストへの楽曲提供やプロデュースワークなども行っている。
  • DRI-V (ドライブ、千葉雅紀(ちば よしのり)):ダンス
2003年加入。RIP SLYMEの紹介で加入。ヒップホップ、ブレイキン、パントマイムなどダンスのあらゆる要素を独自の解釈で取り入れて活動。「DRI-V DANCE SCHOOL」として都内でダンスインストラクターとしても活動している。
  • ATSUSHI (アツシ、高橋アツシ(たかはし あつし)):ダンス
2003年加入。為末大に、ヒップホップダンスを教えている。Dragon Ashの曲の振り付けを担当。RIP SLYMEの紹介で加入。2009年、プロジェクト「POWER of Life」を発起。

元メンバー

ピンキー青木が結成したPinky & The Crazy Love MachineやVirusなどで活動後、Dragon Ashのメンバー募集のオーディションにより加入。以降、メンバー最年長者としてDragon Ashの活動を支え続けたが、2012年4月21日、急性心不全のため逝去。46歳没。Dragon Ash以外では、桜井と共にMotor Headphoneを結成し、YMOのトリビュートアルバムや、PENICILLIN千聖のソロプロジェクトであるCrack 6にも参加した。生前のhideと親交は無く、直接の関わりは無かった。インディーズ時代virus がエクスタシーレコード所属であった為、飲みの席でhideを遠くで見て憧れていた。彼の死後はhideの共同プロデューサーINAと親交が深く、hide ミュージアムにある晩泥酔したイクゾーンが壁に衝動的に芸術的な落書きを書き帰ったりした。腕にはhideの刺青を入れ、アンプヘッドにhide人形を飾っていた。ジャパニーズ・メタルダイムバッグ・ダレルをこよなく愛していた。

サポートメンバー

  • KenKen (ケンケン、金子賢輔(かねこ けんすけ)):ベース
RIZEのベーシストで、IKUZONEが左腕神経麻痺で療養していた2011年6月以降のライブに参加[3]。2016年にリリースされた「光りの街」から本格的にレコーディングにも参加している。

概要

ロックパンクヒップホップエレクトロニカラテンレゲエなど、様々なジャンルの音楽を取り入れた6人組のバンド。

バンド名の「Dragon Ash」はKjが考えた造語であり、"drag on ash"(だらだらしていたら灰になる)という意味を込めているという説があるが、元ベーシストのIKÜZÖNEはFAN CLUB(D.A.CREW)の会報でこれを否定している。

関西で開催されるロックフェス『RUSH BALL』や『京都大作戦』には開催当初からラインナップに名を連ねている。

また、ROCK IN JAPAN FESTIVALの初年度から全て出演し続けており、過去16回の出演中、7回でトリ(さらにそのうち2回は大トリ)を務めている。

 

Mr.Children(ミスターチルドレン)フィンガーロゴ Finger font Logo

Mr.Children(ミスターチルドレン)Fingerfont Logo No.269 フィンガーフォントロゴ

デビューから今日まで、安定してトップクラスの人気を保ち続けるモンスターバンドですね。
ファンの間ではおなじみ、ミスチルくん のロゴを再現してみました。
手を46使用

Hand Logo

Mr.Children(ミスターチルドレン)は、日本ロックバンド[注 1][6][7]1989年結成。略称はミスチル[8][9][10]。所属芸能事務所エンジンレコード会社トイズファクトリー。公式ファンクラブは「FATHER & MOTHER」。

 

出身地 日本の旗 日本東京都
ジャンル ポップ・ロック[1][2][3]
プログレッシブ・ロック[3]
フォークロック
J-POP
活動期間 1989年[4] - 1997年
1998年 -
レーベル トイズファクトリー
1992年 - )
事務所 BAD MUSIC
1991年 - 1994年
烏龍舎
(1994年 - )
エンジン
2014年 - )
公式サイト Mr.Children
 
メンバー 桜井和寿ボーカルギター
田原健一ギターコーラス
中川敬輔ベース・コーラス)
鈴木英哉ドラムス・コーラス)

