浜宮 (男神社 境外摂社)


和泉国日根郡
大阪府泉南市男里7-35 (「天神の森」内)
(駐車スペース有り)

■祭神
事代主命


男神社の境外摂社であり、旧社地。男神社からは北方1km余り。海岸からは500m余り。古代は当地が海岸であり、神武東征神話に記される「山之井水門(みなと)」であったと伝わります。
◎紀の記述は以下の通り。
━━(孔舎衛坂で敗戦、兄の五瀬命は肱に矢が当たった)皇軍は「茅渟(ちぬ)」の「山城水門」に至った。五瀬命の傷のあまりの痛みに、剣の柄を握り雄叫びを上げた。「何ということだ。武勇な私が敵に討たれ、報復すらできずに死んでしまうのか」と。時の人はその地を「雄水門」と名付けた━━
◎記の記述は以下の通り。
━━(楯津で敗戦した皇軍は)南の方より廻りこもうとしていたところ、「血沼海」に至り御手の血を洗ったので「血沼海」という━━
◎当地一帯は「天神の森」と称され、神武天皇聖蹟雄水門顕彰碑が建てられています。「雄水門」について泉南市は、北に樽井の高台をめぐらし、西には「天神の森」の砂丘を防波堤にする、理想的な良港だった可能性を指摘しています。

◎「山之井水門」として実際に停留したとされる伝承地に、「山之井遺跡」碑が「天神の森」の南東すぐのところに、「山の井」碑が東方200mほどのところに建てられています(いずれも未訪)
また500mほど東方には茅渟神社が鎮座しています。
男神社への遷座は貞観元年(859年)、波の侵食から免れるためと伝わっています。
◎泉南市のサイトには「山之井」を歌った二首の和歌を紹介しています。


一帯は「天神の森」として整備されています。入口の鳥居(北東方向)から車で進入可。


右手の建物が当社。「天神の森」内のどこにでも車は停められます。






当社の奥に神武天皇聖蹟雄水門顕彰碑が立てられています。



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