盛岡散歩・桜城小学校と大島高任生誕の地 | ゆるゆるな毎日

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水曜どうでしょうやマンホール、キリスト看板などの趣味に走りすぎた日々を綴っています。

盛岡の市街地には、城下町時代の旧町名の案内板があります。

これは大通3丁目にある桜城小学校の北側には

 

仁王小路の案内板が立っています。

 

この場所には平安時代の仏像郡を残す古寺があって、

 

その古寺に仁王寺があったことに由来するそうです。

 

この旧町名、実は今でも使用されていました。

 

それは息子が転校してきて少しの間通った中学校。

 

盛岡では、未だ個人情報の管理が甘いのか、

 

クラス全体の電話連絡網を作成して各家庭に配られます。

 

それには名前と電話番号のほかに、旧町名が書いてありました。

 

〇〇町×丁目というので地域を分けるよりも、

 

旧町名の方が細かくグループ分けできるのかもしれませんが、

 

引っ越してきたばかりの私は

 

現在の町名すらよく分かっていなかったので、旧町名で言われると

 

全く理解できず、どこなのか聞かざるを得ませんでした。

 

短い期間でしたが卒業関連の役員をさせられてしまったので、

 

ママさんたちとの打ち合わせで、結構困ったなぁあせる

 

というか、転校してきたばかりの人で、年度の終わり際に役員を振る?

 

それはまぁ置いといてw

 

 

桜城小学校の片隅には、レトロな遺構があります。

最初は何なのか分からず、洋風の四阿かと思っていました。

 

 

反対側から見ると…。

ファサードに校章があります。

 

これは四阿ではなく、桜城小学校時代の玄関だそうです。

 

竣工は明治41年(1908年)だそうですが、とってもモダンな玄関。

 

建物はどんなだったのでしょう。

 

 

素敵な旧校舎の遺構がある桜城小学校の片隅には、

 

もう一つ案内板があります。

ここは近代製鉄の父・大島高任(たかとう)生誕の地だそうです。

 

大島高任は、昨日紹介した盛岡のガス燈に縁のある南部藩藩士。

 

文政9年(1826年)5月11日、盛岡藩侍医・大島周意(かねおき)、

 

千代夫妻の長男として、仁王小路付近で生まれたそうです。

 

高任は天保13年(1842年)、17歳で江戸に出て蘭学を学び、

 

安政3年(1856年)からは長崎や大阪で、

 

西洋兵学、砲術、採鉱、精錬を学んだそうです。

 

嘉永6年(1853年)に水戸藩に雇われ、那珂湊に反射炉を建設。

 

安政3年(1856年)に大砲の鋳造に成功したものの、

 

材料の銑鉄がよくなかったため性能が悪く、良質な材料を得るために

 

現在の釜石市の橋野鉄鉱山に洋式高炉を建設しました。

 

橋野鉄鉱山は世界遺産に登録され、私も昨年行ってきました。

 

規模も大きく、感心しながら見て回りましたが、

 

それを作った近代製鉄の父の生誕の地が近くにあったとは。

 

 

桜城小学校の東側の道を挟んだビル。

左側が桜城小学校です。

 

 

そのビルの横に石碑がありました。

葉っぱに隠れてしまっていますが、

 

「近代製鉄の父 大島高任生誕の地」と刻まれていました。

 

この辺りは区画整理され、

 

大島高任の自宅の真ん中に道が通ってしまったのでしょうか?

 

 

大島高任生誕の地の向かいには盛岡聖公会があります。

こちらは昭和4年(1929年)竣工の建物。

 

こちらは幼稚園が併設されていて、園児さんたちが入らないように…

 

と、変なアングルで撮った以降、撮り直すを忘れていました。

 

そのうち撮り直して来ようと思います。

 

 

 

今回のおでかけ

★盛岡市立桜城小学校

  住所:岩手県盛岡市大通3-8-1

  電話:019-653-5758

 

 

★日本聖公会盛岡聖公会

  住所:岩手県盛岡市中央通3-14-14

  電話:019-653-0812

  公式ウェブサイト:盛岡聖公会

 

 

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