概要

1992年5月10日ミニ・アルバムEVERYTHING』でメジャー・デビュー。1993年発売の4thシングル「CROSS ROAD」がロングヒットすると、1994年発売の5thシングル「innocent world」で初のオリコンチャート1位を獲得し瞬く間に人気となる。その後、6thシングル「Tomorrow never knows」と1996年発売の10thシングル「名もなき詩」はダブルミリオンとなるなど[11]、これまでにシングル10作品でミリオンセラーを達成している[12]。さらに、「innocent world」と「名もなき詩」はオリコン年間チャート1位を獲得している。アルバムでは1994年発売の4thアルバム『Atomic Heart』と1997年発売の6thアルバム『BOLERO』がトリプルミリオン[11]、1996年発売の5thアルバム『深海』と2001年発売のベスト・アルバム『Mr.Children 1992-1995』 がダブルミリオンとなるなど、アルバム14作品でミリオンセラーを達成している[13]。さらに、2007年発売の13thアルバム『HOME』と2012年発売のベスト・アルバム『Mr.Children 2005-2010 〈macro〉』、2017年発売の期間限定配信ベスト・アルバム『Mr.Children 1992-2002 Thanksgiving 25』がオリコン年間チャート1位を獲得[14]するなど、1990年代、2000年代、2010年代においてシングル・アルバムともにヒットしている[15][16]。『日本レコード大賞』をバンドとしては初めて2度受賞している(1994年の「innocent world」と2004年の「Sign」)[17][18]

バンド名の由来

THE WALLS」から「Mr.Children」に改名したのは1988年12月末。渋谷のロイヤルホストに4人が集合して意見を出し合った。まず、「THE」から始まるバンド名をやめることで一致。当時4人は「チルドレン」という言葉の響きを気に入っていて、イギリスのバンド「THE MISSION」が1988年に発売したアルバム『CHILDREN』や、バンド「The Railway Children」、世界中の飢えや貧困に苦しむ子供を写したロバート・キャパの写真集『戦争・平和・子どもたち』など[19]、好きなものに「チルドレン」含む名称が多かった。ただ、大人になった後も「Children」のままでは如何なものかと思い、正反対の「Mr.」を付けて年が明けた1989年1月1日から使用した。改名当初は響きを重視していたためバンド名に深い意味合いを持たせていなかったが、メジャー・デビュー後に所属事務所から「もっとプレゼンが上手くならないといけない」と言われ、「大人から子供まで幅広く聞いてもらいたい」という意味を加えた[20]

バンド名の表記

本来「Mr.」の後には空白文字を入れるが、「Mr.Children」は空白文字を挿入しない(デビュー当初の一部表記には空白が見られた)。表記については「Mr.Children」が最も多く用いられているが、「MR.CHILDREN」[注 2]、「mr.children」[注 3] という表記もある。なお、アマチュア時代はカセットテープ、参加したオムニバス・アルバム、ライブ告知用のフライヤー、掲載雑誌、所属事務所発行の「御苑プレス」、直筆メッセージなどはすべて「MR.CHILDREN」を使用していた。1stアルバム『EVERYTHING』では「Mr.Children」、「MR.CHILDREN」(表ジャケットと中ジャケット)、「MR. CHILDREN」(スペース有り)、「Mr.CHILDREN」の表記が混在しており、以降の作品や雑誌などでも箇所によって表記が異なるものが存在している。略称については「ミスチル」が一般的に定着しているが、メンバーが「ミスチル」と略すことは少ないが桜井は音楽ドキュメンタリー『Mr.Children / Split The Difference』内で「ミスチルの顔出し看板を作ってほしい」と発言している。

矢沢 永吉(やざわ えいきち)フィンガーロゴ Finger font Logo hand ハンド

矢沢 永吉(やざわ えいきち)Finger font Logo No.268 手を18使用

ご存知、広島市出身のロックミュージシャン。デビューから半世紀ちかく経つも、未だ現役バリバリのロックミュージシャンは日本では唯一、彼だけではないでしょうか。熱狂的で強面なファンが特に多いことでも有名ですね。手で再現すると、けっこうポップな感じのロゴになっちゃいました。

矢沢 永吉(やざわ えいきち、1949年9月14日 - )は、広島県広島市南区仁保出身[1]のロックミュージシャン[2]タレント。身長180cm、血液型B型[3]

