◆ 「祝詞新講」 次田閏著 (~5)






第5回目の記事となりました。

自身のレベルアップを主目的としたテーマ記事。少々難しい内容、ましてや昭和二年の発刊で旧字体まみれの書。もちろん私自身も四苦八苦しながらの熟読&記事作成。

一般の方々にはあまり馴染めないでしょうが、お付き合い頂ける方がおられますとさいわいです。


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■過去記事
* ~1 序

* ~2 緒言
* ~3 祝詞の名義
* ~4 呪物崇拜と言靈信仰

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「祝詞」の様子 *画像はWikiより



■ 祭祀と政治

◎「祭」

次田潤氏は先ず「祭(祭祀)」について以下のように記しています。
━━「祭」は神祈を對象(対象)として吉事を祈請する祭式と、祭神の詞としての祝詞を奏する事の二つを併用する、祈禱の行事である━━

そして神に「祈る」の義を持つ言葉として、以下の種類を挙げています。
*「いのる」
*「こひのむ」
*「こふ」
*「ねぐ」「のむ」

これらについて、第3回目の記事において以下のように記しました。


━━安藤正次氏(国語学者)は、「のる」を「ねぐ」「のむ」「いのる」「のろふ」と共に、同一の語源から分化したもの。
「ねぐ」とは「祈ぐ」のこと、「のむ」とは「祈む」のこと。どちらも文字通りに「祈る」ということ。「祈る」の「 i (い)」は、「忌」または「齋」の意味に該当するだろう━━

*「祈る」
「祈る」 … 「 i (忌or齋)」+「のる」
=「いみきよまはる」+「意思を言葉で発表する」
(第3回目の記事では省略しています)

万葉集の「祈る」の用例から、「いのる」という動詞が承ける神の語格が、「神に」ではなく「神を」となっています。
「神に」「いのる」、つまり「神頼み」的な用法になったのは後世のことであると分かります。原初は「神を祈る」だったのです。


「万葉集」の「祈る」の用例


*「こひのむ」
「こふ」については「神の啓示若しくは來臨を乞ふ」という意。
「のむ」については、
━━古事記に「稽首」の字を訓み、又謝罪のしるしに差出す貢物を「能美之御幣(のみのゐやじり)」と稱してゐるから、もと祈るの義であったのが轉(転)じて、平伏して赦罪を乞ふ意になつたのである━━としています。

「稽首」を辞書で調べると、「頭を深く垂れて地につけること」「うやうやしく礼をすること」となっています。

*「ねぐ」「のむ」
「ねぐ」とは「祈ぐ」であると第3回目の記事に記しています。そして次田潤氏は、
━━思ふに、「ねぐ」は後の「ねがふ」(願)と同系の語であり…━━と。

「のむ」は上述の通り。

*美文からなる「祭」の詞
善言美辭(辞)であったことが記紀の記述から分かります。

・「天岩戸」神話
記には「天兒屋根命が太詔戸言(ふとのりとごと)を禱き(ねき)白し(まをし)」とあります。
そして紀の一書に、それが「廣く厚く稱へし辭(辞)を祈み(のみ)啓を(まを)さしむ」とあり、それを聞こし召された天照大御神が、「若此(かく)言ふところの麗美(うるはしき)は未だ有らず也」として岩戸を細目に開けて外を窺った…とあります。

つまり天兒屋根命の「太詔戸言」があまりに美麗であったので、天照大御神は岩戸を少し開けてみた…というもの。

・記の大国主命神話
大国主命が出雲の「多藝志」の小濱に神殿を営んだ際に、水戸神の孫の櫛八玉神が膳夫(かしわて、=食膳の調理を司った人)となり、「天の御饗(みあへ)」を奉る時に奏した「火鑽(ひきり)」の詞が記されます。

━━是の我(あ)が燧れる(きれる)火は、高天原には神產巢日御祖命(カミムスビミオヤノミコト)の、登陀流天之新巢(とだるあまのにひす)の凝烟(すす)の八拳(やつか)垂る摩弖(まで)燒き擧げ(たきあげ)、地(つち)の下は底津石根(ソコツイハネ)に燒き凝して(たきこらして)、栲繩之千尋繩(たくなはのちひろなは)打ち延へ(はへ)釣らせる、海人(あま)が大口之尾翼鱸(おおくちのをはたすすき)佐和邇(さはに)控き(ひき)依せ騰げて(あげて)、拆竹(さきたけ)の登遠遠登遠遠邇(とををとををに)、天之眞魚咋(あめのまなぐひ)獻らむ(たてまつらむ)━━


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「本居宣長の不思議」(財団法人鈴屋遺蹟保存会・本居宣長記念館 編)の表紙より



