吉備津彦神社 
*写真は2013~4年頃に撮影したもの






◆ 土蜘蛛 二十七顧
(「温羅」伝説 ~1)





記紀や各国風土記等に登場する「土蜘蛛」を一通り紹介し終えました。

ところがこれですべての「土蜘蛛」を網羅したとは到底思えず、その他の文献や伝承等にはまだまだ存在しているのだろうと思います。

しばらくは自身の思い付く限りに、また必要に応じてその他文献の探索を行っていきたいと思います。

完全版というまでにはほど遠いのでしょうが、そこそこの集大成にしたいと考えています。




吉備津彦神社 境内社 温羅神社
*写真は2013~4年頃に撮影したもの



■ 吉備地方の「温羅」伝承

桃太郎物語のモチーフになったとされる、吉備津彦命(桃太郎)の「温羅(ウラ)」征討(鬼退治)伝説。

「土蜘蛛」といった表記は見当たらず、これを「土蜘蛛」に含めるには異論があろうかと思います。当ブログとしては、より多角的に見ていきたいという思いから、「土蜘蛛らしきもの」として紹介しておきたいと思います。

「温羅」はいくつかの吉備津彦神社(記事未作成)や吉備津神社(記事未作成)の縁起等に登場しています。以下、知り得る限りの書を列記しておきます。

*「備中国大吉備津宮略記」賀陽朝臣為徳(文政十年・1827年以前) … 「百済王温羅」として記される
*「備前吉備津彦神社縁起写」吉備津彦神社社務所編(延宝年間・1673~1681年) … 「吉備冠者」として登場
*「鬼城縁起」(延長年間・923~931年か) … 「鬼神」として登場。
*「吉備津彦神社史料」吉備津彦神社社務所編(昭和十一年)
*「備中吉備津宮勧進帳」(天正十一年・1583年) … 「鬼神」として登場

他にも
*「梁塵秘抄」後白河法皇(治承年間・1180年前後) … 「丑寅みさきは恐ろしや」と伝える
*「多聞院日記」英俊等 … 永禄十一年(1568年)の記事に。鳴釜の存在を伝える
*「雨月物語」上田秋成(安永五年・1776年) … 「吉備津の釜」に「鳴釜神事」の様子を伝える

「丑寅みさき」とありますが、これは「備中国賀陽郡一品吉備津宮社記」(吉備津彦神社社務所編)に、吉備津神社の艮御崎神社の祭神として温羅の名がみえます。

「鳴釜神事」については、殺した温羅を御竈殿の下に埋めたが唸り声は止まず、世に禍があれば釜を鳴らして吉凶を示そうと温羅からの神託があったというもの。また「丑寅みさき」は御竈殿の精霊とされます。

吉備津彦命は、崇神天皇の御代に「四道将軍」として派遣された一人(一神)。

「四道将軍」とは…
大彦命(北陸へ派遣)
武渟川別命(東海へ派遣)
丹波道主命(丹波へ派遣)
彦五十狭芹彦命(=吉備津彦命、山陽へ派遣)
以上の四名(四神)のこと。これは紀の記述。

一方で記の方は「四道将軍」の記述が存在せず、第7代孝霊天皇の御代、吉備津彦命が弟の若日子建吉備津彦命(稚武彦命)とともに吉備を平定したとあります。

「鬼城縁起」の成立時期からみて、物語は既に平安初期には完成していたものと思われます。


「鬼ノ城」 *画像はWikiより



今回はここまで。

途中でぶった切ったような形となりましたので、明日続きをUPします。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。