◆ 「住吉大社奉納和歌集」より ~2







前回よりスタートさせたこちらの企画物。

いつもの序章的なものに留めましたが、今回より本格的にスタートとなります。


あいにく和歌の心など何ら持ち合わせていないものですから、

一区切りごとに何となく気に入った歌を数首選び、ずぶのド素人が何とかかんとか歌の意味を考えてみよう…などという、非常にゆるゆるな記事となりますもので、

お手柔らかにご批判を…
また密かに嘲笑して下されば…
と先にお断りしておきます。


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■ 寛文四年六月一日 五十首

後西天皇法楽奉納和歌
 御製宸翰三枚

寛文四年六月一日御法楽
 熈房以下四十七首

熈房卿以下公卿短冊 四十七枚
 寛文四年六月一日御法楽ノ分

後西天皇御宸筆御短冊 三枚
 寛文四年六月一日御法楽ノ分



【補足】
*寛文四年 … 1664年
*後西天皇 … 第111代、ゴサイテンノウ
この法楽がなされた時には既に上皇
*「法楽」
仏教用語ですが、神に対しても楽しんで頂くための行い(神事)にも用いられるようです。
*「宸翰」
「天皇が住まい(皇居)でしたためた」といった意味になるかと思います。

*本書の編纂者の一人、神道宗紀氏による別の論文を管見したところ、この「御法楽五十首和歌」奉納は住吉大社と、紀伊国名草郡の玉津島神社へも同時になされたようです。

この2神にもう一神を含めて「和歌三神」などと称されました。

*柿本人磨呂

住吉明神が「和歌三神」の一となった所以を神道宗紀氏は、平安時代後期の歌人で、住吉大社神主であった津守国基によるものとしています。また国基は衣通姫命(玉津島神社のご祭神)。神道宗紀氏の言葉を借りるなら、「国基の衣通姫(玉津島明神)への敬愛と感謝が窺える」と。

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今回は三首選んでみました。



立春

すみよしや あふくめくみの 春たちて
 さきいてむはなを まつのことの葉

 後西天皇



住吉や、多くの恵みをもたらす春が立ち
咲こうとする花を待つ言の葉です。



このような意味となるのでしょうか。
「あふくめくみの」を「多くの恵みをもたらす」と訳しましたが、他の意味を兼ねていそうです。
また「まつ」には「待つ」と「住吉の松」がかかっているように思います。


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名所松

みつかきの 久しきよゝり ことの葉の
 散うせぬかけや すみよしの松

 雅章



(いにしへ)の世より言の葉が失われてきているように、住吉の松の葉も少なくなっているように思います。



このような意味となるのでしょうか。
「みつかき(瑞垣)の」は「古い」という類いの言葉にかかる枕詞。

*「言の葉」
「語源由来辞典」は以下のように示しています。
━━「言(こと)」 + 「端(は)」の複合語である。(中略) 「言(こと)」には「事」と同じ意味があり、「言(こと)」は事実にもなり得る重い意味を持つようになった。そこから「言(こと)」に事実を伴わない口先だけの軽い意味を持たせようとし、「端(は)」は加えて「ことば」になったと考えられる━━
どうして「葉」を使うようになったのかについては、紀貫之の「古今和歌集」の冒頭に以下のようにあります。
━━やまとうた(和歌)は 人のこころを種として よろづの言の葉とぞなりける━━

*「住吉の松」
日本を代表する松の名所であったようです。
━━古来の和歌を研究する学問の歌学では「住吉の松」は歌枕とされ、住吉の神にゆかりの浜辺の松は神聖視されてきました━━



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社頭祝

君により いまそさかへむ すみよしや
 神代の松の 言の葉の道

弘資



(後西)天皇のおかげで住吉は弥栄です。神代の松の和歌の道。



概ねこのような意味となるのでしょうか。あまり自信はありませんが…。
「君」は天皇のことと解しましたが、或いは住吉大神のことかもしれません。


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今回は気付けば、
「言の葉」「住吉の松」に終始しました。

「和歌」を知るには「言の葉」というものを意識しながら…
「住吉の松」は想像よりも遥かに美しく、遥かに神聖視されていたものであったということが分かりました。

大いに勉強をさせて頂きましたね~
鶴崎先生に感謝せねば。

今後、住吉大社を拝する際には
「住吉の松」の面影から往時の姿を描きつつ…ということになるかと思います。


現在も多くの松が残る住吉大社


*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。