天菩比神の葦原中國への派遣は失敗に終わりました。
第2弾として、天若日子が派遣されることとなります。
長らくこの神の謎が解けずにいましたが
わずかな一筋の光明が見えてきたかなといったところ。
「出雲~大和」間でばかり考えていたので
なかなか見えなかったのです。
一筋の光明は「美濃」にありました。
また遠征せねばならんのですが…。
高御産巢日神と天照大御神はまた、諸神等に問いました。「葦原中國に遣わした天菩比神は久しく返事が無いが、また何れの神を遣わせばよいだろうか」と。すると思金神は「天津國玉神の子である天若日子を遣わすべきです」と答えて申し上げました。そこで天之麻迦古弓と天之波波矢を天若日子に授け遣わしました。
葦原中國への天菩比神派遣が失敗に終わり、続いて天若日子が派遣されることになりました。またもや思金神の提案。またもや失敗するのですが、責任問題は問われないのか?などと詮索するのはやめましょう。
◎天若日子の父として語られているのが「天津國玉神」。謎の神。事蹟から系譜から何も語られていません。天若日子の出自がよく分からないため、適当に創り出した神なのでしょうか。
おそらくは大国主神の別名である「宇都志國玉神」(顕國玉神)に対応させたものでしょう。「天上の精霊たる神」といったところでしょうか。
天若日子はその国に降り立ち、大國主神の娘である下照比賣を娶り、その国を獲ようとして八年も返事をしませんでした。
*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。