◆ 「住吉大社奉納和歌集」より ~1






まだまだ参拝活動には出られそうにないので、もう1本企画物を立ち上げようかと思います。


その前に生き延びられるんか?

今のところ…
3月上旬までは大丈夫そうです。

その後は知らん(笑)
何とかなるやろ…。


闘病記録では書いてますが
(アメンバー限定記事です、すみません)

1ヶ月半で体重は8kg落ちました。
喜び半分、恐怖が半分。

餓死が先か?
生活費無くなるのが先か?

とりあえず笑っておこう。
へらへらへら~





■ 頂き物

仕事でとあるお客様と会話。

お相手はご高齢の紳士然たる方。品性があり、かつ碩学であろうことは、出で立ちやお言葉の端々から感じられました。わずか1~2分ほどで。

私が神社、神道に傾倒していることが判られると、「実は…」と「住吉大社に奉納された和歌をとにかく拾い集めましてね…一冊の本にしたことがあるのです」と。

「ぜひ貴方に差し上げたい」と、ご自宅にお送りするわずか10分足らずの間に会話が進みました。

「取って来るからちょっと待ってて」とご老人はご自宅へ。有難いな~と待っていると、持って来られた本はドえらいもの!

箱入りハードカバー、
厚み5cmほどの代物。

タダで頂けるというもんやから、想像していたのはせいぜい単行本。

「いやいや…何もお返しできませんよってに…」
「余ってるもんやし、せやかてとんちんかんな人にあげてもつまらんし」

大変に有り難く拝領しました。
そしてお客様がどのような方であられるのか、ごくわずかながら分かったのでした。



■ 鶴﨑裕雄氏

帝塚山学院短期大学長
帝塚山学院大学教授
文学博士

●著書
「戦国の権力と寄合の文芸」
「新修大阪市史」(共著)
「紀州玉津島神社奉納和歌集」(共著)
「戦国を往く連歌師宗長」


Wikiにも出られてるお方やん!



■ 「和歌は神事である」

書名にもあるように、「和歌」が「奉納」されています。「奉納」とあるからには、歌会は決して皇族や貴族たちの娯楽ではなく、「神事」であったということなのだろうと思います。

賀茂御祖神社(下鴨神社)「秀穂舎」という資料館にて、案内人の女性の方とお話をしていて分かったこと。「神事」であると。


「和歌」が神に奉るものであったため、詠み手はさぞかし大変なプレッシャーであっただろうことは容易に想像されます。

下手な歌を詠むと周りから失笑されるのでしょうけれども、それよりも神に対して粗末な奉納物になってしまうというプレッシャー。



■ 「住吉大社奉納和歌集」

住吉大社に鎮まる偉大なる住吉大神に対して奉られた、多くの和歌。

神々に序列などは一切なく、いずれの神にしても偉大である故に神として崇められているわけですが…

とりわけ住吉大神に関しては、神功皇后に対しての神威を始めとして、日本国の歴史に与えた影響は計り知れないほど多大なもの。

特に平安朝以降は住吉大神の「和歌の神」としての信仰が高まり、多くの歌が奉納されました。これは鎮座地があまりに美しい景勝地であったことから。現在は境内を一歩出ると、堺市のごちゃごちゃ感満載の喧騒にまみれた地ですが。

これを網羅したのが本書。
寛文四年(1665年)~文政十一年(1665年)の奉納歌を網羅したとのこと。総数は示されていませんが、数千種という圧倒的ボリューム。



■ お返し

本書を頂いたのは確か2~3年前のこと。大変に有難く何とか生かしたいものではあるが…

そもそも和歌の素養など一切なく、果てどうしたものか…と常々気には懸かるも傍らに抱えたままになっていました。

時が来ました。

「和歌」から入ろうとするから入るのに躊躇がある、「神事」の一つという観点から入るとすんなりと入っていけるのではないかと。

また気負い過ぎて「和歌」の「心」も無いのに、すべてを訳してしまおうなどともせずに、気に入った歌だけを自分なりの解釈にて。

このような感じで進めようかと。

一度の歌会で、数十種~中には百種ほども奉納されています。
いくつかお気に入りを探して…住吉大神の遥かなる偉大さを感じ取り…といった具合に。

これを以て鶴﨑先生への恩返しに替えようかと思っています。

またお会いできるのかどうかは分かりませんが、その時は「こんな事してます~!」と言えたら良いかな…と。



次回より本格的な記事となります。








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