  • 愛称は「永ちゃん」「ボス」。ロゴマークの"E.YAZAWA"は商標登録されており(第1601017号ほか)®が表示されている。
  • ファンが熱狂的であることで知られている。2006年には、NHKスペシャルにて矢沢本人ではなくファンにスポットを当てた番組が放映された[4]
  • ほぼ全曲にわたる作曲、及び数曲における作詞を手掛ける。クールス「紫のハイウェイ」など他のアーティストには「五大洋光」名義で楽曲を提供したこともある。
  • 1975年のソロデビュー以降、特にテレビ媒体に露出することは少なかった[注 1]。1978年、資生堂CMソングに採用された「時間よ止まれ」が大ヒットした際も『ザ・ベストテン』を始め、当時の音楽番組にはほとんど出演せず[出典無効][注 2]ラジオは1970年代に何度か出ている[8][注 3]。このため1980年2月10日に当時テレビに出ないと言われており、NHK教育の『若い広場』に出演した際は大きな反響を呼んだ[9]。同じ1980年に自身がCMソングを手掛けた「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA」のCMには出演し、曲もヒットしたが、この時も音楽番組には出演しなかった。ただ、CMソングは1976年9月のSONYラジカセ「リズムカプセル9000」から多数手掛けている[10][11]。近年のようにテレビ媒体に露出が増えたのは1992年に新発売されたサントリー缶コーヒーBOSS」のCMに起用されてからである[12][13]1980年代もテレビに出演することの少なかったが、ロックのカリスマのイメージを覆す冴えないサラリーマンを演じて世間を驚かせた[12]。1994年には『アリよさらば』でテレビドラマの主役を演じ[注 4]その後、ドラマ数本と映画に出演している[12]
  • 活字メディアにもキャロル時代からしばしば登場した[6]。『週刊プレイボーイ』は、キャロル時代から矢沢を応援しており、誌面への登場はミュージシャンでトップの32回に及ぶ[16]。アルバム『Last Song』が発売された2012年夏には、多くの雑誌で表紙を飾った[17]
  • 多くのアルバムをセルフ・プロデュースし、コンサートの興行や演出なども自身の会社が行い、自らがそれら全てを取り仕切る。
  • 自らの奇想天外な人生を基に、数多くの名言を残している[18]
  • 声以上の楽器はないと話しており[19][20]レコーディングの際には、ほとんど1テイクで完成することが多い[20][21]
  • 2012年現在、楽曲数約400曲・ライブ総数約1800本・総動員数約600万人を超える[11]
  • オリコンアルバムランキングベスト10入り最多記録(51作)を保持[22]
  • オリコンDVDミュージック部門で最年長首位記録更新、60歳代での首位獲得は男女・洋楽邦楽含め史上初であった[2]
  • 1970年代から1990年代までの3つの西暦10年代連続で、スタジオ・アルバム首位を獲得した男性ソロアーティストである。
  • 1977年8月26日、日本人ソロ・ロックアーティストとして初めて日本武道館でコンサートを行う[2][23][24]。以降2016年まで武道館最多公演記録137回と更新中[25]。日本武道館を"ロックの殿堂"に押し上げる[26]
  • 1978年、1980年、1982年で長者番付歌手部門第1位。
  • オリコンアルバムランキング最年長首位(63歳8ヶ月)を記録[22]
  • ソロ歌手史上初のインディーズ作品によるオリコンアルバムランキング首位を獲得[22]
  • 1978年、資生堂のCMソングとしてヒットした「時間よ止まれ」が、2014年再び同社のCM曲として復活した[出典無効][27]
  • ホットドッグプレスの1982年5月号の独占インタビューにおいて「日本のミュージシャンはストーンズを観るべき。だが横浜銀蠅のようなガキは観てもダメ。坂本龍一とかは観たほうがいい」と辛口なコメントをしている。同時に紅白歌合戦を「年越しそば歌合戦」と皮肉を込めて述べた。
  • 2011年、ジョニー大倉への嫉妬心から[28]キャロル時代の映像が収録されている1973年の映画「番格ロック」のDVD発売を阻止したため[29][30]、多方面から批判を受けている[31]
  • 2015年12月2日にリリースしたライブDVD『ROCK IN DOME』が、同年12月14日付のオリコン週間DVDランキングにおいて総合1位(初登場)を獲得した(Blu-rayの売上枚数と合算した「総合ミュージック映像ランキング」でも1位を獲得)。また、前作『TREASURE BOX』で自ら樹立した“DVD首位獲得最年長記録”(2014年5月当時64歳8ヶ月)を66歳3ヶ月に自ら塗り替えた[32]
  • 2018年7月13日、平成30年7月豪雨の発生を受け、自身のホームページ内の動画にて、同年9月11日に行われる広島グリーンアリーナ公演で得た収益を被災地に寄付することを表明した[33]