◎「政」

「祭」という語が「政」と関係があることは、既に江戸時代の国学者の説にあるようです。

「倭訓栞」(国学者 谷川志清)
「まつる」を解いて「祭祀をよめり。待の義なるべし、請待の意也」とあり、「まつりごと」については「政をよめり、祭事の義也、よつて祭政一致ともいへり」と解釈されているとのこと。

*「古事記伝」本居宣長より
━━政(まつりごと)は凡て君(天皇)の國を治め坐す萬の事の中に、神祗を祭り賜ふが最に(なかに)重き事なる故に、…(中略)…其の餘(ほか)の事等をも括て(かねて)祭事と云ふとは、誰も思ふことにて、誠に然ることなれども、猶(なほ)熟(よく)思ふに、言の本は其の由には非らで(あらで)、奉仕事(まつりごと)なるべし。そは天下の臣連八十伴緒(とものを)の、天皇の大命を奉はりて(うけたまはりて)、各其の職(わざ)を奉仕る(つかへまつる)、是天下(あめのした)の政(まつりごと)なればなり。さて奉仕る(つかへまつる)を麻都理(まつり)と云ふ由は、麻都流(まつる)を延べて麻都呂布(まつろふ)とも云へば、卽ち(すなはち)君に服縱ひて(まつろひて)、其の事を承はり行ふをいふなり。【されば都加閇麻都留(つかへまつる)は事服縱(つかへまつる)なり。又服縱(まつろふ)は奉仕(まつる)にて、皆本は一つ意より出でたり。書紀雄略卷の大御歌に、波賦武志謀飫袁枳瀰儞磨都羅符(はふむしもおほきみにまつらふ)とある、磨都羅符(まつらふ)は、奉仕る(つかへまつる)をよみ賜へり。又萬葉二(「万葉集」巻二)に不奉仕(まつろはず)とあるは、服縱はぬ(まつろはぬ)ことを云へり。これらを以て言の相通ひて、本同意なることをさとるべし。又神を祭ると云ふも、其の神に奉仕る(つかへまつる)にて本同言なり。されば政(まつりごと)とは、天皇の神に奉仕り(つかへまつり)坐す義(こころ)とせむも、言の本の意は同じけれども、其の祭祀(まつり)の事に因りて云ふ稱にはあらず。臣連等の天皇に奉仕る(つかへまつる)方に就きて云ふ稱なり】故(かれ)古事には、政(まつりごと)と云ふをば君へは係けず、皆奉仕る(つかへまつる)人に係けて云へり━━

つまり…
・「まつり」 … 天皇が神祗に奉仕し給ふこと
・「まつりごと」 … 臣下が天皇に奉仕し奉ること

著者は本居宣長に対して、「思ふに」として以下のように説いています。

━━「まつり」といふ語は、「まつる」(奉仕)「まつる」(獻)「まつろふ」(服縱)と同じ系統の語である。其の語源は、神に啓示若くは來臨を待つ意の「まつ」であって、それに動詞の造語成分の「る」が附いて「まつる」となり、更に繼續の意を現はす「ふ」が附いて、「まつらふ」若しくは「まつろふ」を生じたのである。…(中略)…原義は「待つ」であつたのが、祭るの意になり、服縱の意にもなり、又貢や幣帛などを用ゐられるやうになつたものと考えられる。…(中略)…卽ち「まつりごと」はもと祭事の義であつたのであるが、神祗政治の行はれた時代には、神祗を祭り神の啓示を承けて、萬づの政治を行ったから、やがて「まつりごと」が政治の義にも用ゐられるやうになつたのである━━

また「まをす」(奏)についても触れています。

━━萬葉に執政の皇子の事を、「吾が大君の天の下申し賜へば」(卷二)といひ、執政の大臣の子の事を、「天の下奏し(まをし)たまひし家の子」(卷五)と歌つて、政治を輔佐することを「まをす」(奏)と云つたのも參考すべき語である━━

そして「まつり」という語を次のように結論付けています。

━━從つて「まつり」は、政治的には臣民がそれぞれの職を奉じて、現つ神なる天皇に仕へ奉ることであり、宗教的には神祗に仕へ奉ることを云ふのであると解釋せられる。而して祭には自己の爲に私に行ふものもあるが、政治的には、天皇竝(並)に國民の爲に公に行ふのであつて、祝詞は國家の公事として行はれる、祭祀に於て用ゐられたのである━━

そして宣長は「祝詞」の定義付けを以下のように下しています。

━━祝詞は、皇室の長久國民の平安を祈願する國家的祭祀に當つて、天皇の勅命を奉じて神祗に奏し、若くは神前に集へる群臣神職等に讀み聞かせる所の祭神の詞である━━

先にもありましたが、「祝詞」とは「祭神の詞」であり、「神を祭る詞」であると。「神に」ではなく「神」を祭るということが重要かと思います。


「古事記傳」本居宣長 *画像はWikiより



今回はここまで。

少々難解であり、長文となってしまいましたが、次回以降もお付き合い頂けますとさいわいです。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。