◆ 「祝詞新講」 次田閏著 
(~3 祝詞の名義)






せっかく入手したからには…
と、始めたテーマ記事。

「祝詞」は神道の根幹を為すものの一つ。

神道とは際限なく奥深いもの。
まだそれが分かっただけのレベルと、これまで少々及び腰でした。

独りよがりなテーマ記事となりそうですが、ご覧頂ける方がありましたらさいわいです。


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■過去記事
* ~1 序

* ~2 緒言
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■ 祝詞の名義

まずは「祝詞」とは何かからスタートしています。こういうところをしっかり学ぶことこそ、神道への知見を深める最短ルートではないかと思います。大幅に端折りつつ進めます。



◎「のりとごと」の略

「のりと」は古くは「のりとごと」と言いました。これは明白なことであると、その用例が示されています(一部抜粋)。

*「天兒屋根命布戸詔戸言禱白而(アメノコヤネノミコトふとのりとごとねぎまをして)」(古事記上巻 天石屋戸の段)
*「奈加等美乃敷刀能理等其等伊比波良倍安賀布伊能知毛多我多米爾奈禮(なかとみのふとのりとごといひはらへあがふいのちもたがためになれ)」(萬葉巻十七、大伴家持作歌)
*「天津祝詞乃太祝事乎宣禮(あまつのりとのふとのりとごとをのれ)」(六月晦大祓)
*「祝詞祓詞者、法刀言也(のりとはらえことばは、のりとごとなり)」(令集解)

「布戸」「敷刀」「太」といった「ふと」は称え言。
「六月晦大祓」にあるように、「乃」は同格の語を重ねて詞を鄭重(丁重)にしたもの。
「事」「辭」「言」といった「こと」はいずれも「ことば」の意。

「のりとごと」が「のりと」と略されるようになったのは平安初期頃であろうとしています。
*「皇太神宮儀式帳」に「告刀(のりと)」とある。
*「延喜式」伊勢太神宮の六月月次祭の条に「詔刀(のりと)」とある。

ここで「宣る(のる)」という語の説明を加えておきます。日本古代史をかじった者なら当たり前のことでしょうが。

*「宣る」
━━呪力を持った発言として、重大な内容を表明する、強い力をもって発言するのが原義で、神や天皇が重大な内容を宣言する場合や、人の名のような重要なものを告げ知らせる場合などに用いられた━━(「日本国語大辞典」より)



◎「のる」

本居宣長は「古事記伝」の「布戸詔戸言(ふとのりとごと)」の解釈において、「宣説辭(のりときごと)」であるとし、「のる」を、「必ずしも貴人の命でなくても、単に人に物を言い聞かすこと」としています。

ところが山田孝雄氏(国語学者・国文学者・歴史学者)はそれに対して、「のる」を「単に人に物を言い聞かすこと」とするなら、「のり」も「とき(説き)」も同じ言であるからわざわざ重ねる必要はないとしています。
その上で「のる」という語は、漢字の「宣」に近い語であると。「のり(法)」として「法則」の意味にもなったり、「みことのり(詔)」として「詔勅」の意味にもなったり、「なのり(名乗り)」として公式の「名称」の意味にもなったりすると。

つまり「のりとごと」とは、
━━公命(君主の命令)を宣りとく詞の義と稱すべきものにして、宣命もやがて「のりとごと」にして、古は「のりと」も宣命も一なりしが、後に政事(まつりごと)には宣命、祭事(まつりごと)には祝詞といふやうに、二途にわかれしものの如し━━としています。

*「宣命」
━━天皇の命令を、漢字だけの和文体で記した文書━━(Wikiより)

これは山田孝雄氏が言うところの、後の二途に分かれた後のこと。

他にコトバンクから引用すると、
━━元来、天皇の命を勅使から宣べ聞かせること━━(「日本大百科全書」より)
━━天皇の勅命を宣すること。また、その文書。本来は詔・勅(みことのり)と同性質のものであって、特に和文を宣命書きという特殊な表記で表現したものを、漢文体で記された詔・勅と区別していう━━(「日本国語大辞典」より)

本居宣長も名前に「宣」がありますね…。
国学研究に本腰を入れた26歳の時に「宣長」と改名したとのこと。どういう意味を持たせて付けた名前だったのでしょうか。


本居宣長四十四歳自画自賛像(部分) 
*画像はWikiより



…本題に戻ります。

さらに安藤正次氏(国語学者)は、「のる」を「ねぐ」「のむ」「いのる」「のろふ」と共に、同一の語源から分化したものであるとしています。

「ねぐ」とは「祈ぐ」のこと、「のむ」とは「祈む」のこと。どちらも文字通りに「祈る」ということ。
「祈る」の「 i (い)」は、「忌」または「齋」の意味に該当するだろうとしています。

ほ~!なるほど!
これは凄いことを知ってしまった!



◎「と」

「のりと」は「のりとごと」の略であり、「こと」は「ことば」であると。そして「のりと」は「のる」と「と」に分けられ、「のる」は前述した通り。

「と」のみが残りました。

武田祐吉氏(国文学者)は、
━━「と」に至つては事と言とに分化しない以前の語から來てゐる━━としています。

これはよく分からない…。

一方で小山龍之輔氏(国文学者)は、
━━「のりとごと」を「のり」と「とごと」の二語から成るものとし、「とごと」の「と」は「とごひ」(呪詛)の「と」と同じもので、「とごひ」は「と乞ふ」の意であり、「とごと」は「と言つ(とごつ)」の意であって、「と」には積極的に對象(対象)へ働きかける意があると解かれた━━としています。

これはあくまでも一説なのでしょうね。
次田潤氏も「なほ今後の研究を俟(待)たねばならぬ」としています。




今回はここまで。
初っ端から難しい国文学のお話となりました。

早くもこのテーマ記事を
スルーしていかれる方ばかりになりそうですが(笑)

ま…自分自身の勉強のための記事なので
もしついてこられる方があればさいわいということで。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。